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  死ぬ気でかかってくるがいい  

 目が覚めて最初に視界に飛び込んできたのは天井。
 だが一護の家のものとは明らかに違ったそれに、一瞬ここはどこだと考えた。辺りを見回しても知らない壁に知らない調度品、におい、明らかに自分の家ではない。
「あ、」
 ようやく思い出した。隣を見るとそこにはいまだ眠りの世界にいる男。
 障子の向こうはまだ薄暗い。起きるには早すぎて、一護は寝息を立てる恋人に擦り寄った。かと思えば片肘を立てて一護はその寝顔を眺めることにした。
 狸寝入りではないか、そう思って確認していた頃が懐かしい。今は狸寝入りかそうでないかは見分けがつくようになった。それは一緒にいる時間の長さと想いの深さの証拠のような気がして、一護はひとり笑みを浮かべた。
 寝顔は誰でも幼く見えると言うが、藍染もどうやらその例に漏れずに済んだらしい。閉じた眼に茶色の髪が柔らかくかかり、それをはらってやるとまるで自分が母にでもなった気分になった。
 最初は恐いと思った目も今では好きだ。穏やかさと愛しさの混じった視線、それが閉じられているのが少し残念だったがこうして無防備に寝顔を晒してくれるのは嬉しかった。一護はどんなに近くで見ても綺麗な肌が羨ましいと思いつつ、頬を指でなぞっていった。
 時折つんつんと突ついてやると眉を寄せて反応するのが面白い。一護は笑いを押し殺してそのまま指を頬から顎へ、そして喉仏へと辿り着かせた。
 女にはないその尖りに、以前興味半分で押したことがあるが、そのときは珍しく藍染が変な声を発して咳き込んでいたので、今度は優しく撫でてやった。
「眠っている人間に悪戯とは感心しないな」
 夢中になっていて起きたのに気が付かなかった。一護は文字通り悪戯の見つかった子供のように眉を下げて藍染の顔を伺った。
「ごめん、起こした?」
「くすぐったくてね」
 喉仏に触れられたときに目が覚めたのだ。また押されるのではないかと内心ひやりとしたが、一護は優しく撫でてきて、どうせなら起きているときにそうやってくれればいいのにと思った。
「すっかり目が冴えてしまったよ。どうする?」
「どうする、って、」
 二度寝しないのか、そう思って一護が褥に横になったのに、藍染は逆に起き上がってしまった。
「まだ外暗いし、」
 そう言って眠くなってきた一護はゆっくりと目を閉じた。
「まあ眠っていてもできるけどね」
 何を言っているのか一護には分からなかったが、眠気に支配された思考ではそれ以上考えることはできなかった。それよりも捲れた掛け布団を元に戻してほしい。まだまだ肌寒い朝に、一護は無意識のうちに藍染が眠っていた場所へと温もりを求めた。
 すやすやと眠りについてしまった一護には意地悪げに笑む藍染に気が付く訳がなく、これから己の身に何が起こるか知る由もなかった。




「ひどい、バカ、スケベ!」
 そういった思いを視線に乗せて、一護はぎろりと藍染を睨んだ。そして睨まれた藍染はにこりと似非臭い笑みでその視線を受けとめてしまった。
 珍しく隊首会に参加した浮竹に同行した海燕。その海燕を呼びに来た一護は現在目の前にいる藍染を恨みの籠った形相で睨んでいた。
「どうした、一護」
「何でもありません!」
 隣に立っていた浮竹にはきはきと受け答えするも、視線はキッとある一点に見据えられていた。
「藍染、この子に何かしたのか」
「心外だな。どうして僕なんだい」
 にこやかに微笑みながらも藍染の本性を知っている隊長達は胡散臭げな視線を投げてよこす。
 一人余裕の藍染は一護に向かってにこりと笑んで、己の喉仏を撫でてみせた。
 それを見て途端に真っ赤になった一護は慌てて浮竹の後ろに逃げ込んだ。驚いたのは浮竹だけではなく藍染も同じで、自分以外の男の羽織を掴まないでほしいと内心むっとしていた。
「一護?」
「俺、俺、帰ります!」
 ぱっと身を翻すと一護は逃げるようにしてその場を去った。
「藍染さん、ほんとに何したんですか」
「ちょっとね、仲良くしただけだよ」
 非常に意味深な言い方に浦原と市丸が不穏な気配を発する。上がった霊圧にゆらりと陽炎のように景色が歪んだ気がして、その場にいた副官の何人かは一歩下がって避難した。
「仲良くって、子供やあるまいし。怪しいなあ、ほんまに」
「この人が怪しくないときがありましたか」
「そら言えてるわ」
 けらけらと笑い合う二人に藍染は冷たい視線をよこしながらも、一護が消えた方向に目をやった。自分の一挙一動に慌てふためく一護が可愛い。周りには関係をばらしてはいないが、事実を知ったときの彼らの驚く顔はきっと見物だろう。
「僕は失礼させてもらうよ」
 後で泣きを見るのはそっちだ。
 そう考えるだけで笑みが浮かぶのは仕方の無いこと。




「あれ、お前なんかにおう」
「え」
 恋次の言葉に一護はぎょっとして己の死覇装をふんふんと嗅いでみた。だが恋次の言うようなにおいはしない。
「阿散井、言い方悪い。なんか香水でもつけてるの?」
 乱菊が一護の腕を持ち上げて鼻を寄せた。
「んー、香水じゃなくて香を焚いてんのね。あんたそういうの好きだっけ」
 香のように雅な趣味は持ち合わせていないので、一護は素直に首を振った。
 すると途端に乱菊はにやりと笑ったので、悪いことなどしてはいないのに一護はぎくりと肩を震わせた。
「ははーん、そう、そういうこと」
「な、なにが、」
「移り香ね!」
 びしっと指を指されて一護は仰け反った。次いで顔が赤く染まる。
 心当たりがありまくる一護がしたその反応は、周りにその通りだと言っているようなものだった。恋次と修兵は一護以上に驚いて、そして雛森はぽっと頬を染めるという初心な反応をした。
「マジかよ!」
「あり得ねえ!」
「うわー誰? 誰!?」
「んもー何も知らないって顔して結構やるじゃない」
 男二人を押しのけて女二人が一護に迫った。その勢いに一護は一歩二歩と後じさるが、ついには壁へと追い込まれて逃げ場を失った。
「移り香ってことは移り香ってことは、キャー!」
「落ち着きな、雛森。ここはじっくり話を聞き出すのよ」
 三人よると姦しいと言うが、二人でも、いや一人でも十分に姦しかった。一護は後方にいる恋次と修兵に助けを求めたが、男の影ありと見た二人はもちろん助けてくれなかった。ここで名前を聞き出して後で締め上げてやろうという魂胆だった。
「俺、何も知らないからっ、移り香って何!?」
 必死になってしらを切るも、一護に恋人がいると信じて疑わない二人は盛り上がっていた。
「香を焚くなんて今の若い男の趣味じゃあないわね」
「ですよね。かと言って浦原隊長と更木隊長はそういうのは絶対しなさそうだし」
 浦原は怪しげな薬品の香りが似合いそうだし、剣八は血のにおいが好きそうだ。
「ギンも違うわ。ああいうの面倒ぐさがってやんないもの」
 乱菊が香にはまっていたとき、よくそんな面倒くさいことができるものだと嬉しくもない感想を頂いてしまったのだ。
「やっぱ朽木隊長?それも自分じゃなくて使用人にやらせてるのよ」
「容易に想像できますね。でも京楽隊長もああいうの詳しそうじゃないですか」
「大穴で総隊長!」
「渋い!」
 これは違う、じゃああれだ、と一護そっちのけで話を進める女二人に、彼の名前が出てこないことを内心ほっとしつつも、実際に言われたときに狼狽えないでいられるか一護は非常に心配だった。
「ここは本人に聞きましょうか」
「一護くん、速やかにお願いね」
 両腕をそれぞれに掴まれて一護は逃げるに逃げられなくなった。これが男なら手荒な方法を取ってでも脱出しているが、実際にはそこら辺にいる男よりも強い乱菊と雛森も見た目は立派な女子なため、一護は動くことができない。
「恋人なんていねえよ!」
「ひどいっ、この子嘘ついてるわ」
「この香りが証拠なのに、‥‥‥あれ?」
 雛森が疑問の声を上げて、一護の肩に顔を埋めた。くんくんとにおいを嗅ぐ仕草は可愛らしいものだったが今の一護にとっては冷や汗ものの行為だった。
 まさかあなたの上司と付き合っていますなど口が裂けても言える筈がない。
「これって、ええ?でも、」
 普段からよく会っている人物と非常に似た香りなのは気のせいだろうか。まさかと思って見上げると気まずそうに見下ろしてくる一護と目が合った。
「そうなの?」
「うっ、‥‥‥‥うん」
 ここで違うと言うと騙すことになってしまう。雛森が上司の藍染を慕っていることは知っていたが、違うと言って嘘をつくよりはましだった。
「そっか、うん、分かった」
 寂しそうに微笑まれて一護は罪悪感でいっぱいになった。自分がものすごく悪者になった気がして、謝ろうと口を開いたがそれは制されてしまった。
「ごめんね、一護くん」
「へ、いや、」
 それはこちらの台詞だ。
 そう言おうとしたが、今度はにっこりと満面の笑みを向けられた。
「行きましょう、乱菊さん。人の恋路の邪魔をしたら馬に蹴り殺されちゃうんですよ」
「えーなんなの?」
 雛森は一人で納得すると乱菊を引きずって退散していった。恋次と修兵は何がなんだか分からないものの、雛森に凄みのある笑みを向けられて渋々引き下がった。  




「なんだよ、これ」
「肌のツヤをよくする薬ですよ」
「ふーん」
 怪しい。貰った薬をしげしげと眺めて一護は探るような目で浦原を見た。
「お前が飲めよ」
「アタシは赤ちゃん肌だから必要ないんです」
 赤ちゃん肌は言い過ぎだが、確かに綺麗な肌をしている。だが浦原には薬の類いを貰っても決して口に入れるなと夜一から口を酸っぱくして言われていたので、一護は飲まずにとりあえず死覇装の袖に入れておいた。
「飲まないんですか」
「後で飲む。なに?なんか問題でもあるのかよ」
「ありませーん」
 わずかに泳いだ目に、一護は後で捨てようと決めた。
「一護ちゃん、チョコ好きやろう? あげる」
「おお、ありがと」
 今度は市丸にチョコレートを貰った一護は素直に口の中に入れようとした。
 が、寸前でそれをやめる。
「ええ!」
「食べへんのん?」
「最近食べてばっかだから」
 ルキアのようにいくらおしるこを食べても太らない体質ではないので、一護は少し甘いものを控えようと思ったのだ。
 最近はちょっと太ってきた気がして、一護は人知れず気にしていた。
「全然太ってへんやん」
「むしろ細すぎます。もうちょっと脂肪がついてもいいくらいですよ」
「るせえ。脂肪って言うな」
 美容にはとんと疎い一護だが、ようやく最近になって女の自覚が芽生えてきたのだ。脂肪だの太るだの聞きたくない単語には敏感だった。
「太ってもアタシは気にしませんよう」
「女が思てるよりも男はふくよかなほうが好きなんやで」
「え! マジで!?」
 一護の大きすぎる反応、それはまるで好いた男がいるようではないか。藍染との気になる遣り取りが脳裏に浮かび、それを確かめるべく二人は視線を交錯させた。
「マジもマジですよ」
「せやからそれ食べてもなあんも心配いらへんよ。さ、お上がりよし」
 二人並んで胡散臭い笑みを向けられたが、今の一護は自分の思考に没頭していて気が付かなかった。もう少し太ったほうがいいのだろうか。そう考えて貰ったチョコレートを口へと運ぶ。
 その一護の口元を注視する男二人。チョコレートの中身は浦原の薬と同じものが入っている。
「あ」
 ところがまたもや寸前でそれは成されなかった。
 一護の視線の向こうには誰かが佇んでいた。その人物に一護は釘付けで、ぽろりとその手からチョコレートが零れ落ちる。
「ああ!」
「あともうちょっとやったんに」
 作戦の失敗に二人が舌を打つと、邪魔をした男をぎろりと睨みつけてやった。
「二人して、何の悪巧みだい?」
「何がですか」
「心当たりがありませんなあ」
 のらりくらりと追求を躱す二人は放っておいて、藍染は一護に向かって微笑みかけると己の両手を広げてみせた。
「おいで」
 その甘ったるい声音にくらりとした。一護は睦言を囁かれたときと同じような心地になって、頬が赤くなっていくのを止められないでいた。
 一方市丸と浦原の急造のタッグは苛々とした気持ちを抑えきれず、一歩足を踏み出した一護の腕を掴んで邪魔をした。
「まだ寒いっていうのに、邪魔虫は引っ込んでてくれないか」
 春になっても出てきてほしくはないが、藍染は打って変わった冷たい声音で二人の男を牽制した。
「なんですのん。二人の間に何かがあるとでも?」
「気付いているんだろう?それとも気付いていないのかな。だとしたら元上司として情けないばかりだよ」
 そしてもう用は無いとばかりに市丸から視線を離すと、再び一護に向かって微笑みかけた。
 その目が早く来いと言っていたので、一護は強引にでも腕を振りほどくと藍染の元へと駆け寄った。先ほどよりも近いところで見る藍染はどこか怒っているような気配がした。
「ひどいな、僕以外の男と逢瀬だなんて」
 二人だけにしか聞こえない声量で藍染はそっと囁いた。
「それに、恋人なんかいない、だって?」
「き、聞いてた?」
 雛森が告げ口をする筈も無く、一護は自分の迂闊さにさーと青くなった。
「傷ついたよ、とても」
 そう言って一護の手を己の胸へと当ててやった。  普段と何ら変わらない気がするが、胸が張り裂けそうだと言いたいのだろうか。一護は効果のほどは分からないが、撫でてやった。
 すると途端に不満そうな唸り声が聞こえてくる。
「ちょっと、密着しすぎじゃあないですか」
「そうかな?いつもこんな感じだけど」
 まだ信じたくないのか認めるのが嫌なのか、浦原の普段はやる気の無い目が今は不穏な光を発してこちらを見据えてくる。市丸も同様に薄く開いた目が殺気を放っていた。
 もう少しだ。腹の底で黒い感情が渦巻いて藍染は一護に見えないよう邪悪な笑みを浮かべた。そして一護の耳に唇を寄せて何事か囁いた。
「えぇ!」
 一護の驚いた声と首を横に振る仕草に、何か無理な要求を言われたのだと推測された。二人の親しげな雰囲気にもう我慢がならなくなった浦原と市丸が足を踏み出しかけたとき、絶妙のタイミングでそれは起こった。
「「!」」
 邪魔な男二人の驚愕の表情を見て藍染は満足げに笑った。これだ、これが見たかったのだ。その待ち望んだ光景を目に焼き付けて、藍染は目の前の恋人との口付けに集中した。
 一護のほうから口付けをしてくれたら許してやると言うと、人がいるのにそんなことができるかと一護は当然拒否をした。だが藍染は口にしたことを今までに曲げたことなどない。結局は折れた一護が恥ずかしさを我慢して、藍染に唇を重ねたのだ。
「ん、」
 少し重ねて離そうと思っていた一護だが、後頭部を押さえられて舌を絡められた時点でそれはもう諦めてしまった。そうだ、この人こういう人だったと今さらながらに後悔して、あとはもう好きにさせた。
「分かったかい?分からなかったら、可哀想にとしか言いようが無いけどね」
 濡れた己の唇を見せつけるかのように舐めると、藍染は一護を抱えて瞬歩で消えた。




「てめーこの野郎! あれ自白剤じゃねえか!」
 隊首会が終わって出てきた浦原を一護はげしげしと蹴りつけた。
 共犯の市丸は素知らぬ顔でそれを眺めている。
「な、なんのことでしょう、」
「しらばっくれんな! 阿近さんにちゃんと調べてもらったんだからな!」
 部下の裏切りに怒りを覚えるも浦原は誤摩化すように笑みを浮かべて、蹴り続ける一護の足を掴んで引き寄せた。
「うわっ、離せよ!」
 転びそうになった一護が仕方なく浦原の羽織を掴もうとしたとき、その手は別の誰かに握りしめられて、ついでに体も引き寄せられた。
「僕以外の男に触れたら駄目だと言っただろう?」
「そ、藍染隊長、」
「名前で呼んでほしいな」
 後ろから抱き込んでこめかみに口付けると、藍染は呆然としている周りに笑顔を振りまいた。二人の関係を知らない隊長達は、氷のように固まっていた。
「僕のものだから、手を出したら蹴り殺すよ」
 馬に蹴られるのではなく、自ら蹴り殺すと言ってその場の空気を真冬にした。
 これで二人の関係は誰もが知るものとなった。だがこんなものは甘いほうだと藍染は思う。特に手痛く見せつけてやった浦原と市丸に、わざと唇を舐めてみせた。
 途端に苦い顔をする二人を見て、当分はこれで苛めてやれると内心意地の悪いことを思った。
「もちろん僕は君のものだから」
 そして一護にしか聞こえない愛しさを込めた台詞をさらりと紡ぎ、赤くなった顔にそっと頬を擦り寄せた。




 
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