第二章

  閑話 男というのはいつまでも  


 あれから、どれほど時間が経っただろう。
 腕の中では一護が眠りこけていた。最近よく眠れていないというのは本当らしく、ちょっと揺すっただけでは起きる気配は無い。
 胸板に頬をぺたりと寄せて眠る一護の髪を撫でてやりながら、藍染は深く溜息をついた。幸せを凝縮させたような溜息だった。
「んー‥‥」
「まだ寝てなさい」
 身を捩って寝返りを打とうとする一護をやんわりと押さえ込み、甘い声で囁いた。互いに襦袢一枚を纏っていはいるが、体温が肌に心地よい。もう少し、このままで。
「‥‥‥ん、ねる‥‥‥‥‥おとうさん」
「今すぐ起きろ」
「っ痛い痛い痛い!! なにすんだクソオヤっ‥‥ジ‥‥」
 頬を抓ってやると、一護はすぐさま飛び起きた。しかし藍染と目が合うと数秒間黙り込み、えへ、となんとも下手くそな笑みを浮かべて誤摩化そうとした。
「君はその歳になっても、お父上と一緒に寝ているのか」
「んなわけねーだろ!」
 どうだか。
 藍染の疑うような視線に一護はうっとたじろぐと、「年に一、二回‥‥」と白状した。
「っで、でもっ、妹二人も一緒だからな! 布団くっつけて皆で川の字みたいなっ、‥‥みたいな!」
 暗い室内で定かではないが、一護の頬は赤いに違いない。その一護が座り込んだ状態からふいに俯き、前屈みになった。
「一護?」
「‥‥‥‥なんか、」
 掌を下腹部に当て、一護は小さな声で言った。
「まだ、お前がいるみたいで‥‥」
 藍染は息を呑んだ。素直な告白にこちらまでもが照れてしまう。
 頬が熱い。部屋が暗くて助かった。まさか自分がそこらの少年みたいな反応をするのが信じられなくて、藍染は取り繕うように意味の無い咳を繰り返した。そして心臓の鼓動が落ち着きを見せたところで、余韻に戸惑う一護を抱き寄せ、再び褥に横になった。
「辛いのなら言ってくれ」
 前髪を掻き揚げ、唇を落とす。一護が咄嗟に目を瞑り身を竦ませた。口付けの一つ一つに敏感に反応している。一線を越えたというのに、初心なままなのが好ましい。
「ん、大丈夫」
「だったらいいけれど。‥‥‥そうか、ここにまだ私がいるのか」
「うわっ、わ、わ、藍染っ」
 下腹部の、そのさらに下の際どいところを撫でてやると、一護が慌てた声を上げて抵抗した。
「なんならもう一度?」
「いっ、ぃいっ、結構っ」
 警戒を覚えた一護が体を離そうとしたが、それを捕まえて引き寄せた。逃げられないように足を絡めとり、体を密着させる。先ほどの遣り取りで少し固さを取り戻した自身を、一護のそこへと襦袢の上から押し当てた。
「あ」
 一護の体がびくりと跳ねた。
「‥‥‥う、」
 そして震える。擦り付けられる藍染のそれに、興奮しているのか目を潤ませて吐息を零した。
 行為の余韻が尾を引いているらしい。とても素直な反応に、藍染はいけない気持ちになってくる。
「抵抗してくれないか。本当に、抱いてしまいそうだ」
「‥‥ん、だめ‥‥」
 してもいいと言っているような一護の反応に、しかし藍染は思いとどまる。初めて男に体を開かれたのだ。その苦痛は諮り知れないが、間を置かずに抱いてしまっていいものではないと理解はしていた。あれだけ痛いと泣き喚いた一護を思い出すと、ここは我慢するしかない。
 代わりに一護の手を取ると、襦袢の上からでもその存在を主張している自身のそれへと導いてやった。しかし一護がきょとんとした顔で見つめてくるので、藍染は驚きの後、苦笑してしまった。この分ではすべてを教え込ませるのに随分な時間がかかりそうだと思った。
「少しずつ、知ってくれればいいから」
「‥‥‥‥うん、お前のこと、知りたい‥‥」
 会話が噛み合っていない。しかしこれ幸いとばかりに、何も知らない一護に手ほどきしてやった。
 他の男に抱かれるのは時間の問題だ。それまでに、いやそのときになっても一護が自分のことを覚えていてくれたら。
「一護。‥‥忘れないでくれ」
 次第に呼吸を乱す一護に口付けながら、藍染は祈る気持ちで言った。例え一護がこの先、たった一人の男に心を預ける日が来たとしても、自分こそがこの子供の花を散らせたのだという事実が今の藍染を支えていた。













「皆、ごめん」
 集められたかと思ったら事情の説明、そして突然の謝罪。一同は目を丸くして、頭を下げる一護を凝視した。しかし目を丸くして見つめている対象は正確には謝る一護にではなく、一護の手を握っている男の手にだった。その根本へと視線を徐々に滑らせていくと、藍染、その男がいた。
「なんでアナタが我が物顔で一護サンの手なんか握っちゃってるんです。介護でもされてるんですか」
「失礼だよ、浦原君。あれだよね、寒いんだよね」
 浦原と京楽はお決まりの嫌味を言ってくるが、浮竹は泣きそうな顔で一護を見つめていた。そしてギンは二人の間にあった出来事を知っているかのように、苦い顔で黙り込んでいた。
「皆に謝りたいって言ったら、ついてきてくれたんだ」
「手を握る必要性はどこに?」
 じとりと睨みつけられた藍染は笑って言った。
「あぁ、すまない。つい、ね。実は昨日もこの子の手を握って私の」
「藍染!!」
 良からぬことを口走ろうとする藍染の口に一護は両手を当て、言うなと眼力で訴えた。
 すでに紅潮している一護の頬を、藍染はするりと撫でて、ごめんよ、と微笑みを返す。にっこり笑ったその顔は、以前には無い甘みを帯びていた。
 昨日の今日だ、一護の体が嫌でも熱くなる。なにせ初めて身も心も通じ合わせた相手だ。どうしたって平静でなんかいられない。
「うわぁあああ!!」
「よしよし、浮竹。泣くんじゃないよ」
 突然、浮竹が雄叫びを上げると畳の上に突っ伏した。それを慰める京楽だって、笑うのに必死に見える。浦原はどんどん険しい顔になってくるし、ギンは子供のようにむすくれていた。
「‥‥‥‥そう。アナタ達、やっちゃったんだ‥‥?」
「下品な言い方はよしてくれ」
「やっちゃったんでしょ! ひどい一護サンっ、初めての褥にはこのアタシをって言ったじゃないか!」
「やるだのやらないだの、挙げ句に順番にこだわるなんてまったく馬鹿げている」
「こだわってんのはアンタでしょーが! その優越感に浸った顔!」
 浦原は藍染に任せておいて、一護は泣き伏す浮竹に近寄った。そっと肩に触れると、逞しい体が大仰に揺れた。
「十四郎」
「‥‥‥‥‥」
 うんともすんとも言わない。いや、ときどきすんと鼻を啜る音はした。
 一護は焦れて、浮竹の背中に覆い被さるようにして抱きついた。体温が人を落ち着かせられるといいけれど。
「嘘吐いてごめん。酷いこと言って、襲ったりして悪かった」
 こうして己の所業を口にしてみると、随分と非人間的だったと再認識させられた。一護はごめんなさいと言うように、浮竹の背中に頬ずりした。
「もう嘘は吐かない。酷いことも言わない。襲ったりもしないから、何か言ってくれよ」
 白髪に指を入れ、するりと梳いた。手入れは特にしていないと言っていたが、女のそれよりもさらさらとしていて指に絡まない。一房引き寄せると唇を寄せた。
「‥‥‥‥‥一護ちゃん」
「なんだよ」
 ずっと黙っていた京楽が、言い辛そうに口を挟んだ。何やら指で浮竹を差している。
 なんだと思って顔を覗き込んでみると、彼は今にも死にそうなほどに顔を紅潮させていた。
「うわっ、大丈夫か!?」
「しっ、心臓が‥‥っ」
「悪いのかっ、肺じゃなかったっけ!?」
 慌てて横にならせると、どうしていいのか分からないが取り敢えず心臓の上をさすってやった。頬も熱そうなので、少しはマシかと冷たい掌を当ててやる。しかし京楽が再び待て、と口を挟んだ。
「一護ちゃん、逆効果だ」
 見ると、浮竹の具合が先ほどよりも悪化していた。喘ぐように口をぱくぱくさせて、息も絶え絶えだ。
「放っときゃ治るよ。まあ、褥に呼んでやるのが一番だろうけど」
 笑って言われた提案に、一護と浮竹が同時にぎょっとした。浮竹に至っては言った張本人を張り飛ばしていた。
「一護様の前でなんてことを言うんだ!」
「控える必要は無いだろ。だって一護ちゃん、もうやっちゃったんだよっ、‥‥‥やっちゃったんだ!!」
 伊達男の顔がくしゃりと歪み、次には一護に縋り付いていた。今度は京楽か。座り込む一護の腹に顔を埋め、ぎゅうぎゅう締め付けてくる。
「なんで惣右介君なんだっ、二人でよく彼の悪口言ってたじゃないか!」
「わぁっ、バカっ、言うなっ!」
「こんなことなら剣八君のほうがまだマシだっ、彼、顔は恐ろしいけど根は良い奴だしっ、ああもうなんでなんだー!」
 普段の飄々とした性格が嘘じゃないかと思えるほど、それはまさに醜態だった。しかし一護は哀れというか、むしろ可愛いと思ってしまい、縋り付く京楽を抱きしめ返してやった。
「泣くなよ。大人だろ」
 でかい図体で子供みたいに泣いていると一護は思っていたが、浮竹は見てしまった。一護の腹に顔を埋める京楽の口元が、確かに笑みへと歪んだことに。そうとも知らない一護はまるであやすように背中を撫でてやった。
 どこかで心を許しきれていないところがあったけれど、今や優しい気持ちばかりがこみ上げてくる。
 大切にしよう。
 そう思った。だから一護は、ようやく心の底から微笑むことができた。



 喧噪の中、男が一人、内に怒りを秘めていた。
 喚く他の男達を順々に見やり、そして最後に一護へと視線を縫い付ける。漏れそうになる溜息を呑み込むと、誰にも知られず、そっと部屋を後にした。

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