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  ガチンコレッド  


「一護が仕事に出てこない‥‥」
 がっくりと項垂れて吐き出された言葉に冬獅郎はふぅんと軽く相づちを返した。思い詰めた表情で話したいことがあると浮竹に言われたものだから一体どんなに重大な悩み事を打ち明けられるかと思いきやいつものことではないか。一緒にいた乱菊も同じことを考えているのかその表情は退屈そうだった。
「どうせお前が余計なことを言ったんだろ。謝ってこい」
「違うっ、俺は悪くない!」
 理由は実に単純、かつ明快だった。

『一護、この書類を持っていってくれ』
『はい、お母さん』
『‥‥‥‥‥‥‥』
『‥‥‥‥‥‥‥』

「一護は恥ずかしさのあまりそれから有給休暇に突入して家から出てこなくなってしまった」
「あそこは流すべきでした。なのに隊員総出で祭みたいな騒ぎになっちまって」
 海燕が思い出すように苦い顔をした。
「お前が一番笑ってたじゃないか」
「隊長なんて『もう一度、今度はお父さんと呼んでくれ!』なんて言っちゃってたくせに‥‥あいつそれ聞いて泣きながら隊舎飛び出してましたよね」
「可愛かったんだ仕方ないだろう!? ‥‥‥‥そうだ、悪いのは一護の可愛さだ」
「悪いのはお前らだとよく分かった。謝ってこい」
 冬獅郎の冷たい一言に浮竹は情けなくも縋った目を向けてきた。それを受け、冬獅郎は心底うんざりしたように溜息をついた。













「いい加減隊舎に戻ったら? 時間が経てば経つほど行きにくくなるよ」
「嫌だ、行かない」
「登校拒否か? いつまで学生気分なんだよガキが」
「ハゲハゲハゲハゲハゲ‥‥」
「テメーもっとデカイ声で言ってみろコラぁ!!」
「ぅわーん弓親ー!!」
 一角の手を逃れ弓親に飛びついた一護はぼろぼろと涙を零して泣いていた。普段は我慢するそれも最近ではよく流す。
「っな、泣くかよフツー」
「っう、うぅっ、グスっ」
「あれから涙もろくなってるんだよ」
 弓親は綺麗な手拭を取り出すと濡れた一護の顔を拭いてやった。その顔はどこか嬉し気だ。
「お前、実はこいつがずっとここにいればいいと思ってるだろ」
「まさか、そんなこと」
 弓親は緩む口元を引き締めようとはしていたがそれは失敗だった。ぐずる一護に死覇装を引っ張られた途端、ふにゃっとした笑みで抱き上げてやっていた。
「この子、十一番隊でもやっていけるんじゃない?」
「ほらみろ」
 首に齧りついてえぐえぐ泣き続ける一護が可愛くてならないらしい。弓親は慣れた様子で一護を抱え直しそのオレンジ色の髪に頬を寄せ柔らかい感触を楽しんでいた。
「可愛いなぁ、欲しいなぁ」
「普段は子豚とかブサチビとか言ってるくせによ」
「愛情だよ。君にハゲって言うのと同じね」
 一護の髪を何度も撫でながら弓親はもう今日は仕事はしないと宣言した。十一番隊の隊員は書類作業は基本的にしないが弓親が最後の砦だったのだ。今日はきっと、他の隊から苦情が来る。
「チビ、早く帰れよ」
 十一番隊は託児所じゃない。冷たい言葉で言ってやったが一護からは何の反応も無い。
「‥‥寝てる」
 弓親の腕の中、一護は安心しきった顔で眠っていた。













「見つけたぞ一護!」
 突然入ってきた海燕の姿を見て一護は飛び上がった。そして筆と書きかけの書類を投げ出すと奥の部屋へと逃亡を図った。
「待ちやがれ! ったく何で十一番隊にいやがんだ、帰るぞ」
「嫌です、嫌だっ、誰かー!!」
 その助けを呼ぶ甲高い声に廊下や庭、隣の部屋から強面の男達が続々と顔を現した。それを見た海燕はぎょっとして掴んでいた一護の襟首を思わず離してしまった。
「人攫い、誘拐っ、助けて!」
 一護は十一番隊の隊員の一人に飛びついた。
「拉致監禁!?」
「このロリコンがぁっ」
「そこまで言ってねーだろ!?」
 腕まくりをしてじりじりと迫ってくる男達に海燕は後じさる。一護はその隙に今度こそ奥の部屋へと逃げていった。
 翌日。
「一護っ、帰ろう俺が悪かった!」
「っう、浮竹隊長、」
 隊長自らのお出ましに一護は硬直した。昨日は隊員達が海燕を追い返してくれたが隊長相手ともなればそうはいかない。
「皆寂しがってる。俺も寂しい」
「‥‥でも」
「あのことを気にしてるのか? 大丈夫だ、誰もからかったりしない。むしろ皆自慢に思ってる」
「‥‥‥‥‥は?」
「俺も自慢に思ってるぞ! 今日は一護がこんなことをしたとかあんなことを言ったとか、隊首会で自慢したら周りに羨ましがられる」
「‥‥‥‥‥言ったんですか、あれを」
「もちろ‥‥いや、言ってない、断じて言ってないぞ俺は」
「言ったんでしょ! 浮竹隊長なんか嫌いだっ、出てけ!」
 助けを要すること無く一護は嫌いの一言で浮竹を追い出した。
 更に翌日。
「十一番隊で書類作業するくらいならうちに来てやってちょうだいよ」
「乱菊さん、仕事に戻ってください」
 更に更に翌日。
 強敵が現れた。
「もういいだろ。帰ってやれ」
「日番谷隊長‥‥」
 なぜか冬獅郎相手だと冷たい言葉も強気の態度も引っ込んでしまう一護。しかし今回ばかりは引けないのだと、一護はきっと睨み上げた。
「帰りません」
「意固地になるな」
「なってません」
「一護!」
 少し強めの語気で名前を呼ばれた。それだけで最近涙もろくなっている一護の涙腺が簡単に緩んでしまった。
「‥‥‥‥う、うぅぅう」
 涙がぽたぽたと書類の上に落ちていった。乾く前のそれは涙によって奇妙に滲んでしまった。
「‥‥だってっ、皆して俺のこと、笑ったんだ、」
「別にそれは」
「分かってる! 悪意が無いことなんて、分かってるっ、でも」
「恥ずかしかったんだな」
「‥‥‥‥っうん、」
 一護にとって大勢に笑われたことが子供心に恥ずかしかったし、そしてとても恐ろしかった。悪いことなんてしていない筈なのに、怒られるよりもずっと自分を不安な気持ちにさせた。笑われている自分がひどく惨めだった。
「‥‥だから、帰らないっ、」
「一護、」
「お前まだいたのか」
 第三者の声に振り返れば一角が壁にもたれかかっていた。その目はどこか冷たい。
「帰れよ。他の奴らは書類作業してくれて助かるとか言ってるけど、そんな奴は十一番隊にはいらねえんだよ」
 その言葉に一護の目から再び涙が溢れ出た。弓親はいつも自分をからかうけれど、真に傷つけるような言葉は言わなかった。それに慣れきっていた一護は衝撃で体が震えた。
「だいたいお前は甘いんだよ。ガキ扱いされんのが嫌だと言っときながら、実際にガキ扱いされなきゃ泣きやがる。お前見てると苛々すんだよ」
「‥‥っう、うぅ、」
「ガキじゃねえって言うんならガキみたいに泣くな。お前が目指してる大人って奴は、泣きたくても人前じゃ必死に耐えて誤摩化すもんだ。弓親や他の奴らが言わねえから俺が言うけどな、ガキはこの護廷にいるべきじゃねえんだよ」
 一護は涙を必死に呑み込もうとした。しかし目は勝手に涙を量産して、一角と視線が合うだけでどっと溢れ出す。
「笑われたくらいで仕事投げ出すんなら死神なんてやめちまえ」
 一番の衝撃に一護は項垂れた。
 皆優しかった。
 今まで出会った人々は自分に優しい言葉ばかりをかけてくれた。一角の厳しい言葉を聞いて一護はぼんやりとそんなことを考えた。
「笑われたらぶっ飛ばせ。泣いてるようなへなちょこはここには相応しくねえ」
 一角の気配が遠のいていく。一護は俯いたまま、ぎゅっと目を瞑った。
 そして涙をふるい落とすと拳を握って顔を上げた。口出しを控えていた冬獅郎は一護が次に何をするのか黙って見守っていた。
「‥‥‥‥テメー待てこのハゲ!」
「っあぁ!?」
 一護は背後から一角に飛びかかっていた。不意を衝かれた一角は避けきれず一護の拳を受けていた。
「言いたいこと言いやがって! あぁ分かったよ帰ってやらぁ!!」
「なんで偉そうなんだよっ、帰れ帰れせいせいすらぁ!」
「どうもお世話になりました!!」
「どういたしましてだチビ!!」
 取っ組み合ったまま怒鳴り合うと二人はぱっと離れた。一護の目には負けず嫌いの炎が燃えていた。それを見た一角が満足そうに笑った。
「やればできんじゃねえか、ブサチビ」
 その笑みが今まで見たことがないほどに優しくて一護は目を見開いた。そして何故だかまた涙が出そうになって、しかし一角の言葉を思い出すとそれを必死に我慢した。
「じゃあな、また来いよ」
 乱暴に頭を撫でられた。その拍子にぽろりと涙が零れ落ちてしまって、けれど。
「いいか一護。涙を見せる相手を選ぶのも大人ってやつだ。覚えとけ」
 その言葉を聞いて、一護は。
「‥‥‥‥‥っう、ぅわーん‥‥」
 今度こそ声を上げて泣いた。

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