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  押さえ込んだ愛が、今堰を切る<前編>  

 一護は渡された書類を見た途端、破った。
「く、黒崎副隊長!?」
 当然部下は驚く。
 温厚とはいかないまでも、一護は仕事には誠実だ。書類をそんなふうに扱ったことなど一度も無い。
「あのヤロウ‥‥‥!」
 低い唸り声と不穏な空気に部下はひっと悲鳴を上げる。
 ぐしゃりと潰した書類を手に一護は椅子から立ち上がった。
「隊長に会ってくる」
「は、はあ、」
 一体何をそんなに怒っているのか。
 部下は新人隊員について記された書類のどこに、一護の怒りを煽る箇所があったのかと首を捻った。






 一護がまだぴちぴちの学生だった頃。
「先輩、付き合いましょう」
「断る」
 一護はくるりと向きを変えると元来た廊下を戻りはじめた。遠回りになるが仕方ない、藍染をすり抜けて先に進むのは骨が折れるのだ。
 しばらく一護は不機嫌な形相で、藍染はにこにこと微笑んで、長い廊下を競歩し続けた。
「今度の休みはどうするんですか」
 爽やかな笑みのまま藍染はたかたかと早足で歩き続ける一護に追いついた。出会った頃は自分の猛烈な愛の告白に戸惑い頬を染めて困っていた一護。今ではあからさまに避けられているがそれはそれでいい。攻略しがいがあるというものだ。
「うちに来ませんか」
 無視。
「ああ、両親のことなら気になさらずに。一人暮らしですから」
 藍染は貴族だ。一人暮らしということは両親は他界してしまったのだろうか。
 そう思い一護はわずかに眼を伏せた。
 それを見て一護が何を考えているのか藍染には分かってしまい、優しい人だと惚れ直す。もちろん両親は健在だったが、それは黙っておいた。
「一人暮らしだと碌な食事ができなくて。先輩、作りに来てくれませんか?」
 ふわりと微笑むその笑みは、同学年だけでなく上級生のお姉様方からも絶大な人気があった。いわく、癒されるらしいが、一護には胡散臭く見えて仕方が無い。
「他の人に頼めば」
 喜んで作りにいくという女生徒はそれこそ掃いて捨てるほどいるだろう。
「先輩がいいんです。貴方の作った食事が食べたい」
 むしろ貴方が食べたい、という本音は胸の内にしまっておいた。
 一護の両手を握り、真っすぐに見つめる。
「‥‥‥眼鏡は嫌いだ」
「あ、伊達です、これ」
 だったらなんで掛けてんだ、と一護が思っていたら、藍染はたやすく眼鏡を外してみせた。
 眼鏡を掛けていない顔は初めて見る。思わず一護がじっと見つめるとそのまま顔が近づいてきたので、慌てて仰け反った。
「先輩、結婚しましょう」
「断る!」


 そんな感じで一年が過ぎ、一護はやがて四回生の課程終業間近となった。
「お別れだ」
「は?」
 一護はどこか嬉しそうな顔をしている。
 にや、と笑うと紙を一枚、藍染の目の前に突きつけた。
「‥‥‥『入隊試験合格』」
「すげえだろ」
 どうだ、というふうに一護は顎を逸らしてみせた。
 藍染は合格通知書を無言で見つめ、そして破った。
「ああーーー! 何しやがんだてめえ!!」 
 破られても一護の入隊は決定しているが、破られていいものではない。額に飾って一生大事にしようと思っていたからなおさらだ。
「‥‥そんなに、嬉しいですか」
 俯き、絞り出すような声音に一護は少し怯むものの、負けじと言い返した。
「ああ嬉しいよ! これでお前と会わずに済むからな!!」
 破られた通知書を取り返すと、一護は大事に懐にしまった。
 俯いたままの藍染を睨みつけると踵を返す。
「じゃあな!」
 とりあえず数年はしつこく構われないで済む。自分はその間に出世して、藍染の手が届かないところにいてやるのだ。
「待って」
 声と同時に後ろから抱きすくめられた。たった一年ではそれほど成長はしていないが、一護にしてみれば藍染は背が高く逞しい。
「おいっ、」
 体を捩り顔だけ振り返ると、間近にあった顔を避けられず、そのまま唇を重ねられた。
「‥‥‥あいぜっ、」
 拙い口付け。歯が当たった。
 暴れる一護を押さえつけて深く口付けると藍染はようよく唇を離す。
「なにすんだ!」
 ぱぁん!と豪快に平手を打つ。
 それを大人しく受けた藍染に、殴った一護はやや驚いた。
「このまま‥‥」
 殴られたほうの頬に手を当てると藍染は呟いた。
「このまま貴方の純潔を奪ってしまいたいところですけど、それはやめておきます」
「な、」
 狼狽え真っ赤になった一護を引き寄せると、触れそうなほどの距離で囁きかけた。
「あと一年で卒業してみせますよ。それまでに、貴方を僕に惚れさせます。そして卒業記念に、貴方の純潔をいただきますからね」
 どこか挑むような目つきで見つめられ、一護の心臓がどきりとした。
「‥‥‥好きになんかなんねえよ!!」
 そんなことはあり得ない。
 そう啖呵を切った一護に、だが藍染は自信ありげに微笑んでいた。






 一護の上司、五番隊隊長に、新人隊員編成の再考を直訴した。
『は? そんなの無理無理〜』
 だがあえなく却下。むしろ近年稀に見る優秀な新人を迎えられるとあって隊長は至極ご満悦なほどだった。
 一護にしてみれば近年稀に見るしつこい新人なのだが、そこらへんの事情を他人に説明するのは憚れた。
「クソ、どうする俺‥‥‥」
 認めるのは癪だが、確かにあの男は優秀なほど優秀な男だった。統学院を主席で合格、そして二年で卒業。しかも護廷の入隊試験も首席という、所謂勝ち組の中の勝ち組。
 そんな男が入隊を希望したのは一護が副隊長を務める五番隊だった。一年でそこまで登り詰めた一護を天才児と言う者もいたが、本人には嫌味にしか聞こえない。鬼道の使えない副隊長など聞いたことが無いからだ。
 そして鬼道の苦手な一護に対し、あのムカつくほどに優秀な後輩は鬼道が得意だった。

『僕が手ほどきしましょうか?』
『結構だ!』

 かつての会話に苛立つものを覚えながらも、一護は今後の身の振り方を真剣に考えていた。このままあの後輩が五番隊に入隊するのは非常にまずいものがある。いっそ自分が他隊へと移れないかと本気で悩んでしまった。
 正直に言えば後輩を抜きにして、男性に告白されたことはある。だがいずれも交際に至ることは無かった。それはなぜかと聞かれると一護自身、どうにもその気になれなかったのだ。他に好きな男がいるのかと問われたことがあったが、あの後輩の顔が浮かんだことはきっと気の迷いに違いない。
「そうに決まってるっ‥‥‥!!」
 ドンっ、と机を叩く音に周りにいた部下達はびくりと体を震わせた。
 ちょっと前から副隊長は様子がおかしい。ぶつぶつと意味不明な言葉を呟いては、今のように机や壁を八つ当たりのように殴りつける。元は十一番隊で名を馳せた武闘派だ、いつ拳の餌食にさせられるかと一部の部下は戦々恐々としていた。
「あのー、黒崎副隊長、」
「なんだ」
 いつもよりも声が低い。内心悲鳴を上げながらも部下の一人が一護へと恐る恐る声をかけた。
「新人の、教育のことなんですが、」
 ぴくりと一護のこめかみが波打って、それを不幸にも目撃してしまった部下は息を呑んで一歩後じさった。
「‥‥‥続けろ」
「‥‥‥はい。それが、隊長が言うには、黒崎副隊長が直々に教育しろとの、お達しが」
 一護の目が限界まで見開かれたかと思うと、瞬時に般若の形相となった。ゆらりと陽炎のような霊圧が一護を包み、もうこれ以上はその場にいられなくなった部下は退散した。一緒の部屋で仕事をしていた部下達もすぐさま書きかけの書類を纏めると別室へと避難する。
「っざけんなああぁぁぁ!!」
 怒りの雄叫びが上がったのはそのすぐ後だった。




 統学院の制服を着た若者を前に、一護はまるで虚を相手にしたかのような緊張感を感じていた。
「お久しぶりです、先輩」
 鬼の形相の一護を愛しげに見つめる藍染は晴れ晴れとした笑顔だった。
「何が久しぶりだ」
 偶然を装った藍染についこの間会った気がする。そのときは五番隊に入隊するとは知らなかった一護は適当に相手をしていたのだが、今はそうはいかない。
 はっきりとした不機嫌な態度を隠そうともしなかった。
 そんな一護にやれやれといったように藍染は肩をすくめた。
「会わないでいると愛しさが募ると言いますけど、先輩の場合はそのまま忘れてしまいそうなので、ついつい会いに行ってしまうんですよね」
 それに惚れさせると宣言したのだ。期限は一年。自信はあると言えばあったし、無いと言えば無かった。一護の心が欲しいと思っても、くれるかどうかは一護次第だったから。
「先輩が副隊長になったと聞いたときは、正直焦りました」
 統学院の視察に訪れた五番隊隊長の傍に付き従う一護が、遠い存在のように感じられたのだ。追いつけそうで追いつけない。捕まえたと思う間もなく、一護はその先へと行ってしまう。
 けれど一瞬目が合ったとき、一護がべえっと舌を出したのには驚いたが、それ以上に嬉しかった。
「僕の気持ちに変わりはありません」
 貴方は?と尋ねると一護はむすっとした顔で唇を突き出していた。
「ムカつく」
 ぼそっと呟かれた言葉に藍染はちょっと不安になった。一護の口から吐かれる罵詈雑言は藍染にしてみれば惚れた欲目で可愛いものにしか感じられなかったが、今は大事な告白場面だ。そこで「ムカつく」はどうなのだろう。
「お前、後輩のくせに、いっちょまえな顔しやがってっ」
 まっすぐに好きだと言ってくる男に対して、自分は逃げるか誤摩化すかのどちらかだ。そんな自分がとても卑怯者に思えて仕方なかった。
「正直に言うとお前みたいな後輩は可愛くないから好きじゃねえ」
「先輩は可愛いくて好きです」
 そういうところが可愛くないと言うのだ。そうやって好きだなんだと迫られるとどうすればいいのか一護には分からなくなる。
「お前なんてすぐに隊長になって女はよりどりみどりだ。貴族の誰かと結婚して、いい感じになっとけよ」
「僕は先輩といい感じになりたいです」
 すっと近寄ると一護の手を取って引き寄せた。何の抵抗も無く自分の胸へと収まった一護に、期待するなと言うほうが無理な話だ。
「俺はな、これでも結構モテるんだ」
「知ってます」
 統学院時代でもそうだった。藍染がこっそりと邪魔したり排除したりしていたのを一護は知らない。
「でもな、俺がいた流魂街じゃ他人なんか信用できなかった。俺は死神になって、一人で生きていこうって決めてたんだ。だから男なんてお呼びじゃなかったんだよ」
 貴族出身の藍染には想像もできない所で一護は暮らしていた。晴れて死神となったとき、これでようやく楽に過ごせると安堵したのだ。
「それなのに、お前のせいで、俺の遠大な計画が台無しだ」
「僕の、せいですか」
「そうだ。お前だ」
 すると一気に顔を輝かせた藍染が思い切り一護を抱きしめた。
 やっと追いついて捕まえた、そんな気がした。
「あーもう、なんでお前なんだろうな!!」
 抱きしめられたまま一護はどすっと藍染の腹に容赦のない拳を入れた。ぐっと呻くものの、藍染は一護を離さない。相変わらずぎゅっと抱きしめられたままで、その腕が一年前よりも逞しくなっている気がした。
「‥‥先輩、覚えてますか」
「ん、」
 少し涙ぐんでた一護が見上げると、藍染は真剣な眼差しで見下ろしていた。
「純潔、くださるんですよね」
「‥‥‥‥‥」
 すっかりさっぱり忘れていた。一護はそっと、藍染から離れようとする。
「ちょっとっ、待ってください、約束しましたよね!?」
「してねー!俺、うんって言ってねえし!!」
 じたばたと暴れて逃げようとする一護に、それを逃すまいとする藍染。実力で言えば一護のほうが上だが、今は斬魄刀を持っていない上に鬼道も使えない。男の力には適わなかった。
「想いが通じ合った男女がすることは一つです。月並みですが、一つになりましょう、先輩」
「断る!!」




 
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