拍手小説<浦一>
「一護サ〜ン」
浦原だ。
いつにも増して空気の抜けたような声に、一護はそういえば一週間ほど会っていなかったことを思い出す。普段ならば一日と開けずに会いにくる恋人は、研究室にでも籠っていたのだろうかと考えた。
そして返事くらいはしてやろうと一護は振り返り、絶句した。
「一護さん?」
「だっ、誰だてめー!!」
変質者がいた。
縞模様の帽子をかぶり、甚平の上には隊長の証である白い羽織、そして髭はぼうぼうだった。
「近寄んな!」
「ええー! なんですその本気の嫌がりは!」
「キモい! おまわりさーん!」
現世で出没する変質者そのものだ。
一護は幼い頃まさにこんな感じの変質者に遭遇した過去があった。死んだ今でもそれは立派なトラウマとなっていた。
一護はじりじりと後退したが、変質者はじりじりと前進してくる。
「アタシですっ、貴方の喜助ですよぅ!」
「俺の喜助なんて知らねー! あっち行けっ、変態!!」
浦原だともう気付いていたが、その姿はどうしても受け入れられなかった。幼い頃の恐怖は尋常ではない。
「ああ、髭ですか? 格好良くありません?」
「格好良くねえよっ、むしろ汚い」
「‥‥‥‥一護さん、貴方会ってからアタシに酷い言葉しか言ってないことに気付いてますか?」
酷いことを酷いとも思わない浦原を傷つけられるのは一護だけだ。
顔を両手で覆って項垂れる浦原に、さすがに悪いと思いつつも、一護はますます変質者のようだと酷いことを思った。
「よし、やるぞ」
「その言葉、別の場面で言ってほしかった」
「くだらねえこと言ったらシェイビングクリームが真っ赤に染まるからな」
浦原は口を噤んだ。
大人しくなった浦原の頬に手を添えると、一護は緊張したもう片方の手を近づける。その手には切れ味の良さそうな細身のナイフが握られていた。
「解剖すんのってこんな感じかな」
「ちょっとっ、冗談ですよね」
「解剖される側の気持ちが分かるだろ」
にや、と笑った一護の顔が、浦原からは逆さまに映る。
顔を反らせ、背後から伸びきった髭を剃るためだ。
「俺、こういうの初めて。緊張する」
その言葉も別の場面で言ってほしかったが、ナイフがもうすぐそこまで迫っていたので、浦原は余計な口は利かなかった。
サリ、と髭を剃る音が聞こえた。
痛みが無かったので浦原は内心ほっとした。
「どこまでが皮膚か分かんねーな」
一護の恐すぎるコメントが浦原に心地の良い緊張感を与えてくれる。
言葉の割りには一護は髭を剃るのが中々上手で、順調に作業を進めていった。
一護は髭を剃るのに夢中で気付いていないが、浦原は真剣な顔の一護を至近距離で食い入るように見つめていた。顔が反対にあるため唇はすぐそこだ。それが時折薄く開いたり引き結ばれたりするのを見ていると、無性に口付けしたくなる。
「ね、一護さん。なんだかムラムラしてきたんですけど」
「そーか。俺はなんかムカムカしてきたよ」
一護の唇が本当に目の前なのだ。ちらちらと見える舌に欲情しない男がいたら、それは可哀想なことに男としての機能が終わっているのだと浦原は思った。
「胸が苦しくなってきました」
「あとで解剖して見てもらえば?」
こうやって世話を焼いてくれているのに、一護は冷たい。
いつもなら駄々をこねて願いを叶えてもらう浦原だが、今は動くこともできない。これは一体何の拷問だと思ったが、一護がこうして世話を焼いてくれることは滅多に無いため、我慢我慢と自分に言い聞かせた。
「っあ!」
薄く皮膚を切ってしまったらしい。浦原に痛みは無かったが、ぷくりと血が浮き上がり、それを見た一護は焦ったように手拭で押さえた。
「いいですよ」
なんせ初めてなのだ。
優しく許してやると、浦原の唇に柔らかい感触が下りてきた。
「ごめんな」
離れる瞬間、下唇を緩く噛まれる。
ちゅ、という音に浦原の胸がまるで初心な少年のように高鳴った。
「え、」
「あとちょっとだから動くなよ」
今のは気のせいだろうか。浦原がぽかんと目を見開いて動かない間も、一護は先ほどよりはゆっくりとした動作で髭を剃り続けていた。
しまった、もっと堪能すればよかったと浦原は惜しく思う。
ナイフが顔に食い込もうが血が噴き出ようが、あそこは一護の唇を貪るべきだった。
「アタシのバカ!」
そう言って頭を抱えたかったが、動くことも喋ることもできない。
できることといえば、この後どうやって一護を可愛がってやろうかと頭の中で妄想するのみである。
「あと、少し‥‥‥」
無意識に口走った一護の言葉に浦原は内心でにやりと笑った。
あと、少し。
終わればああしてこうしてどうしてやろうかと、考えるだけで緩む頬を浦原は必死に堪えた。
たった一度の口付けが、男の火に油を注いだ。
武器は細身のナイフのみ。
この後訪れる攻防を知らない一護は、暢気に鼻歌なんぞ唄っていた。