送り狼になりたい
寒さも増した冬の昼下がり。
火鉢を囲んで京楽はいつものごとく仕事もせずにだらだらと過ごしていた。
そこに副官の七緒が俯いたまま入ってくる。いつもなら仕事をしていない京楽を怒鳴りつけるところなのに、七緒は無言でゆらりと歩んで京楽の傍までやってきた。
様子のおかしい副官にさすがの京楽も体を起こして顔を覗き込もうとする。
「七緒ちゃん?」
だが返事は無い。よく見れば七緒の体は小刻みに震えていた。
寒い筈なのに七緒の体から熱が発せられて陽炎のようなものが見えるのは気のせいなのだろうか。
「‥‥‥‥京楽隊長」
低く重い声音だった。
知らず体がすくんで京楽は七緒から離れようとするが、それは胸ぐらを掴まれることによって阻止される。
「え? え?」
自分は何か悪いことをしたのだろうか。仕事は真面目にしないがそれはいつものことだ。七緒が怒るにしてもこんなおどろおどろしい雰囲気は初めてだった。
ぎろ、と七緒が下から京楽を睨みつける。その目が殺すと言っているように感じるのは被害妄想ではない筈だ。
「‥‥こ‥‥した」
「え、」
よく聞こえない。
七緒は言ってやった。はっきりと。
「見損ないましたっ!! このロリコン!!!」
冷たい風が殴られた頬に気持ちよく吹いてくれていた。
京楽は傍目にも分かるほどに頬を赤く腫らして、隊首会が開かれる部屋に入った。
「ん?」
部屋は奇妙なほどに静まり返っていた。そして自分に向けられる視線が冷たい気がする。
気にせず空いた場所に立つと隣にいた卯ノ花があからさまに距離をとった。自分と卯ノ花の間にできた不自然な距離を京楽は無言で見つめる。
そして向かいに立っていた冬獅郎に視線を向けるとさっと逸らされてしまう。その隣にいる浮竹には呆れたような眼差しを送られてしまった。
七緒といい同僚といい今日はどうもおかしい。こんな視線や仕打ちを受ける謂れは無い筈だ。
やがて元柳斎が到着すると隊首会が始まった。だが京楽に視線を合わせる度に元柳斎がため息をつくので、隊首会はかつてないほどに微妙な空気で進行していった。
「今日はこれで終了する。じゃが春水」
「はい?」
微妙な空気に耐えきれず京楽がさっさと辞そうとしたところを元柳斎が止めた。
「何か儂に言うことはないか」
「ないけど」
「ぺいっ!!」
「うわっ、びっくりした」
どうやら怒っているらしい元柳斎にも京楽はのほほんと返す。
見かねた親友が口を挟んだ。
「京楽。今さら隠してもしょうがないぞ。吐け」
「は?何言ってるのさ」
「往生際が悪いなあ。もうネタは上がっとんねんで」
「そうだよ。さっさと認めたらどうだい。楽になるよ」
「自白剤。提供いたしましょうか」
どうやら自分は何かあらぬ疑いをかけられているらしい。同僚達が京楽を次々と問いつめてきた。
「一体さっきから何言ってるの。説明してよ」
京楽はあくまで白を切るつもりだと思われたのか、やれやれとため息をつかれた。仕方なく浮竹がどこか諭すような目で京楽の肩に手を置いた。
「隠し子が、いるんだってな」
「‥‥‥‥‥‥はぁ?」
「あれえ。ボクは幼女に手え出したって聞きましたけど」
「アタシもそう聞きました」
「俺は隠し子だって聞いたがな」
「私もです。認知していないとお聞きしましたが」
「‥‥‥‥‥‥」
七緒にロリコンと詰られた意味がようやく分かった。
京楽の脳裏に数日前に一緒にいた小さな女の子達が浮かぶ。
「どうやら身に覚えがあるようじゃの」
「ちょっ、誤解だよ。あの子達はそういうのじゃないんだってっ」
「うわーあの子達やってえっ!」
つかさず市丸がちゃかす。周りの自分を見る目は責任感のない男か、はたまた幼女趣味の男を見る目だった。
「隠し子でもないしロリコンでもないからっ!!」
「じゃあなんなんだ」
「えーと、‥‥‥‥友達? の妹さんだよ」
「歯切れが悪いですね。この人嘘ついてますよ」
浦原が科学者らしく冷静に分析した。
「友達とは? 男か、女か」
「女、です」
京楽の答えに一気に隠し子説が有力になった。
「その女子との間にできた子らか」
「だから違うって」
そんなに自分は信用がないのかと京楽はすこし泣きたくなった。実は皆もよく知っている子の妹達なのだが京楽にはそれを言うつもりはない。言えば色々とややこしいことになってしまうからだ。
「とにかく。ボクは無実だからね」
「あれ、おじさんてばなんかやつれてない?足腰弱ったの」
「前より老けたな」
「‥‥‥‥‥お願い。慰めて」
本日の隊首会によって大変疲れた京楽に、夏梨と遊子は子供特有の無邪気さで容赦ない言葉を浴びせかけた。
夏梨と遊子、そして京楽は茶屋に座ってくつろいでいた。京楽を挟んで子供二人は普段は食べられない色とりどりの菓子に夢中になっていた。もちろん京楽の奢りである。
「おいしい。お土産に買ってもいい?」
「一姉喜ぶんじゃない。気の利く男だって印象づけるチャンスだよ」
「もちろん買わさせていただきます」
会うたびに何か奢らされているが隊長の京楽にとってはたいした支出ではない。むしろこんな簡単なことで意中の女性に良い印象を与えられるだけでなく、その妹達にも気に入られるのなら安いものだと京楽は思っていた。
『おっさん、一姉のこと好きなんだろ』
『お姉ちゃんのこと好きでしょ』
ある日ずばりと聞かれてしまった。
それも疑問ではなく確信で。
最初は誤摩化そうとしていたが、夏梨と遊子の目は嘘は許さないとそう言っていた。その目を見て京楽は素直にそうだと答えたのだ。
それを聞いた夏梨と遊子は嬉しそうに笑うと協力すると申し出てくれた。こうして三人で会うのもそのためだ。それを同僚達に誤解されたのだが。
姉に懸想する男のために妹二人は色々と役に立つ情報を教えやっていた。
一護の誕生日、好きな食べ物、好きな色、好きな花。
京楽としては好みの男性を教えてほしいところだが、妹二人にもそれは分からないと言う。どうやら生きている間も付き合っていた男性はいなかったようだ。それを聞いたときには嬉しさから柄にもなく拳を握ってしまった。
「やっぱり財力のある男は違うな」
「かなりポイント高いよ」
「はは‥‥‥そりゃどうも」
自分に協力してくれるのはまさか金目当てではとちょっぴり心配してしまう。
「一姉ほっといたら一生結婚しなさそうだからさ。おっさん頑張れよ」
「幸せにしてあげてね」
それに京楽は苦笑して返す。二人とも簡単に言ってくれる。
一護は手強い。それもかなり。
自称百戦錬磨の京楽は一護相手に現在苦戦を強いられていた。
「一姉は恋愛未経験だから。多少強引に迫ったほうがいいかもしれない」
「でも手を握るまでだよ」
「‥‥‥‥はい」
手を握るなんて子供の恋愛ではあるまいし。だが一護を目の前にするとどうもいつもの口説き文句が出てこないのだ。信じられないことに自分に自信が持てなくなる。
二人きりでいてもなかなか甘い雰囲気にはならず、もしかしたら一護には面倒見のいいおじさんぐらいにしか思われていないかもしれなかった。
実を言えばまだ手を繋いだこともない。
「ねえ、おじさん」
「なんだい」
「おじさんがお姉ちゃんと結婚しても、あたし達一緒にいていい?」
声が出なかった。
京楽が呆然としていると勘違いしたのか夏梨が慌てて言い直す。
「いや、無理にとは言わないんだけどさ」
「そうそう」
二人は気付いていないのか、泣きそうだ。
それを見て京楽が両脇にある小さな頭を優しく撫でた。
「そんなこと言わないで。そんな、寂しいこと」
いい子達だ。姉に似てとても心根の優しい子達だと京楽は思う。
「ボク、ほんと頑張らないとなあ。だってお嫁さんだけじゃなくて妹が二人もできるんだから」
夏梨が右手を、遊子が左手を握って歩いていた。
妹というよりも娘ができた気分だった。隠し子というのもあながちはずれではないかもしれない。
「あ」
「お姉ちゃんっ!」
前方から一護が歩いてくる。三人の姿を見つけると大きく手を振ってきた。
遊子が一護に向かって走り出す。
「おっさん、うまくやれよ」
見下ろすと夏梨はにっと笑っていた。それが一護とよく似ていて京楽は内心驚く。
「京楽さん」
遊子に手を引かれて一護が傍までやってくる。どうやら妹二人を迎えに来たらしい。
「じゃああたし達先に帰るから」
「ちゃんと一姉を家まで送ってってよ」
そう言うと夏梨は自分が握っていた京楽の手を一護の手に託して、遊子と駆け出してしまった。
「あ、おいっ、」
一護が追いかけようとするがそれを京楽が引き止める。
「ちょっと寄り道していこっか」
せっかく作り出してくれた好機を逃すことはできない。京楽は一護の手を引くと、家に帰る道とは別の道をことさらゆっくり歩きはじめた。
一護も握られた手に戸惑いながらも京楽についていくことにした。
「ごめんな、二人の相手してもらって」
「いいよ。好きでやってるんだから」
そう、好きでやっているのだから隠し子だのロリコンだのと言われても痛くも痒くもない。
「なあ、」
「ん?どうしたの」
一護がどこか照れたようにそわそわと視線を泳がせている。握られた手を揺らしていることから離してほしいと言いたいらしいが、京楽はわざと気付かない振りをした。
手を握られただけでこんなにも恥ずかしがるなんて、京楽は一護の初々しさに頬が緩んでならない。普通に繋いだ手から互いの指を絡ませるように繋いでやった。一護の肩がびくんと反応する。
一護はしばらく逡巡するように視線を彷徨わせていたが、恥じらうように目を伏せると一護からも指を絡ませてきた。
やばい、嬉しすぎる。
いい歳をした自分がまさか手を握り返してくれただけでこんなにも胸が高鳴るなんて、京楽自身信じられないことだった。まるで初めて恋を知った少年のようではないか。
自分の初恋の相手やそのときの想いなどはまったく思い出すことはできないが、これほどまでに胸が高まることはなかっただろうと確信できる。こんなに暖かくて切なくさせる気持ちを味わったことがなかったからだ。
だが気になるのは一護が自分をどう思っているか。
「ねえ、一護ちゃん」
「なに」
一護は照れると言葉少なになる。すこしは意識してくれているのだろうかと京楽は期待してしまう。
「‥‥‥‥なんでもない」
「なんだよそれ」
一護がぷっと吹き出す。まるで子供のようだと思われたのかもしれない。
好きだと、言ってしまいたかった。
愛してる、君だけだ。そう言えればどんなによいことか。だが果たしてそれを受け入れてくれるのだろうか。
拒絶。それが怖かった。
「妹二人と手を繋いでる京楽さんを見てるとさ、」
緊張が解けたのか一護が和やかな雰囲気で話しはじめる。
「なんか親父のことを思い出したよ」
それはちょっと嫌かもしれない。だから京楽は言ってやった。
「じゃあお母さんは一護ちゃんだね」
自分が父で、一護が母。二人は夫婦だ。
だがはっとしたように一護が顔を上げて京楽を見る。その目を見て、しまったと京楽は内心後悔した。
一護にとって母親は特別な存在だ。詳しいことは知らないが一護が今も亡くした母親を捜していることは夏梨と遊子から聞いていた。
軽々しく言うべきではなかった。
気まずい空気が流れる。もし一人だったなら京楽は自分の頭を殴りつけてやりたかった。
「母親っていうのはさ、」
沈黙を払ったのは一護の静かな声だった。
「家なんだ。父親が大黒柱だっていうなら、母親が皆を包む家なんだ。安心して帰ってこられるようなさ」
京楽は黙って聞いていた。
一護が不安を込めた目で京楽を見上げてくる。
「なあ、京楽さん。俺は、ちゃんとあいつらの家になってやれてるのかな」
いつのまにか歩みを止めて二人は見つめ合っていた。
京楽は一護の手を両手で包み込んでやる。
「もちろんだよ。夏梨ちゃんも遊子ちゃんも、そう思ってる」
「そうかな」
「そうだよ。‥‥‥‥でもね、一護ちゃん」
自分に比べるとなんて小さく細い手なんだろうと思った。そんな手を、いつも握りしめて生きてきたのだと思うと京楽は一護を抱きしめたくなった。
「家には大黒柱が必要なんだよ。そうじゃないと倒れちゃうでしょ」
「‥‥‥‥‥‥うん」
「だから、ボクなんてどう?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥」
は、はずした。
京楽は心の中で転げ回った。ひゅるりら〜と木枯らしが吹いている気がする。
だが一護はくすりと笑うと照れ隠しのように握られた手を上下に振った。
「そうしたら、もうおっさんなんて呼んじゃいけねえな」
「え」
ぽつりと言った一護の言葉に京楽は間抜けな声を出す。
だって、それってもしかして。
「そろそろ帰ろうぜ。あいつらも待ってることだし」
「あの、一護ちゃん、」
そこらへんの話をもっと詳しく聞かせてほしい。
だが一護は赤くなった顔を隠すように先にずんずんと歩きはじめてしまう。
「今日は鍋なんだけど、‥‥‥‥‥春水さんはどうする?」
「もちろんっ、お相伴にあずからさせていただきますっ」
京楽は一護に追いつくともう一度手を繋いだ。
本当は口づけしてしまいたかったが、それは必死に我慢する。未来の妹達との約束を破ることはできないと、京楽は知らず苦笑した。
近々、隠し子説を経て京楽に本命の恋人説が流れる。