第二章

  二、息もできない  


 寝所に着いた途端、一護は褥に放り投げられた。すぐさま唇を吸われ、舌が差し込まれる。着物の上から這い回る藍染の手には遠慮がない。
 昨日と同じ。けれど一護のほうは違った。恐ろしかったその行為を、今は淡々と受け入れていた。
 初めて訪れる大奥の寝所を、一護は口付けられながらも視線だけでぐるりと見回した。慣例も何もすべて無視して、まるで連れ攫われるようにして来てしまったが、後で夜一に怒られるんじゃないだろうかと一護は不安に思っていた。
 それだけだ。今の自分が心配することなんて、勝手に城を抜け出したことへの長いお説教と、乱菊の小言くらい。それ以外、懸念することなんて何も無い、ある筈が無い。
「はぁ‥‥っ、」
 苦しいまでの口付けが終わり、ようやく藍染と視線が合う。男の口端から唾液の糸が垂れ、自分へと繋がっていた。
 藍染の乱れた前髪をそっと撫付けてやりながら、一護は呼吸を整えた。心臓が煩いほど鳴っているのが分かる。
 大丈夫。心の中でそう一言唱えると、一護は起き上がって着物を脱ぎ始めた。
「一護?」
「‥‥‥お前も脱げ。それとも着たままやるのか」
 皺になったら困る。
 こんなときでも庶民の感覚が発揮され、一護は皮肉げに口元を歪めた。しゅるりと腰紐を抜き去り、袴を取り去る。襦袢に手を掛けたところで一護ははっと息を呑んだ。
 肩に噛み痕一つ。
「あいつ‥‥」
 昨夜の証拠を見つけ、一瞬ひやりとした。けれど何を構う、頭の隅で冷たい声が響いた。
 そうだ、何も疾しくはない。
 一護は襦袢を肩から落とし、幼い裸体を男に晒した。
「お前が抱いてきた女に比べるとつまんねえだろうけど、」
 あの男は可愛いと言ってくれた。ずっと、ずっとだ。抱きながらずっと一護を褒めてくれた。子種も中には出さず、始終一護を気遣ってくれた。
 思い出すと、目の奥が熱くなった。
「これが俺だ。孕ませるなり何なり好きにしろ」
 藍染の視線が、肩の噛み傷に集中する。それで何を言われようとも、一護には揺らがない自信があった。何が悪いと余裕で返せる、そんな自信が。
 やがていつまでたっても動こうとしない藍染に焦れて、一護のほうから詰め寄った。擦り寄って、唇を奪う。藍染のそれは先ほど重ねたばかりだというのにもう乾いていた。
「ん」
 だから再び重ね、唾液で濡らした。それをただ作業のように繰り返し、藍染の着物を脱がしていった。意外にも引き締まった体が現れたときは少し息を呑んだが、そのまま黙々と行為を進めていった。
 藍染は呼吸一つ乱さずに、一護の愛撫を受け入れていた。虚空を見つめ、押し黙っている。
 まあ自分のこんな貧相な体では興奮しろというには無理がある。剣八の体は立派に反応していたけれど、あれは勢いみたいなものだろう。
 気持ち良いとか良くないだとか、そういうものは必要無い。これは子作りなのだから、羞恥を感じる必要も無い。齢十五にしてなんだか悟ってしまった自分に、一護は少し呆れてしまった。
「こんな筈じゃあ、無かったのに‥‥」
 思ったことがつい零れ出て、一護は慌てて口を噤んだ。覚悟は決めた筈だ。
 一度、瞼をきつく閉じる。そして次にはもう、一護はしっかりとした眼差しで前を見据えていた。相変わらず人形のように動かない藍染の頬を両手で挟み、優しく、解すように言った。
「おい、しっかりしやがれ。俺との子供、作るんだろうが」
 藍染の瞳が揺れた。なにを放心しているのかは知らないが、しっかりしてくれないと困る。
「俺は大丈夫だ。もう逃げたりしないから、‥‥‥だから、とっととやれ」
 色気も何もあったもんじゃない。自分でも呆れていると、藍染の体がようやく動き出した。一護を褥に横たえ、体を押し付けてくる。
 固く反応したものが太腿付近に当たり、一護は驚いた。
「一護‥‥‥」
 前髪が零れ、藍染の顔半分が隠れてしまう。表情が見えない、何を考えているのかますます分からなくなる。けれども声音は今までで一番甘く、蕩けていた。
 唇を啄まれながら、太腿を撫で擦られる。男の熱く逸り勃った先端が何度も一護のそこに触れ、快感を煽ってくる。慣らされずとも剣八との行為の余韻が残る一護の体は、このまま藍染を受け入れることが出来る筈だ。それでも無意識に褥に爪を立て、一護は身を竦めてそのときを待った。

「ーーーーーできない」

 次にはもう、抱きしめられていた。
「できない、君を、抱けない」
「‥‥‥なんで」
 だってそんなに反応してるじゃないか。あとは突っ込むだけでいい。他に何がいるというんだ。
 こっちは覚悟決めてきてるんだ。それを、今さら、こんなところで。
「馬鹿に、すんな‥‥っ」
 駄目だ、泣くな。男の胸では泣かないと誓ったのに。剣八の胸で散々泣いたじゃないか。あれが最後だ。
「この意気地なしっ、俺がここまでやってやったんだぞっ、それを」
「‥‥‥すまない」
「いいから抱けよっ、命令だっ、俺の言うことが聞けねえって言うのか!」
「すまない、一護‥‥‥」
 更なる罵倒は唇ごと塞がれた。胸を叩いて暴れても、きつく回った腕は解かれることは無かった。
 口付けは長く続いた。恨み言がやがて啜り泣きに代わるまで。













「‥‥‥ひぇーっ、寸止め! あのオッサンもよう我慢したなあ」
 一夜明けて後日。
 泣いて目を真っ赤に腫らした一護の傍で、ギンが昨夜の出来事に素っ頓狂な声を上げた。
「目の前の据え膳に蓋をするとは、‥‥いやあ、年食った男のすることは理解できんわ、ボク」
 具合を悪くして横になる一護を見下ろし、ギンはしきりにははあと頷いていた。一護は身体を丸めて、どこかぼんやりしていた。
「それにしても一護ちゃん。ボクが二度も襲っても家出せんかった君が、なんで藍染はんのときには逃げなすったんや」
 一護が何度か瞬きして、ギンを見上げて言った。
「‥‥‥だってお前、本気じゃなかっただろ」
 ギンは一瞬言葉に詰まった。それでもへらりと笑って、そんなことはないと返答するも。
「俺が泣いたりお母さんって呼んだりする度に、すっげー困った顔してたくせに」
 ギンは不自然に天井へと視線を向けた。本当のことを言えば、本気半分、そしてもう半分は自分でもよく分からない。もしかしたら一護に逃げてほしかったのかもしれない。しかしそう思うのは今さらだし、卑怯だとも思う。だからギンは言う、あれは本気だったのだと。
 一護はそうかと呟くだけで、その話題についてはもう触れてはこなかった。
「なあ、一護ちゃん。藍染はんはなんで君を抱かんかったんやろう」
 熱が上がったのかだるそうに身を横たえる一護は、ギンの疑問には答えてはくれなかった。微睡み始める一護の枕元に侍り、ギンは独り言つ。
「外で君がしたことは、ボクらに対する裏切りや。それを覚悟や何やと言われたない」
 その事実に自分たちが受けた衝撃は様々だろう。けれど皆無だとは決して言えない。少なくとも自分は、傷ついたのだと思う。
 そしておそらく藍染も。
「世継ぎ生ませる為に抱いてしもたら、君は確実に変わってしまう。それがあの人には耐えられへんかったんやろう」
 寝息を立てる一護の鼻筋に触れ、唇へと指を滑らせた。熱く火照ったそれに、ギンはゆっくりと顔を近づける。
「‥‥‥‥‥。ごちそうさん」
 起きているときでもこうして受け入れてくれるだろうか。
「この城で、恋をするなとは誰も言うてへんよ、一護ちゃん」
 それに気付けば、まだ少しは楽なのに。

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