第二章

  四、抱きたい、君を  


「うっわぁああああ!」

 雀が一斉に飛び立っていった。
 大奥の一室で、京楽はわずかに開いた障子の隙間から差し込む陽射しのもと、読書に勤しんでいた。
 しかし騒音に書物から顔を上げ、ゆっくりと髭をなぞりながら、はてと首を傾げた。今の叫び声は親友のそれと非常に似ていた気がしたが。

「うわっ、わぁああっ、いけません!」

 やはり浮竹だ。それにしてもこんな寒い日に元気なことだ。幼い頃に肺を患ったとは思えないほどの肺活量である。
 何を騒いでいるのかは知らないが、京楽は寝そべると書物を置き、代わりに爪磨ぎを始めた。小さなヤスリで爪を整えている間も、親友の叫び声は続いていた。

「やめっ、ちょっ、そんなところ触らないでくれ!」

 どんなところかねえ。
 随分切羽詰まっているようだが、京楽は暢気に爪を研ぎながら鼻歌まで歌っていた。病弱だが浮竹のことだ、危機の一つや二つ、自分で乗り越えるに違いない。
 ここは親友を信じ、見守ることにしよう。

「‥‥‥‥っく、」

 感じてるじゃないか!
「おいおい‥‥」
 危機とはとどのつまり、貞操の危機であるらしい。浮竹がいくら童貞ではないとはいえ、相手が男だったら悲惨すぎる。
 真面目で硬派な人間だと思われがちだが、浮竹は女の子が大好きだ。若い頃は二人してぶいぶい言わせてたな〜、と思い出に浸りながら、京楽は救出に向かうことにした。
 武道の達人である浮竹を襲って感じさせてしまう男とはどんな奴なのかも興味があった。まさか既に突っ込まれてはいるまいな、と思いつつ、部屋の襖を片っ端から開けていった。
「おーい、浮竹くーん」
 衆道が珍しくはないとはいえ、やはり抱くなら女がいい。豊満な胸に顔を埋める、あの瞬間。まさに男に生まれてきて良かったと思える至福のときだ。
「でも一護ちゃん、小さいだろうなあ‥‥‥て、ここにもいない」
 それほど遠くでも無かったようだが、一体どこで襲われているのやら。
 親友の救出から、次第に思考は一護の体に移っていった。着物の上からでも分かる、一護の胸は埋めるどころかぶつかると言ったほうが正しいに違いない。
 一度ふざけて抱きついたことがあったが、ごつっ、といったし、一護にもゴツっと殴られた。恥じらいがあって良いことだ。
 それなのに、ある日、城を抜け出したかと思ったら。
「女になって帰ってくるんだもんなあ‥‥‥」
 剣八も剣八だ。おっきい胸した子が好きなくせに。
 鳶に油揚げをさらわれるとはこのことだ。浮竹など、事情を聞いて卒倒しそうなほどショックを受けていた。まったく罪な子だ。
 溜息をつきながらも、目についた襖を開けた。

「あ」

 思った通り、一護の胸は小さかった。でも形はまあまあ‥‥‥小さくてあんまり分からないけれど。
 小さな二つの果実を晒し、一護が浮竹を押し倒していた。
「えぇっと‥‥‥‥‥これは見て見ぬ振りをして去るべきなのか、それとも僕も混ざるべきなのか‥‥」
「助けるべきだ!!」
 上半身を裸に剥かれ、浮竹は既に涙目だった。取り敢えず男に突っ込まれていなかったことに安堵して、京楽は辺りに誰もいないかを確認すると、静かに部屋へと身を滑らせた。
 一護は京楽の姿を見た途端、慌てて胸を締まっていたが、いまだに浮竹の腹の上に跨がっていた。着物の裾から覗く白い太腿に視線が吸い寄せられていると、今度は浮竹が慌てて一護の裾を直していた。
「一護様、そろそろどいてください」
「なんでだ」
 一護は睨みつけ、唇を噛む。まるで追いつめられてそうしているような雰囲気を感じさせた。
「お前は俺の夫だ。俺のものだ。こうすることの何がいけないって言うんだ」
 反論しようと浮竹が口を開きかける。一護の目がいっそう険しく吊り上がり、浮竹が何か言おうものなら暴れ出しそうな空気を醸し出していた。
「やめなよ、二人とも」
 緊張が高まった瞬間、一護の体は浮き上がっていた。浮竹の驚いた顔を見下ろしながら、京楽が一護の脇の下に手を入れて抱き上げていた。
 そしてそのまま腰を下ろし、胡座をかいた膝の上に一護をちょこんと座らせると、後ろから腕を回して囲ってしまった。しばらく沈黙が落ちる。にこにこしているのは京楽だけで、他の二人は唖然としていた。
「‥‥‥‥京楽、それはどうかと」
「どうして? 僕は一護ちゃんの夫だ。こうすることの何がいけないって?」
 腕に力を込めると、一護がぐうっと苦し気な声を上げた。立ち上がろうとする素振りを見せたので、押さえ込んで肩口に顔を埋めてやった。
 纏う香りが以前とは違う。新しく一護付きになった世話係の女性は、今の一護に一番似合う香を焚いてやったのだろう。なるほど、よく似合っている。清涼感のある以前の香とは違い、深く甘く、惹き込まれるような香りだ。
「それよりも、一護ちゃん。大の男を襲おうなんて、一体どういうつもりなの」
 一護はむすくれた顔で京楽の腕の中に収まっていた。不満から突き出した下唇をちょんとつついてやりながら、京楽は優しく伺い立てる。
「一護ちゃーん」
 体を揺らして強請ってみても、一護は口を噤んだままだ。頑としたその様子に半ば呆れつつも、話してくれるまで辛抱強く待った。
「‥‥‥‥だってこいつが、もっと自分を大事にしろとか言うからっ、」
 吐き出された言葉に京楽は目を瞬き、そして浮竹を見た。
「当たり前です。自分を安売りするなんて」
「世継ぎの為だっ、俺は間違ってない!」
「だからと言って好きでもない男に抱かれるんですかっ、そんなの間違ってる!」
「ここじゃそれが当たり前なんだろっ、好きとか嫌いとか言ってんじゃねえよっ」
「だったらなんで外で抱かれたんだ!」
 浮竹の一喝に一護が口籠る。痛いところを突かれたと言わんばかりに視線を逸らし、わなわなと震えていた。
「気持ちや想いにこだわっているのは貴方のほうだ。だから外で、あんな男に身を捧げて‥‥っ」
 畳に拳を打ちつけ、浮竹が怒り混じりに一護を睨む。
「愛しているのに‥‥‥っ、なぜ信じてくれない」
 一護の震えが止まった。腹に回った京楽の腕を縋るように掴み、身の内の動揺を隠そうとしていた。
「今の貴方を抱くのは簡単だ。けれどそれをしないのは何故か分かりますか。皆、貴方のことを大事に思っているからだ」
 心拍数が上がり、呼吸する度に動く一護の腹に手を当てながら、京楽は二人の動向を見守っていた。浮竹の想いが痛いほど伝わってくる。
「‥‥‥‥それを、どうやって信じろと言うんだ」
「一護様っ、」
「愛していると言ったな。それがこの城において、どれほど薄っぺらい言葉か分かって言ってんのか」
 浮竹の目が見開かれる。そのまま動きを止めて、絶望といってもいいような表情でこちらに視線を向けていた。
「好きだから、世継ぎはいらない‥‥? だったら俺がここにいる意味はなんだ。家族と離されてここにやってきたのは、すべて世継ぎの為だろう。ここで俺がすることは子供を産むことであって、お前らと恋愛ごっこをする為じゃない。‥‥‥‥‥愛しているなんて言わないでくれ」
 最後は吐き出すようだった。緊迫感が徐々に沈みゆく中で、動いたのは京楽だった。
 痛みに呻く一護の声。それを無視して床に乱暴に押し倒し、押さえつける。
「そうだ。君の役目は世継ぎを生み出すこと。だったら僕が協力して差し上げよう」
「‥‥‥っ、」
「そんなに怯えた目をしてどうしたの? まるで僕が悪者みたいじゃないか」
 愛嬌のある笑みを浮かべ、一護に顔を寄せる。逃げようと逸らすものだから、顔を掴み引き戻した。頬肉に食い込む京楽の指に、一護は首を振って抵抗した。
「暴れないで。手間をかけさせないでくれないか」
 着物の裾を払い、一護の膝頭を無遠慮に掴んで開けさせる。ほっそりとした太腿は日に当たらない為か、健康的に焼けた肌とは対照的に、京楽の目には病的なほど白く映った。それがまたそそられる。
「京楽っ!!」
「あぁ、浮竹。君も混ざるかい?」
「冗談はよせっ、こんなっ、」
「世継ぎが欲しいと言うから叶えてやろうとしているんじゃないか。非難される覚えは無い」
 冗談でも何でもない。これから一護を抱く。
 冷たくそう告げると、声も出せない一護を見下ろした。
「いいよね?」
 一護の目が、一瞬浮竹を見た。
「人の目を気にしてどうするの。世継ぎを作る為だ、恥ずかしがることでもない」
「京楽、よせっ、やめるんだっ、」
 肩に掴み掛かってくる浮竹を振り払い、言った。
「この子が世継ぎを生む。それが女なら、父親になる僕は莫大な権力を手に入れられる。良いこと尽くしで万々歳じゃないか。ーーーーあぁ、ごめんね、傷ついた?」
 一護に視線を転ずると、涙を浮かべる茶色の目とぶつかった。
「でも君が望むのはそういうことだろう? だったらさあ、大人しく足を開いて黙って僕に抱かれればいい」
 皮肉げに唇を歪め、もう話は終わりだと告げた。
「浮竹、邪魔するんなら出ていってくれ。そうじゃないのなら、この子が暴れないように押さえつけてろ」
 一護の目にはっきりと恐怖が浮かんだ。世継ぎの為に犯される人間が浮かべる表情の、なんと綺麗で嗜虐心を煽られることか。
 一護の顔の両脇に手をつきながら、ゆっくりと覆い被さる。その際、影が一護の全身を包み込み、見上げる茶色の目がいっそう怯えを増した。震える唇のその奥で、歯がカチカチと鳴っていた。
「愛撫は必要無い。気持ち良くなる必要も無い。そうだろう? あとは子供ができるよう、祈っておくだけでいい」
「‥‥‥っ、あ」
 一護の爪が畳を毟った。ガリガリと、まるで心が引き裂かれるように。

「ーーーーーーいやだ!」

 一護の拒絶と、そして鈍い音が重なった。
 京楽は壁に叩き付けられた状態で、浮竹にしがみついて震える一護を見た。
「泣くくらいなら最初からやめときゃいいじゃない‥‥」
「京楽っ、貴様‥‥っ」
「うわあっ、もう殴らなくていいって!」
 分かっていて殴られたが、二度目は辞退したい。本気で殴るものだから、顎が外れそうだ。
 京楽は頬を押さえ、ゆっくりと一護に近づいた。浮竹が庇うように一護を抱きしめたが、それに構わずオレンジ色の髪に手を伸ばした。
「やっと、分かっただろう?」
 短い髪に指を絡ませ、ゆるりと梳いた。暴力など少しも連想させない優しい動作に、一護の肩がわずかに揺れた。
「怖くて、悔しくて、悲しかっただろう?」
 浮竹にしがみつき、嗚咽を漏らしながらも一護は頷いた。
「そんな思いは誰だって御免だ。この城にいればなおさらね。それでも役目を全うしようという君を、僕は偉いと思うよ」
 撫でる手を、今度は背中へと滑らせた。薄い背中はときどきひくりと痙攣して、その痛々しさに京楽の中で愛しさが募る。
「君は将来を随分悲観しているようだけど、僕はそれほどでもない。そりゃあ最初は退屈で帰りたくて仕方なかったよ。僕をここに送り込んだ親を恨みもした」
「‥‥‥‥親に?」
 ひと際大きく一護が震え、一護が振り返った。その目が信じられないと言っていて、この子は余程愛されて育って来たのだと知れた。そんな子供にここの生活は辛く寂しいものだっただろう。
「これで上様が厳つくて色気も情けも何も無い女だったら、出家してでも城を出ようと思ってたんだ。でも君は前向きで一生懸命で、それに頑固で子供っぽくて意地っ張りで男勝りで」
「おいっ」
「あはは。まあ僕らの上様はとっても可愛くて、今では来て良かったと思ってる」
 泣いて腫れた目元に指で触れ、京楽は慈愛の深い笑みを浮かべながらも言った。
「好きだよ」
 まるで普通の会話のように、自然に口を衝いていた。あまりにもさりげなくて、言った本人でさえ少し驚いてしまった。
 それ以上に驚いていたのが一護だった。目と口を同時にぽかんと開けて、京楽を凝視していた。
「信じろとは言わない。でも君はとても賢い子だ。本気かどうか、本当はもう分かっているんじゃないのかな」
 びくりと揺れた一護の体が、その答えだと言っているようなものだった。それでもこれ以上追いつめることはせずに、京楽はそっと体を離した。
「いつか、君を抱きたいなあ‥‥」
 離れる間際、名残惜し気に囁いた。一護の頬が確かに赤らんだのを見て、京楽は満足した。

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