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  そんな三角形  


 何だコレは現実か。
 目の前の光景、もとい惨劇に、一護は藍染の隣で呆然としていた。
「あの二人はね、ああやって穏健派と見せかけてはいるけれど、これがどうして中身は凶暴な連中なんだよ」
 確かに。
 片手で大の男一人を持ち上げる浮竹、そして壁にめり込むほど相手の体を押さえつける京楽を見て、一護は真っ青を通り越して真白になっていた。
「僕は入れ違いに学院に入ったから詳しくは知らないけれどね。今でこそ親友だなんだと肩を組み合ってはいるものの学院時代はそれはもう犬猿の仲だったそうなんだ」
「う、そ、」
「本当。学院の修練場の壁に大きな傷があっただろう?」
 あった。剣道場の壁には細かいものなど気にならないほどに一際大きな傷がある。木刀しか使わない場所で、一体どうやったらあんな傷が付くんだと級友達と話していたものだ。
「打ち合いに託つけて互いに相手を葬ろうとしたらしい」
「‥‥‥‥ぐ」
 言葉に詰まる。
 あの二人が、それほどまでに。
「死神になってからは表面的には穏やかだったけれどね、当時の隊首会は嫌味の応酬。当時僕は思ったものだよ、心底隊長にはなりたくない、ってね」
「信じられない‥‥‥‥」
 二人が会話をしている間も浮竹と京楽はそれぞれに相手を捻り上げていく。それぞれに無表情。いや、ときおり薄笑いを浮かべていて、一護の背筋はぞわぞわとしっぱなしだった。
「正反対の二人とはいっても、根は一緒だったってことさ。同族嫌悪。まったく恐ろしい」
 藍染がそう言うほどだ。おそらく一護が思っているよりも数倍は最悪なものだと考えていい。
「いつの間にか親友同士になっていてね。何があったかは知る由もないが、年月の成せる業かな。丸くなったのだと思っていたんだが、どうやら違ったようだ」
 ボキ。という不吉な音に目を向ければ男が一人、断末魔の悲鳴を上げていた。
 一護の気が遠のく。誰だあの二人は、と遠くの意識で考えてふらふらとすれば藍染が体を受けとめてくれた。
「大丈夫かい?」
「気絶したい‥‥‥‥」
「僕を一人にしないでくれ」
 今のあの二人の相手はごめんだと、珍しく藍染が弱音を吐く。
 しかしこちらへと助けを求めてきた一人を藍染は容易く蹴り飛ばしてみせた。
「自覚するんだね」
「なに、」
「君一人の体じゃない、ということだよ。いい加減分かりなさい」
 何だそれはと思ったところで体を引っ張られた。固い腕に抱きすくめられて、一護は息を詰める。
「大丈夫か!?」
「は、え?」
「顔が! 赤くなっているじゃないか!」
 それはそうだ、殴られたのだから。もちろん殴り返したけれど。
「誰にやられた、どいつだっ」
 どいつだ、と言われても一護には分からない。だって誰も彼もがボコボコにされていて、原型を留めていないのだから。
「浮竹、も一回シメちゃおっか」
 飲みに行くか、な感覚で京楽が言うものだから一護は慌てて首を横に振った。京楽は返り血という模様を新たに加えた華やかな羽織を纏いながらも、普段の明朗な雰囲気にどこか鋭いものを滲ませていた。
「一護、可哀想に」
「いや、」
 むしろ可哀想なのは浮竹達に叩きのめされた男達のほうだ。生きているのだろうかと心配になり霊圧を探ろうとすれば、浮竹に強く抱きしめられた。
「あんなのは気にしなくていい」
「でも、」
「顔をよく見せてくれ」
 赤い頬や青く変色し始めた眦に指を這わされて一護は呻く。こんな傷、大したことは無かったが浮竹が近い距離で覗き込んでくるものだから恥ずかしくてたまらない。
「もう大丈夫だからな」
「わ」
 殴られた頬に優しく唇を押し当てられて一護は硬直した。逃げようとする体は抱きしめられていて動かせない。
「こら浮竹。唇は怪我してないでしょ」
「‥‥‥‥クソ」
 あと少しで唇を奪われるところだったらしい。しかし一護には、あの浮竹が”クソ”だなんて言葉を使ったことのほうが信じられなかった。
「おいで、一護ちゃん」
 今度は京楽に引っ張られて懐へと納められた。はだけられた胸元に頬を押し付けられて一護は恥ずかしさから身を捩る。
「痛いところはない?」
「ない、です、」
「心配した」
「なっ」
 前髪をはらわれたと思ったそのすぐ後に額へと感じる柔らかい感触。
 いつもの京楽ではないみたいだ。まるで別人。
 一護の知る京楽は、浮竹は、自分に対してこんなふうには触れてはこなかった。
「何が、そもそも何で、ここに、」
 ここにはそう、自分一人で来た筈だ。








 久しぶりのタイマンだ。血が騒ぐ。
「あんだよ、仲間引き連れて。腰抜けヤローが」
 相手は一人ではなかった。二人、三人、と湧くように出てきて、気付けば囲まれていた。
「一人じゃ喧嘩もできねえのか、あぁ?」
 拳を突き出し威嚇する。ウォーミングアップはばっちりしてきたので、今の一護は負ける気など微塵も無かった。
「今日で終わりにしてやる。血反吐の中でのたうち回らせてやるからな、覚悟しやがれクソ共が」
 いつもの二割増口が悪いのは自覚していた。しかし止められない。
 少し前から行われていた自分に対する嫌がらせ。ねちねちと攻められて、ついには堪忍袋の緒が切れた。
「おら、かかってこい。一番最初の奴、優しく一発で気絶させてやる」
 手加減はしてやらない。同じ死神だ、そんなものは不要だと一護は固く拳を握りしめた。
 後ろのほうで風がわずかに動く。
 振り向き様に蹴りのほうをいれてやった。うまく鳩尾に入れてやれば相手は一護の予告通り、一発で気絶してしまった。
「次はどいつだよ」
 自分の周りにできた輪を睨みつけて、一護はいつもよりも一層低い声を発した。
 殴り合いの喧嘩なんて久しぶりだった。生きている頃では日常茶飯事で、生意気だとかオレンジ色だとか、因縁をつけられて即喧嘩。中にはやるじゃんとか終わった後に笑いあって、そのまま友達付き合いが始まることだってあった。今思うと開けっぴろげで馬鹿らしくて、そして随分と若かった。
 だからこそ腹が立つ。こんなふうに隠れるようにして一人を痛めつけるような連中はいなかったと内心で唾を吐いた。
「俺が贔屓されてる? 馬鹿言いやがってっ」
 こうして呼び出されてリンチされそうになっているのはそんなくだらない憶測だと言うのだから、つくづく馬鹿な奴らだと怒りを通り越して呆れてしまう。
 後で知られて叱責だとか罰則だとか、そういうことは頭に無かった。きっとこの数に対してでは自分もただでは済まないと分かっていたけれど、このまま何もせずにやり過ごすなんて殊勝な真似はできそうにもない。
「っい、て、」
 殴られて最初に思ったことはルキアに小言を言われる、それだった。
 明日、青痣をこしらえて隊舎に出勤すれば色々と説教されるのだろう。それでもいい、心配されている証拠だ。だが今は許せと殴った相手を殴り返し、ついでに胸ぐらを掴んで頭突きを見舞ってやった。
 拳の喧嘩はいい。そう思ってしまう自分はいまだに悪ガキだと思って、こんな状況だというのに一護は思わずにやりと笑ってしまった。
 斬魄刀だと命の取り合いだ。相手がそれを持ち出さなかったこと、少しは評価していたのだが。
「っが、!?」
 肩に感じる衝撃、それから焼ける匂い。
 咄嗟に後ろを振り返れば、鬼道を放った奴がいた。
「て、めっ、」
 ぶち、と切れた音を聴いた、気がした。
「‥‥‥‥‥‥は、ははは、そうか、そうきたか」
 そうか、そうか。
 鬼道とか使っちゃうんだと、頭の中は至極冷静。笑いが出るのはあれだ、完全に切れた証拠だった。
「木刀とかよ、そういうのだったらまだ許してやったんだけどな、」
 鉄パイプは馴染みのもので、こちらなら木刀なのかなと呼び出し前に暢気にも思っていた。しかしそれだとしてもへし折る自信はあったし逆に奪って口の中にでも突っ込んでやろうとか物騒なことを考えていた。
 しかし鬼道は駄目だ。その気になれば簡単に命を取れる。
「腐ってんな、お前ら」
 崩れた体勢を起こし、肩を撫でる。焼け付く痛みに怒りが一層煽られた。
「てめえら、この破れた死覇装縫うのにオイ、今夜は徹夜じゃねえか」
 それでも出るのは余裕の挑発。
 案の定相手は顔を真っ赤にさせて襲いかかってきた。あちこちから狙いを定めて飛んでくる鬼道に冷や冷やしながらも、それを避けて味方に当たらせるという幸運にもあやかってみたり。
 長いような短い時間が過ぎれば、立っているのは一護と、それから呼び出した張本人の男一人。
「やっとタイマンだな」
 もちろん勝てる。自慢じゃないが、タイマンでは負けたことなど無かった。
 相手が鬼道だろうが斬魄刀だろうが何を持ってこようとも負ける気がしない。最後に残った不運を思い切り味わわせてやろうと一護が一歩、足を踏み出した瞬間に。
「‥‥‥‥まだいたのかよ」
 出るわ出るわ。その数、十、いやもっといた。
 勝ち誇ったような表情を浮かべる男を見据え、一護の既に火の付いた負けん気が更に燃え上がった。
「ぜってえぶちのめす。ここで負けたら男が廃る」
 自分の性別が分からなくなっているくらいに闘争心が煽られていた。
 にやにやと笑う男は最後に残して恐怖を感じてもらうことにして、新たに出てきた取り巻き共を先に潰そうと拳を数度開閉した。
 今の姿はきっと燦々たるものだろう。鼻血はさっき拭いたが口の中は鉄臭かった。女として、どうなんだと思う。
 どうせなら男に生まれてきていれば良かったと思うようなことは多々あった。しかし、しかしだ。ムカつく相手をぶっ飛ばしたいという気持ちに男女の違いなんてあるか。
 ある筈が無い。
「よし」
 勝手に心の中で結論付けて、もうこれ以上は増えないだろう敵との距離を詰める為に一護は体勢を低くした。

「こらっ、待て京楽!」
「待たない!」

 あと少し、というところでそんな掛け合いが聞こえるものだから一護は勢い余ってつんのめる。

「誇りとか? っハ! そんなの気にしてられるか!!」
「しかしっ」
「浮竹はそこで体育座りでもしてろ!」
「そんな訳にはいかない、お前こそ壁に張り付いてろ!」

 あれだけ燃えていた闘争心へと水をぶっかけられた感じに、一護は握った拳から力を抜いた。
「‥‥‥‥何やってんですか」
 煩いと言ってやれば、すぐさま二人の人影が現れた。
 邪魔しにきたのかと一護が叱責に口を開けば、しかし怒鳴られたのはこちらのほうだった。
「何考えてんの!」
「何って、別に、つーか喧嘩に口出ししないでください」
 関係無い、とはっきり告げれば最初は手出しはならないと主張していた筈の浮竹にぎろりと睨まれた。
「お前はっ」
 詰め寄られて一護は思わず後じさる。怒った二人なんて見たことがなくて、今の状況を忘れて喧嘩を売ってきた相手の後ろに隠れてしまいたかった。
 しかしそのとき、浮竹と京楽はハッと目を見開いた。何が起こったんだと一護が怯めば、二人はなぜか通り過ぎていき、こちらを見て呆然としている男達へと向かっていった。
 そして始まる惨劇。
 額からどくどくと流れる血に一護は気がつかず、ただ馬鹿みたいにその光景を眺めていた。遅れて姿を現した藍染がいなければそのまま気絶していたかもしれない。








「まあ確かに、若い頃は喧嘩だってした」
「相手はもっぱら同じ相手だったけどね」
「あれをただの喧嘩として片付けられる神経が信じられないよ」
 得意の鬼道で一護の怪我を治しながらも過去を思い出して藍染は笑った。余裕の笑みとはかけ離れた、どこか疲れたような笑みだった。
「どうせ根っこは変わっていないんだ。殺し合いだけはやめてほしいね」
 そう言って藍染が視線を向けた先には一護がいた。一護は意味深な表情を浮かべて自分を見る藍染に首を傾げる。
「取り合いをして一番被害を受けるのは、その間に挟まれている者だよ」
 破れた死覇装を気にしてくれたのか、藍染が羽織を脱いで一護の肩へと掛ける。しかしすぐにそれは取り払われて新たに花柄の羽織が掛けられた。
「君ね、」
 京楽は平然と自分の羽織を掛けてみせたが、今度はそれを取り払う別の手。
「ちょっと、浮竹」
「そんな趣味の悪いもの、一護に似合わない」
「はぁ?」
「やる気か?」
 そのまま睨み合う。こんなに柄の悪い二人は見たことがない。
「今ここで、決着つけてもいいんだぞ」
「ハン! 何その今まで手加減してたみたいな言い方。上等だ、自分の血反吐でその髪、赤く染めてやる」
 そして同時に胸ぐらをつかみ合って霊圧を上げた。端で見ていた一護は藍染にしがみついて、二人一緒にそろそろと後じさった。
「そこの二人」
「ヒ!」
「くっつきすぎ。藍染、離れろよ」
 憎悪の視線は藍染だけに。
「怖がられてるよ、君達」
 本性が露呈されて、それを目の当たりにしてしまえば誰だってそうなると一護は言いたかった。
 正直、そこらのチンピラのようだ。
「怖くなんてないよ?」
「そうだ。こいつはともかく、俺はいつだって優しかっただろう?」
「だからっ、そうやって自分だけ良く見せるのやめたら? 根性悪いのがばればれだよ」
「そっちこそっ、いい人ぶりやがって。その作った笑みでどれだけの女を泣かせてきたんだ、え?」
「それはもう終わったことだろ! あんあん泣かせたいのは今はもう一護ちゃんだけだ」
「俺だってそうだ」
 いつの間にか自分の話になってしかも内容がアレだったので一護は一層強く藍染にしがみついた。
「だいだいお前のことは出会った瞬間から気に食わなかったんだ」
「僕もだよ。病弱だけど健気に努力を怠らない、謙虚で信頼も厚い浮竹君? 僕はそのどれも持ってなかったけどね、まったくムカついたもんだよ」
「へらへら笑って女生徒追いかけ回すお前は軟派にも関わらず成績は良かったな。皆、お前のことを女好きだなんだと悪し様に言ってはいても、心の底では憧れてたんだ。ああもう腹が立つ」
 互いに罵り合いながらも本音を吐露した。
「ほら、ね? 根は同じだろう」
 不思議な光景だった。一護にとって、男同士の友情は分からないというのが正直な感想だ。
「お前が一護を好きだと言ったとき、正直勝てないと思った」
「そりゃこっちの台詞だよ。僕は散々遊んできたからね、一護ちゃんみたいな子がボクに振り向いてくれるなんて自信は微塵も無い。過去に戻って生き方変えたいと思ったよ」
「お前に靡かなかった女なんていなかったじゃないか」
「買いかぶり過ぎだ。ちょっかいかけて、浮竹が好きだからやめてくれって振られたことが何度もあるよ」
「お前が陰で努力してたのを俺は知っている」
「君に負けたくなかったんだ」
「俺だってそうだ」
 やはり二人は親友だった。
 一護は何気に二人の気持ちを聞いたような気がしたが、それはさらりと流して今はただ静観することにした。
「でももし、一護がお前を選んだのなら、俺は素直に引き下がる」
「僕も、君だったらいいよ。他の男じゃ絶対に納得しないけどね」
 そして最後には笑い合った。
 あれほど罵り合っていた筈があまりの変わり身、一護にとってつくづく男は分からないと思う瞬間だった。









 それから数日経って、好きだと言われた。
 それも二人同時に。仲の良いことだと一護は思った。
「ほらこれ、美味しいよ」
 菓子を差し出されて一護は受け取ろうと手を出したが拒まれた。「あーん」なんて言ってくる京楽にうんざりしたが、一応先日は助けられた身だ。仕方なく口を開けば菓子が入れられる。ついでに唇をなぞられた。
「いやらしいぞお前! 一護、これを飲め」
 そう言われて浮竹に水筒を勧められる。こくこくと飲んでいればなぜか浮竹は嬉しそうな表情をしていた。
「間接‥‥‥‥。そう、そういう手法を使っちゃうのか君は」
 ぎょっとして一護は吸い口から口を離した。
 自分の頭上では睨み合いが繰り広げられていた。でかい男二人に挟まれて、居たたまれず逃げ出したいがそれはできない。肩や腰へと回された腕に、何様だと一護は言ってやりたかった。しかし、一応は助けられた身。
「とっとと帰れ」
「君こそ、さっさと布団にでもくるまってたら」
「何だと? っう、ゲホ‥‥‥っ」
「わ、浮竹隊長!?」
「ぜってー嘘だっ、仮病だ仮病! 演技だよ一護ちゃん!!」
 咳き込んでもたれかかってくる浮竹を咄嗟に受けとめた一護だが、首筋辺りで「いい匂いだ」なんて言って頬を擦り寄せてくる浮竹に呆気にとられた。
「離れろ浮竹!」
「嫌だ。一護、一緒の布団で寝よう? 優しくするから」
「信じちゃ駄目だよ。どうせがっついてきて痛い思いさせられるよ。それよりも僕と四十八手を完全攻略してみない?」
「うわっ、引くなそれは」
「お前に言ってないよ!」
 そして結局二人はぎゅうぎゅうと一護を間に挟んで罵り合いを始めるのだ。
「やっぱあのとき殺ってりゃよかった!」
「できるもんか。肝心なときになって血どばどば吐く君が僕を倒せるわけないだろ!」
 ときどき一護は忘れられる。男二人の固い胸板に挟まれて、痛えよチクショウと呟いてみたがちっとも気付いてもらえない。
「勝ったほうが一護を貰う!」
「負けたら泣いて土下座な!」
 勝手に決めると二人は立ち上がり、一護を残してどこかへ消えていった。残された一護は圧力から解放されてぺしゃりと床に突っ伏した。
「もうっ、勝手にやってろ‥‥‥!」
 どっちが勝って帰ってきても、自分はきっと頷かない。
 
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