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  秋来れば  

 ぱりぱりと割れるような音。
 足下を見ると赤や黄色の葉が辺り一帯に敷き詰められていた。絨毯みたいだな、一護は秋の深まりを感じる。
 護廷に行くまでの道。一護はもうすこしこの光景を楽しみたくて、いつもよりもずっと時間をかけて歩くことにした。
『遅れるぞ』
(この通りの間だけだ)
 ときおり風が強く吹く。そうすると秋に染まった葉が一護の周りを舞い散った。
 秋はいい。視界が優しい色に覆われて心まで暖かくなってくる。春とはまた違った暖かさが好きだった。このまま冬になんかならずにずっと秋でいたらいいのにと一護は思う。
(焼き芋が食べたい)
『色気より食い気だな』
 斬月がからかうように言ってくる。それに笑って返しながらも心はもう秋に囚われていた。
 暖かい。
 本当に暖かくて、このまま優しい空気に包まれて眠ってしまいたかった。




 なんか変だ。
(笑われてる気がする)
 護廷に着いて十三番隊の隊舎に向かう途中のことだった。
 道行く人々が一護を見てくすくすと笑っている。最初は死覇装に乱れでもあるのかと焦ったがどうやらそうでもないらしい。ならば顔かと触ってみるが特に何も付いていない。
 唯一の救いは嘲りの笑いではないことだ。なんだか微笑ましいものでも見るかのような笑いだった。
 だが笑われていることには違いない。
「おい、一護」
「‥‥‥修兵さん」
「お前、それっ、」
 一護を見ると他の人間と同様に修兵は吹き出し、そして軽快に笑った。
 訳が分からない。一護は恥ずかしさが頂点に達し、隊舎まで全力で走ることにした。
「俺急いでるから、」
「おいっ」
 後ろでなおも何か言っているが一護は振り返らずに隊舎まで走り続けた。




「お早うございますっ!」
 走ってきた為に語尾が荒くなる。それでもなんとか挨拶をした。
「お早う、て一護、お前」
 最初に挨拶を返してくれたのは海燕だった。
 笑って挨拶を返してくれるのはいつものことだ。だが海燕が何かに気付いたように一護に手を伸ばす。
「秋だなあ」
 頭に軽い感触を感じた後、海燕の手に握られていたのは一枚の葉。
 咄嗟に頭に手をやると何かが指をかすめる。はらり、と落ちてきたものに目をやるとそれもやはり葉だった。
「取ってやるよ」
 海燕が一枚一枚葉を取ってゆく。
 足下に落とされていく葉は結構な量だ。もしかして笑われていたのはこのせいなのだろうかと一護は思い当たった。
 海燕がくっくっと笑いを堪えきれないような声をだす。
「まさに小さい秋見つけたってやつだな」
 恥ずかしい。こんなにたくさんの葉を頭につけてここまで来たのか。
 今までの道のりを思い出す。笑われるのも当然だ。一護は恥ずかしさに頬を染めた。
「お、顔も紅葉みてえだぞ」
 海燕がからかって一護の頬を指でつついた。
「や、やめてくれよっ」
 その子供にするようないたずらに一護は更に頬を赤く染めた。
 一護の素直な反応に海燕は楽しくてたまらないらしい、今度は頬をつまんで引っ張った。
「おお、伸びるな」
「ひゃいひぇんひゃんっ」
「海燕殿っ!!」
「ぐぼっ!」  
 ようやく一護の頬が解放された。
 頬を撫でながらも一体何があったのかと一護は目の前の状況を確認する。そこには脇腹を押さえてうずくまる海燕と、自分の頭を痛そうに撫でているルキアの姿があった。
「朽木、てめえっ、」
 目尻に涙をためながら海燕が睨む。
 どうやらルキアが海燕の脇腹に頭突きを入れたらしい。
「過剰な戯れは感心いたしません」
「ちょっとからかっただけだろ」
「一護はお、‥‥‥‥いえ、何でもありません。一護、行くぞ」
「お、おう」
 副隊長に頭突きをかましてこのまま立ち去ってもいいものか。だがルキアが目で早くしろと急かしてくるので一護は海燕に軽く頭を下げるとその場を後にした。




「以前にも言っただろう、女の自覚を持てとっ」
 そういえばそんなことを言っていたな、一護は今さらながらに思い出した。
 現在はルキアと隣同士、事務処理に励んでいたがルキアの説教も同時進行だった。ルキアは口を忙しく動かしながらも書類をさらさらと書き上げていく。
「だったら海燕さんに女だって言えばいいじゃねえか」
 ルキアには黙っていたほうがいいと言われた。
 先ほども言いかけたところをルキアは誤摩化した。
「それだと面白くないだろう」
 思わず手元が狂い字が歪む。
 そうだ、こいつはこういう奴だったと一護は脱力した。
 ルキアはお嬢様の皮を剥ぎ取り、今は意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
「恋次のやつも気付いておらんな。馬鹿だからのう」
 気付いたときが見物だな、そう言ってその時のことを想像したのかぷぷーと吹き出している。
「よいか、許すのは頭を撫でるまでだ。それ以上は許さんからなっ!」
「お前は俺の親父か」
 まるで娘の交際に口を出してくる父親のようだ。
 ルキアの義兄の白哉も会うたび会うたびに婦女子の振る舞いがどうのこうのと言ってくる。一護は聞いている振りをしながらもいつも適当に聞き流していた。
「そっちの書類できたか?」
 同じ隊の死神が聞いてくる。
 一護とルキアが出来上がった書類を隊ごとに振り分けた。
「‥‥‥‥朽木」
「なんでしょう」
「この書類は何だ」
 ぴらりと目の前に出された書類を一護も横から覗き見る。
 書類にはこう書かれていた。  

 “女の自覚”

「ルキアっ!!」




 一護はひとり縁側で食事をとっていた。
 ルキアは書類の書き直しだ。ちゃんと動いているのは口だけで手のほうは疎かになっていたらしい。他にも会話の端々に出てきた単語の書かれた書類が見つかった。“慎み”とか“貞操”とか。一緒にいた一護のほうが恥ずかしい思いをした。
『そうカッカするな』
(怒りたくもなる。あのまま気付かずに提出してたらえらいことだぞ)
 中には他の隊の書類もあった。これは何だと説明を求められたら一体どう言えばいいというのか。
『女としての慎みを持つことは私も賛成だがな』
(慎み‥‥‥‥)
 一護にはいまいちピンとこない。そもそも女らしくしていた頃の自分と今の自分はどうにも結びつかなかった。
 あの頃、死ぬなど思いもつかなかった。刀を振るって命の危険にさらされる日々など想像できる筈がない。
 あの頃、なにを思いなにを願っていたのか。今の自分にはもう思い出すことはできなかった。
 そして思い出したところで帰れる筈もなく、ただ今という時を生きていくしかないのだ。女だった頃の自分を思い出してその通りに振る舞ってみても仕方がない。
(俺は今のままでいい)
『‥‥‥そうだな』
 斬月が知るのは尸魂街に来てからの一護だった。
 一護がこれから変わろうが変わるまいが関係ない。ただ傍に寄り添うのみ。
(そもそも慎みを持った自分が想像できない)
『それもそうだ』
 斬月の低い笑いに一護も笑い返す。
 ふと、知った霊圧が近づいてくるのに気が付いた。
「修兵さん」
 それに軽く手を上げると修兵は一護の隣に腰を下ろした。
 だが一言も喋ろうとしない。声をかけてもむっつりと黙っているので、喋りだすまで一護は遠慮なく食事を続けさせてもらうことにした。
 食事をする一護の隣で黙り込む修兵の図は端から見ればおかしいものだった。
 だが一護は気にせずもくもくと食べる。今日は妹の遊子が弁当を作ってくれた。最近弁当作りにはまっているらしい、どこへ行くにも弁当を作りたがる。そんなことを考えながら一護は食事に集中した。
「甘い」
「っち」
 弁当が甘いのではない。修兵が隙をついて一護の頭に触れようとしたのを一護が寸でで避けたのだ。
 弁当を持ちながら一護がずりずりと後退した。
「いい加減諦めれば」
 修兵が嫌いなのではない。ただ頭を撫でる行為は海燕しかしないものだったので、一護の中ではどこか特別な行為という認識があったのだ。
「ずるい、ずるいずるいずるい」
 子供か。一護が呆れた眼差しを送る。
「志波さんには何でも許すくせに」
「何でも許してねえよ。変な言い方するな」
「ほっぺた触らせてた」
「ブッ!」
 見られていたのか。
 咳き込む一護の背中を修兵が撫でる。それにぴくりと一護が反応するがそのままにさせておいた。
 初めはおそるおそる。やがて労るように手が背中を往復した。
「もう大丈夫」
 その言葉に修兵の手が名残惜しそうに離れていく。
 そしてまた無言。
 一体何がしたいのだろう。頭を撫でさせろといつもせまってくるが、その行為がそれほど重要とは一護には思えない。
 ぼんやりと考えていると、やがて風に吹かれてはらはらと紅葉が落ちてきた。  
 その中の一枚が修兵の膝に落ちる。
「‥‥‥‥おい」
 落ちた紅葉を修兵が一護の頭にのせた。
「可愛い」
 一護を見てくすりと笑う。
 赤い葉と一護のオレンジの髪が合わさって美しい。
「お前自身が秋みたいだな」
「それ、海燕さんも同じようなこと言ってた」
 海燕、という言葉に修兵の顔が険しくなる。
 だが一護は微笑んでいる。それを見て修兵も仕方ない、というふうに息をはいた。
「一護、それ取ってもいいか」
「乗せたのは修兵さんだろ」
 まったくもって何がしたいのか分からない。
 修兵が手を伸ばしてくるが一護は警戒して後じさった。
「取るだけだって。頭撫でねえから、な?」
 いい歳した大人が首を傾げてお願いしないでほしい。一護が嫌だと顔を顰めても修兵はしつこく頼み込んできた。
 何度目かの押し問答の末一護が渋々頷くと、まるで待てから解放された犬のように修兵はぱっと笑みを浮かべた。
「それじゃ、」
 どこか緊張したようにそう言って、一護の頭から紅葉をとった。
 そしてそのなんということはない行為に、修兵は嬉しそうに頬を緩めた。
「じゃあな、俺もう行くから」
「あっ」  
 一護の弁当からおかずを一つ取ると修兵は去っていった。  
 突然来たかと思えば紅葉を頭に乗せてそれを取る。そして人の弁当を奪っていく。
「結局何しに来たんだ、あの人」




 一護の頭からとった紅葉をくるくると指で回す。
 背中に触っても嫌がらなかった、それを思い出してにやけそうになる口を必死に引き結ぶ。
「よお、檜佐木」
「‥‥‥‥ども」
 海燕だ。幸せな気分から一転、修兵の胸に嫉妬の嵐が吹き荒む。
「‥‥‥なんかお前、最近俺に冷たくないか」
「分かりますか」
 もはや隠そうともしない。
 そんな修兵の手に握られている紅葉に海燕が目を留めた。
「そういや今日、一護の奴が頭に紅葉いっぱい付けてきてよ」
 知っている。頭に紅葉を付けた一護もそれを取ってやる海燕の姿も修兵は見ていた。
 そして頬を触るところも。
 背中を撫でても嫌がられなかった自分に舞い上がっていたが、目の前の人物は一護に触れ放題だ。
「志波さんの変態」
「ああ?」
「俺、負けませんから」

 負けない。
 一護は渡さない。
 これは宣戦布告だ。

 修兵は不敵な笑みを浮かべると、秋に染まった季節の中、憎い男を嫉妬の視線で貫いた。


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