子守りはつらいよ

  08  


 遊べと言ったら、一護はいつも嫌だと言った。
 でも飛びかかったらすぐムキになって、最後は取っ組み合いになるのが当たり前だった。たまに泣いたフリをすると、一護は慌てて抱き上げて頬ずりしてくれた。下手くそな子守唄を歌ってくれたこともある。
 一護は絶対に斬魄刀を抜かなかった。本気になれないと言って、じゃあ言うほど強いんだと勝手に思い込んで戦いを挑むことも何度かあった。あの藍染がいつも傍に置くほどだから、特別な力を持っているんじゃないかと想像ばかりを膨らませて。
 でもそうじゃなかった。一護が本気になれないのは、優しかったから、大事に思っていてくれていたから。
 それをまだ知らなかった頃、事件は起きた。
 あの日はそう、じゃれついて、ただ遊んでもらおうとしただけだった。けれど手加減なんて知らなくて、一護を思い切り突き飛ばしてしまった。
 壁にぶつかった一護は、それからぐったりとして動かなくなった。
 甲高い悲鳴と、騒然とする室内、鳥肌の立つような寒気を今でも覚えている。一護を取り囲んで泣きじゃくる、いつもは生意気な女共が印象的だった。
 直後にノイトラに殴られて、憎しみに染まった目を向けられた。あのウルキオラが、ショックに目を見開いて動くことすらできないでいたのが信じられなかった。
 あれから、どうなったのかが思い出せない。
 気付けば暗い廊下の真ん中で、グリムジョーは立ち尽くしていた。



 誰かが泣いている。小さな子供の泣き声に、一護は目を覚ました。
 子供が泣いていると自然に慰めたい気持ちが湧き起こってくるから困る。最初は煩いとしか思わなかったのに、今では随分と子煩悩になったものだと思いながらも、随分前に自覚はしていたから今さら溜息をつくことも無い。
 泣いている子供はどこだろう。探そうと身を捻った直後、全身の痛みに引き攣った声を上げた。
「まだ寝てろ」
 誰かに優しく肩を押さえつけられ、一護は大人しくそうすることにした。けれど子供はまだ泣いたままだ。気になって目だけで探してみると、赤く腫れた目とぶつかった。
「一護様ぁああ!!」
「うるせえ」
 べちっ、と後頭部を叩かれて、子供は床に突っ伏した。叩いたほうは悪びれる様子も見せずに扉を指すと、尊大に言い放った。
「お前はもういい。行け」
「ノイトラ様っ、しかしまだ治療が十分では」
「テスラ」
「‥‥‥‥はい。失礼します」
 テスラは一護の指先に軽く口付けをして出ていった。その早技に、一護はおろかノイトラもあっけにとられて呆然と見送ってしまった。
「そういえばこの間、『騎士道精神』とかいう本読んでたな‥‥」
 思わず一護は苦笑した。あれは騎士道というよりかは色男だろう。
 まだ子供だが顔は充分に整っているし、将来は美青年へと成長するに違いない。今は子供だからいいが、大人になってあんなことをされたら、一護は平静でいられる自信が無い。
「なんか恐ろしいな。魔性の男になったらどうしよう」
「ああいうのが好きなのか」
 聞かせるつもりで言った言葉ではなかったが、ノイトラの言葉に一護は答えに詰まってしまった。藍染もそうだが、優し気に整った顔立ちのほうが確かに好みかもしれない。自分の顔がどちらかといえば鋭いからだろうか、反対のものを求めてしまう。
「そうかもな。というか、嫌いな奴なんていないだろ」
 すると気に入らない答えだったのか、ノイトラはむすりと黙り込んでしまった。分かりやすい反応に一護はつい笑ってしまう。体は随分と成長したが中身はまだ子供だ、一丁前に嫉妬なんかして。
「笑うな」
 じろりと睨むその顔は鋭いも鋭い、いっそ凶悪だ。でもそんな顔で好きだと真面目に言ってくるから、一護にとっては可愛いものでしかない。
 おいで、と甘さの含まれた声音で誘い、誘われたノイトラと唇を重ねた。いつもは一護のほうからは決して仕掛けたりはしないが、今だけ無性に甘やかしてやりたかった。
「ん‥‥んん、‥‥‥いっっっててて!」
 ノイトラの首に腕を回そうとすれば途端に激痛が走った。慣れないことはするなということか。一護はシーツの上に両手を投げ出すと、後はノイトラに任せることにした。
 いつもは荒々しい口付けが、今日に限って優しかった。一護の体を押しつぶさないように顔の横に片手をついて、体重をかけないよう気遣ってくれているのが分かる。けれど、もう片方の手ははときどき触りたそうに一護の体の表面を触れるか触れないかで行き来していた。
 触らせてやれないのが可哀想で、そんな気持ちが一護を積極的にさせた。ノイトラの口内に舌で割って入ると、長いそれと絡め合う。常とは違う一護の行動に、ノイトラの切れ長の目が瞬いていた。
「はっ、あ‥‥」
 二人分の唾液を喉を鳴らして一護が嚥下すると同時に、ノイトラが離れていった。荒い呼吸に胸を上下させていると、体が痛くてしょうがない。
 そもそもどうして体が痛いんだ。苦痛を追うとともに過去も追ってみると、一護ははたと気がついた。
「‥‥‥そういやグリムジョーは? 部屋にいただろ」
 たしか、説教で呼び出したグリムジョーが来た筈だ。そのとき胸に張り付いて中々離れようとしないノイトラを、ベッドの下に蹴り落としたことは朧げにだが覚えている。
「あぁー‥‥やべえ、思い出せねえ。もしかして俺、ボケたのか。うげーっ、もう歳?」
「頭を打った拍子に記憶が飛んだんだろ」
 ノイトラの声が急に尖りを帯びた。
「これから殺しにいく。大人しく寝とけよ」
「待てっ、誰をだ!?」
 突然の殺人予告に、はいそーですか、と見送れるわけがない。一護は痛みを無視してノイトラの服の裾を掴むと、必死になって引き止めた。
「殺すってまさかグリムジョーのこと言ってんのか!?」
「他に誰がいんだよ。首でも持って帰ってきてやるから、お前はここにいろ」
「そんな土産はいらねえよ!! お前こそここにいろ!!」
 ついには起き上がって引き止める一護に、さすがのノイトラも折れてくれた。目を吊り上げて威嚇してきたが、一護は絶対に行かせなかった。
 記憶はまだはっきりとはしなかったが、この激痛の原因はグリムジョーらしい。そういえばぶっ飛ばされたような気もする。
「‥‥‥いい、追うな」
「事故だと?」
「そうだ」
 迷いも無しに頷いた一護を、ノイトラがきつく睨みつけてきた。無言で睨み合い霊圧を飛ばす。そして最初に逸らしたのは、ノイトラのほうだった。
「また、事故かよ」
 そう吐き捨てると、ノイトラは乱暴にベッドの縁に座った。振動が響いてきて体が痛んだが、とりあえず残ってくれたことに一護は安堵した。
「昔のあれも『事故』、お前はそう言ってグリムジョーを許してやったな。俺も、他の奴らも、グリムジョーは殺すべきだとあれほど言ったのに。実際殺してやろうと何度も狙ってた。なのにお前は、ほとぼりが冷めるまでグリムジョーを傍から離さなかった。人形みたいに抱いて歩いて世話してやってっ。今度もそうして守ってやるつもりかよ!」
「よく覚えてんな」
「忘れた奴なんていねえよ!」
 怒鳴られても、一護は困ったように笑い返すことしかできなかった。
 そうか、あの出来事を皆は忘れていないのか。だったらグリムジョーも覚えているのかもしれない。
 自然と表情が曇る。それを見たノイトラが再び激昂して、己の膝を殴った。
「そうやって今もアイツのことなんか心配してんじゃねえよ!」
 見事に言い当てられた一護は反応に困った。誤摩化そうとしてみるも、脳裏に浮かぶのはグリムジョーの顔だった。
 今頃、泣いていなければいいけれど。

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