第二章

  三、君の他に大切なものなど  


 風邪をひいて寝込んでいるというから、見舞いがてらにからかいに来てみたら。
「随分と色っぽくなっちゃってまあ」
 子供の殻を脱ぎ捨てたかのように、以前とはまるで違った一護がいた。熱のせいで頬を赤く染め、床に伏せる目の前の一護は、毒を盛られてうんうん唸っていた頃とは別人だった。
「お加減はいかがです」
「‥‥‥‥よくねえよ」
 けれど口の悪さは相変わらず。それに少しだけ安堵して、浦原は薬と水差しを片手に一護の枕元へと腰を下ろした。
「失礼」
 汗で張り付く前髪を払い、一護の額に手を当て熱を測った。それから持ってきた薬の包みを開くと水に解かす。その一連の動作を一護がずっと目で追っていた。
「飲んで。楽になりますよ」
 起き上がる助けをしてやりながら、湯飲みを一護の口へと持っていく。しかし寸前で遠ざけると、一護が不思議そうな顔で見上げてきた。
 浦原はにやりと意地悪な笑みを浮かべ、己で薬湯を飲み干した。
「なにしてんだ‥‥‥って、うわっ」
 一護の肩を抱き込んで、すばやく顔を近づける。驚きに見開かれる一護の目を間近で覗き込みながら、浦原はふわりと口付けていた。
「っう‥‥」
 最初は頑固に唇を開かなかった一護だが、浦原の意図を察するとおずおずと唇を開いてくれた。生温くなった薬湯を流し込み、ついでに唇の柔らかさを味わった。
「‥‥‥はぁ、‥‥もう、いい、」
 胸を押し返してくる一護の手を握り込み、浦原は口付けを深めていった。
 嫌悪か、それとも生理的なものなのか。一護の眦に涙が溜まって零れ落ちていく様をぼんやり眺めながら、あともう少しだけと唇を貪った。
「大丈夫?」
 一度唇を離し、意味ありげに問いかけた。苦し気に呼吸をしながら、一護が俯くように一度頷いた。
 分かってるのかなあ、と少し心配になる。試しに内股へと手を滑らせてみると、一護の体はびくりと反応するものの、抵抗らしい抵抗は見せなかった。
 一護の頬に唇を押し当て、耳元に囁いた。
「ーーーーー熱で」
「浦原‥‥?」
 一護をそっと褥に寝かし、その上に覆い被さる。体の下に敷いてしまえば、一護の体が実際よりもずっと小さく感じられた。
「苦しいでしょう? 初めての場合、たまに具合を悪くするんです」
 学者の説明みたいに淡々と言葉を紡ぎながら、一護の襦袢をはだけさせていった。
「血は?」
「‥‥‥出た」
「今も?」
「少し、」
 京楽の話では、相手の男は随分と立派な体躯をしているそうだから、この細くて大人になりきらない体では受け入れるのは相当辛かったことだろう。三日経った今もこうして体調が元に戻らないことからもそれは明らかだ。
 怖かっただろうか。この子供は初めて抱かれるとき、どんな表情を浮かべただろう。
「馬鹿だなあ。アタシに言えば、もっとウマく抱いてあげたのに」
 首を傾げておどけるようにそう言えば、一護の目がほんのわずかに揺れた。それを気にも留めず、浦原は一護の首筋に顔を埋め、舌でゆっくりとなぞった。汗の匂いとしょっぱい味に、らしくもなく鼓動が跳ねる。
 襦袢を肩から抜いて、浮き上がった鎖骨を指で辿る。その下にある決して豊かとは言えない乳房を舐め、一護の反応を伺った。
「‥‥‥‥‥それ、」
「なんです?」
「意味、あんのか?」
 なんのことだと瞬きすれば、一護は熱で辛そうに息を乱しながらも言った。
「こうやって、色々しねえと、お前のは勃たねえのか、と聞いてるんだ」
 へ、という間抜けな声が浦原の唇から漏れていった。
 今、この子は一体何を。熱で脳が冒されたのだろうか、そうでなければ。
「必要無いだろ、‥‥こういうの」
 前戯を差して言っているに違いない。けれども浦原は変なショックに襲われて、思考が上手く働かなかった。
「とっとと済ませろ。時間かけてもしょうがねえだろ」
 浦原は唖然とした。言葉を発しようにも、唇が戦慄くだけで何も言えなかった。
 一護に跨がったまま動きを止めて放心していると、下から不機嫌な声が聞こえてくる。
「する気が無いんならどけ。重い」
 身じろぎする一護に、ようやく浦原の唇が動いた。
「ーーー信じらんない」
「なにがだ」
「ちょっと君、なんですその枯れた物言い!」
「うるさい。俺は悟ったんだ」
 悟った人間にしてはその泣きそうな顔は何なんだ。浦原は取り敢えず体をどけたものの、再び一護を起き上がらせると真向かいに正座させた。
「どうしたんです。初めての男に、ひどい抱かれ方でもされたんですか」
「‥‥‥‥違う」
 一護は言葉に詰まり、それから視線を落とした。目元がほんのりと赤い。小さな声で「優しくしてもらった」と言うものだから、浦原の口元が引き攣った。
 正直に言うと、一護が他の男に抱かれたのが面白くない。それも外で、破落戸みたいな男に抱かれたというのだから、側室としての面目は丸つぶれだ。自覚なんて持ち合わせていたつもりは無かったが、このムカつき。
「世継ぎが欲しいんですね。それは結構ですが、今の君はあんまりだ」
 一護の眉間に皺が寄った。なにか反論したそうにも見えたが、それよりも先に浦原が言った。
「これじゃあ抱けない。抱く気にもなれない。藍染さんが萎えて逃げたのも頷ける」
 一護が息を呑み、次いできつく唇を噛んで俯いた。握った拳が膝の上で震えていた。
「ーーー何がいけないんだよ」
 恨みがましく聞こえた。きっとそうだ、恨みに思っているのだろう。
 最初に利用し、弄ぼうとしたのはこちらのほうだ。こうも一護を追いつめた要因を作ったのはこの城の男達に他ならない。だから浦原には、一護を詰る権利は無い。
「ごめんなさい。‥‥‥まず最初に、そう謝るべきでしたね」
 この自分が他人に謝罪する。それがどれほど凄いことなのか、この子供は分かっているのだろうか。
「謝って、君に許してもらって、最初からやり直すべきだった。ただそれができなかった。‥‥‥男は悪い意味で誇り高い生き物でね、だからいつも女のほうから謝ってくるのを待ってしまうんです」
 力の入った拳を解きほぐしてやると、改めて一護を抱き寄せた。固く身を強張らせる一護が愛おしいと思った。出会ったばかりのあの警戒心の強い一護と重なって、逆に安心した。
「‥‥‥ねえ、これでもアタシは、君のことを気に入ってるんですよ」
 言った後で、浦原はあれれと首を傾げた。先ほどの台詞の後にこれだから、男というものはどうしようもないなあと自分でも呆れてしまった。
 がちがちに固まる一護の背中を何度も撫で擦り、素直に告げた。
「好きってことです」
 ぎゅう、と力を込めて、一護が身を縮めるのが分かった。強張った一護の体は緊張感でさらに固くなる。きっと今の言葉の真偽を推し量っているに違いない。
「だから君を抱きたい。世継ぎは二の次、三の次ですよ」
 望んだ反応は返ってはこなかった。
 残念。言葉にすると、本当の気持ちの半分も相手に伝わってくれない。いっそこの胸を開いて中身を見せてやりたいとさえ思う。
「ゆっくり寝なさい。薬が効いてきますから」
 褥に横にして、柔らかく微笑んだ。けれどこのまま離してしまうのは惜しい気がして、はだけた襦袢から覗いていた一護の瑞々しい素肌にちゅっと音を立てて吸いついた。
 すぐさま飛んできた拳を受けとめ、悔しそうに見上げてくる一護を見つめ、浦原は謳うように言った。
「文献で読んだ限りですが、歴代の将軍の一人に、それはもう妻に愛情を注いだ方がいたそうです。数ある妻の中でもその一人だけを特別に。‥‥‥‥このアタシにも、そうあってほしいものです」
 一瞬、一護の体が震えた。そして次にはもう布団を頭から被り、一護は何も言わなくなった。
 故意に息を潜めているのが分かる。自分がいては心休まらないだろうと、浦原は部屋を辞することにした。けれど敷居を跨ぐ直前で、一護のか細い声に呼び止められた。
「‥‥‥本当に、世継ぎはいらないのか」
「えぇ」
 膨らんだ布団は微動だにしない。けれど何かに耐えているような沈黙が続いて、その間、浦原は静かに一護の言葉を待った。
「だったら俺は、何の為にここに連れてこられたんだ」
 はっと息を呑む。一護に駆け寄り、抱きしめたい衝動に駆られた。
 しかし触れてはいけない、今はそっとしてやるべきだと思いとどまる。癒えない剥き出しの傷に触れては、一護が崩れ去ってしまう気がしたから。
 この子を脆いと言ったのは誰だったろう。その言葉を今、浦原は嫌なほどに思い知らされていた。

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