子守りはつらいよ

  07  


 とある部屋の扉の前で、グリムジョーは仏頂面を浮かべていた。
 ノックしようと何度か手を上げてはみたものの、それが扉に触れることは無い。なにせこの扉の向こうには説教が待っているからだ。
 ちょっとルピを殴って、ロリの足を蹴って、ウルキオラにちょっかいをかけたはずみで壁を壊しただけだというのに、一護は拳骨を食らわせただけでは飽き足らず、グリムジョーを部屋に呼び出したのだ。たっぷりこってり叱ってやるからな、と言われたのを思い出し、グリムジョーはげんなりした。
 しかし一護の部屋を訪ねるのは久し振りだったから、実は少し嬉しかったりもする。ちょっと前まではよく説教で呼び出されていたものの、最近ではめっきり減ってしまった。
 それはグリムジョーが悪さをしなくなったのではなく、新しい破面が生まれるにつれて、一護の手が十刃達から離れていったからだ。もちろんすべての破面の面倒を一護が見ているわけではないが、素質のありそうな者達に限り、グリムジョー達と同等に一護は教育を施すのだ。
 教育と言っても、一護のあれはいわゆる鉄拳制裁だ。グリムジョーを初めとした問題児達には容赦なく拳骨を振るってきた。しかしその反面、ウルキオラばかりを可愛がったり、女にだけは優しくしたりと、教育というには穴だらけの問題だらけだった。
 思い出すと、拳骨を受けた頭が痛くなってきたような気がしてくる。グリムジョーはいつもの不機嫌面へと戻ると、意を決して扉を叩くどころか殴ろうとした。
 そのとき、部屋の中で物音がした。壁にでもぶつかったのか、今のは確かに一護の呻き声だ。
 なんだ、柱の角にでも小指をぶつけたか。一護は案外そそっかしいから、可能性は十分にあり得る。今頃足を押さえて痛みに唸っているのかもしれない。
 グリムジョーはにやりと笑うと、扉を大きくノックした。
 悲鳴という返事が返ってきた。
「一護? いるんだろ?」
 醜態を見て笑ってやろうという魂胆だったが、一護がそう簡単に扉を開けてくれる筈も無い。しかし試しにドアノブを回してみると、扉が軋んだ音を立てて内側に動くではないか。
「‥‥‥グリムジョー! 待てっ、開けるなっ、‥‥‥えぇい、このっこのっこのっ!」
 べしべしべしっ、と何かを叩く音が聞こえてくる。一体何と格闘をしているんだ。好奇心を刺激されたグリムジョーは一気に扉を開け放った。
「せやぁああ!!」
 と、気合いの入った叫びとともに、一護が何かをベッドの上から蹴り落とすところだった。しかしその何かが寸でのところで見えなかった。白っぽかった気がするが。
「っよ、よぉっ、グリムジョー! どうした何があった!?」
 そっちこそ何があったとこちらが聞きたいところだったが、グリムジョーは何も言えなかった。
 一護の体から、視線が外せなかった。
「‥‥‥ぁああっ、これはあれだっ、着替え中だったんだ! だから開けるなって言っただろーが!」
 一護は真っ赤な顔で急いで前を合わせ始めた。柔らかそうな膨らみが徐々に服の向こうに消えていく。しかしグリムジョーの目にはしっかりと焼き付いていた。
 昔は一緒に風呂に入った際に何度も見る機会はあったのだが、あのときはどうにも思わなかったし、むしろ鷲掴んでは怒る一護の反応を見て笑っていた。
 しかし、今は笑ってしまうどころか口も利けなかった。見てはいけないものを見てしまった、でももっと見てみたかった、なんて不思議なことを考えている。そしてついにはあらぬところが熱くなってきて、グリムジョーは慌てて背を向けた。
「グリムジョー?」
「っう、うっせーよバカ! お前が呼び出したんだろ!」
 あ、そうか、という一護の声に、グリムジョーはなぜか悔しくなった。こちらばかりがこんなにも意識しているのが馬鹿みたいになる。
「たしかルピとロリとウルキオラを苛めたんだよな?」
「どうやったらウルキオラを苛められんだよっ」
 かろうじて涙声にはならなかった。
 けれど一護がすぐ後ろに立った途端、グリムジョーの全身の感覚という感覚が背中に集中した。
「反省してんのか?」
「‥‥‥っう、あ、」
 肩に触れられた、それだけでびくりと体が反応した。
 一護が黙ってしまった。今のは、絶対変だと思われた。
「あ、‥‥い、ちご、」
 体は熱いのに、冷や汗が出た。目の前には扉があり、逃げ出そうと思えばすぐにでも逃げ出せる。
 けれど脳裏に、素肌を晒した先ほどの一護の姿が浮かび上がると、同時になにか凶暴な感情も腹の底からせり上がってきて、グリムジョーはごくっと唾を呑み込んだ。
 ちくしょう、どうしてこんなにも一護に襲いかかりたいと思うんだ。
「そんなに反省してるんならいい。殴って悪かったな」
「‥‥っ、あ」
 そのとき後ろから、優しく体を抱きしめられた。グリムジョーが反省に身を震わせたとでも思ったのか、滅多に見せない優しさで以て一護が包み込んでくる。
 背中に当たる、膨らみに。
 瞬間、カッとなった。
「触るな!」
 気付けば振り払っていた。力加減も何も無い、それは暴力だった。
 見ると一護が壁際に倒れていた。どうしてか、ぴくりとも動かない。
「っあ、あ‥‥!」
 やがて仰向けに転がった一護の唇の端から、溢れた血が床へと零れ落ちる。それを見た瞬間、グリムジョーは部屋を飛び出していた。背後で知った声が、一護の名を呼ぶのを聞いたような気がした。

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