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  ただそこに、愛があるだけ  

 藍染は時折子供っぽい。
 後ろに立って脅かしたり、肩に手を置いて振り向いたところに頬へと指をぷすりと刺してみたり。まさかそんな小学生のするようなことをして、一護の反応を見て楽しむ人だとは思わなかった。
 藍染はくっつきたがる。
 人目の無いところでは確実に体を密着させてくるし、人目のあるところでは周りにばれないように触れてくることがあった。そのたび一護はひやひやさせられるというのに、当の藍染は余裕の態度だった。それが腹立たしい。
 藍染は寂しがり屋だ。
 ギンあたりが聞けば「それってどこの藍染はん?」と真顔で聞き返されるであろう、だが一護は知っていた。おそらくくっつきたがるのはそれを反映しているからだと。いつも一護は藍染に勝てないことを歯がゆく思っているが、ふと見せられる寂しげな表情にそんな負けん気は放り出して抱きしめてしまう。そして己のすべてでもって包んでやりたくなるのだ。 
 付き合ってみて分かる、その人の本質。
「やあ」
 ぬっと背後に現れた藍染に、一護はぎゃっと悲鳴を上げて振り返った。今まさに考えていた人物の登場に心臓がひっくり返りそうなほど驚いた。
「気配絶って後ろに立つなって言っただろ!」
 心臓がバクバク言っている。突然のことに驚きで声が震えてしまっていた。
「イタズラ成功だね」
 世間様には穏やか誠実人格者、そして自分にとっては不穏似非臭い油断するなの藍染の笑顔を一護はキッと睨みつけてやった。
 だがにこにこと笑う藍染はあろうことかその爽やかな笑みのまま、一護のいまだ忙しない心臓がある辺りに手を置いたのだ。
「わー!!」
 胸を触られた一護は至極真っ当な反応をした。小さいが、そこには立派な胸があるのだ。
「ドキドキしてるね。そんなに驚いたかい?」
「なんっ、」
 何してんだあんたは、と言おうにも頬は真っ赤、言葉も出ない。
 肩に手を置く感じで胸に触れられて、いくら恋人同士、いくとこまでいっていてもこんな誰に見られるとも知れない廊下のど真ん中ではいくらなんでもアレだった。
「触んじゃねえ!何考えてんだあんたは!!」
 すぐさま胸に触れる不埒な手は叩き落とされる、筈だった。
「ぁうっ、」
 揉まれた。
「君こそそんな声を出して、誰かに聞かれたらどうするんだ」
 ものすごく身勝手なことを言われても一護は聞いてはいなかった。そのまま胸を弄ろうとする藍染の手を引き剥がすことで精一杯だった。
「バカ! エロっ、エロ眼鏡!!」
 泣き出す寸前の真っ赤な顔で一護は必死に抵抗した。だが後頭部に手を回されてぐっと引き寄せられる。視界に藍染だけが映し出されると、その先起こることを予想した一護は観念したように目を瞑った。
 が、何も起こらない。
 目を開くと目と鼻の先で藍染が意地悪げに微笑んでいた。
「期待したかい?」
 この男!
 瞬時に脳が眼鏡を割れと命令を出したので、一護はそれに従い拳を振り上げた。
 しかし一護の拳が眼鏡を叩き割るよりも、すばやく重ねられた唇のほうが早かった。勢いのあった拳は途中で失速し、へろへろと下ろされていった。
 蕩けるような口付けに、思考もまた蕩けてゆく。
 眼鏡を割るのはお預けだ。一護は拳を開くと藍染の背中へと回し、羽織をしっかりと握った。





「こらあかん」
 何がいけないのか、その声の主へと振り返ると袖をしきりに気にしているギンがいた。
「破けてもうてる」
 隊長の証である白い羽織の袖は情けなくも破けてしまっていた。あいた穴からギンの長い指が覗いていて、ちょっと動かすとほろほろとほつれていった。
「あ」
「広げてどうすんだよ」
 指一本分の穴は三本ほど入りそうなほどに広がってしまった。
「一護ちゃん、縫うてぇ」
「三番隊に戻ってイヅルさんにやってもらえ」
 ここは十三番隊。
 なぜ三番隊のギンがいるかというと、隊長にも関わらずわざわざ手ずから書類を持ってきたからだ。そして用が済んだ後も仕事をする一護の隣で好き勝手に話をしていた。
 はっきり言って邪魔だった。だがはっきり言ってもどうせ三番隊には戻らないと分かっていたので、一護以下十三番隊の隊員達はギンを無視していた。
「なんでイヅルやの。ボクの女房やあるまいし」
「俺もお前の女房じゃねえけどな」
 十三番隊の隊員達はとっとと帰れという雰囲気を演出してみたのだが、ギンはしつこく一護へと絡んでそんな雰囲気には微塵も気が付かなかった。
「なあ、縫うてぇな。こんな破けた格好で帰ったらボク、イヅルに笑われてまう」
「ああ、笑われろ」
 おそらく笑うどころか溜息をつかれるだけだろう。だがそんなことをいちいち言うのも面倒だったので一護は適当に返事をした。
「なんやの、そのいけずな態度!」
 元上司に似てきたのではないか。だがそんなことは絶対に言いたくなかったため黙っておいた。
「俺が悪いみたいに言うなよ。言いたかないけど全面的に悪いのはお前だ。分かったら帰ってイヅルさんに土下座して床に頭こすりつける勢いで謝って仕事に励め」
「‥‥‥言いたかないって、言うてるやん」
 それにしても言動がまるで藍染のようだ。元部下としてあの容赦のない毒舌と付き合ってきたのだ、気のせいではない。今の一護の背後に藍染が見えるようで、ギンはうげえ、と顔をしかめた。
「なぁ、なぁなぁなぁ」
 だが引き下がるということが大嫌いなギンは懲りずに甘えた声を出してみせた。
 いい歳をした大人、それも隊長がまるで子供のように駄々をこねるので、部屋にいた隊員達の唇がひくりと引き攣った。一護の正面に座るルキアの手元が震え、字が歪むのが視界の端に映った。
「しつけぇな。藍染隊長に言いつけるぞ」
 このままだと精神的によくない。一護はギンにとって鬼門に位置する藍染の名前を使わせてもらった。
「チクるやなんてヒドい! ちょっとほつれ縫うてもらうんがそんなにアカンことなんか!!」
「うっせ!っておいっ、膝に乗るな! どけ!!」
「いややー!!」
 正座して仕事をしていた一護の膝に頭を乗せて、腰へとしがみついた。
「ルキア! 俺の斬魄刀持ってこい!」
「承知した」
 素直に頷いて一護の斬魄刀を取りに行くルキアを止める者は誰もいなかった。十三番隊の隊員達はどこか遠い目をして、やがて騒音を耳から排除すると再び仕事へと戻っていった。
「最近寂しいんやもんっ」
「ああ?」
「ボクら友達やろう!?」
 そう言いつつもギン自身そうは思っていない。正確には非常に気になる友達、そして友達という枠を超えてあんなことやこんなことをしたい女性だが、そう言うと殺されかねないのであえて普通に友達と言った。
「藍染はんばっか構うて、一護ちゃんは恋に溺れて友情は蔑ろにするんか!?」
「そんなことしてねえだろ!」
「しとる! してへん言うんやったらボクの羽織縫うてくれてもええ筈やっ」
 そう言われてぐう、と黙るのは一護がまだ駆け引きに慣れていない証拠だった。
 勝手に入ってくる会話を聞いていた隊員達は心の中で騙されるな黒崎、と思っていたが口に出して言おうものならギンに何をされるか分かったものではないので皆黙っていた。
「困ってる友達、一護ちゃんは放っておくんか?」
「‥‥‥‥分かったよ」
 葛藤の末、仕方なく頷いた。
 ほつれを縫ってそれで大人しくなるのなら簡単だ。さっさと作業を済ませて追い出そうという腹づもりで返事をした。
「嬉し。そう言うてくれるって分か、‥‥信じとったで」
 もういちいち突っ込むのも嫌になってきた一護はぎろ、と睨むとギンの羽織を乱暴に脱がしてやった。





 廊下を曲がるとその先から歩いてくる人物が目に映った。自然と一護は笑みになる。
 しかし、体はすれ違う。遅れて風圧が一護を襲い、ふわりと前髪を撫でていった。
「え」
 笑みのまま固まった。
 無視、されるとは思ってもみなかった。
「惣右介さん?」
 振り返り、名を呼んでもその人は少しも揺らがなかった。変わらぬ足取りで進み、二人の距離は広がるばかりで、一護はただ背中を呆然と見送るしかなかった。
 二日ほど会って話をしていなかった。お互い忙しくてすれ違っていたと思っていたのだが、そうではなかったのだろうか。
 廊下の真ん中でぼけっと立ち尽くす。落ち着け、と自分に言い聞かし、とりあえず隊舎に戻ろうとしたがまっすぐには歩けなかった。ふらふらと数歩歩いて壁へと体を擦れさせた。
「‥‥‥どうしよ」
 怒ってくれるのならまだ対処のしようがあるが、無視されて口も利いてくれないのでは話にならない。
 本心を隠す人だったが、自分には晒してくれていると思っていた。だが現実、こうして無視されているのだ。ただ自分が思い込んでいただけで、本当はそれほど藍染という男のことが分かっていなかったのかもしれない。
 そう考えが至ると、落ち込んだ気持ちは止められない。ずしーんと頭に重りを乗せられたように、一護はずるずると床に座り込んでしまった。
 床に付いた傷が目に入る。それさえも一護を落ち込ませ、重い重い溜息を吐いてその傷をなぞった。
 だがもうすぐ春だというのに冷たい風が吹き、一護をひやりと撫でる。それにぶるりと震えるも、すこし正気に戻ることができた。
 座っている場合ではない。何か気に入られないことをしたのなら自分は謝らなければならない。
 とりあえず立たなければ。両足にぐっと力を込めて勢いよく立ち上がり、一歩踏み出した瞬間に勢いよく何かにぶつかった。
 しまった壁か、そう思いつんと痛んだ鼻を押さえて顔を上げると、去っていった筈の男が立ち塞がっていた。
「‥‥‥‥‥、」
 謝ろうと決心したものの、不意打ちの登場に一護は何も言うことができない。何度か口を開け、何か言おうと必死に頭を回転させたが結局は無駄な努力だった。
「何か、言いたいんじゃないのかい?」
 冷たい声。
 分かっていたけれど、聞きたかったのはいつもの優しい声だった。
「謝ろうと、思って」
「悪いことでも?」
「‥‥‥それが、分かんないけど」
 ふう、と息をはく音が聞こえてきて、一護はわずかに肩を揺らした。
「罪作りな子だ。初心といえばそうだけど、君はもっと男心というものを解したほうがいい」
 そっと肩に触れられて、どきりと心臓が鳴った。
 その手がする、と落ちて腕を掴む。引き寄せられて一護は抱きしめられた。
「それとも少し、痛い目でもみるかい?」
 耳元に囁かれた言葉を理解したのは、どこかの部屋の壁に押さえつけられたときだった。
 書類を保管しておく部屋なのだろう、ずらりと並んだ背の高い棚が視界に映った。だがそれもすぐに見えなくなる。
 上から覆いかぶさるように唇を重ねられて、痛いほどに髪を掴まれたからだ。
「うっ」
 髪を掴んだ手が一護を後ろに引っ張る。それを追うように唇が一護のそれを貪った。
 気付けば床に二人で横たわり荒い息をついていた。誇りっぽい床に死覇装が白く汚れる。だがそんなものに構わず藍染は一護の腰帯を解くと乱暴に前を開いて胸を露出させた。
 抵抗らしい抵抗をしない一護に訝しんで顔を上げると、こちらをまっすぐに見つめる一護と目が合った。
「‥‥‥嫌がらないんだね」
 強がっているのか、それともただの脅しとでも思っているのだろうか。藍染は袴へと手を忍び込ませて一護の太腿を撫でたが、それでも真っすぐな視線は怯えもしなかった。
「‥‥‥‥て、ない」
 ぼそぼそとした声に顔を寄せると、するりと眼鏡を外された。
「嫌がる理由なんて、ない」
 少し眉を寄せて唇を緩めたその表情は、微笑んでいるのか泣きそうなのか判別はつきかねた。だがそんなことはもうどうでもいい。
 本当は抱くつもりなんて無かったのに、一護が悪い。
 今度は明確な意志を持って体を弄った。カシンと床が鳴ったが、それが眼鏡の落ちる音だと分かる余裕などどこかに捨て去って、二人はただ互いを求め合った。





 気崩れた死覇装のまま二人は体を寄せ合っていた。
「ギンが自慢してきたよ」
 一護の背骨を一つ一つ確かめるように指を辿らせた。くびれた腰の辺りは弱い、それを知っていてわざと艶かしく撫でてやった。そしてぴくりと跳ねた体に藍染は満足した。
「君に縫ってもらった羽織を見せびらかしてきてね。膝枕もしてやったんだって?」
 話が誇張されている。
 反論しようと見上げると、そっと唇を押さえられてしまった。
「心の狭い男だと言わないでくれ」
 そして本音を吐いた。
「僕は君に触れる男ほど許しがたいものはないんだ。ほんとは、話すらしてほしくない」
「じゃあ惣右介さんは、俺が他の女の人と話すなって言ったらどうする?」
「いいよ」
「え!」
 驚く一護にくすりと笑うものの、冗談だとは思えなかった。
「死神をやめて流魂街にでも隠居しようか」
「一日中縁側に座って茶を飲むのか?」
「隣に君がいれば、少しも退屈ではないよ」
 唇に乗せた手を頬へと移動して何度も撫でた。汗は引き、今はすべすべとした肌触りが心地よい。
 眼鏡を外せば鋭くなる目に見つめられて、一護はその目を見返しながらも想像してみた。
 ただただ安穏と暮らす日々。
「‥‥‥いいかもな」
 それから二人で隠居生活について本気とも冗談ともとれる話をし合った。実現するかどうかなんて分かりはしない。今こうして二人で話をしてることに意味があるのだ。
「邪魔者がいなければ僕はどこだっていいんだけどね」
 それこそが本心。
 微睡む一護にはその言葉は聞こえなかった。




 
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