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  友情バイオレット  


 一護は目覚めが悪い。
 朝、起き上がってからしばらくは動けない。ぼぅっとした時間を十分は過ごし、ようやく頭が冴えてくる。ときには二度寝してしまうがそれで仕事に遅刻してしまうということは一度も無かった。
 とりあえず朝餉の用意をして一護は手を合わせた。
「いただきます」
 味噌汁、漬け物、白飯一杯。
 しかし今日からは違う。茶碗一杯の白飯を食べ切ると一護はおかわりをよそった。
 腹は膨れていたが頑張って完食した。
「ごちそうさま」
 ひとり暮らしでも一護はちゃんとそう言ってちょこんと頭を下げた。
 洗い場で使った茶碗を洗っていてふと思った。今度もう少し大きいものを買ってみようか。
「いってきます」
 からからと戸を閉め、ぴしゃりと鳴る音が一護は嫌いだった。こんな音は自分が歩き出してから遠くで聞きたいものだと思った。
 瀞霊廷内に設けられた隊員用の宿舎を出て一護は一人、隊舎へと歩く。辺りの人はまばらだ。一護は歩くのが常人よりも遅いので早めに家を出ることにしていた。もうひとつ、人が多いときに出勤しているとやたらと声を掛けられて世話を焼かれるのでそれを避ける為もある。
 ちなみに同居を持ちかけられたことは一度や二度ではない。特に同じ隊の同僚達は小さな一護が一人暮らしであることが心配でならないらしく、一人で眠るのは怖くないかだとか聞いてくるし食べ物の差し入れまでしてくる始末だった。そして極めつけに一緒に暮らそう、だ。
 正直言って、放っておいてもらいたい。
 家事は人並みにできるし虚相手に刀を振り回しているのに夜一人で寝るのが怖いとかあり得ない。それよりも隊舎に行って同僚達になんやかんやと構われる方がよっぽど怖い。いつかぶつかられるだけでなく踏まれそうで、そちらのほうが一護にとっては恐怖だった。
「おはよう、一護」
 考え事から意識を外へと向ければそこには朝日を背に美しく微笑む男がいた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
 なんでこいつが。
 一護はびしりと固まり、そして見えなかったことにして不自然に視線を逸らした。
「今日も小さくて結構結構」
 朝一番の先制パンチ。
 一護はひくりと唇を引き攣らせ、相手を無視して歩き去ろうとした。
「紫外線が強いねえ。ちゃんと肌のお手入れはしてる?」
 しかし相手は易々と隣に並んで会話をし始めた。
「ねえ、もっと速く歩けない?」
「‥‥‥‥先に行けばっ」
「冗談だよ冗ー談。君の歩幅の狭さはもう熟知してるさ。ちょろちょろ歩く様はハムスターみたいで可愛いよ」
「嫌味か!」
「ついでに食べてる姿もね」
 一護はついに何の反応も返さずに黙ることにした。
 腹立たしいことに相手の言っていることは少しも外れてはいない。一護が何かものを食べているとき、やたらと人の視線を感じるのだ。曰く、食べている姿が小動物のようで見ていて微笑ましいらしい。
「ねえ、無視しないで。元お隣さんじゃないか、ねえってば」
 絶対に答えてやらないと誓いを立てて一護は相手を徹底的に無視した。一護が前に住んでいた宿舎は周りに十三番隊の隊員が多かったので引っ越した。やたらと構われるのが鬱陶しかったのだ。そのとき隣に住んでいたのがこの男だ。彼には誰よりも構われ、そしてからかわれた。
「君が部屋の鍵を無くして半べそになってるとき、泊めてやったのは誰だっけ?」
 嫌な過去を。
 一護は聞こえないフリをして歩き続けた。
「冬の寒い日、干してた毛布が飛ばされて凍えて眠る筈だった君を抱きしめて眠ってあげたのは? この僕だよね」
「うっせーうっせー! もう黙れよ弓親!」
 やっと名を呼ばれて弓親は嬉しそうに目を細めた。だが一護への追及の手を止めたりはしない。
「それなのに君は恩を忘れて勝手によそへと引っ越した。なんて薄情なんだろうね。醜いよ、子豚ちゃん」
 一護は美しく整った指で小鼻をぶぅと押された。それだけでよろよろと後退してしまう。
「だからこれはもう徹底的に嫌がらせをしてやろうと思ってね。引っ越したんだ」
「‥‥‥‥‥どこに」
 そこで弓親は不吉な笑みを浮かべた。一護はその瞬間に答えが分かってしまったのだが、いやまさかな、とあり得ない一縷の望みを捨てたりはしなかった。
 しかし。
「気付かなかった? 君の隣にだよ」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

 やっぱり!

「隊舎から離れているうえに寂れた宿舎を選ぶだなんて美しくないけどね、君の隣ならいいかと思って」
 ぶぅぶぅと鼻を押されて一護は一歩二歩、三歩と後退した。このまま下がり続けて逃げてしまいたい。
「これからもよろしく頼むよ、おチビちゃん」
「ヒィ!」
 鼻にちゅっと口付けされて一護は大きく仰け反った。そしてそのまま転んで立ち上がれなくなってしまった。
「あれ、腰抜かしたの? 仕方ないな」
 ひょいと猫のように襟首を持ち上げられて一護の体は簡単に宙に浮いた。じたばたと暴れるが首が絞まっただけだった。
「隊舎までは遠いけど、こうして仲良く出勤できるのは楽しいものだね」
 お前だけがな!
 そう言いたくても弓親の顔を間近に見てしまえば一護は反論など出来る筈が無かった。初めて出会った日からこの男に頭が上がった覚えが無い。
「帰りも一緒だね」
「いや、今日は残業‥‥‥」
「一緒だね?」
 こくりと頷けば弓親はよろしいと満足そうに頷いて一護を抱え直した。
「では改めて。おはよう、一護」
「‥‥‥‥‥‥‥おはよ、弓親」
「今日は良い朝だね」
 そう言って柔らかに唇を吊り上げたその笑みは、朝日すら引き立て役にするほど美しかった。

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