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  聴こえていますか  

「そろそろ行かなきゃ」
 なんて言ってはみたが、男が嫌だと言ったらこのまま二人でいてもいいと思っていた。
「隊首会、サボれないしなあ」
 残念そうな声に一護の気持ちも残念に染まる。なんだ、それなら行かなきゃならないじゃないかと、先ほどの優等生じみた台詞とは正反対の心地になった。
「でももう少し、こうしてようか」
「うん」
 両手を後ろについて上半身だけ起こしている一護、その腹部に顔を埋めて京楽は微睡んでいた。
 仕事に行く支度はもうできてはいたが、最近はぎりぎりまでこうして二人で寄り添い合っていた。こんなときはさすがに妹二人も邪魔してはならないと思っているのか、早々に家を飛び出して遊びに行ってしまった。
「幸せだねえ」
「うん」
「あー幸せだ。幸せですよー僕達は」
「誰に言ってんだよ」
 くせのある髪に指を入れて梳いてやると目を瞑り猫のように擦り寄ってきた。でかい猫だが愛しさが募って一護は一層優しく髪を梳いてやった。
「今日、山じいに報告するよ。僕にとって父親みたいな恩師だからさ」
「‥‥‥そう」
 自然と眉が寄ってしまうのを感じ、一護は慌てて笑みを取り繕った。だが京楽の指が一護の頬を大丈夫というように撫でてくれた。
「本当の親のほうにも話だけはするよ」
「俺も、」
「一護ちゃんは家で僕の帰りを待ってて」
 頬にあった指がするりと落ちてきて一護の唇を押さえる。反論はしないでと言われて、一護は何も言わなかったがそれでも心配そうな憂いた瞳を京楽へと向けた。
「帰ってきたら、『あれ』やってね」
「『お風呂にします?』」
「そう、それ」  男の夢だと力説されたが一護がそれを実現したことはない。帰宅した京楽に、せいぜい頬に口付けるくらいしかしていなかったのだが、今は何でも叶えてやりたい気分だった。
「いいよ」
「本当?」
 頷いてやるとぱあっと瞳を輝かせて京楽が顔を埋めていた一護の腹部に口付けした。何度も何度も、やがて起き上がると唇同士を優しく触れ合わさせた。
「そろそろ行こうか」
「そうだね。あ、ちょっと待って」
 そう言って京楽がするりと己の腰帯を解いたので一護はびっくりしてその拍子にがくりと体勢を崩してしまった。そして今度は一護の腰帯を解くものだから、一体何をする気だと剣呑な視線をやると京楽はくすりと笑って返した。
「非常にそそる体勢だけどね、そうじゃないよ」
 華やかな己の帯を一護の死覇装に巻いてやる。
 京楽の着替えの手伝いをしたことはあるが、一護自身はされたことがなかった。だから今こうして帯を巻かれていることが何やら気恥ずかしい。
 お腹のところできゅっと帯を結ばれると、一護はほっと息をはいた。そして京楽の帯は自分が締めてやろうと自分の白い帯を手に取った。
「離れている間はこの帯が守ってくれるよ」
 お腹をさすられて一護は巻いていた途中の帯のことを忘れて京楽に抱きついた。目を瞑り、再び開けると目の前には風車の簪があって、それをぼんやりと見つめた。
「最近とても眠いんだ」
「うん」
「でも見るのはいい夢ばっかで、それがとても気持ちいい」
 最近までは悪い夢ばかりを見ていた。でも今はただただ幸せな夢しか見ない。
「ずっと夢の中にいたいって思うこともあったけど、今は春水さんと一緒にいたいって思う」
「うん、僕もだよ」
「春水さんには幸せでいてほしい。ほんの少しの不幸もあんたには似合わないよ」
 風車にちょんと触れるとくるくると回った。よくできているな、と思って一護はそれをくるくると回してやる。
「本当は皆に祝福されたい」
「‥‥‥一護ちゃん」
 静寂が辺りを包んだ。時折聞こえてくるのは鳥の鳴き声で、視線を移すと庭の木に仲良く対の鳥が止まっていた。
 それを見て京楽は微笑ましく思う。きっと誰から見ても似合いの二羽。あんなに寄り添って一緒に飛び立てて、それを誰が邪魔できるというのだろう。
 しがらみなど関係ない、鳥のように二人でいれば簡単に飛び越えていける。そんな二人でありたいと思った。




 京楽は実家に行っている頃だろうか、一護はふと心配になって屋敷の門へと出た。
 浮竹が気を遣ってくれて、早めに今日の仕事は終わって家へと帰ってきたのだが、ただ待つだけというのは性に合わない。屋敷の中をぐるぐると歩き回った末に外へと出てみたのだ。
 京楽の両親に一護は会おうとしたが、それは京楽自身に止められていた。きっと嫌な思いをするだけだと、そう言われた。
 分かってもらえないのならなおのこと会ってちゃんと話をするべきではないだろうか。一護がどれほど京楽を想っているのか、それを伝えるべきではないのか。
 何度こっそり会いにいこうとしても京楽にばれてしまう、それはいまだ叶ったことはなかった。
「黒崎っ、一護殿でございますかっ!?」
 ぼうっとしていると離れたところから誰かに名を叫ばれて一護は驚いて視線を上げた。そこにはひどく焦って顔面を蒼白にさせている男が息を切らせて走ってくるところだった。
 そうだ、と頷くと男は力が抜けたのか途中から転がるようにして一護のもとへと辿り着いた。
「あんたは?」
「私は、京楽家に御仕えしている者にございますっ、」
 乱れた呼吸でなんとか言うと、その使者は一護の着物に縋り付いて懇願した。
「今すぐ、京楽家の本家に来られますようっ、何卒、何卒っ、」
 土下座しそうな勢いに押されて一護が了承すると今度は腕を引っ張られて本家へと連れて行かれた。一体どういう用で自分を呼んでいるのかも分からないのに一護は唖然としてされるがままだった。
 だがもしや京楽に何かあったのではないかという考えに思い当たるとすぐさま気を引き締めた。




 屋敷に近づくにつれて一護は先ほどの考えを訂正せざるを得なくなった。
 京楽に何かがあったのではない。京楽が何かをしているのだ。
「あ、暴れてるのか、」
 悲鳴や怒号が屋敷の外からでも聞こえてくる。破壊音までもが混じって、京楽本家は混乱の渦中にあった。
 斬月を持ってきていてよかった。一人が心配で家で待っているときから肌身離さず傍においていたのだが、今はとても頼もしい。できれば抜かずに済めば良いのだが。
 一際激しい破壊音が響いて、大きな砂煙がたった。目を凝らすとその中で立っているのは二人。
「春水さん?」
 どちらも似たような霊圧だったため、読むのが苦手な一護はどちらがそうなのかいまいち分からなかった。煙が途切れ、見えた髭に二人のうち左だと思って駆け寄ろうとした。
「一護ちゃん!?」
「ええ!?」
 だが声は右から。すぐに立ち止まって煙が完全に途切れるのを待つと、現れた本物の京楽は声の聞こえた右のほうだった。
「何で来たのっ、待っててって言ったのに!」
「だって、」
 使者に無理矢理つれてこられたのだが、一護自身心配だったこともある。それに来て正解だった。話をしに行って暴れているのだから。
「お嬢さん、少し下がっていてくれ」
 左にいた男は京楽を十歳ほど老けさせたような男だった。
 兄と言われれば納得してしまう。それほどにそっくりだった。
「ええと、お義兄、さん?」
 義兄、と呼んでもいいものか。結婚を反対されているのだから、義兄と呼ばれる筋合いはない!と怒鳴られることを予想していた一護だったが、京楽に似た男は意外にも穏やかに微笑み返してきた。
 まるで京楽に微笑まれたようで、一護の頬が自然と赤くなる。
「一護ちゃんてばなにときめいてるの!? クソ親父!一護ちゃんを誘惑するな!!」
「っは! お前よりも魅力的だと言うことだろう?妬くな見苦しい」
「おやじ、」
 ということは義父。一護は絶句した。
「絶対に泣かせてやる!」
「やってみろひよっこ!」
 始解までしている京楽の斬魄刀を見て一護は息を呑んだ。二対の刀が父親に襲いかかるのを見て一護は咄嗟に間に入って斬月で受けとめた。
「一護ちゃん!?」
「何してんだよ!」
 親子喧嘩にしては穏やかではない。下手をすれば殺し合いだ。
 一護は必死になってやめるよう訴えたが京楽は聞こうとしなかった。
「お嬢さん、下がっていてくれと言った筈だ」
「でも、」
「なに、平気だ。男というものはこういうやり方でしか納得できん生き物なのだよ」
 背後に庇った父親から頼むというように肩を撫でられたが、それでも一護は納得できない。
 逆に恋人の体に触れた父親を見て京楽の眉が怒りに跳ね上がった。
「イヤらしい手つきで触るな!」
「これくらい、いいだろう?独占欲の強い男は嫌だなあ、一護さん」
「名前まで!!」
 怒りに染まった京楽が次に何をするかと思えば、始解していた斬魄刀を鞘へと納めてしまった。ぽかんとした一護だったが、その隙に京楽に抱き上げられると瞬歩で離れた場所へと行って下ろされる。
「ここで、おとなしく待っててね」
「喧嘩は、」
「これが最後だよ。どうしてもしなくちゃならないんだ。お願いだよ」
 眉を下げて懇願する京楽の視線が一護の着物の帯へととまる。死覇装のときに巻いてやったものが、着物に着替えた今も一護の腰に巻かれていて、自然と笑みが浮かんでしまう。
「待ってて、すぐにクソ親父をぎゃふんといわせて戻ってくるから」
 口付けされて真っすぐに見つめられれば一護は否とは言えない。心配で堪らないが、京楽の父親を見ていると一護を脅した貴族とは違っていたし、何より京楽の父親なのだ。不思議と安心感がこみ上げてきて、一護は渋々ながらも頷いた。




「男は本当にどうしようもない生き物です。ねえ、一護さん」
「はあ‥‥」
 離れたところから二人の戦いをはらはらと見守っていたところ、見知らぬ女性に声を掛けられて、今現在なぜか一緒になって観戦することとなった。
 話しているうちにこの女性が京楽の母親だと分かった。
「あの人とは恋愛結婚でしたの」
 意外だった。てっきり見合いかと一護は思っていた。
 そんな一護の心の内が読めたのか、京楽の母親は昔を思い出すようにくすりと笑った。
「その頃私には別に婚約者がいましたわ。政略結婚というやつです。相手の男ときたら金!地位!権力!まあ顔はいまいちでしたけど、三拍子揃ったそれはもう腹の立つ男でした」
 おしとやかな外観に反して、中身は結構愉快な人だった。一護は視線こそ京楽達にあるものの、京楽の母親の話に耳を傾けていた。
「でもあの人が突然現れて私に求婚したんです。『愛してるヨ〜』なんて言っちゃって。もちろんそのときはシカトしましたわ」
 現役で隊長の京楽に父親のほうは押されているようだったが、旦那が危ういにも関わらず妻はわりと冷静に観戦していた。
「そうしたらある日あの人がボコボコにした婚約者をつれてきて私にこう言ったんです。『こいつに勝った。だから結婚しよう』って。信じられないでしょう?」
 なんでもその婚約者は護廷でも上席官にいたらしい。それを死神でもない男が叩きのめしたのだ。
「京楽家の長男だと知ったのはそのときでした。気が付けばいつの間にか結婚してましたわ」
 ほほほ、と笑ったかと思うといきなり立ち上がったので一護はびっくりして仰け反った。
「あなたー! 負けてますわよ!!」
 十三番隊の第三席二人に負けていない声量に一護はすっかり押されてしまった。目が合うとまたおしとやかに笑われて、貴族にも色々いるのだと考えを改めた。
「春水もあの人を倒して周りに納得してもらおうとしているのです。あの人も承知ですわ」
 当主が結婚したときの逸話は親族ならば誰もが知っていた。それと同じ方法で京楽は誰にも文句は言わせないつもりなのだろう。
 当主を倒されて、それでも異を唱えようものなら今度は自分が斬魄刀を向けられかねない、だからこの戦いが終わればもう誰も口出しはしないと京楽の母親は言っているのだ。
「お馬鹿な親戚がお馬鹿なことを言ってしまったようで、謝ります。ごめんなさいね、ちゃんとあとで締め上げておきますから」
「い、いえ、もう気にしてませんから、」
 それは激しく遠慮して一護はもうすぐ終わるであろう戦いに見入った。
 そして弾かれた刀が弧を描き、京楽が父親の喉元へと刀を突きつけるまではさほど時間はかからなかった。




「というわけで山じい、結婚式の日取り決まったから」
 ぺら、と渡された高級料紙を受け取って元柳斎はほうっとため息をついた。
「親子二代で騒がしい結婚式の前座じゃったの」
「いやあ、盛り上がっちゃって離れ二棟も壊しちゃった!」
 あとで調子に乗りすぎだと父子二人、母親に説教されてしまった。その後ろで一護が苦笑いを浮かべながらもそんな京楽を羨ましそうに眺めていた。
「結婚って夫婦になるだけじゃないんだね」
 どこか優しくなった声音に元柳斎はおや、と片目を開ける。
「親子にもなるんだ。一護ちゃん、両親ができたんだよ」
 もちろん妹二人もそうだった。娘が一気に増えたと両親は喜んでくれた。
 だが父親がやたらと一護にセクハラまがいの接触をするので京楽は気が気ではない。一護に言った会って嫌な思いをするというのはこういうことだ。だが一護は京楽とそっくりの父親にただ優しくされているとしか思っていない。
「ところで、他の隊長格は呼ばんのか」
 呼ばないどころか知らせてもいない。
「いや、それはちょっと。うちの奥さん人気者だから」
 結婚式の前に殺されかねない。特に藍染、市丸、浦原の過激派が何をしでかすか分かったものではなかった。
「女性は呼ぶよ。いざというとき強い味方になってくれそうだから」
 実際に夜一は一護の姉のようなものだ。一護の幸せを邪魔する輩は蹴散らしてくれるだろう。
 そしてひとしきり話をすると京楽は帰る支度をして笠を頭にかぶろうとした。だが寸前でそれを止め、元柳斎に向き直ると満面の笑みでこう言った。
「子供が生まれたら山じい抱っこしてあげてね。七ヶ月後に生まれるそうだから」
 くるりと踵を返して京楽が歩き出すと同時に背後で杖が倒れる音がして、耐えきれずに京楽は吹き出してしまった。




「おかえりーおっさん」
「お帰りなさい、おじさん」
「ただいま。お義兄さんと呼んでくれるともれなく僕の熱いちゅーをあげるよ」
「一姉ならいつもの部屋にいるよ」
「寝てるんじゃないかなあ」
 あっさりと無視されてしまった京楽は物悲しさを感じるものの、教えられた部屋へと行くことにした。まさかこのままおっさん、おじさんはあるまいと思うものの、一抹の不安は拭いきれない。
「一護ちゃん、起きてる?」
 部屋の障子をそっと開けると一護は布団を敷いて眠っていた。最近ひどく眠いのだと言って、よく眠っているのだが、なにやら幸せな夢でも見ているらしい。わずかにつり上がった唇がそれを物語っていた。
「子供みたい」
 体を丸めている様はまるで胎児のようだ。その一護の体に命が宿っていると聞いたときは驚いたものだ。
 愛しさや不安、歓喜に嫉妬、一護といると様々な感情があふれてきて制御ができなくなるときがある。でも気が付けば胸は暖かい。ああ、これが幸せというものかと納得したのは一護と出会って知った、初めてのものだ。
「おーい、君は男の子ですか、女の子ですか」
 子供ができたと聞かされてからはこうして京楽はお腹に向かって話しかけていた。
「男の子なら一護ちゃんは僕のものだから他の子探してね」
 生まれる前からこんな心配はあり得ないと一護に言われそうだが、胎教の一環だと思って許してほしい。
「女の子なら好きな人ができたときそいつをボコボコにしちゃうから」
 京楽家の男子は親を倒して意中の女性との結婚を許してもらう、女子ならば相手の男に勝ってもらわねばならない、いまや京楽家のなかではそれが当然の理となっていた。
 お腹を優しく撫でてやるとくすぐったいのか一護がわずかに体を捩った。出会って恋をして、それからどんどん綺麗になっていく一護だったが、妊娠したと分かってからはまた一段と魅力的になった。空気や雰囲気がただただ優しく柔らかく、だが弱いわけではない。むしろしなやかに受けとめてくれそうな、そんな強ささえ感じるほどだ。
「ね、僕達は幸せだから、安心して生まれておいで」
 優しくお腹に口付けてやる。
 幸せなひととき、もう少し堪能しようと京楽はふわりと羽織を脱ぎ捨てて隣へと潜り込んだ。
 硝子のはめた障子にはちょうど二羽の鳥が見えて、あれほど羨ましかった二羽だが今は自分たちのほうが幸せだと京楽は優越感を抱いてしまった。
「ああ、幸せだ」
 世界中に自慢したい。
 今、確かに幸せだった。




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