戻る

  男の子、女の子  

「スカートの下にジャージ履くなって言っただろっ」
「だってこのほうが温けえし」
「お前は温かくてもなんか俺の心が寒くなんだよ、今すぐ脱げっ!」
「ばっ、ずり下ろすなっ、変態っ!!」
「変態じゃねえ、これは男の義務だっ」
 校舎の外では冬真っただ中といわんばかりに凍えそうな風が吹き荒れていた。だが教室ならまだしも廊下は随分と寒い。一部の女子達は当然と言うように制服のスカートの下にジャージを履いて寒さを凌いでいた。
 一護もその一人。
 だが男子からは受けがよろしくなく、今まさにそれを脱がされようとしていた。
「恋次っ、見てないで助けろ!」
「檜佐木先輩、頑張れ」
「よっしゃっ!!」
「てめっ、覚えてろ!」
 後で血祭りだ。だが恋次よりも今はジャージを脱がそうとしている修兵をどうにかするのが先決だった。とりあえず一護は足を閉じて阻止するが後ろから抱き込まれるようにしてジャージに手を掛けられており、なおかつ男の執念からかその力は尋常ではない。
「ちょ、やめろってっ、」
「檜佐木っ!! 何をやってるんだっ」
「浮竹せんせえっ!!」
「げっ」
 一護の担任教師の浮竹が怒りの形相でやってきた。どこからどう見ても一護に対して不埒な真似をしている修兵を浮竹は睨みつける。
「先生、檜佐木先輩が俺のジャージを脱がそうとしました」
「檜佐木、来い」
「一護のジャージはお咎め無しですかっ」
「別にいいだろ、校則違反じゃねえんだから」
「俺の中では校則違反なんだよっ!」
「もういいから行くぞ。担任の東仙にはきちんと報告しておくからな」
 担任教師の東仙の名が出てくるとさすがの修兵もおとなしくなる。外見はワルだが中身は意外と真面目で東仙を慕っている修兵だったが、一護が絡むとその箍がしばしば外れてしまう。
 一護は脱がされかけたジャージをきちんと履き直すと傍観していた恋次を蹴り飛ばした。
「なにすんだよっ!」
「俺を見捨てやがって、覚悟はできてんだろうな」 
 ジャージというのは便利なものだと一護は思う。なぜならどんな技も下着が見えることを気にせずに繰り出すことができるからだ。
 同じクラスのルキアに声を掛けられるまで一護は恋次に関節技をかけ続けていた。




 中学では髪の色に対してとにかく難癖をつけられていた。オレンジ色の髪はどこへ行っても目立ち、喧嘩を売られることもしょっちゅうだった。そうして仕方なく喧嘩を買っているうちに一護はいつしか不良に分類されるようになってしまっていた。
 高校でもどうせ状況は変わらないのだろうと一護は諦めていた。だがその考えを改めなければならない。一護が通うこの高校には周辺の中学から生え抜きの変人達が集まってきたのだと今では認識していた。その変人達の中にいて一護のオレンジ色の髪など些細なことでしかない。実際に髪に関して注意されたことなど一度としてないのだから。
「脱げとは言わんがスカートの下にジャージというのはいかがなものかと私も思う」
「温かいんだぞ。ルキアもやってみろよ」
「遠慮しておく」
 授業中だがいつもの音量で話をする。今の時間は化学の実験で話をしていても手さえ動かしていれば注意されるということはない。
 化学室の独特のにおいが鼻をくすぐる。そのにおいが一層濃くなったかと思うと一護のすぐ近くに化学担当の教師が立っていた。
「黒崎さん。何か分からないところはありますか」
「ねえよ」
「まあそう言わずに‥‥‥ってなんですか、ジャージ!?」
「どこ触ってんだっ!」
 一護の太腿に手を這わせた浦原に煮立つ寸前の食塩水をぶっかける。だがそれをひらりと避けると浦原は一護に対して猛抗議した。
「ジャージとか、ありえないっ!!」
「ありえねーのはてめえだっ」
 何でこんな奴が教師なのか一護には理解できなかった。
 この授業では毎度のことだが、最悪の気分で授業を終えることとなった。




「やあ、黒崎君」
「・・・藍染、先生」
 教室に戻る途中、一護が最も苦手とする教師と出くわしてしまった。その感情を率直に顔にだしてやったが藍染に気にした様子は無い。
 柔和な笑みに相変わらずスーツが嫌味なほど似合っていた。生徒だけではなくその母親達からも非常に人気のある藍染だが、一護にとっては胡散臭いことこの上ない。
「この間の数学のテスト、あまり出来がよくなかったよ」
「すいません」
 早く解放してほしい。一護はできるだけ殊勝な態度で臨んだが藍染は中々話を切り上げてはくれない。
「アルバイトは禁止ではないけど、成績に影響があるようならこちらとしても考えなくてはいけないな」
「それは、ちょっと、」
 一護の家は片親で診療所を開いているとはいっても決して家計が楽な訳ではない。負担にならないように一護はアルバイトをして家計を助けていた。
「今度放課後に追試をしようか。二人っきりで」
 来た。一護の背筋にぞぞーと寒気が走る。
 一護は藍染に目をつけられていた。それが教師が生徒に対して目を付けるという意味合いではないことに一護自身気が付いている。
「藍染、後にしてくれないか。そろそろ次の授業が始まってしまう」
「やあ浮竹。今日は欠席じゃなかったんだね」
 ちくりと刺す藍染の先制攻撃にも浮竹は動じなかった。
 自分は今日一日で何度浮竹に感謝することになるのだろう。一護にとって浮竹は一番尊敬する教師だった。病弱で授業中に死にそうなほど咳き込むことを除けば誰よりも分かりやすく面白い授業をしてくれる。
「テストの点なんて次で取り返せばいい。なあ、黒崎」
「そうです、その通りです」
 ぶんぶんと首を振って浮竹に同意する。そんな一護を目を細めて藍染が見つめてくるが浮竹が間に立ってその視線を遮ってくれた。
「黒崎、もう教室に戻りなさい」
 半ば強引に藍染との会話を終了させて浮竹が教室へと一護を導く。だがただ黙っている筈がないのが藍染だった。
「黒崎君」
 なんだよ、と一護が視線だけをよこすと藍染は目を細めて一護にしてみれば意地悪そうな笑みを作る。
「スカート、めくれてるよ」
「!!」
 ばっと咄嗟に後ろに手をやってスカートを押さえる。ジャージを履いていてよかった。
「残念」
 くすくすと笑いながら藍染は去っていった。やはり藍染は苦手だ、一護はその後ろ姿に向かってべえっと舌を出してやった。




「男と女が結ばれることはなあんも変なことやない。自然の摂理や」  
 教室には微妙な空気が漂っていた。
「性の氾濫やなんやって問題になっとるけど、ちゃんとした知識持っとったら困ることにはならへん」
 生徒の中には項垂れていたり興味深そうに聞いている者もいれば、教科書を睨んで完全に無視している者もいた。
「一護ちゃん、ボクの話し聞いとる?教科書なんぞ読んどらんでちゃあんと聞かなあかんよ」
「今は古典の時間だろうがっ、なんで保健体育なんてやってんだっ! そっちこそちゃんと授業しろっ!!!」
「ボクと一護ちゃんの未来のためやで? 在学中に子供できたらどうするん」
「できねーよっ! 俺とあんたは無関係だっ!できるわけねーだろっ!!」
 顔を真っ赤にさせて抗議するものの、市丸のにまあっとした笑いによって軽く受け流されてしまう。
「教師と生徒やなんて燃えると思わへん?」
「一人で燃えてろ!」
 落ち着け、と隣に座るルキアが諌める。他にも心配そうに気の毒そうに一護を見てくる視線を感じたが、助けてくれないのなら無いのも同じだ。皆意見などしようものなら市丸に手酷く言い返されるのが分かっていたのでどうすることもできないでいた。
「なあ、付き合お?」
「授業中です」
 こうなったら徹底的に冷たく対応するしか無い。一護の態度に子供のように口を突き出すと市丸はくるりと背を向けて教室から出ようとした。
「あの、まだ30分も残ってるんですけど」
 扉に近い吉良が控えめに意見した。
「なんや、やる気失せてもうた」
 子供か、と一護が呟いた。
「それと、明日テストな」
 大人げねえっ!!
 生徒全員の気持ちが一致した。




「ふうん‥‥‥」
 一護の今日の出来事を聞いて冬獅郎は面白くないとばかりに相づちを打った。
 夕方の公園。会うときはいつもここだと二人で決めていた。
「ああもう腹立つ!PTAに訴えたら何とかしてくれねーかな」
「無理だろ」
 特に藍染などはご近所の奥様の評判は上々で、PTA総会も毎回盛況だ。中学生の冬獅郎でさえも高校教師の藍染のことは噂で知っていた。そのどれもが人格者を思わせる良いものだったが一護から藍染の本性を聞いていたので心に響いてくるものは何も無い。誰も信じてはいないが藍染がその昔、族を壊滅させたという噂のほうがよっぽど信じることができた。
「中学に戻りてえよ。せめて高校受験のときに戻りたい」
 分かっていれば今の高校を受けたりはしなかった。
「彼氏がいるって言ったんだろ」
「‥‥‥うん」
 一護の頬が赤くなる。決して夕日のせいだけではないその反応に冬獅郎はため息をついた。
 高校一年生の一護と中学一年生の冬獅郎。付き合って三年目になる。
 いまだ照れて頬を染める一護を冬獅郎は愛しいような歯がゆいような。三つも年下の冬獅郎のほうがよほどどっしりと構えていた。
 告白は冬獅郎から。小学四年生のときだった。当時一護は中学一年生。
「俺が傍にいたら、男なんて近づかせないのに」
「なに?」
 小さな声を聞き取ることはできなかった。冬獅郎は不貞腐れたように何でもないと返した。
 高校に進学した一護から話を聞くたびに嫉妬してしまう。子供に見られないように冬獅郎はいつも余裕ぶってみせてはいるが、内心では面白くないことこの上ない。せめてあと一年生まれてくるのが早ければ一護と同じ時間を共有できたのに、三歳の歳の差はそれを許さない。
 告白してから三年、背は思ったように伸びなかった。当然一護のほうが高い。今よりも更に小さく幼かった自分、一護はよく想いを受け入れてくれたものだと今でも奇跡のように思ってしまう。
「修兵さんとかジャージは駄目だって言うし」
 学校帰り。一護は制服のままだった。スカートの下に履いているジャージを一護はつまんでみせる。
 一護の口から知らない男の名前が出てくるたびに、苛々するのは幼さのせいか。
「冬獅郎?」
「なん、でもねえよ」
 嫌だ。
 高校になんか行くな。
 俺を置いて行くな。
 言ってしまいそうになる自分を冬獅郎は抑える。
「風邪でもひいたのか?」
 一護が心配そうに冬獅郎の顔を覗き込んだ。
「屈むなって言ってるだろっ!」
 覗き込むためにわずかに折った一護の膝。八つ当たりだとは分かっていても冬獅郎はつい声を荒げてしまった。
「‥‥‥ごめん、」
 しゅん、と落ち込んでしまった一護にすまなく思うものの、冬獅郎は謝ることができなかった。自分も謝らなければ、そう思うのに子供じみた劣等感が邪魔をする。
 気まずい沈黙が辺りを包む。先ほどまで公園で遊んでいた子供もいつのまにか帰ってしまっていた。しんと静まった空気に冬獅郎は耐えられなくなった。
「帰る」
「あ、」
「じゃあな」
 これ以上ここにいては駄目だ。一護の事情も顧みずに、自分勝手なことを言って一護を傷つけてしまうだろう。
 己の身長よりもずっと長く伸びた影が、そんな冬獅郎を嘲笑っているかのようだった。




 その日の一護の落ち込みようといったらなかった。
 どんな教師のセクハラ発言にも、んーとか、あーとかという生返事。放課後になっても改善されないそれに周りは当然心配した。
「一護、どうした」
「何でもねえよ」
「いや、何でもなくはねえだろ。竹刀、逆」
 部活の時間、竹刀を逆さまに持っている一護に恋次がツっこんだ。だがそれでも一護はぼうっとしたままで、竹刀ってなんだっけなどと言っている。
「恋次」
「なんだよ、ルキア」
 ぼそぼそと一護に聞こえないような小さな声でルキアが耳打ちしてきた。
「そっとしておいてやれ。どうやら恋人と喧嘩したらしい」
「え」
「嬉しそうな声を出すな」
 不謹慎にも嬉しそうに顔をにやけさせる恋次にルキアは冷たい視線を送った。
「ってことは一護は今フリーか」
 聞いていたのか修兵がしゃしゃり出てきた。
「喧嘩しただけですよ、檜佐木先輩」
 ルキアの訂正に、だが恋次も修兵も聞いちゃいなかった。すでに一護を見る目は獲物を捕らえる獣のそれだ。紺色の剣道着から覗く一護の二の腕に視線が集中していた。
「一護ちゃん、彼氏と別れたってほんま?」
「「「市丸っ」」」
 誰も先生なんて呼ばない。顧問でもないのに剣道部に頻繁に出没する市丸に、よりにもよって今の会話を聞かれるとはと三人が焦る。
「別れてもうたんか、それは良かっ、‥‥‥やのうて可哀想に」
 一護に恋人がいるということは本人の口から何度も聞かされていた。だがそんなことを気にする市丸ではない。好機とばかりに一護に接近した。
「出会いがあれば別れもある。大事なんは常に前を向いとることや」
 ものすごくいいことを言ってはいるがすべては己の利益のためだ。一護は聞いているのかいないのか、市丸が肩に腕を回しても振り払おうとしない。
「それに一護ちゃんにこんな顔させるやなんて、そんな男別れて正解や」
「‥‥‥てねえよ」
「ん?」

「別れてねえよ! それに、冬獅郎は俺にはもったいないくらいにいい男だっ!!」

 叫んですぐにぽろりと涙がこぼれ落ちた。
 一護は顔を隠して市丸の腕を振り払うと道場を出た。何も考えられなかった、ただがむしゃらに歩き続けていると突如腕を引っ張られて後ろに転びそうになった。
「なっ」
 だが背中に暖かさを感じたかと思うと一護の腹に誰かの両手が回る。後ろから抱きしめられているのだと分かって一瞬驚いたがそれが誰かすぐに分かってしまった。
「‥‥‥冬獅郎、」
「ごめん、昨日のこととか、色々」
 家に帰ってすぐに冬獅郎は後悔した。こんなところが自分の未熟なところだと、気付いてひどく己が疎ましくなった。だが落ち込んでいる暇などなかった。
「ごめんな」
 くぐもった声が聞こえてきた。背中に顔を押し付けているのか、喋るたびに振動が伝わってきてそれが一護にはくすぐったい。悲しくて沈んでいた気持ちはいつのまにか穏やかになっていた。
「なあ、一護」
「ん?」
 冬獅郎の両手に一護も己のそれを重ねる。まだ小学生のとき、一護が包めてしまえたその手はいつの間にか同じくらいの大きさになっていた。
「なんで俺と付き合ってくれたんだ」
 それが知りたい。共にいることを決めてくれた、確たる証拠が欲しかった。
 冬獅郎にとって一護は憧れの人だった。鮮やかなオレンジ色の髪を周りは馬鹿にしていたが、冬獅郎には目映く見えて仕方が無かった。同年代よりもすらりと伸びた背は羨ましかったのもあるが、その隣に並んで同じ目線で見つめられたらと何度も願っていた。
 一護が中学生となってすぐ、冬獅郎は想いを告げた。小学生のくせに、と馬鹿にされても仕方が無い。玉砕覚悟で告白した。
「なんでって、それはだな、」
 もじもじと一護が冬獅郎の指を弄る。
「髪とか目とか、‥‥なんかもう一目惚れ?」
 それ以外にどう言っていいのか分からない。突然告白してきた小さな男の子に目を奪われていると、勘違いしたのか冬獅郎は泣きそうに顔を歪ませた。潤んだ目も綺麗だと思ったのもつかの間、一護ははい、とあっさり承諾した。
「好きだよ。俺、よく何も考えずに行動するって言われるけど、あのときは絶対間違いないって確信してたんだ」
「確信?」
「ああ。冬獅郎のこと、もっと好きになるってさ」
 後ろから抱きしめられていてよかった。そうでないとこんな恥ずかしい台詞言えっこない。一護は真っ赤な顔で、それでも幸福そうに笑っていた。
「俺、もっといい男になるから」
「き、聞いてたのか、」
 ぎゅっと腕に力を込められたのが答えだった。
「いい男になってお前の隣に立つ。他の男が寄り付かなくなるくらいにな」
 今でも十分いい男だと思うのだが。これ以上いい男になってしまえば周りが放っておかないだろうと一護は不安になる。けれど自分のためにそう言ってくれるているのだと思うと心臓がうるさくてならない。
「一護」
 体を反転させられる。目が合ってまたぱっと一護の頬が染まった。
「あ。道着、臭いだろ、そんなにくっつくとにおいが移るぞ」
「いい」
 一護の両肩に手を置くと冬獅郎はわずかに引き寄せた。
 一護がわずかに俯いて、そして冬獅郎がほんの少し背伸びをする。キスをするときはいつもそうだった。
 どきどきする。どうして自分はいつになっても慣れないのかと一護は不思議だったが、それも唇を合わせてしまえば何も考えられなくなっていた。
 角度を変えて何度も合わせる。昨日は一度もこうしなかったと、埋め合わせるかのように二人夢中になった。
 離れ際、ぺろりと一護は唇を舐められる。
「冬獅郎!」
 唇を押さえて抗議した。だがにっと笑った冬獅郎がいつもよりも男らしく見えて一護はそれ以上は何も言えなくなる。
 いつか、あっという間に追い抜かれてしまいそうで恐い。
「俺も、いい女にならねえと」
 成長期を迎えると、男の子はあっという間に女の子を追い越してしまう。
 保健体育の教科書の一文を、一護は思い出していた。



戻る

-Powered by HTML DWARF-