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  うめいちご  

「私、初恋かもしれない」
 唐突な言葉に冬獅郎は少し驚きつつも、表情は冷静さを保っていた。
「ああ、藍染ね」
 あの胡散臭い男に統学院時代からこの幼馴染みは憧れているのだ。何を今さら、と冬獅郎は雛森に貰った菓子を頬張った。
「ううん、違う。藍染隊長は憧れなの、ライクなのリスペクトなの」
「ふーん」
 小さい菓子だからすぐに無くなってしまった。もう一つ食べようと箱に手を伸ばすとぴしりと叩かれた。
「なんだよ」
「駄目。これはあの子に持ってくの」
「あの子?」
「初恋の子! ラヴ! 分かる!?」
 もの凄い剣幕で怒鳴られて冬獅郎は思わずびくりと肩を震わせた。幼い頃から叱られても少しも怖くなかったのに、今はどこか鬼気迫る幼馴染みに恐怖を感じた。
「お前、そんなんで迫ったら、相手の男、引くぞ」
 そう言う自分に怒ると思いきや、雛森は逆にふふんと笑ってみせた。
「今のはシロちゃんが悪い。あの子は私にすっごく優しくて、怒らせることなんてしないもの」
「っへー、それは出来た男だな」
 どうせ本性を知らないだけだろうと冬獅郎は内心でその初恋の男とやらに同情した。雛森はほわほわとまるで砂糖菓子みたいな女の子(断じて冬獅郎はそう思っていない。他の男が言っているのを聞いた)らしいが、中身はイノシシのようだと冬獅郎は評していた。
 思い込めば一直線だ。相手の男も大変な女に惚れられたものだと、冬獅郎はこのときまったくの他人事のように思っていた。




「見て、これ。似合う?」
 話しかけられたと思ったらくるりと体を回し、雛森はそう言ってきた。
「なにが」
「もう! これ!」
 後頭部を指差すので、冬獅郎はその先を見た。が、一体何がいつもと違うのか分からなかった。
「あー、似合う似合う」
 もう一度「なにが」などと言おうものなら鬼道を喰らわせられかねない。冬獅郎は演技臭くならないよう褒めてやったが、すぐさま睨まれてしまった。
「適当に言って! 分からないなら正直に言いなさいよ!」
「分からん。髪でも切ったのか」
「んもう! 男の子ってこれだから!」
 軽く肩の辺りを押されたが、軽く見えただけで力は相当こもっていた。冬獅郎は痛む肩を押さえながらも言い返してやった。
「お前の初恋の相手とやらも男だろーが」
「あの子は男とかそういう枠には入らないの!」
「あっそ。それは素晴らしいな」
 そこらの男という枠に入れるにはもったいない男だ、と言われたのだと思った冬獅郎は面白くないものを感じてぶっきらぼうに返してやった。
「リボンを贈られたの。可愛いでしょ」
 たしかにいつものリボンではないと気が付いた。お団子にされた髪を纏める布からは、細いリボンが垂れている。冬獅郎が顔を近づけてみると、目立たないが細かい刺繍がされていた。
「あーあー可愛い。お前よりもずっと可愛いリボンだな」
「ありがと」
 嫌味をものともせずに雛森はにっこりと微笑んだ。リボンをいじる指が、嬉しいのが可愛らしいリボンではなく、それを贈ってくれた男に対する愛情を表していた。
「私はお返しにヘアピンを贈ってあげたの」
「はあ?」
 男にヘアピン。
 幼馴染みはどこかずれたところがあると思っていたが、男にヘアピン贈ってどうすると冬獅郎は訝しんだ。それとも初恋の男とやらはよっぽど前髪の鬱陶しい奴なのだろうか。
「小さいお花の付いたヘアピンなの。すっごく似合ってるんだから」
「へえ、」
 見た目が女っぽい男なのだろうか。冬獅郎はてっきり藍染のような顔だけは穏やかな男を想像していたので、少々的外れだった。
「付けてあげたら照れて顔赤くしてね、可愛かったあ」
 うっとりとしたように呟く幼馴染み。視線はどこか遠くを見つめていた。
 これはもしかして惚気られているのかと冬獅郎はうんざりしたが、雛森の自慢は止まるところを知らなかった。
「今度一緒に着物見に行こーね、って約束したの」
 まるで女同士の買い物のようだ。相手の男はさぞつまらんだろうと冬獅郎は見知らぬ男に同情した。
「この間ね、お家にも行ったんだ」
「はあ?お前、それって」
 男の家に女が行く。冬獅郎は見た目は子供だが、その意味を知らない訳ではなかった。
 雛森はまさかその意味を知らないのではないだろうかと心配になり、ほいほいと家に行ったのもそうだが相手の男も大事な幼馴染みに何しやがったと怒りが込み上げた。
「一緒にお風呂に入ったの」
「ぶ!」
 衝撃的な告白に冬獅郎は吹き出した。そして唾が気管に入り、げほげほとしばらく咳き込んだ。
 信じられない。だが驚愕の視線を向けても雛森はそのときの思い出を楽しそうに語るばかりだった。
「お前、」
 変わったな。
 冬獅郎は急に幼馴染みが遠い存在になってしまったように感じ、これ以上は話を聞いていられなくて踵を返すと走り出した。
「シロちゃん!?」
 今は止めてくれるな。
 冬獅郎は一度も後ろを振り返らず、走り続けた。




 どこまで来たのか分からない。冬獅郎は立ち止まるとがっくりと項垂れた。
 子供だ子供だと思っていた幼馴染みが、いつの間にやら大人の階段を駆け上ってしまっていた。
 正直、ショックだ。
「冬獅郎」
 もしや相手の男が無理強いしたのではないだろうか。雛森は初恋だと言ってどこか舞い上がっていたし、それにここぞというときに押しに弱い。
「おーい」
 そうだ、そうに違いない。
 それに雛森は赤ん坊は畑から産まれてくると信じていたではないか。
 ラヴだろうが何だろうが知るか。
 初恋の男とやらをボコボコにしてやろうと冬獅郎はキッと決意に顔を上げた。
「わ! いきなり顔上げんなよっ」
「!!」
 目と鼻の先に一護の顔があって冬獅郎はその至近距離に驚いた。一護のほうも驚いていたが、冬獅郎のように顔を真っ赤にはさせていなかった。
「わりい、話しかけないほうが良かったか?」
「いや、」
 己の思考に没頭しすぎていた。血の上った頭を軽く振ると一護へと向き直る。
 そしてぽかんと目を見開いた。
「なんだよ? ‥‥‥あ、これか」
 近頃伸びてきた一護の髪。分け目を作り、こめかみ近くでヘアピンによって留められていた。
 その見たことのない女らしさに、なぜか冬獅郎の中で急に恥ずかしさがこみ上げてくる。
「似合わないだろ」
「いや、そんなこと、ねえけど、」
 すぐさま外そうとした一護に慌てて冬獅郎はその腕に手を置いて止めさせた。
 忙しない鼓動に落ち着けと言い聞かせながらも、何か言わなくてはと必死に言葉を探した。
「よく、似合ってる」
「やめろよ、照れる」
 照れたように笑いながらもヘアピンを指でいじる一護は普段の男らしさはなりを潜め、可憐さが漂っていた。頬を染め、見つめられると冬獅郎の鼓動が否応にも高鳴った。
 だが、一護の指が触れるヘアピンが目に入ると、その鼓動は嫌な感じでドクンと跳ねた。
「それ、」
「これか?これは貰ったんだ」
 小さな花の付いたヘアピン。
 幼馴染みの言葉を思い出し、冬獅郎の頭に瞬時に血が上った。
「なんだよそれ!!」
「は?」
 許せない。
 雛森だけではなく一護にまでいい顔をしているなんて。それも贈られたヘアピンを一護に渡すとは馬鹿にしてるのもいいところだ。
「外せ」
「なんで?」
「いいから外せよ、そんなもん!」
 手を伸ばす。だが身長差40cmの壁は厚かった。
 一護が避けるので冬獅郎の手は掠めるだけで中々奪い取ることはできなかった。
「どうしたんだよ!?」
「そんな男最低だ!他の女に贈られたもん、お前にやるなんて!!」
 豹変した友人に一護はどうすればいいのか分からずとりあえず逃げ回った。似合うと言ってくれたのに、それが今では外せときた。
 一体どういうことだと混乱しかけたとき、二人の間を火球が引き裂いた。
 ちりちりと冬獅郎の前髪が焦げる。明らかに自分を狙った攻撃に、視線をやるとそこには別れたばかりの幼馴染みが立っていた。
「何してるの」
 いくらなんでも斬魄刀を解放するなんて、と冬獅郎よりも一護が驚き固まっていた。
「一護くんに乱暴な真似しないで!」
「馬鹿そうじゃねえ! あのヘアピンを見ろ!!」
 一護は指を差されてびくりとした。そして居心地悪そうに雛森へと視線を向ける。
「私が贈ったものだけど」
「そうだ、それを」
「何でシロちゃんが横取りするの! あれは一護くんに贈ったものだから一護くんのものなの!!」
 まるで悪さをした弟を叱る姉のようだと一護は思った。
 そして冬獅郎は愕然とした表情で、一護と雛森を交互に見やっていた。
「なに言ってんだ? お前、初恋の男に贈ったって」
「キャーもう一護くんの前でなんてこと言うのよシロちゃんてばぁ!」
 黙らせようと思ったのか雛森は咄嗟に冬獅郎の首を絞めた。見事に頸動脈を押さえたその素早い動きに、冬獅郎は副隊長も伊達ではないと恐ろしく思った。
「それに私男の子だなんて一言も言ってないもん! んもうシロちゃんの早とちり!」
「桃さんっ、それくらいにしないと、冬獅郎が死んじゃうから!」
 恥ずかしさのあまり、ぎううぅぅと絞める己の指に雛森は気付いていなかった。見下ろせばどこかぐったりと青い顔をしている幼馴染みがいて、慌てて手を離すとどさりと冬獅郎は地面に落ちた。
 一気に入り込んでくる空気に冬獅郎は咳き込んだ。恐ろしい、まさか幼馴染みに殺されそうになる日が来るとは思いもしなかった。
「お前、初恋がどうこうって、」
 俺の聞き間違いか、と視線で問うても雛森は頬を赤くして、そして一護の死覇装の袖を掴んだ。
「うん、そう。初恋」
「‥‥‥ラヴなのか」
「ラヴよ」
 はっきりきっぱりそう言って、ついでに一護に抱きついた。
 抱きつかれた一護は狼狽えて突然の事態に軽く困惑気味だった。どうしよう、と手を彷徨わせて結局は雛森の肩へと置いた。
 そんな二人はまるで恋人同士だ。雛森と並ぶと一護もいつもと違うとはいえ、男に見えてしまう。
 その入り込めない空気に冬獅郎はむかむかとしたものを感じ、ぎり、と奥歯を噛み締めた。
「バーカ! 一護は乳臭い女なんて好みじゃねえよ!」
「何それひどい! そっちこそ幼児なんてお呼びじゃないんだから!」
「俺はこれからでかくなるんだよ!」
「私だってこれから色気が出てくるの!」
 初めて見る幼馴染み同士の喧嘩に一護は面食らった。二人とも小さいのできゃんきゃんと吠え合う子犬を一護に連想させた。
「邪魔! お邪魔虫!」
「寝小便桃!」
「イヤー! 聞こえなーい!」
 両耳を押さえてわあわあと喚いて聞こえないようにした。
 いつの間にか冬獅郎までもが一護の死覇装の袖を掴んで雛森へと対抗していた。挟まれる形となった一護は口を挟むことさえできなかった。
「一護くんはどっちがいいの」
「ええ!?」
 急に話を振られても困る。一護は事態をよく理解できていないのだ、何をどう答えていいのか戸惑った。
「私とシロちゃんどっちが好き?」  
 うるうると下から見上げると一護はうっとたじろいだ。その小動物じみた目に抗うことは至難の業だ。ちょっと突けばぽろりと零れそうな涙に、罪悪感で胸が痛んだ。
「騙されんな一護。こいつは虚を瞬殺できるような女だぞ」
「やめてよそんな言い方! 一護くん、嘘だからね」
 ぎゅっと抱きつくと雛森は一護の胸へと顔を埋めた。
 その羨ましすぎる接触に冬獅郎は苛々とするものの、自分にはそんな行動に出ることはできない。子供のときのように髪を引っ張ってやりたくなったが、一護の手前それはなんとか我慢した。
「一護!」
「な、なに、」
 抱きついた雛森を無視して冬獅郎は一護の胸ぐらを掴んだ。背伸びしても一護が屈んでくれなければできない、ならば屈ませるまでだと冬獅郎は思い切り死覇装を引き寄せた。
「あ」
「え」
 がちんと唇に衝撃が走る。正確には唇に限りなく近い頬なのだが、雛森には唇へと重なったように見えた。
 じんと痛む頬を押さえ、一護は信じられない思いで冬獅郎を見下ろした。
「俺を選ぶよな?」
 思わずうん、と頷きそうになったとき、胸元でぷるぷると震える雛森に気が付いた。
「信じらんない何するの!?」
「俺の勝ちだ」
「負けてないもん!」
 だが冬獅郎は勝利を確信していた。
 一護の赤い頬がその証拠ではないか。そして雛森にはドキドキと鼓動の早くなる一護の心臓が伝わってきていた。それにがーんとショックを受ける。
「絶対絶対認めない! シロちゃんのバーーーカ!!」
 どしーんとありったけの力を込めて冬獅郎を突き飛ばすと雛森は走り出した。
 そして振り返るとありがちな捨て台詞を吐く。
「覚えてろ、シロちゃんめ!!」
 ひらひらと揺れるリボンを一護はただぽかんと見送った。
 結局最後まで、何が何だが理解できなかった。





「見てこれ、一護くんが私の為に選んでくれたの」
 雛森がくるりと身を翻すと着物の袖が広がった。控えめな桃色の地に白い花と幾何学模様が散った着物。そして金にも見える黄土色の帯に手を当てて、雛森がうふふと含み笑いをした。
「この帯留め、一護くんとお揃いなんだから」
 帯締めに通された硝子の帯留めが光の角度によってキラリと反射した。
「お前、それ自慢する為に俺を呼び出したのか」
「悪い?」
 悪いに決まっている。そんな話、聞きたくもない。
「これからデートなの」
「あ?」
 雛森が背後を振り返る。すると壁の後ろからひょこりと一護が顔を出した。
 一護の髪に映える藍色の地に縞模様の着物。控えめながらも明るい赤の帯に、雛森と揃いの帯留めが光っていた。
 だがそんなことは頭の隅へとやって、冬獅郎は恋人の艶やかな姿に目を奪われていた。するとその視界に邪魔者が割り込んでくる。
「さ、行きましょ」
「じゃ、えーと、行ってきます」
 ものすごくぎこちなく笑うと一護は雛森に腕を組まれて去っていこうとした。
 だがそのまま行かせる冬獅郎ではない。
「待て! 俺も行く」
「ついてこないでよ。私達おめかししてるのに、そんな普通の格好で一緒に歩かないで!」
「うるせー!」
 一護を挟んできゃんきゃんと喚き合う。
「二人とも、仲良く、」
 聞いていない。
 最近こんなのばっかりだと一護は重い溜息をついた。
 どこか息のぴったりな二人に、自分こそがお邪魔虫ではないかと変な錯覚に陥る一護だった。




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