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  傷心ホワイト  


「一護、ちょうどよかった、菓子を」
 あげよう‥‥‥、と語尾は小さくなっていった。
 目の前を素通りしていく小さな部下は、視線一つくれたりはしなかった。
「自業自得ですね」
 一護にとって初の単独任務を邪魔した報いだ。
 冷たい言葉に浮竹は己の副官を睨みつけた。彼にだけ、一護はちょこんと頭を下げていったのだ。
「お前な、少しは仲を取り持とうとか考えないのか」
「考えません。隊長を含めてどいつもこいつもあいつに構い過ぎなんです。中身はしっかりしてんだから、少しは黙って見守ってやったらどうですか」
「だってあんなに小さいんだぞ!?」
「草鹿だってそうですよ。でも周りは過剰に構ったりはしてないじゃないですか」
「あれは子供の皮を被った怪獣だ」
 それに傍には剣八もいる。どこらへんに心配する要素があるのだと浮竹は言い募った。
「しっかりしていると言ってもな、時折隊舎の裏でこっそり泣いてると報告が来るんだぞ」
「誰にだって泣きたいときはあります」
「嫌いな食べ物を震えながら食べているんだ」
「偉いですね」
「自分では完璧に振る舞っていると思い込んでいるが実は本性は皆にばればれだと気付いてないんだなんて可愛い奴なんだろう!」
「もう、黙ってください」
 一護が入隊してからというもの浮竹は元気だ。有り余りすぎるほどに。
 構って構って構い倒して。一人の部下に対してそれは贔屓に過ぎると海燕は幾度も注意したが、他の隊員も負けじと一護に構い倒す始末だった。一人まともな意見を言っている自分がこれほどまでにアホらしく思えてしまった瞬間は無い。
「俺は手出ししません。あいつの気が済むまで無視られといてください」
 これは復讐だ。
 自分一人が味わった苦渋を今度は浮竹が嘗めるといい。
 海燕はおおよそ上司に抱く筈も無い復讐心を胸にしまい、さっさと歩き出した。








 誰も来ない秘密の場所。
 そういう場所を一護は護廷内でいくつか知っていた。そして今は構ってくる人間を撒いて一護はその一つへと身を潜ませている。
 目の前には並べられた菓子。
「ちくしょう、頭撫でやがって」
 悪態をついて一つ、菓子を頬張った。砂糖醤油の味と香ばしい匂いに思わずへら、と笑ってしまい慌てて唇を引き結んだ。
「高い高いとか、頭ぶつけたし」
 背の低すぎる自分が天井に脳天直撃なんて笑わせてくれる。実際には笑みどころか涙が出そうだったがなんとかこらえた。偉いな、自分、と内心で褒めて別の菓子を口に入れた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
 一口噛んで気分が沈んだ。それは以前、浮竹がくれたものと同じ菓子だったからだ。
 さっき無視してしまった。悪いことをしたと罪悪感がこみ上げて、しかし一護は首を振って否定した。
「俺、悪くねえし!」
 しかし無視なんて子供過ぎやしないか。
 ぐるぐると考え込んで、小さな頭が痛くなってきた。これはいけないと飲み物に手を伸ばす。
「すごい量だな。一人で全部食うのか?」
「‥‥‥‥‥ぅぶ!」
 気管に液体が滑り込んだ。げほげほと咳き込んで身を折れば背中を優しく撫でられて、一護は涙の溜まる目をその人物へと向けた。
「ひ、つがや、たいちょ、ケホっ」
「悪い。驚かせたな」
 驚いた。
 この場所は自分しか知らないものだと思っていた。今は使われていない廃屋のようになった隊舎のその縁側。目の前の庭は手入れはされておらず(一護よりも)背の高い草が生い茂っていた。そのお陰で誰にも見つからない。一護は一人で食事がしたいときはたいていここに来る。あの弓親でさえも知らない場所だった(その内突き止められる予感は激しくするが)。
「懐かしいな、ここ」
「知ってるんですか」
「あぁ」
 他にもあった飲み物を差し出してやれば冬獅郎は礼を言って受け取った。菓子も好きなのを食べていいと一護が言えば、変な顔をした。
「どうしたんだ、これ」
 正確にはこれら。
 様々な種類の菓子と数本の飲み物。
「ご親切にもっ、くれる方々がいるんですっ」
「この菓子‥‥‥‥松本か」
 同じものを今朝持ってたな、と冬獅郎は呆れた視線を菓子へと注いだ。
「いらないって言っても勝手に袖の中に入れてくるしっ、そんで勝手に撫でたり抱っこしたり引っ張ったり!」
 頬を押さえて一護は憤慨していた。子供特有のぷにぷにとした弾力がありそうなその頬は、確かに触れてみたいと誰しも思うかもしれない。
「お菓子やれば喜ぶと思ってんだ。子供じゃあるまいし!」
「美味そうに食ってたようだが」
「もったいないから食べてやってるんだっ、仕方なくっ、だって捨てるなんてできないだろ!」
「分かった分かった。落ち着け」
 顔を真っ赤にさせて反論する一護を宥めながらも冬獅郎は唇を変に歪めていた。それが笑いを堪える為だとは一護は気付きもしなかった。
「俺もよくここで暇をつぶしてたな」
 誤摩化すように話題を変えて冬獅郎は庭を見渡した。自分よりも背の高かった草が今では低いと言えば、一護から心底羨ましいという溜息がこぼれた。
「お菓子とか押し付けられてたんですか」
 高揚すると素の口調に戻る一護だが、本人がそれに気付いていない。冬獅郎は内心で、これは周りにばれてるな、と確信していた。
「まあ、ときどきな。特に浮竹は顔を合わせる度に菓子を貰わされていた」
 その度に呆れていたが、そう言って一護を見下ろせば、当人は膝の上できゅうと拳を握り項垂れていた。
「どうした?」
「‥‥‥‥今日、無視、してしまいました」
「浮竹を? もしかしてこの間の任務のことで?」
 小さく頷いた一護は泣いている気がして冬獅郎は慌てて頭を撫でてやった。しかし一護は懸命にも涙をこらえていた。
「謝れ、てのもおかしいな」
 悪いのは浮竹だ。
「でもこのままなのも嫌なんだろ?」
 一護が何を考えているかなんて冬獅郎は手に取るように分かっていた。
「ガキ扱いされたままは嫌、でも無視するのも忍びない、か」
 こくこくと頷くたびにふわふわ揺れるオレンジ色の髪を見ていれば、周りが構い倒したくなるのも頷ける。
 だってこんなにも健気だ。強い態度で誤摩化そうとしているところも庇護欲を誘う。ときどきわざと泣かせてそれを宥めるのが上級者の愛で方だと力説していた乱菊の言葉を思い出し、聞いたときは呆れたものだが今は頭ごなしに否定することはできなかった。
 自分がかつて子供扱いされたからだろうか。一護を見ていると冬獅郎は妹が出来たような心地になる。
 小動物を見てキャーキャーはしゃぐ女共の心境が、初めて理解できた瞬間だった。
「真面目だな。もっと楽に考えればいいんだ」
「楽に?」
「お前が小さくて弱いからって構うんじゃないんだ。お前が大きくなっても周りは変わらずに構い倒すだろうな」
「なんで!」
 大きくなれば誰も自分に構わないと固く信じていた一護は絶叫した。それが怯えて毛を逆立てる子猫のようで、見ていた冬獅郎は思わず手を出してしまう。
「可愛いからだ、お前が。構わずにはいられない」
 小さな体を引き寄せて、冬獅郎はそのまま縁側にごろりと寝そべった。
「お前はこの先ずっと可愛いままだろうな。だからもう諦めろ」
 至近距離で顔を覗き込まれて一護はぶうたれる。整った顔立ちを目の前に、頬を赤らめる年頃となるまでには一護にはまだまだ年月が必要だった。
「‥‥‥‥それが、楽な考えかよ」
 それにこの体勢。子供扱いして、と一護が暴れ出す。しかし腕一本で簡単に押さえつけられてしまった。
「受け流せるのは大人だからじゃない。そういう気質だからだ。だから大人になったとしてもお前が構われなくなるってのは楽観的な考えだな」
「でもっ、松本副隊長が言ってた! 日番谷隊長は背が伸びてからからかえなくなったって」
「あぁ、それは」
 可愛くなくなったからだ。
 自分で言うのは嫌だったので冬獅郎は誤摩化すように咳払いした。
「あんたもこうやって俺を子供扱いしてっ、浮竹隊長と同じだ」
「年寄りは小さいもんが好きなんだ。盆栽とか文鳥とか。ガキじゃないってんなら大目に見てやれ」
 宥めるように背中を叩いてやったら力が強すぎたのか一護はべちゃ、と床に突っ伏した。
「‥‥‥‥すまん。お前、本当に小さいな」
 言い返そうとした一護だが、潰れた鼻を押さえてうんうん唸るのが精一杯だった。









 渡しそびれた菓子を眺め、浮竹は溜息をついた。部屋には一護へ渡そうとして渡せなかった多くの菓子が、出番を待って大切に保管されている。
 入隊当初から目をかけていたのだがそれがどうやらいけなかったらしい。死神としての矜持が高い一護を子供扱いするからだと海燕に冷たく指摘されたが、あんなに可愛いのに可愛がるなというほうが無理な話だった。だって可愛いのに可愛がらないなんてそれは何かおかしくないか、それは世の理に反しているじゃないかと何やら難しい考えに至ったところで浮竹は近づく気配に顔を上げた。
「日番谷?」
 そして抱っこされているのは一護。
「なんて羨ましい! 俺にも抱っこさせてくれ」
「騒ぐな喧しい。一護が起きるだろ」
「寝顔を見るのは初めてだ」
 小さな唇が少し開いているのがまた可愛らしかった。控えめな高さの鼻が何やら赤い気がするが、それもまた可愛らしさを演出していた。ちなみに一緒に寝ようと誘ってみたことがこれまでに何度もあるが、一護は頑として受け入れてはくれなかった。
「一緒に昼寝しちまってな。俺がそうさせたみたいなもんだから、怒ってやるなよ」
「一緒に!?」
「だから騒ぐなって言ってんだろ!」
「‥‥‥‥んん、ぅむ、」
 二人同時に口を閉ざして一護を見下ろした。騒音に不快げに眉を寄せていたが起きる気配は無い。
「一護は預かる。手間をかけさせたな」
「別に」
 浮竹の差し出した手に、しかし冬獅郎は預けようとはしない。
「何だ? というかお前達、いつの間に仲良くなったんだ」
「どうだっていいだろ」
「よくない! 見ろっ、一護の紅葉みたいに可愛い手がお前の羽織を握ってるじゃないか!」
 だから何だと冬獅郎が言ってやれば浮竹は一護がいかに人に懐かないかを力説した。
「そりゃお前、子供扱いして構い倒すからだろ」
 一護が一番嫌うことだ。
「この先一生そうするつもりか? だとしたらこれからも無きものとして扱われるだろうな」
「俺はただ、心配で、」
「心配するのは分かる、構いたくなるのもな。だがこいつの中身をもっと見てやれ」
「見てる」
「見てない。一人でも頑張れるところや耐えたり涙をこらえられるところをちゃんと知ってるか? 大人になろうと必死にもがいているんだ。それを邪魔するような構い方はやめろって言ってんだよ」
 浮竹は黙る。
 確かに一護は一人で頑張っていた。しかしそれをまるで子供の背伸びのように微笑ましく思い、成長を挫くような構い方をしていたと今さらながらに思い当たった。
「‥‥‥‥そうか、そうだったな、‥‥‥‥すまん」
 しょんぼりとしたように浮竹は俯いた。
 ここにもでかいガキがいた。冬獅郎はうんざりしたように息を吐いて、子供扱いされていた在りし日の自分を思い起こしていた。
「まったく。俺みたいに菓子を与えるだけで留めておけば良かったんだ」
「‥‥‥‥そうだな」
 どうやら本気で反省したらしい。これならもう一護を渡しても大丈夫だろうと冬獅郎が足を踏み出したとき、
「日番谷、大人になって。‥‥‥‥あんなに小さかったのにな」
 浮竹の視線の先には、
「‥‥‥‥蟻んこ見て言ってんじゃねえ!!」
 蟻が列をなして行進していた。

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