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  極り手は  

「聞いてますか! げんっちろーさん!!」
「弦一郎だ」
「知ってますよ、げんっちろーさん」
「‥‥‥‥」
 恋人にちゃんと名前を呼ばれない悲しさを察してほしいと思う、今日この頃。




「いいじゃないか」
「どこがだ」
「舌っ足らずってそれはそれで萌えるポイントだと思うよ」
「燃え?」
「あはは」
 笑われた。
 なんだかみじめになった真田は俯くと、ぽんと肩に手を置かれた。視線だけで見上げるとなにやら幸村が意味深な表情で笑ってこちらを見つめていた。
「俺の場合だったらさ、」
「?」
「せーいちさん、なのかな」
 ふわりと笑うその顔は薄幸の美少年だと以前朋香が言っていた。
 だが中身は結構黒々としていて考えることも邪だと真田は忠告してやりたい。
「それにしてもお前もやるね」
「何がだ」
「皆が汗水垂らしてテニスに励んでるってのに、自分だけはちゃっかりと彼女つくって、ねえ?」
「痛い、肩が、痛い」
 爽やかな笑みのわりには肩に食い込む指の力は相当なものだった。ついこの間まで入院していたとは信じられないほどにその力は強い。この前見た映画の悪役のように胡桃を握りつぶせるのではないだろうか。
「試合でも? 声援贈ってもらって? 終わったらタオルを手ずから渡されて? あはは、ふざけんな」
「痛いぞ! お前は、さっきから一体何が言いたいんだ!!」
 たまらず己の肩にかかった手を払いのけた。その幸村の腕はいつ見ても白く、そして細い。こんな腕のどこにあの怨念じみた力が隠されているのか真田は不思議でならなかった。
「ぶっちゃけ、羨ましい」
「そう言うのなら恋人をつくればいいだろう」
「朋香ちゃんがいいな。ねえ、真田、」
「やらんぞ」
「やらんぞ、って何それ! 自分のもの扱い? 朋香ちゃーん! こいつこんなこと言ってるよー!!」
「子供か、お前は」
 退院を果たした幸村は性格まで手術で変えられたのではないだろうか。丸井曰く、なんだかはっちゃけた、らしい。真田も目の当たりにしている現在では、まったくそうだと頷かずにはいられない。
 今は部活の真っ最中で、真田と幸村はコートの隅で自分たちの番を待っていた。だが幸村が突然訳の分からないことを叫びだすものだからコートにいた人間の視線は当然二人に集まった。
「真田が何て言ったってー!?」
 一番遠いところにあるコートから丸井が大声で聞き返してきた。
 それに答える幸村も大声だ。
「朋香が欲しけりゃ俺を倒せってさー!!」
「マジでかー!! 俺挑戦するー!!」
「言っとらん!!」
 勝手なことを言う幸村を激しく睨むものの、本人はその視線をさらっと受け流す。それどころかにっこりと笑い返されて、真田の怖い顔がさらに怖くなった。
「怖い顔。朋香ちゃんはなんでこんな怖い顔がいいんだろ。あれくらいの年頃の女の子ってさ、僕みたいな王子様系に憧れるものじゃないのかな」
「自分で言いよった」
 真田が抗議しようとしたとき、横から口を挟んだのは仁王だった。打ち合いが終わったばかりで汗をかいた顔を適当にタオルで拭うと会話に参加してきた。
 幸村と仁王。嫌な組み合わせに真田は逃げたくなる。
「仁王はそう思わない?」
「いや、王子様系よりも俺のように危険なにおいがする男に惹かれると思うんじゃが」
「ええー? 火傷系? 火傷系なの、それ」
 当の朋香は仁王のことをエロいエロいと言っていた。真田はそのとき女子がそんな言葉を使うんじゃないと嗜めたが、にやにやと笑う仁王を見ているとそれも否定できない。
「真田はあれか、親父系か」
「あはははは!」
 勝手に盛り上がる二人は放っておいて真田は自分の思考に集中した。そもそも朋香は自分のどういうところを好んでいるのだろう。
 朋香と初めて会った頃は幸村や仁王に丸井、そして赤也のほうが自分よりもずっと親しかった筈だ。それなのに告白されたのは自分で、付き合っているのも自分だ。
 どこが好きで、といった話はしたことがなかった。
 自分で言うのもなんだが女子に好かれるような容貌でも性格でもない。あんなにふわふわしてどこもかしこも柔らかそうな朋香が、自分のような強面をなぜ好いているのだろう。




「なんで?」
「えー、なんでって言われましてもね」
 なんでなんでと聞いてくる菊丸の目はくりくりとしていて朋香はときどき突いてやりたくなる。それは憎しみとかそんなものではなくて、ボタンがあれば押したくなる、反射のようなものだ。だが実際にそんなことをしようものなら大惨事になるので朋香はぐっと堪えた。
「真田のどこが好きで付き合ってるの? 極り手は?」
「英二、それは相撲だよ。言うなら決め手ね」
 部活が終わった頃、朋香や他のレギュラー達はそのまま帰らずにだらだらと時間を過ごしていた。まだまだ肌寒い中、温かい飲み物を片手に雑談をしていたところ話は朋香の彼氏の話になった。
「最初に聞いたときは冗談だって思ったよなあ」
「そういう桃先輩は杏さんとは」
「ああーーっと! 俺、塾の時間だ!!」
 白々しい嘘をついて桃城は帰っていった。
 そろそろ私も、と朋香も帰ろうとするがそうはいかなかった。菊丸と不二の二人が朋香のそれぞれの腕を掴むとベンチへと引きずっていく。
「あのっ、私もう帰りたいんですけど!」
「まあまあ、もっと先輩と親睦を深めようではないか」
「塾の時間が!」
「あはは、それ、ギャグ?」
 ひどい先輩二人に引きずられてベンチへと無理矢理座らせられた朋香はすぐさま立ち上がろうとしたが、掴まれた腕はそのままだったので結局は引き戻されてしまった。
 抗議を込めた視線で睨むものの、相手は清々しいほどの笑顔で見返してくる。両手に花、女子の人気が高い二人に挟まれるなんて本当は喜ぶべきところなのだが、本性を知っている朋香にはあまり心に訴えかけるものはない。
「助けて、げんっちろーさん‥‥」
「うわあ、朋ちゃんてば真田のことそんな風に呼んでんの?」
「ちょっとためしに僕のことしゅーすけって呼んでみて」
「俺も俺も! えーじって、舌っ足らずに」
「呼ぶか!!」
 先輩だろうが知ったこっちゃない。肘を決めてやった。
 菊丸は腹にそれをまともに受けてつんのめっていたが、不二は笑顔でそれを躱していた。
「もしかして真田にも肘打ちとかしてるの?」
「してません」
 背中を叩いたことはあるがそれはツッコミというか、やだもーげんっちろーさんてば!的なものだ。喧嘩をしたときも平手で叩こうとしたときがあったが、身長差のためそれは結局断念した。
 思えば自分は結構な乱暴者なのだろうか。世の乙女達は彼氏相手に一体どんな感じで付き合っているのだろう。
「やっぱり男の人っておしとやかな女の子のほうが好きなんでしょうか」
「どうかな。そういうタイプの子が好きな人もいるけど。僕は朋香ちゃんみたいなじゃじゃ馬系は大歓迎だよ」
「そーですか。牧場行って探してください」
「口のうまいところも好きだなあ」
 これは口説かれているのか。だが普段と変わらないにこにこ顔に、告白しているという雰囲気は感じられなかった。ときどきこうして際どいことを言ってくるのだが、からかわれているような気がしてならない。この不二という先輩は相手が慌てれば慌てるほど楽しくてたまらないという歪んだ性格をしているのだ。
 例えるならば自分の掌の上でコロコロと転がして落ちそうになったところで助けてほしいかと意地悪に聞いてくる、そんな感じ。
「具体的には分からないけどすごく失礼なこと考えてるね」
「そんなことないですよ。菊丸先輩、大丈夫ですか」
 よほどいいところに決まったのか菊丸はいまだにうんうんと唸っていた。自分でやったのだが朋香は少しでも痛みが和らぐようにと首の後ろをとんとんと叩いてやった。
「それ鼻血のときにやるやつだよ。しかも効果とか無いし」
「え、そうなんですか。まあ、いいか」
「よくないよ! 二人して俺のこと放って!!」
 無視して会話をしたことに拗ねていたらしい。だが涙目で文句を言ってくる菊丸は十五の男にはあるまじき可愛さがあって、それを見た朋香は盛大にため息をついた。
「そういう無意識の仕草ができる人っていいですよね。涙目とか、私絶対無理です」
「英二は動物だから、常に潤んでないと駄目なんだよ」
「おい! それって失礼じゃねーの!?」
「いいなあいいなあ! 私も可愛い仕草でげんっちろーさんをキュンとさせたい!!」
 わめく菊丸を無視して朋香は大声で叫んだ。
 菊丸と不二にしてみれば朋香の舌っ足らずは結構キュンとくるものがあるのだが、あの堅物の真田には果たして通用するのか甚だ疑問だった。むしろはっきりと喋れと注意しそうなところが容易に想像できる。
「俺は朋ちゃんの素直じゃないところとかキュンキュンするけどなー」
「えーなんですかそれ、そんなの全然可愛くないですよ」
「思ってることと正反対の態度とるところなんて可愛いと僕は思うよ。朋香ちゃんの場合、素直じゃない態度をとって後悔してるのがばればれだからさ、それ見てるとなんかもっと苛めてやりたくなるんだよね」
 さらりとサディスティックな発言をされて朋香と菊丸は固まった。
「なーんて冗談だよ」
 あははは、騙された?なんて言ってくるがその笑みが一層怖い。いつの間にか冷たくなった缶を握りしめて、二人はぶるりと震え上がった。
「それで最初の質問に戻るんだけどね、真田のどこが好きなの」
 結局そこに戻ってしまうのか。朋香は不服そうに口を尖らせた。




「それでね、私言ってやったんです。げんっちろーさんの好きなところ、全部」
「全部、とは一体どれくらいあるんだ」
「あ、箇条書きにしましょうか。菊丸先輩達に言ったときもたくさんありすぎて覚えきれなかったみたいでしたから」
 つらつらと好きなところを言い並べる朋香に先に折れたのは菊丸達だった。惚気にしか聞こえないものだからもういいと言われたのだが、朋香は無理矢理聞かせてやった。無理矢理聞いてきたのは向こうのほうなのだから最後まで付き合ってもらったのだ。
「まあ全部言ってたらげんっちろーさん次の試合に間に合わなくなるんで、とりあえず極り手を言いますとー」
「それを言うなら決め手だろう」
「いいえ、極り手でいいんです。げんっちろーさんが私を負かした技の名前はずばり‥‥」
 だがその後朋香は黙ってしまった。
 どうやらちゃんと考えていなかったらしい。必死になって言葉を探している朋香の隣で真田は気長に待つことにした。
 自分のどこが好きなのか、もちろんそんなことを聞ける筈もなくずっと胸につかえたままだったのだが、どうやら朋香のほうから言ってくれるらしくそれが嬉しくも気恥ずかしい。
 だが自分に言う前に菊丸達に喋ったらしく、それがレギュラーにも広まっているようだった。今日の練習試合で青学に訪れると一斉に意味深な視線を送られてしまったのはこういうことだったのかと遅まきながら気が付いた。今も自分たちが何を話しているのか分かっている不二の笑みや、ノート片手にこちらを観察している乾の視線が鬱陶しいことこの上ない。
「ずばり、えーっとええーっと」
「無理に技名にすることはないんだぞ」
「いやいや、ちょっと待っててください。なんかこう格好いい名前にしてみせますから」
 そういう変なところでこだわるところが朋香らしいと思いくすりと笑うと、同時に朋香が顔を上げた。
「決まったのか」
「いいえ、まだです。暇ならげんっちろーさんも私のどこに胸がキュンとするのか考えててください」
「きゅん?」
「好きだなーと思うところでいいです」
 そうして二人一緒に考え込む姿というのはおかしなものだったが、それぞれに真剣だったので周りの奇異の目などには気が付かなかった。
 真田は考える。朋香の好きなところ。
 ‥‥‥‥どこだ?
 長所がないという訳ではなかったが、その長所がそのまま好きなところに直結する訳ではない。自分は告白されたときには朋香がもう好きだった。同じ気持ちだったからこそ受け入れた。
 だがどこがどう好きなのかと聞かれれば、朋香のように箇条書きにできるほどつらつらとは出てこない。
「決まりましたよ」
「む、」
「先に言いますね。極り手はずばり『いっつも怖い顔してるくせにふいに笑った顔はなんか素敵で寄り倒し』です」
「‥‥寄り倒し?」
「あ、寄り倒しっていうのは相手を土俵際に追いつめて、相手が堪えているところを更に力を加えて倒す技なんですよ。私最初の一回は耐えたんですけど、げんっちろーさんてばもう一回笑うもんだから結局は落とされちゃったんですよね」
 普段は無表情でそれだけで怖いのだが、ふいに見せた笑みに朋香は土俵際へと追いつめられた。そのときはなんとか堪えて押し戻そうとしたのだが、もう一度真田が笑ってみせて、それであえなく土俵の外へと落とされたのだ。
 恋を相撲に例えるのはどうかと思ったが、父親と一緒に見る大相撲で知っているこの技はまさに言い得て妙だった。
「次はげんっちろーさんの番ですよ。私のどこが好きですか」
「分からん」
「そう、分からん。って、えー! そんなのってない!! ひどい、げんっちろーさん!!」
 泣いてやった。もちろん嘘泣きだったが真田はころっと騙される。そういう騙されやすいというか、人を信じて疑わないところも好きなのだ。しかも誰に対してもそうなのではなく、朋香がすることだけには真田は決して疑ってかかることがない。
『あ、泣かした』
 振り返ってみると試合は終わっており、そして視線がこちらに集中していた。そして乾と柳がノートにさらさらと何事かを書き込んでいた。
「泣くな、」
「ひどいひどいひどい。今の私の気持ちがわかりますか。エサをやったのに引っ掻かれた、飼い猫に手を噛まれたあの感じです」
「それを言うなら飼い犬だ」
「猫のほうが好きなんです!!」
 シャーと噛み付くように怒鳴る朋香はまさに猫のようで、そしてふわふわの猫っ毛を真田は撫でてやった。周りに見られているがそんなことを気にしていれば朋香に愛想を尽かされかねない。慰めるようにぽんぽんと頭に手を置くと、ようやく朋香が顔を上げた。
 その顔は涙に濡れているわけではなく、嘘泣きだったのかと気付いたが真田は少しも腹は立たなかった。
「分からんけど、私のこと好きですか」
「ああ」
「キュンてしますか」
「ああ」
「嘘。適当に答えないでください」
「すまん」
 そうやって素直に謝るところも好きなのだ。それから顔を覗き込むのに首を傾げるところもなんだか子供っぽくて好きだ。
 朋香は決めた。
「今度げんっちろーさんの好きなところを箇条書きにして渡すんで、それ覚えてください」
「‥‥分かった」
 途端ににっこりと笑い出す朋香に真田も不器用に笑い返した。
 好きなところが分からないとは言ったが、その笑顔が好きだと思う。その笑顔を向けられるだけでこちらもなんだか穏やかな心地になるのだ。  
 もしかして好きになったのは同じ理由ではないだろうか。
 途端に訳の分からない恥ずかしさがこみ上げてきて、真田は顔をそらした。
「げんっちろーさん?」
「いや、その、応援頼む」
「はい!」
 どうやら仲直りしたらしい二人に、何人かが舌打ちしたが幸運なことに朋香達には聞こえなかった。




「女としてまだまだってことですよねー」
「十三歳の台詞じゃない」
 ウォーミングアップをしている真田を眺めながら呟いた言葉に手塚が突っ込んだ。
 そういえば真田と手塚はどこか似ているな。そう思った朋香は思い切って聞いてみた。
「手塚先輩は女の子のどういうところにキュンとしますか」
「きゅん?」
「あーもーいいです」
 



 
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