子守りはつらいよ
04
俺はこの小さな悪魔共に殺されるかもしれない。
「おいコラ、走りまわんじゃねえっ、」
関節が痛い。頭痛はしないが思考が定まらなくて、出す声には覇気がなかった。
朝から体の調子がどうもおかしい。目の前をちょろちょろ動く子供を目で追っているだけで吐き気がこみ上げてくる。
「おい一護っ、俺と遊べ!」
飛びついてきたグリムジョーを躱す暇も無く、一護は勢いよくソファに倒れ込んだ。面白がったグリムジョーが体の上に乗っかってはしゃいでいるが、それをどかす力も湧いてこない。
「どけ、屑」
「うるせー! モヤシは隅で本でも読んでろ!」
ドン!
「ウルキオラ‥‥‥」
「一護様を煩わせるからです」
だからといって、至近距離で虚閃を放つのはやめてほしい。今度は耳鳴を覚え、一護はぐったりとソファに身を沈めた。
「一護ー!」
「今度は何だ‥‥」
甲高い声が頭に響いてしょうがない。くらくらしながらも一護は体を起こし、駆け寄って来たルピを受けとめた。
「ねえ、これ綺麗だろ?」
「爪? ‥‥‥ふぅん。いいな、可愛い」
マニキュアだった。ルピは女の子みたいに可愛いから別にいいだろう。一つ一つを丁寧に見てやると、ルピが嬉しそうに擦り寄ってくる。
「一護にも塗ってあげる」
「俺はいいよ。ロリとメノリにやってやんな」
名前を出されて、遠巻きにこちらを眺めていたロリとメノリが飛び上がった。ルピが不満そうに口を尖らせていたが、後でまた三人一緒に見せてくれと一護が言うと、渋々ながらも二人のほうへと駆け寄っていった。
それにしても喉が渇いて仕方ない。備え付けられた冷蔵庫を開けてみれば乳製品しか揃ってなくて、一護は思い切りがくりときた。発育に良いものをと特に選んで置いたのが自分自身なのだからショックは更に大きかった。
「‥‥‥‥ウルキオラ」
「はい」
一護の様子をじっと見守っていたウルキオラは素直に傍へとやってくる。その小さな手を取って、一護は頼み事をした。
「俺は部屋に戻って少し寝る。その間、他の奴らの面倒を見てくれるか?」
特にグリムジョー。
さっそくノイトラと喧嘩を始めている。
「承知しました。しかし、一護様が就寝する時間にはまだ早いようですが」
一護の顔色は傍目に見ても悪い。呼吸も整わなくて苦しそうにしているというのに、ウルキオラにはいつもと少し違うようにしか映らないのかもしれない。
病気知らずの破面だからというよりも、子供であるからだと思う。教えてこなかったのだから仕方ない。虚閃をぶっ放そうが、子供は子供。病で苦しむ人間を見るのは初めてのウルキオラには、理解は無理だと知った。
「一護様?」
「うん。子供なんだよなあ」
「何のことです?」
「いや、何でも無い」
ウルキオラの手をそっと返すと、一護は部屋を出ていった。ぱたんと扉を閉めたと同時にくしゃみが飛び出す。
一護は風邪をひいていた。
人は病にかかると、どうしても気が弱くなる。誰か傍にいてほしいと思うのに、一護は一人風邪と闘っていた。
「風邪薬が無いなんて嘘だろ‥‥」
本当だった。
破面は病気にはかからないし、藍染を筆頭にした死神達は病気知らずの猛者達だ。若輩者の一護一人の為に風邪薬が常備されている筈が無かった。
できることと言えば濡らしたタオルを額に乗せて安静にすることだけ。それも温くなれば自分で取り替えなければならない。それが体に酷く堪えるものだった。
「もう死ぬ、ぜってーしぬ‥‥」
破面にこの辛さは分からない。だから平気で飛びついてくるわ大声で騒ぐわ、暴虐の限りを尽くしてくれるのだ。労れと言いたいところだが、理解できないのなら言うだけ無駄だし、言われた子供にとっても理不尽だ。あいつらは傍若無人に見えて、実は結構傷つきやすい。
‥‥‥駄目だ、こんなときにまで育児について考えている自分がいる。
立派な育児ノイローゼだ。藍染様、労災下りますか。
「情けない」
「んあ?」
涙で枕を濡らしていれば、幼い声が降ってきた。本を抱えた子供が、上から一護を覗き込んでいた。
「‥‥‥‥ポロ」
「略すな! せっかく来てやったのに、なんだその態度は」
別に略した訳ではない。声が掠れて全部出なかっただけだ。
「なんで、」
「泣くほど辛いのか?」
力が入らないせいなのか、勝手に流れてくる涙を繊細な指が拭ってくれた。それを子供は徐に舐めた。
「‥‥‥しょっぱい」
「お前、何しに来たんだ、」
起き上がろうとしたが、押し返されてベッドに逆戻り。薄いピンク、桃色と言うのが相応しい優しい色をした髪の子供、ザエルアポロは得意そうに眼鏡を押し上げた。
「風邪だ、そうだろう?」
「‥‥‥‥‥そうだけど」
なに当たり前のことを、と言いかけてやめた。子供に常識は通じない。
「薬を作ってみたんだ。飲め」
「飲め、って‥‥‥」
目の前に差し出されたのは、どピンク色。
こんな色をした風邪薬に、一護はいまだかつてお目にかかったことがない。苺味‥‥いやいやあれだってもっと大人しい色をしている筈だ。
「何だ、コレ。お前、自分の髪とお揃いにしたのか?」
「違う。作ったらたまたまこういう色になっただけだ」
一体何を入れたんだ。
主成分を是非聞きたいところだが、聞けば絶対に飲めない気がする。突き返せばこの子はきっと傷つくし、何より自分を心配して作ってくれたのだ。そんな真似、出来る筈が無い。
‥‥‥‥おいおい、自分は子供嫌いの筈なのに何考えてるんだ。
「早く飲め」
「‥‥‥‥ありがたく、頂戴する」
飲んだら死ぬかもしれないどピンク色の風邪薬。鼻を近づけてみると幸いなのか何なのか、匂いはしなかった。
「早く」
「お、おう。‥‥‥‥ザエルアポロ、ちょっと」
一度薬を脇に置いて、傍にいた子供を手招いた。
「万が一だぞ? 俺に何かあっても、お前は悪くないからな」
「‥‥‥どういう意味だ。もの凄く腹が立つのは気のせいか?」
むっと顔を顰めた子供に一護は苦笑して、もっと近くに来いと促した。顔を覗き込んでくるザエルアポロの零れ落ちた髪を耳に掛けてやると、一護はまるで言い聞かせるように肩を抱いた。
「兄貴と仲良くしろよ。それから本ばっかり読んでないでたまには運動しろ。あとお前、痩せ過ぎ。もっと食え」
「なんなんだ、いきなり」
「まあ聞け。お前は性格悪いけど頭は良い。俺がいなくても大丈夫だよな」
「‥‥‥‥当たり前だ」
だったらいいんだ。思い残すことはない。
覚悟を決めて、一護は薬を一気に煽った。
「‥‥‥マズっ!」
無臭で油断させておいて味は最悪。しかもカッと体が熱くなって、一護の意識は急激に遠のいていった。
あぁ、やっぱり死ぬんだ。
眦から再び涙が零れてきて、すると何か柔らかいものが瞼の上に押し当てられた。
「遺言だなんて馬鹿げてる。お前は死なない」
近い距離で囁かれて、次いで唇に何かが当たった。瞼に当たったのと同じような柔らかさは何だろう。目を開けて確認することも出来ず、一護はついに意識を失った。
次に目が覚めたときにはお花畑。
ではなく、大勢の子供達が一護を覗き込み、ベッドは満杯になっていた。