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  雨のち晴れとは言わないまでも  

 恋次が護廷の十番隊の近くを歩いていたら、前からやってきた乱菊と遭遇した。書類を届ける途中だったので軽く頭を下げて通り過ぎようとしたが、ぽんと肩に手を置かれた。
「元気出しなさいよ」
 哀れな犬でも見るかのような乱菊の視線に、恋次は「はあ」と適当に相づちを返した。どうせまた昼間から酒を飲んだのだろう、そう思ったので真面目に対応はしなかった。
「うちの隊長も落ち込んでるけど、しょうがないわね、初恋だったもの」
 やれやれと首を振って勝手に話しはじめた乱菊に、いい加減解放してほしいと思ったが、下手に言い訳をすると絡まれるので恋次は大人しく聞くことにした。
「初恋はしょっぱいのが当たり前。失恋したらなおさらよ。あ、知ってる? 新しく出来た居酒屋のオリジナルの酒に『あの日の失恋』ってのがあんのよ。それが美味しくてねえ」
「はあ、知らないです」
 ほんとに何を言ってるんだこの人は。恋次は呆れた態度を隠そうともせずに、この場をどう切り抜けるかばかりを考えていた。
「まあ、あの子ほどの女はそうはいないわね。でも邪魔しようなんて考えんじゃないわよ」
 どす、と乱菊は軽く拳を恋次の脇腹に入れてやった。
 それに息を詰めると恋次はとうとう抗議した。
「さっきからなに言ってんですか! 俺忙しいんでもう行きたいんですけど!!」
 書類を乱菊の目前に突きつけてそう言ってやると、相手は驚いたように目を見開いた。
「知らないの?」
「だから何が」
 すると乱菊の顔がみるみるうちに悲しげになり、それを見た恋次は狼狽えた。
「そっか、ごめん。でも私の口からは言えないわ」
「なんですか、気になるんですけど」
「知らないからこそ幸せでいられるのよ。でもいずれ分かるわ。‥‥‥あんまりにも辛かったら、『あの日の失恋』奢ってあげるから」
 いつもの十倍増しで優しい声をかけると乱菊はそそくさとその場を離れてしまった。
 だが変なことを言ってくるのは乱菊だけではなかった。
「阿散井くん、これあげる」
「お、いいのかよ。ありがとな」
 雛森に会うとなぜだか菓子を渡された。たしかこれは高級菓子で素直に嬉しかった恋次だったのだが、低い位置から見上げてくる雛森の目が乱菊同様憐れんでいた。
「いいの、遠慮しないで。檜佐木先輩とかシロちゃんにもあげたから。これ食べて元気出してね」
「は?」
「ごめんっ、私もう見てられない!」
 うる、と瞳を滲ませて雛森は走り去っていった。
「なんなんだよ‥‥」
 そして極めつけがルキアだった。
「恋次、くれぐれもヤケは起こすでないぞ」
 幼馴染みにまで哀れみを込めた目で見上げられ、恋次はついにキレた。
「だから何だってんだてめーらはよ!!」
 怒鳴り声を上げる恋次に、だがルキアは冷静でそしてますます可哀想なものでも見るかのような表情をした。
「ヤケは起こすなと言ったばかりなのに。そうか、聞こえないほど動揺しているのだな」
 はふーとため息をつかれて恋次のこめかみが脈打った。
「泣け」
「ああ?」
「泣いてしまえ。少しは胸がすっきりする」
「なんで何もねえのに泣かなきゃなんねえんだ」
 そこでルキアもようやく恋次があのことを知らないということに気が付いた。
 だが言っていいものか。
「知らぬが仏と言うしな」
「何がだ。さっきからどいつもこいつも訳分かんねえこと言いやがってよ」
 言え、と睨むとルキアは数秒迷った仕草を見せたが、どうやら言おうと決めたようだ。恋次の耳を引き寄せて小さな声で耳打ちした。
「一護に男がいるそうだ」




 その現場を目撃したのは一護と同じ隊の上司、清音と仙太郎だった。
 仲がいいのか悪いのか、二人一緒に酒を飲んで瀞霊廷をぶらぶらしていると目の前に見知ったオレンジ色がいたので声を掛けようとしたのだが、オレンジ色は一人ではなかった。
「誰だあ、アイツ」
 遠目にも随分と背が高いことが分かる。
 そして次の瞬間、男に一護のほうから抱きついた。
「おお!」
 酒が入っているため異常に盛り上がっている二人に一護は気が付かない。遠いこともあったが、どうやら一護自身様子が変だった。
「あ、泣いてる」
 珍しい。いつも不機嫌そうに眉を寄せているか笑っているかのどちらかなのに、一護が泣いてそれも誰かに縋ろうとは、これはかなり貴重な場面ではなかろうか。
 これ以上は見てはいけない。酔っぱらいのわずかな自制心でもそう思うほど一護が泣いているというのは衝撃的だった。
 見なかったことにして帰ろう。そう思って仙太郎が清音の首根っこを掴んだ瞬間、更に見てはいけないものを見てしまった。
「うわーうわーチューしてる!!」
 男のほうが慰めるように一護の顔中に口付けをしていた。そして大事そうに腕を回して一護を抱き上げるとそのまま道の向こうへと行ってしまった。
 まったく嫌がらない一護を見て、二人は恋人同士だと確信した。
 ちなみに清音と仙太郎は声がでかい。後日二人がそのことを<こっそり>話しているところを聞いた隊員達によって噂が広まってしまったのだ。
「泣くな、失恋次」
「るせーーよ!!」
 自分で思っていたよりも大きな声を出してしまい、恋次自身が驚いた。今聞かされたことを頭の中で整理しようにもうまくいかない。
 一護に男。
「信じらんねえよ‥‥」
 だってそんな素振りは一つもなかった。
「見た二人は酒飲んでたんだろ、酔って何かの見間違い、」
「してたらよいのだがな」
 中々認めようとしない恋次にルキアは本気で同情心が芽生えてきた。今度大好きな鯛焼きを好きなだけ奢ってやろうと心に決める。
「一護のほうから抱きついたのは確かだそうだ。相手の男は死神か、遠くてはっきりとは見えなかったそうだが全身黒かったというから、おそらくそうであろうな」
 一護に想いを寄せる死神など名前を挙げれば枚挙にいとまがない。よく絡まれているところを見かけるルキアはその中に噂の恋人がいるのかと推測してみたが、これだという人物は分からなかった。
「一護も年頃だということだな。だが私には紹介してくれてもよいというのに。なあ、恋次」
 ぶつぶつと呟くルキアが顔を上げるとそこには誰もいなかった。
 まさかヤケは起こすまいと思うのだが、ルキアの胸に不安がよぎった。




 一護は気の合う友人で、そして恋次の想い人だった。
 いつからなんてこっちが聞きたいほど、気が付けば恋次は好きになっていたのだ。男だと思っていたときもあったが、既にそのときから好きだった。性別なんて気にならないほど、好きで好きで、何度己の腕の中に抱きしめてしまいたかったことか。
 オレンジ色の明るい髪も、その下にある鋭くて、だが本当は優しい茶色の目もすべてが恋次の気に入るものだった。拗ねたり照れたりすると唇を突き出す癖も、幼くて可愛いと思っていた。
 その一護にもう男がいる。しかも口付けされて抱きしめられて、一護はもうその男のものなのだろうか。
 酔っぱらいの見た夢だと信じたい。一護はまだ誰のものでもないのだと。
 それなのに、目の前の光景が恋次の期待をすべて裏切っていた。
「一護‥‥」
 話に聞いていた光景そのままが、まるで再現されているかのようだった。
 男に抱きしめられて泣いている一護。
 その涙を掬うように舐めとる男の仕草を見て、恋次の頭に血が上った。
「てめっ、一護から離れろ!!」
 きっと邪魔なのは自分だろうと分かっていた。分かっていたが、それでも許せないという気持ちのほうが勝っていた。
「れん、じ?」
 振り返った一護の頬をまた涙が滑り落ちて、それを拭ってやりたいと恋次は思ったが、実際にそうしたのは隣にいる男の長い指だった。
「お前、何でここにいんの、仕事は?」
 一護の霊圧を追って護廷の外へと来てしまったのだ。一護は今日は休みなのか、死覇装ではなく着物に小袖を羽織っていた。少女らしい出で立ちは、隣の男が黒尽くめのせいか一層際立っていた。
「そいつ誰だよ」
「いや、それよりも仕事はどうしたんだよ」
 こんな中途半端な時間に仕事が終わる筈はないと思った一護だったが、恋次はぎらぎらと睨みつけてくるばかりで答えようとはしない。
「そいつは誰だっ、答えろ!!」
 突然怒鳴られて一護は驚いたように一歩下がった。その体を男が抱きとめて守るように背後から腕を回した。
 それを見て例えようのない怒りが恋次の腹に渦巻いて、思わず己の斬魄刀に手が伸びる。
「馬鹿、やめろ!何考えてんだ」
 不穏な空気を感じとって一護が恋次に駆け寄ってやめさせようとするが、体に絡まった腕がそれを許さない。
 男は恋次の前で、まるで見せつけるかのように一護の頬へと唇を寄せた。
「こ、っのやろ」
 柄に手を掛けて引き抜こうとしたとき、それを制止する声がかかった。
『いい加減気付け、この馬鹿!』
「ああ!?」
 見慣れた姿が目の前に躍り出る。
 驚いたのは恋次だけではない、一護もだ。目の前の生物に目を丸くした。
『あまりこいつをからかってやるな』
 大きな狒狒が一護を抱きしめる黒衣の男へと向かって言葉を放った。初めて見る斬月以外の斬魄刀の具象化に一護はまじまじと見つめていた。
「お前が、蛇尾丸?」
『そうだ』
 笑ったように感じたのは気のせいなのか、現れてすぐに蛇尾丸は消えてしまった。
 しっぽの蛇と狒狒とでは口調が違う、そんなことを一護が考えていると、恋次が顔を覆ってうずくまったので驚いた。
「おい、」
「馬鹿みてえっ‥‥!」
 そう一言言って後は沈黙してしまった。
 何がなんだか分からないのは一護だ。恋次が現れたかと思ったら怒っていて、斬魄刀を抜こうとして、蛇尾丸が具象化して、それで馬鹿みてえ?
「なんなんだよ、一体」
 後ろを振り返って斬月に聞いてみるが、意味ありげに笑われるだけで確かな答えはくれそうになかった。
『間男は私か、そいつか』
 どちらだろうな。そう呟いて斬月は消えてしまった。
 自由になった一護は理解できなかったが、とりあえず恋次の傍へと寄った。
「恋次ー?」
 一護も座って恋次の顔を覗き込もうとするが、大きな手に隠されてその表情は伺い知れなかった。一体いつまでそうしているつもりだろう、無理矢理顔を見てやろうと一護は恋次の手に指をかける。
「うおっ!!」
 触れられて驚いたのか恋次が顔を上げて仰け反った。その拍子に尻を付いてしまい、呆然と一護を見上げる格好となってしまった。
「何してんだよ。ああもう、ほら、立てって」
 ごく自然な動作で一護が手を伸ばすものだから、恋次も思わずその手を掴んでしまった。引っ張って立ち上がる手助けをしようとする一護だったが大の男の体は重い。両手で踏ん張っても恋次の体はびくともしなかった。
「恋次、重いっ」
「お前が軽すぎるんだ」
 その証拠に恋次が軽く引っ張ると一護の体はたやすく倒れ込んできた。鼻をかすめるオレンジ色の髪に恋次は顔を埋めた。
 想像していた通りだった。一護の体は軽くて頼りなくて、それに柔らかい。
「あったけえし」
 頭上で何やら幸せそうな声を出している恋次に、一護はひたすら疑問でいっぱいだった。
 馬鹿みてえの次はあったかい?
 とりあえず体を起こそうとするが恋次にはどうやら離す気はないようだ。なんとか顔を上げたその瞬間、こちらをまっすぐに見つめる視線とぶつかってしまった。
「え」
 そして下から掬い上げるようにして唇を重ねられた。一護の唇よりも大きくて薄いそれが包むようにして合わさってくる。
 うわーうわーチューされてる。
 ぎょっとしたものの意外と冷静だった一護がそんなことを考えている間も、恋次は角度を変えて何度も啄んできた。それを別に嫌ではなかった一護はそのまま好きにさせておいた。
 ただ恋次の唇が少し荒れていたのが気になったので、後で何か塗薬を贈ってやろうとそう思った。

「はぁ」
 息が切れていた一護を労るように恋次がその頬を撫でてやった。寒空の下にも関わらず、一護の頬はやや赤く上気していた。
 酸欠かそれとも照れているのか、それは一護にしか分からない。
「嫌じゃ、なかったか」
 なんせいきなり口付けしたのだ。嫌がられるかと思って拳の一つは覚悟したのだが、一護は大人しく受け入れてくれた。そっと伏せられた睫毛を間近で見て、もっと深く合わせてしまいそうになるのを必死に抑えた。
「嫌じゃないけど」
「そ、そうか」
 さらっと答える一護に、むしろ恋次が照れてしまう。
 だが次に一護が放った一言に耳を疑った。
「だって斬月と何度かしてるし」
「‥‥‥‥‥‥‥‥はあ!?」
 斬月というのが斬魄刀だというのはもう知っている。それを誤解して嫉妬したのだが、斬魄刀だと分かったときは自分の勘違いが恥ずかしかった。
 だが今の一言は聞き捨てならない。それによく考えてみれば斬魄刀とはいえ見た目は人間の男だ。
「あ、アホ!! 女がそんな簡単に男に唇を許すんじゃねえ!!」
「斬月は斬魄刀だぞ。それにチューしたお前が言うなよ」
 一護が言うことはもっともだが納得できないのが恋次だった。
「斬魄刀だろうが男には違いねえだろ! 俺以外と口付けすんじゃねえよ!!」
 そしてぶつけるように己の唇を一護のそれと重ねると、今度こそ容赦なく口付けをした。
 あの斬月という男の挑発するような目の意味がやっと分かった。
「ちくしょう、好きだ、一護っ」
 こんな告白をするつもりではなかったのに。
 とんだ誤算だと己を罵って、もう遅い突っ走れと腰に差した相棒が囁いた。
「俺だけにしろっ、」
 口付けするのも抱きしめるのも、それは自分だけでいい。
 他の誰にも触れさせるな。
 自分という男のものになれと、ただそれだけを願った。
 



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