子守りはつらいよ

  02  


「痩せたね」
 剥き出しの肩を撫でられて一言。
 一体誰のせいだと一護は言ってやりたかった。
「育児疲労です」
 事後のけだるい体を起こし、一護は汗を拭った。自分の体を見下ろしてみると、確かに藍染の言う通り痩せたのかもしれない。その代わり、二の腕の筋肉は発達したように思う。きっと子供を抱えて走り回っているせいだ。
「なんで自分の子供でもない奴らの面倒を見なくちゃならないんだ‥‥」
「では他の者に任せろと?」
「そうです。東仙さんとか、適任だ」
 怒鳴り散らさない日は一日たりとて無かった。日に日に生意気に育ってくる子供達が、あのまま大人になるかと思うと一護の頭は痛み出す。
 やっと育児から解放された深夜も、こうして藍染の相手をしなければならないのだから体がもう一つ欲しいところだった。
「要かい? 彼は駄目だ。育児には到底向いていない。もちろん、ギンもね」
「俺だってそうです。あいつら、言うことなんて聞きゃしない」
「そうかな。とても懐いてるじゃないか」
 三対一のプロレスごっこが、藍染の目に『懐いて』いるように見えるのなら、是非ともまた眼鏡を装着したほうがいい。
 戯れるってものじゃない。昼間、痛めつけられた体を見下ろし、あいつらいつか泣かしてやると、叶いそうにない復讐を誓った。
「おや、戻るのかい?」
 いつもなら藍染の寝室に泊まっていくのだが、今日は自室でぐっすりと眠りたい気分だった。ここにいては、体は休まるが気は休まらない。適当な嘘を並べ立て、一護は居室を後にした。
 回廊に出ると、一護の体にどっと疲れが押し寄せた。眠気も頂点に達し、離れた自分の居室までを覚束ない足取りで目指す。
「一護様」
 誰もいない廊下に静かな声。ぎょっとして辺りを見回すと、柱の近くで影が動く。暗い闇に浮かび上がる碧色が幽鬼的で、それが目だと気付くのに時間がかかった。
「‥‥‥なんだ、ウルキオラか」
「はい」
 この虚圏に幽霊なんてお笑いだ。力が抜けて座り込んでいると、ウルキオラが足音も立てずに傍へとやってきた。
「自宮に戻られるのですか」
「あぁ」
「おやめになったほうがよろしいかと。グリムジョー達が待ち伏せしています」
 このまま帰っていれば奇襲を受けるところだった。一護は遠くにいきかけた気を引き戻し、大きく息を吐いた。
 痛みを訴え出した頭を両手で抱えていると、不意にウルキオラに手を引っ張られた。
「一護様、こちらに」
 項垂れる一護は手を引かれるがままに足を動かした。そして着いた場所は、遊戯室だった。
「まさか敵の巣にいるとは奴らも思いはしないでしょう」
 単純ですから。
 と、無表情に言い放つウルキオラは、部屋にあったソファへと一護を導いた。引き裂かれた何冊かの絵本をどけて座らされると、忘れかけていた眠気が一護を襲った。長衣を脱いで横たわればそのまま意識が落ちていこうとしたが、近くで立ったままのウルキオラを思い出し、一護は手を差し伸べた。
「一緒に寝るか?」
「破面は睡眠を必要としません」
「ふーん。じゃあ出てけば。ご苦労だったな」
 素っ気ない態度にウルキオラの目元がぴくりと動いた。それを見て、怒ったな、と分かるのは一護だけだと本人は知らない。
「ソファには一人しか寝れません」
「くっついたら大丈夫だと思うけど」
 ウルキオラの眉間がわずかに寄った。迷ってる。
 これがグリムジョーだったなら、誘うまでもなくボディープレスをお見舞いしてくるだろうに、ウルキオラは他の破面達の中でも特に大人しく一護に従順だった。
 そんなウルキオラだったから、ついつい甘やかしてしまう。「贔屓だ!」と他の子供達がうるさいが、子育てのプロでもなんでもない一護は贔屓上等、可愛がってもらいたかったら俺の言うことを聞けと堂々言い放っている。
 だから今夜、事前に危険を知らせてくれたウルキオラには、一護はとびきり甘い態度だった。ソファに寝そべったまま、立ち尽くす子供を引き寄せる。
「おいで」
「‥‥‥‥‥失礼します」
 ウルキオラの小さな体は、一護の腕の中にすっぽりと収まった。いい抱き枕だ、瞼が自然と重くなっていく。
「一護様は」
「‥‥ん?」
「藍染様と、‥‥‥‥いえ、なんでもありません」
 どこか寂し気な声に聞こえたのは気のせいだったろうか。
 一護は眠気に逆らえずに目を瞑り、無意識に指でウルキオラの仮面をなぞっていった。そのまま髪を撫でてやって、冷たい仮面に唇を押し付ける。
「おやすみ、」
 小さく呟いて一護は意識を深く落としていった。

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