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  思いでぽろぽろ  

「邪魔じゃ、喜助」
「邪魔なのは夜一さんのほうです。とっととどいてくれませんか」
 夜一は今一護の腕の中にいた。当然子猫の姿だったのだが、浦原にしてみれば羨ましいことこの上ない。
「一護の胸は柔らかいのう」
 見せつけるかのように一護の胸にすり寄った。子猫の表情にそれほどの変化は無いのだが、浦原にはそれが意地悪く見えて仕方がない。
「なんて羨ましいっ! 一護さん、アタシもー!!」
「ぐへっ!」
 抱きついてきた浦原に、間にいた夜一が挟まれて潰れた声を出した。
「喜助様、お嬢様が潰れてしまいます」
「お構いなく」
「貴様っ!!」
 引っ掻こうにも手足が挟まれていて夜一は身動きができない。その間も浦原は一護に迫って愛の言葉を囁きまくっていた。
「猫じゃなくていつかアタシ達の子供をこうして抱きましょうね」
「結構です」
「またまたあ、一護さんてば照れちゃってっ!」
 アホか、と一護は小さく呟いた。一応上級貴族なので浦原には失礼な言動は許されない。
「離れろっ、変態!!」
 代わりに夜一が抗議してやったが、浦原お得意の妄想の渦は留まるところを知らなかった。
「子供はやっぱり一姫二太郎?いやいや、姫だけっていうのもいいかもしれませんね。一護さんに似た娘に囲まれて過ごす午後のひととき。縁側で寛ぎながら庭には優しい陽の光が照らしているんです。そして隣にはアタシに微笑みかける愛しい妻。‥‥‥そう、あなたです」
 ごつ。
 さきほどの上級貴族云々、というのを一護は都合良く忘れて浦原の顔面に拳を見舞ってやった。
「危ないところでした。今まさに喜助様に襲いかからんとする毒蜂がおりましたゆえ。ああ、恐ろしい」
 最近では夜一と一緒になって白打の鍛錬を受けている一護は毒蜂顔負けの早さで拳を繰り出していた。その無駄の無い動きに至近距離で見ていた夜一は感心して、ほうと息を漏らしていた。
「見事じゃ」
「恐れ入ります」
 貴族の令嬢に相応しくない強さを手に入れつつある一護。しかし夜一はこれ以上に誇らしい友人はいないとばかりに、その胸へと擦り寄ってごろごろと喉を鳴らした。




「久しぶりに昔の夢を見ましたよ」 
「ふーん」
「初めて一護さんに殴られたときのですよ」
「へー」
「痛みで目が覚めました。もう立派なトラウマです、責任とってください」
 そう言って浦原は自分が寝ていたソファへと一護を押し倒した。
 突然起きたかと思うと訳の分からないことを言いだして、だが結局はこれがしたかったのだろうと一護は呆れた目で見上げた。
「こういう責任のとり方があるとは知らなかった。なんか物とか、金とか、そういうのじゃ駄目なのかよ」
「一護さんの処女を頂きたいのですが」
「俺、処女じゃないから無理だ」
「そんな見え透いた嘘は通用しませんよ。一護さんに近づく男はすべて葬ってきましたから」
 どうりでやたらと出会いが少ないと思っていたのだ。おそらく浦原だけでなく夜一も同じようなことをしているのだろう。
「俺を行き遅れにさせるつもりか」
 今でも十分に行き遅れだったが、一護は何か言い返さないと気が済まなかった。
「だからアタシと結婚しましょうよ。もう百年以上前からそう言ってるじゃありませんか。アタシ以上に一護さんを知ってる男なんて他にいませんよ」
 それはそうだが、だからこそ一護は目の前の男と結婚するなど考えられなかった。
 小さい頃からの付き合いだ。浦原に対する感情はもう家族に近かった。
「一緒に風呂入ったような奴を男として見れるか。俺とお前は姉弟みたいなもんなんだから」
「アタシは一護さんを女だと意識してお風呂に入ってましたよ」
 小さい頃は一護も油断して一緒に風呂に入ってくれていた。邪な目でじっくりと一護の幼い体を眺めていたのだが、夜一に知られてからはそれもできなくなった。
「可愛かったなあ、一護さんの体。あっ、もしかしてまだあそこの毛が生えてないんじゃ」
 ごつ。
 懐かしい痛みとともに浦原は顔を押さえて悶絶した。
「お前とはぜってー結婚しないからな!」
 足で乱暴にソファから落とすと一護は立ち上がって部屋を出た。
「あれ、局長呼びに来たんじゃなかったんですか」
 一人で出てきた一護を見て、阿近は首を傾げた。
「阿近、あいつってたまにボコボコにしてやりたくなるときないか」
「あります」
 即答した阿近ににやりと笑うと、一護は角がある額から頬にかけてを撫でてやった。突然触れられて柄にもなく阿近の白い頬が赤くなる。
「それでも部下でいてくれるんだよな。ありがと」
「は、はあ」
 一護としては駄目な上司の代わりにお礼を言ったつもりだ。撫でてやったのも年下に対する他愛のないものであったのだが、やられたほうはたまったものではない。
「黒崎副隊長、相手がボコボコにされるんであんまりこういうことはしないほうがいいですよ」
「‥‥そうだな、つい」  
 やった後で気が付いた一護は浦原が見ていなかったか後ろを振り返った。
 過保護で嫉妬深い幼馴染みを持つと大変だ。もし一護が誰かと結婚しようものなら相手の男はボコボコでは済まないだろう。
「俺、マジで結婚できないかも」
 別に結婚したいわけではないが、いつかは、とは思っている。親に孫の顔を見せてやりたいと思っているし、子供欲しいな、と感じる瞬間もときどきある。だがそれが一生実現できないとなるとこれは問題ではないだろうか。
「阿近、幼馴染み離れできる薬ってないか」
「ありません」
 あったら作ってる、とは阿近は言わないでおいた。




「結婚してーな」
 ぽつりと零された言葉に周囲は騒然とした。
 浦原の代わりに出席した隊首会が終了し皆が帰ろうとしたときだった。一護は独り言のつもりで言ったのだが、予想外に響いた声はその場にいた隊長全員が拾ってしまっていた。
「‥‥結婚、‥‥したいの?」
「したい。なんかもう分かんねーけど最近すっげえしたい」
 京楽が聞き間違いではないかと思い確認のため聞いたのだが、一護ははっきりと肯定した。
「じゃ、じゃ、僕と! 僕と結婚しようよ!!」
「オッサンは引っ込んどき! 一護ちゃん、ボクとしようや!!」
「えぇー」
 すぐさま立候補した二人を眺めて一護は不満そうな声を出した。
「結婚はしたいけど手近で済ますのもどうなんだろ。俺はさ、なんかこう新たな出会いが欲しいんだよ」
 いつにない一護の積極的な発言に男連中は色めき立った。
 冷静なのは女性の卯ノ花で、突然の一護の心境の変化に疑問を持つ。
「どうして、突然結婚なんです?」
「なんかさ、俺って一生結婚できないかもって考えると猛烈にしたくなったんだ。駄目って言われるとしたくなる、あれだ」
 浦原達に一生妨害されるのかと考えると一護は何が何でも結婚がしたくなった。
「それに子供欲しいし」
「今すぐ作ろうか」
 手を握ってそう言ってきたのは藍染だ。
 この男はないな、と思って一護は振り払った。
「俺とお前のガキなら絶対強いぞ」
 背後から肩を引き寄せられて見上げてみると、凶悪な顔がぎらぎらと一護を見据えていた。
 人相の悪い子供が生まれてきそうだと一護は失礼な感想を持った。
「兄らでは性格の歪んだ子供が生まれそうだ。一護、私と結婚しよう」
「お前も人のこと言えねえから」
 それに貴族はちょっと遠慮したい。四大貴族の窮屈さを一護は知っていたからなおさらだ。
 くい、と裾を引かれて目線を下にやると冬獅郎がいた。
「俺みたいなおばちゃんはやめとけって」
 頭を撫でられて冬獅郎はショックを受けたようによろめいた。完全な子供扱いがいけなかったらしい。
「そうだな。結婚するなら落ち着いてて、包容力があって、喜助と夜一を撃退できる男がいい」
 いまだ沈黙を保っていた東仙に視線をやると首を振られ、次いで左陣に移すと苦い顔をされた。じゃあ残るは、と浮竹に視線をやると、
「俺か? 一護だったら大歓迎だ」
「‥‥‥いいかも」
 両手を広げる浮竹を見て、一護も乗り気になったのかあっさりと傍へと寄っていった。二人並ぶと中々似合いの様子に、静観していた元柳斎が破顔した。
「カップル成立じゃな。仲人は儂でよいかの」
「是非ともお願いします」
 まさかありえない。とんとん拍子に決まってしまった一護の結婚に、振られた男達は納得できる筈がなく、ぎゃんぎゃんと騒ぎまくった。  
 だが一番騒ぎそうな砕蜂が先ほどから黙っているのはおかしい。卯ノ花が視線で探してもその姿は見つけられなかった。どこへ行ったのか、そう思った瞬間、扉が乱暴な音を立てて開かれた。
「許さぬぞ」
「げっ! ‥‥夜一」
 そういえば一護の結婚を邪魔しているのは夜一も同じだ。
 突然結婚したいと言った一護に、心配になった砕蜂が呼びに行ったのだろう。
「結婚は許さぬ」
 そう言って睨まれた浮竹は困ったように頭を掻いた。そもそも幼馴染みに結婚の許しを貰わなければならないのはおかしな話だったが、あの二人を攻略しないことには結婚は無理だろう。
「なあ、夜一」
「なんじゃ」
「俺の子供見たくないか」
「そ、それは」
 見たくないわけがない。きっと一護に似て可愛いだろう。
 夜一の固い意志がぐらぐらとしているところに一護は畳み掛けた。
「喜助との間に生まれるのと浮竹さんとの間に生まれるの、どっちがいい?」
「ううっ!」 
「究極の選択みたいに言わないでくれ」
 ちょっとどころではなく傷つく。
 夜一はうんうんと唸ると、良い考えを思いついたのかぱっと顔を上げた。
「では、子供だけ生んで結婚しなければよい」
「おい、それはあんまりだぞ」
 俺は種馬かと突っ込んだ。
 だが夜一はこれほど良い考えはないと思ったらしい。
「仕方あるまい。一回だけじゃ、一護といたしてもよい」
 しかも一回だけだという心の狭さだった。
「一回してできなかったらこの話はご破算じゃ。よいな」
「一回でできるもんなのか」
 夜一の提案に一護は賛成なのか、そんな疑問をぶつけてきた。
 それにしても一回一回と言わないでほしい。浮竹はなんだか悲しくなってきた。
 一護と結婚できなければ意味がないというのに、子供だけ生ませてあとは用無しだとはひどすぎるではないか。そう思って抗議しようと口を開いたとき、最後の難関が顔を現した。
「一回でも許しません!!」
「出たよ」
 浦原だった。秀麗な顔を怒りに歪ませてずんずんと歩いてくると、一護の目の前で止まった。
 修羅場を予想した一護が一歩前に出る。それが浮竹を庇う仕草に見えたらしい、浦原は途端に悲しそうな表情をした。
「結婚なんてしないで」
「一生?」
 首を傾げて聞いてやると一層眉を下げて泣きそうな顔になった。
 そういえば浦原を泣かせたことがあったな、と一護は思い出した。  
 ぽろぽろと泣く浦原はちょうど今のような顔をしていた。
「お前って変わんねえな。泣けば俺が言うこと聞くと思ってんだろ」  
 浦原は泣いていた。
 初めて見た涙に隊長達はぎょっとしたが、夜一は仕方が無さそうにため息をついていた。
「もう泣くなよ」
 昔と同じように涙を拭ってやると、浦原はますます涙をこぼした。そして子供時代に帰ったように一護が抱きしめてやると、ぎゅうぎゅうと力加減を忘れた浦原も抱きしめ返してきた。
「泣くなって」
「結婚しないで」
「しないって言ったら泣き止むのか?」
「はい」
 うーんと一護は悩んでいたが、浮竹へと振り返ると困ったように眉を寄せた。
 それを見て悟ってしまった浮竹が、大きくため息をついて一護へと頷いた。非常に残念だが、ここは引くしかない。
 申し訳なさに唇だけでごめんと謝ると、一護は金色の髪を梳いて頬を寄せた。
「じゃあ、しない。とりあえず、当分はな」
「‥‥よかった」
 顔を離して一護を見つめた浦原だったが、すぐさまその距離を詰めた。
 あ。と誰かが声を出したのが聞こえた。
「喜助!ずるいぞ!!」
 抱擁までは許してやったが、口付けは許していない。夜一の抗議に先ほどまでは泣いていた浦原だったが、けろりと顔を切り替えると一護を抱きしめてもう一度唇を重ねた。
「夜一さんには幼馴染みの誼として、アタシ達の子供を抱かせてあげてもいいですよ」
「一護はおぬしとは結婚せん!」
 一護もそういうつもりはない。だが泣いたままの顔で見つめられると少しだけだがぐらついた。
 泣き顔には弱いのだ。
 泣いて結婚してくれと頼まれたらどうしようと一護は思った。
「アタシが初めて泣いたときのこと覚えてます?」
「‥‥あー、うん」
 あれはたしか小さな子供の頃。百年以上も昔のことだったが、一護ははっきりと覚えていた。  

『一護さんの唇が欲しい』
『‥‥取って差し上げることはできませんけど』
 カマトトぶったのと敬語なのは遠回しな拒絶だった。
『初めては一護さんって決めてるんです。一護さんの初めてもアタシにください』
 ずい、と顔を近づけられて、一護はその分後ろに顔を引いた。
『‥‥‥もう口付けは済ませてるんで』
『相手は誰ですか』
『えぇーーーっと』
 ここで適当に誰かの名前を出そうものなら、その人は血祭りに上げられるだろう。かといって架空の人物を作り出してもすぐに嘘だとばれる。
『よかった、嘘なんですね』
 一護の沈黙にあっさりと嘘だとばれてしまった。
『嘘だけど、口付けはしない』
『なんでですか!』
『なんで恋人でもない男と口合わせなきゃなんねえんだ』
 もっともなことを言う一護に、浦原は泣きそうな顔をした。
『ひどい。アタシはこんなにも一護さんが好きなのに』
『そりゃどうも』
『口付けしたい。したいしたいしたい!』
『一人でやってろ!!』
 いい加減腹が立ってきた一護は金髪を思いっきり叩いてやった。
 己の頭をさすりながら、浦原はまだ諦めていないのか恨めしそうに見上げてくる。
『まだ子供だろ! マセガキが!!』
『マセてません、想像力が豊かなんです! 一護さんの唇を味わいたいんです!!』
 叫んだ拍子にぽろりと浦原の目から涙がこぼれ落ちた。
 それを見てぎょっと一護が目を剥いた。
 それから止まることを知らないように涙を流す浦原に、罪悪感を感じてしまった一護はつい言ってしまったのだ。
『わ、分かったから、泣くなよ』
『ほんとですか!?』
 早まったかとも思ったが、このまま泣き続けられるのも困る。一護が渋々頷くと、すぐさま唇が重ねられた。
 子供らしくただ軽く重ねるだけだと思っていた一護は後悔した。初めてというのは嘘ではないかと思うほど浦原は巧みに一護の小さな唇を開かせて舌を入れてきたのだ。
『舌入れるなんて百年早えよ! このエロガキが!!』

「泣いたら一護さんは頼みを聞いてくれましたよね」
「おい、お前、」
 結婚してくれと言うのか。
 一護の考えが伝わったのか、くすりと浦原は笑った。
「言いません。そんな手を使うほど、腐っちゃいませんよ」
 何度そうしたかったか。だがそれは黙っておいた。
「貴方と結婚するのに小細工は使いません。アタシにしっかりと惚れさせてから、結婚を申し込みますよ」
 はっきり言って自信はなかった。なんせ百年も逃げ続けられたのだ。
 自信はなかったが、だが結婚する相手は一護以外考えられなかった。
「アタシは有言実行の男です。知ってるでしょう?」
 それは知っている。幼馴染みなのだから。
 浦原が口にして、達成できなかったことと言えば一護との結婚くらいだった。
「喜助! 一護から離れろ!!」
「ちょっと、今いいところなのに」
 だからこそだ。親密な空気に耐えられなくなった夜一は浦原へと攻撃を仕掛けた。
 あっという間に喧嘩を始めた二人からふらふらと一護は離れると呆然と呟いた。
「俺、なんで結婚したいって思ったんだろ」
 こんなに手のかかる幼馴染みがいるのに。
 他へと裂く余力が残っている筈がない。
 そんな一護を見て、悪いと思ったが砕蜂はほっと息をついた。




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