愛し合う二人なのに
「いねえよ、そんなの」
それを聞いた瞬間、嬉しいような、悲しいような。
「修兵さんは?」
「俺は、‥‥‥いるけど」
お前だ。
「ふうん」
反応が薄い。なんかもっと聞いてくれたっていいじゃねえか。
「好きってどんな感じ?」
「ああ?なんだよ、それ」
「どんなふうになんの。人を好きになるとさ」
「どんなふうって、‥‥‥そうだな、なんかこうムラムラくる」
「‥‥‥へー」
そ、その目は軽蔑の目か。正直に言い過ぎた。
「なんでその人が好きなんだ?理由は?」
質問ばっかだな。
「理由なんてねえよ」
「理由もないのに好きなのかよ」
「理由がないから好きなんだよ。なんかもう理由だの何だの考えるより、そいつのことが好きだってことしか頭ににないっつうか」
本人の前で語るのは恥ずかしい。案の定一護は気付いてないが。
「告白すんの?」
「するつもりだ」
「断られたら?」
今のはグサっときた。お前、何気にエグいことを。
「‥‥‥断られても諦めねえよ。諦めきれるほど軽い気持ちじゃねえんだ」
「おお」
感心してる場合じゃない。だからお前なんだよ。
「修兵さんって結構遊び人ってイメージだったんだけど、意外に一途なんだな」
「見直したか」
「ちょびっと」
ほんとにちょびっとだなっ!お前の親指と人差し指、今にも触れそうなんだけど。
「ま、頑張れよ」
俺には関係ねーや、みたいな応援をするな。相手はお前なんだぞ、もっと気合い入れろよ。
「お前は、なんかそういう話はないのかよ。好きな奴はいねえって言ったけど、今までにそういう奴とか」
ああくそっ、声が緊張してしまう。
「俺の聞いても参考にはならねえと思うけど」
「いいから」
参考というか予習だ。これから落とす相手のことは何だって知りたいんだよ。特にこの手の話はお前全然しねえだろ。
「好きな奴は、‥‥‥まあ、いたよ」
「そ、うか」
いたのか、まあ、いるよな。こいつだって年頃なんだし。でもなんかムカつく、相手はどこのどいつだこのヤロー。羨ましい奴め。
「でもなんかさ、俺にはそういうの似合わねえって気が付いたんだよ」
「似合わねえってなんだよ」
一護は困ったように笑った。その笑み、俺は好きで嫌いだ。
「きっとうまくいかない。俺も、相手も。俺が台無しにしてしまうんじゃねえかってな」
台無しって、なんだそれ。なんでお前はそんな悲しそうな顔してんだ。
「だから諦めたんだ、その人のことは」
「諦めきれるような軽い気持ちだったのかよ」
「まさかっ。好きだった、初恋だった。最初は浮かれてたけど、‥‥‥でも、どうしようもないことってあるだろ」
ねえよ、そんなもん。あったとしても俺は知りたくもねえ。
「だから恋とかそういうのは無理なんだ」
「無理、」
「そっ、無理。別にしなくても、死ぬ訳じゃねえし」
笑うな、そんな泣きそうな顔で。
死んでしまう。
俺は、死んでしまいそうだ。一護。
「だからって俺に言うんじゃねえよ。殺すぞ」
取り出したメス。だが阿近の斬るような視線をまったく気にもせずに修兵はため息をついた。
「恋は無理って、俺振られたも当然じゃねえかよ」
「そうだな」
「ああ? なにがそうだな、だよ! まだ告ってもねえのに振られるなんてあり得ねえだろっ!!」
「自分で言ったんだろうが。ああ、なんかもうお前、死ね」
「死にてえよっ!! お前も死ねっ!!」
やっぱり殺そうと阿近がメスを握り直すが修兵はがしがしと頭を掻きむしるとその場に座り込んでしまった。その落ち込みように怒りを通り越して呆れたのか阿近もようやくメスをしまう。
出会ったのは偶然だった。阿近はからかってやろうと軽い気持ちで修兵に声を掛けたのだが、それがいけなかった。一護との会話を聞かされるはめになったのだ。
「なんだよ。恋が似合わねえって。似合うとか似合わないとかそんなのどこのどいつが決めんだよ。つーかあれだろ、恋ってやつは全人類に許された素敵なイベントだろ。なあっ!?」
同意を求められてしまった。だが頷きたくなかったので阿近は無反応で返す。どうせ返事など期待していまい、予想通り修兵は気にもせずに話し続ける。
「台無しとか意味分かんねえっ!」
周りに人がいなくてよかった。人の往来の少ないこの道で座り込んでぎゃーぎゃー叫んでいる副隊長など不審以外の何者でもない。普通なら無視して通り過ぎるところだが話の内容が内容だったので阿近は立ち去ることができないでいた。
「お前、俺も一護を狙ってるって忘れてないか」
「うるせー! てめえもこの気持ちを味わいやがれっ!!」
修兵の涙目を抉りだしてやりたかったがそこは技局の誇りでなんとか抑える。そんなものを抉りとっても使い道などない。代わりに阿近は眉間に拳を一発入れてやった。
「痛えなっ、何すんだよっ!」
「貴様の頭は解剖の際見向きもされない部位並みに無駄だな。捨ててしまえ」
「気色の悪い例えすんなっ」
「黙れ」
阿近はこの冬の季節に負けないほどの極寒の視線を送ってやった。何も分かっていない、気付いていない修兵を殺してやりたくてたまらなかった。
「そうやって座り込んで風化でもしてろ」
「なん、」
「このどうしようもない男め。一護は、」
一護は、この男のことが。
「一護は、なんだよ」
「自分で考えろ。いや、一生分からんでいい。むしろ死ね」
「死なねえよっ!!」
先ほどまでは死にたいとか言っていたがこうまで言われれば否定したくなる。誰かに聞いてほしくて仕方がなかったが、いくらなんでも阿近に話すことではなかったと修兵は今さらながらに後悔した。
ぎらぎらと睨み合う。互いに目つきがよいとは言いがたい二人だったので、一般人が見れば震え上がるだけではすまないだろう。不穏な気配を察知しているのか、この道を通りがかる人間は今のところいない。
口火を切ったのは阿近。顎を逸らして見据える。
「俺は相手がどう言おうと知ったことではない」
一護がなんと言おうとも、その魂ごと手に入れたいと思っている。
「恋が無理だと? だから何だ」
「俺は、」
「その言葉を受け入れるのか。それで諦めて、貴様が言うところの、随分と軽い気持ちだな」
言い返すことはできなかった。はっと目を見開き、次いで気まずそうに視線を落とす。
悔やんでいるのか悩んでいるのか。だがそんな修兵をもう相手にする気はないのか阿近はその場を去っていった。
自分以外の生物に対して解剖したいと思ったことはあるが殺してやりたいと思ったのは初めてだ。癪に障る。こんな自分がいたのかと、知ってしまったことがひどく気に食わなかった。
馬鹿だ。
俺の馬鹿。
「ばーか」
口に出して言ってみる。落ち込むだけだった。
そもそもあの男が悪い。『好いた男はいないのか』なんて。
「聞くんじゃねえよ、そんなこと」
ざり、と地面を蹴る。気持ちを振り払うかのように、乱暴に歩いた。ずんずんと歩いて、考えことをしていたからか目の前に立つ人間に気が付かなかった。
前屈みになっていたため派手に顔をぶつけて後ろに倒れ込みそうになる。
「おい、大丈夫か」
腕を引っ張られてなんとか倒れ込むことは回避した。顔を押さえてぶつかってしまった相手を見る。
「阿近、さん」
「よそ見して歩くな」
ごめん、ともごもごと謝る。腕を引き寄せられて一護は顔を覗き込まれた。自然と額の角に目がいってしまって、いけないと思いすぐに逸らすが阿近と目が合うとくつりと笑われた。
ぶつけた顔を撫でられる。ひやりとした感触に首をすくめると薬品のにおいが鼻をかすめた。一護よりも色白な阿近からは暖かさというものは感じられないが、存外この男が世話好きなのを一護は知っていた。それが自分だけに限られるということは知らなかったが。
「赤くなってるな」
「阿近さんの胸、固い」
「男だからな」
鼻をつままれる。この寒さに一護の鼻先のほうが低温だったのか阿近の指が暖かく感じられた。
「あこんさん、」
「変な声」
鼻をつままれているからだ。一護は離してくれと睨むがにやりと返されるだけで取りあってもらえない。
「さっきそこで檜佐木に会った」
えっ、と一護の目が見開かられる。同時に鼻は離されたが一護は気が付かなかった。ぱちぱちと目を瞬かせながら阿近を見る。眉をひそめながらどこか苦笑いしている阿近に、一護はあの話を聞いたのだと察した。
「もう知っているんだろう。あの男がお前を」
「阿近さんっ!!」
その先を一護は遮る。
「俺の名を呼んでばかりだな」
心地いい。だがもっと、愛しそうに思いを込めて呼んでほしかった。俺はお前の愛しい男にはなれないのかと、聞いてしまいたかった。
「好いた男はいない、か。なぜ?」
「いねえよ、そんなの。もうそんなのいない」
声が震えている。自分が今どんな顔をしているのか、一護には分からなかった。その顔を阿近が至近距離から食い入るように見つめている。
一護の泣きそうな顔が好きだとは、我ながら歪んでいるなと阿近は自嘲した。
「お前ら二人は馬鹿だな。俺には考えられん」
「ああ、馬鹿だよ」
言われなくても分かっている。好いた男が自分のことも好いてくれていると知っていた。知っていて、気付かぬふりを貫いた。鈍い女のふりを。
いつか自分のことなど忘れてしまってくれればいいとそう思っていた。ただ、どんなふうに好きなのかと、聞いてみたのは馬鹿な女の最後の望みだった。それぐらいはいいだろうと、誰かに言い訳して。
「それで満足したのか。諦めきれたのか」
「とっくに諦めてる。恋なんて、」
恋なんてしたって、俺は駄目なんだ。恋なんてしては駄目なんだ。うまくいかないって分かっているのに、終わってしまうと分かっているのに、恋をしようなんてそんなのは馬鹿だ。
「直情型のくせに、頭で考えやがって。そうやって考え込むのは俺達科学者だけでいい」
「悪かったなっ、」
「何がそうお前を躊躇わせる。俺にはお前が、一人のいい女にしか映らん」
いつのまにか一護は腰に手を当てられて阿近に引き寄せられていた。先ほどぶつかった固い胸が触れそうなほど近くにある。
ぽかんとする一護に阿近は苦笑した。
「知らなかったか。檜佐木の気持ちには気付いたというのに」
「だって、」
嘘だろ?と聞いてはみるが阿近の真剣な目が、修兵のものとひどく似通っていることに一護は嫌でも気が付いてしまう。その目に見つめられると、恐くてたまらなかった。
「逸らすな。俺は、檜佐木ほど優しくはない」
声に熱がこもっていた。いや、いつだってこの声で呼ばれていたのに一護が気が付かなかっただけなのかもしれない。その男の腕の中にいるのだと一護は自覚した途端離れようともがく。
「一護」
「離せっ」
片腕は封じられている。もう片方で引き剥がそうとするがびくともしなかった。
暴れ続ける一護に、唇を塞いでしまおうかと阿近が思った瞬間。
「俺、駄目なんだ、」
聞いたこともないような、そんな弱々しい声だった。
「恐いんだ。本当は、誰かに触れられるのが、恐くてたまらない」
「傷つけたりしない」
「分かってるっ、」
けれど心が、本能が、恐いと叫ぶ。それは突然やってきて、一護を傷つけて去っていく。忘れようとすればするほど、忘れるなとそれは何度もやってくるのだ。どんなに嬉しくても、どんなに楽しくても、ふっとやってきては一護から笑みを奪っていった。
自業自得だと分かっている。後悔なんてしていない。今ここにあるために、自分がしてきたこと。
「ごめん」
「何が。何を、謝ることがある」
「ごめん。俺は、駄目なんだ。もうこれ以上は駄目なんだよ」
好きだと自覚してから夜に魘されることが多くなった。汗をいっぱいにかいて目を覚ます。後悔していないなんて嘘じゃないかというほどに、誰かに謝りたくて仕方がなかった。
どんなに想っていても、それはどうしようもないこと。
「お前が駄目でも、俺が諦める道理がどこにある」
怒りが込められたような言葉の響きに一護ははっと顔を上げる。恐いほどにぎらついた目が一護を貫いていた。
「何があったかは知らんが、それに同情して引き下がるつもりは毛頭ない」
ぐいっと乱暴に目を拭われた。涙が滲んでいたことに初めて気が付く。
「見くびるなよ。俺を、檜佐木を。軽い気持ちでお前に想いを寄せている訳ではない」
目を覗き込まれて一護の額に角が押し当てられる。唇のすぐ近くに何かが触れたと思った瞬間、阿近が一護の体を離した。
びゅっと何かの音が一護の顔のすぐ傍を走る。
「てめえっ!!」
知っている声。見なくても分かる、男の声に、それでも一護は男の姿をその目に映した。
「なんだ、もう復活したのか」
「一護に、なにしてやがる」
獣が唸るように吐き出された言葉は殺気が詰まっていた。修兵のただならぬ雰囲気にも阿近は普段通りの冷静さで相手をする。
「お前の許可が必要か。好いた女に口づけたいと、思ってそれを行動に移して何が悪い」
一護がいるのに、と驚きの表情を浮かべる修兵を阿近は嘲笑ってやった。知らないのはお前だけだ、そう思いを込めて。嫉妬に駆られた自分を阿近はとうの昔から自覚している。
「お前は言わないのか」
一護が阿近を睨む。余計なことはするなと視線にのせて。その視線をちらりと見るだけで阿近の表情に変化はない。修兵を見据えたまま、何かを待っているように沈黙していた。
「‥‥‥‥一護」
修兵がその名を呼んだ瞬間、一護は聞きたくないとばかりに項垂れた。
「ちゃんと聞いてやれ。見くびるなと言っただろう」
敵に塩を送るとはこのことかと思ったが、これくらいはいいだろう。この自分がまさか同じ条件を揃えて負けるとは阿近は思っていない。敵の裏をかくのはこの後でもいい筈だ。
まだ諦めた訳ではない。
この殺意こそがその証拠だった。
「一護」
聞きたくない。首を振る。
「一護」
座り込む。声など聞こえないように手で押さえて。
「知ってたのか」
知らない、嘘になるが一護はそれでも首を振る。
肩に手を置かれる。息づかいが聞こえてしまいそうなほどに、傍にいるのが分かった。
「ーーーーー、」
ぎゅう、と両耳を痛いほどに押さえつける。声は聞こえなかった。何を言ったのか、分かってしまったけれど。
「っ、」
嗚咽が漏れる。泣くなと叱咤したが、涙は止まってくれなかった。
抱きしめられる感触。暖かくてそれが一層涙に拍車をかけた。
駄目だ。
駄目だ。
駄目だ。
好きだけど、駄目なんだよ。修兵さん。