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  それでも手に入れたい女  

 てめー喧嘩売ってんのか。
 目線でそう言うとどうやらばっちりと伝わったらしい。にやりと笑い返された。
 む、むかつくっ。
 普段は動かない瞼がぴくぴくと痙攣した。ぎり、と歯を食いしばる。そうでもしなければ怒鳴ってしまいそうだった。
 落ち着けー。ここで怒鳴ってみろ、こいつの思うつぼだ。それに一護がいるんだ、余裕の無い男だとは思われたくない。集中しろ、集中。
「なっ!」
 何してんだてめえっ! 一護の髪に触るな!! 俺だってまだろくに触ったこと無いんだぞ。
「どうかしたのか、修兵さん」
「なん、でもねえよ」
 にやにや笑うんじゃねえ。絶対シメる。あとで一護がいないところで絶対シメてやるからな。その白衣を血で染めてやる。
 だが俺の殺気のこもった視線を奴はふっと鼻で笑った。
 東仙隊長、こいつ殺していいですか、いいですよね。あれです、俺の平和をおもっくそかき乱してくれてます。
「ばっ!」
 馬鹿っ! 顔が近えよ!! 近すぎだ!!
「今度はなんだよ」
「なんでもねえって」
 一護から離れろ。一護、そいつから離れろ。
 だがそんな思いも虚しく、俺はまったくかやの外だ。俺を放って二人で談笑なんぞしている。しかも奴は俺には分からない話ばかりを一護にふっていた。おい、この前見たあれって何のことだ。
「おっ!」
 おでこをツンってっ! 恋人同士か!! ずりいぞ、俺もしたい。
「さっきから変だぞ。具合でも悪いのか」
「いや、‥‥‥じ、実はそうなんだ」
 作戦その一。仮病で一護に心配してもらう。
 案の定一護は心配したように顔を覗き込んでくる。熱を測ろうと一護の手が俺に伸びて触れようとした瞬間。
「高熱だな」
 うおい!! なんでてめーが俺の熱を測ってんだ。しかもちゃっかり一護の手を握って阻止してやがるし。
「早く帰って安静にしたほうがいい」
 労るような言葉のわりにはとっとと失せろって目が言ってんだよ。
「具合が悪いんならそう言えよ。ほら、早く戻れって。それとも四番隊に行くか?」
 心底心配しているのが分かる。そうされるとものすごく罪悪感を感じるんだが。
「一人で大丈夫なのか」
「無理かも」
 作戦その二。一護に付き添ってもらう。
 俺の肩を支えようと一護が傍に寄ってきた。
「おい、そこの四番隊。こいつを救護室まで連れてってくれ。重病人だ」
「はいっ、承知しました」
 誰だよお前! なんつータイミングの良さで通りがかるんだ。
「ちゃんと診てもらえよ。無理すんなよ」
 一護はその四番隊の隊員に俺を託すとそう念を押した。そこまで言われるともう引っ込みがつかねえんだけど。
「お大事に」
 てめー覚えとけよ。この落し前はきっちりとつけさせてもらうからな。
 つーかいい加減一護の手を離しやがれ。
 俺の目線が繋いだ手にいっているのに気が付いたのか、奴はにやりと笑うとぎゅっと力を込めて一護の手を握り直す。それに照れたように一護が頬を染めた。離してほしそうにちらちらと見るが、奴は気が付かないふりだ。
 もう我慢できねえ。
 
 東仙隊長。俺は俺の平和を守るため、奴を葬りたいと思います。




「落ち着いて、修兵」
「これが落ち着いていられますかっ!!」
 大声で怒鳴る。だが話を聴いていた東仙は馴れているのかにこにこと受け流した。
「彼はとても手強いようだね」
「あいつ、やることなすこと陰険なんですっ! しかも全然一護に気が付かせないし」
 ここにはいない人物を修兵は憎いとばかりに散々罵った。
 東仙はそんな部下を優しく見守っていた。いつのころからか修兵の恋愛相談のようなものを請け負うことになったのだがこれが聞いていて面白い、いや微笑ましい。
 自分の信頼する部下が一護に好意を寄せているのは知っていた。それがいつごろから恋へと変わったのかは本人も分からないらしいが、東仙は初めて会ったときからだと推測している。
 恋を自覚した修兵があの手この手で一護と仲良くしようとするのだが、一護は鈍かった。惨敗してくるたびに助言を求めることから、東仙はいまや二人の関係で知らぬことはない。
 なかなか進展しない二人の関係に、ある日波紋が生じた。
 恋敵の出現だ。
 技術開発局の阿近。彼が参戦していまや三角関係になっている。それも阿近の優勢が目だっていた。
「一護にべたべた触りやがって」
「君も触ろうとしてるだろう」
「あいつの手はやらしいんですっ!」
 東仙がたしなめるが反論されてしまった。恋は盲目、とはいうがいつも冷静に物事を見据える修兵がこうも取り乱すとは。
「一護も一護です。俺にはなかなか触れさせてくれないのにあいつには簡単に触れさせてっ」
 それは修兵、君のは下心が見え隠れしているからだよ。
 とは言わないでおいた。言ったとしてもうまく隠せるとは思えない。
「今日も手なんか握りやがって」
「修兵は握りたくないのかい」
「握りたいです」
「じゃあ握ればいいじゃないか」
「えっ」
 驚く修兵に東仙はにこりと微笑んだ。
「一護君はもう君を警戒なんてしていないよ。でも以前は警戒して君に触れさせなかっただろう。だから今さらになって普通に触れられるのが照れくさいだけなんだと私は思うな」
「そう、なんですか」
「もちろん一護君の気持ちは一護君にしか分からないよ。でも端から見ていて私はそう思った。見るというのは正しい表現ではないけれどね。なんて言ったらいいのかな、修兵に対する雰囲気がね、以前よりも随分と柔らかくなったんだ。初めて会ったときは刺々しくて近づく者をはじこうとしていた。でも同時にね、怯えているのだと私は感じたよ」
「一護が、怯えて、ですか」
「うん。あの子はとても怯えていた」
 鋭い視線、素っ気ない態度、そうして一護は必死に自分を護っていた。
「本人に自覚はないのだろうけどね。誰も近づかせなければ傷つけられることもないだろう?」
「でも、そんなのって、」
「そう、寂しいね」
 初めて会った頃の一護を修兵は思い出す。ただ触れられることが嫌なのだとそう思っていた。
「修兵」
 穏やかな声にどこか真剣な雰囲気が混じる。思わず修兵は居住まいを正した。
「頑張りなさい。最後まで諦めてはいけないよ」
「はい」
 素直にコクコクと頷く部下に東仙は穏やかな笑みを向けた。
「それと流血沙汰はいけないから。いいね」
「‥‥‥‥‥はい」
 東仙隊長。それはちょっと自信がありません。




「よう。具合はもういいのか」
「お陰さまでっ」
 天敵との遭遇。涼しい態度の阿近に対し修兵は敵意むき出しだ。  
 修兵は初めて相まみえた日のことを思い出す。一目見たときから嫌いだった。一護の傍にいたことも気に食わなかったが、目が合った瞬間まるで品定めするような視線を送られたことがもっと気に食わなかった。
 技術開発局をあらわす白衣。研究者が生き物を観察するような阿近の細められた目を修兵は思い切り睨み返してやった。
 瞬時に悟った。こいつは敵だ。それも目的は同じ。絶対に負けられない。
「そう睨むなよ」
「睨んでねえよ。俺はもともとこういう目つきだ」
 一護といるときとは随分違う。修兵のその態度の違いに阿近は意地悪そうに笑ってやった。
「お前って要領悪いな」
「ああ?」
「空回ってる」
「てめえ、殴られてえのか」
 流血沙汰は駄目だと言われたが、ボディならいいですよね血は出ません、と心の中で東仙に言い訳すると修兵は拳を握った。
 相手の険悪な態度にそれでも阿近は冷静だった。
「ガキだな。もっと大人になれ。一護のほうがずっと大人だ」
「てめえに言われる筋合いはねえよっ」
「怒鳴るな。うるさい。一護に近づくな」
「最後のが一番ムカつくっ!」
 ついに拳がうなりをあげた。修兵は十三隊の副隊長だ、阿近が敵う筈は無い。
「なっ!」
 だが拳は躱された。それだけではない。どこに隠し持っていたのか阿近は銀色に光る刃物を修兵の首に押し当てた。
 阿近は見たことも無いような酷薄な笑みを浮かべる。
「毎日研究ばかりしているひ弱な技術者だとでも思っていたか?」
「てめっ、」
「局長という例がある。油断したな」
 おそらくメスかなにかだろう。ひんやりとした感触が修兵の首から動かない。
「さて、どうするか。このまま邪魔者を抹殺するという手もあるがな。お前はどう思う」
「っ、ぶっ殺すっ、」
「そうか、ぶっ殺されたいか」
 その瞬間スッと横一線に冷たい感触が修兵の首を走った。
「!」
 咄嗟に己の首に手を当てる。だが血など出てはいなかった。
 狼狽えた様子の修兵を阿近がしてやったりと笑う。
「本気でやる筈が無いだろう。当てていたのは背のほうだ。馬鹿め」
 心底馬鹿にしたような目を向けられた。再度修兵が拳を握るがそれは阿近が手を上げて制す。持っていたメスはいつのまにか消えていた。
「そのへんにしておけ」
「挑発したのはてめえだろ」
「挑発に乗ったのはお前だ。もうすこし穏やかにことを進めることを知らないのか」
 そういうところが挑発しているんだと怒鳴りたかったが修兵は我慢する。冷静になれと心の中で唱えたが顔は相当怒っていたので説得力は無かった。
 内に溜まった怒りを逃すように大きく息をつく。睨んだ視線は離さない。
「俺はてめえが嫌いだ」
「当たり前だ。好かれてたまるか」
「後から出てきて一護にちょっかい出しやがって、馴れ馴れしいんだよっ!」
「ああ、羨ましいのか」
 羨ましい。とは己のプライドにかけて言わなかった。代わりに修兵はより一層睨んでやったが阿近は相変わらず平然と受けとめる。
 その余裕のある態度が余計に苛立たされる。まるで相手にする価値もないと思われているようでひどく修兵の癇に障るのだ。
「局長も惚れてる」
「あ?」
 咄嗟に浦原だとは思い浮かばなかった。
「あの人はえげつないぞ。あらゆる汚い手を使ってくるからな。手を引くなら今のうちだ」
「誰が。てめえこそどうなんだ。上司と争うつもりかよ」
 またしてもにやりと笑われた。あたりまえだ、そう聞こえた気がした。
 阿近が視線を外して遠くを見る。そして独り言のように言った。
「どうして皆あいつなんだろうな。特に美しい顔立ちではないのに」
「そんなの、‥‥‥‥知るかよ」
 どうして好きなのかと聞かれればどう答えていいのか分からない。ただただ焦がれてやまない、それだけなのだ。
 色々と理由を考えたときもあったがそのどれもが違うような気がした。足りないのだ。言葉ではどうしても言い表すことができない。   
 困惑する修兵を阿近は眺める。そうだ、なぜ一護を求めてやまないのか、自分もうまく説明できる言葉を持ってはいない。
 一護といると本人はそこにいる筈なのに、ときどきどこか遠くにいるようだと感じることがある。どうしたと、聞いてはみても一護は答えない。俯いて前髪に隠れてしまう目。それをかきあげて触れるほどにその目を覗きこめば何かが分かる気がするのだが。
 決して一番奥を見せない一護を追ううちに深みにはまっていったようだ。どこかに追いつめて、すべてを見たいとそう思う。
「女はいくらでもいる。だが俺はあの女がいい」
 口元は笑みに歪められているものの目は挑むように修兵を見据えてきた。それに一瞬睨むのを忘れて修兵は息を呑む。だがすぐさま我に帰ると同じように視線をぶつけた。
「俺だってそうだ。一護のことじゃすこしも引かねえからな」
 阿近の笑みが消える。
 切れそうな空気だけがその場を包んだ。
「今日は戯れだったがいつお前を殺すか分からん。用心しろ」
「てめえこそ、斬られないように気い張っとけ」
 お互いを睨み据える。
 ほんの数秒のことだったが様々な思惑が飛び交った。
 やがて同時に視線を離すと背を向けて二人は去っていく。これが事実上の宣戦布告となった。  


 すべてを賭けても欲しいと思う
 言うなればそれは
 魂が求める

 そんな女



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