拍手小説<平+一>
放課後。
靴箱から一護はスニーカーを取り出すと、当然だがそれを履こうとした。
しかしそれを寸前でやめる。
「‥‥‥あ? 手紙?」
ひらりと落ちた紙を拾う。バカバカしいほどにハートマークの散った封筒。裏返せばそれを封しているシールもハートマークだった。
「‥‥‥ありえねえ」
ラブレターにしても今のご時世、これは無いだろと一護は唸った。いや、自分の父親ならやりそうだと思ったが、高校生がやるにはこのチョイスは失敗だと思う。
だが捨てるのも忍びない。本人は良かれと思ってやっているのかもしれないし。
一護は渋々ハートのシールを剥がすと中身を読んでやることにした。中に入っている便箋もハートマーク。これはいよいよありえないと思いながらも一護の目は文字を追った。
放課後裏門で待っています。
好きですの一言も無し。
これはもしかして呼び出し、もしくは果たし状ではないだろうか。
一護は先日喧嘩を売ってきた不良の顔を思い出し(てみたが顔はぼやけていた)、溜息をついた。行けば厄介ごとが待っている気がする。
一瞬迷うと一護はスニーカーを履き、歩き出した。
正門の方向へ。
「待たんかいぃぃ!」
「はぁ?」
振り返って一護はすぐさま後悔した。
たらたらと歩いていたが、それを駆け足に変えると一護は全速力で走り出した。
「待てやコラぁ!」
「ついて来んなタラコ!!」
「ヒラコじゃボケぇ! このストロベリー!!」
学校の近くの大通り。下校時間で生徒の多いこの通りを一護ともう一人は疾走した。その剣幕に生徒達は次々と振り返り、ありがたいことに道を開けていってくれた。
「ちょっ、止まれやっ」
「嫌だ!」
どうせ言われることは分かっている。
耳を貸すつもりの無い一護は家までの距離を、この日最短時間で帰れるだろうと頭の隅で考えていた。
「パンツ見えとんぞ!」
「っえ!」
裾を絡げて走っていれば、短い制服のスカートなど簡単に翻ってしまう。反射でスカートを押さえた一護の隙を平子は見逃さなかった。
「つーかまえた」
後ろから抱きすくめると、平子は忌々しそうに見上げてくる一護ににや、と意地悪げに笑ってやった。
「純白のレース? なんや、結構清楚系が好きなんか」
「てめっ」
怒りと羞恥で赤くなった一護を飄々と眺めると、平子はそのまま肩に手を回してぐっと引き寄せた。
「ほな、制服デートとしゃれこもか」
「あのバカみてーな手紙はお前だったのか」
「そや。やのに自分、それ無視してからに」
無視して正解だったと一護は思った。だが結局は今こうして捕まってしまっている。何度か逃亡を試みたが悉く追いつかれて捕獲されているのだ。
悔しいことにこの男のほうが自分よりも実力が上だ。それが許せない。
平子が、ではなく負けてしまう自分が一護には許せなかった。
「仏頂面はやめ。もうちょい愛想良くできんのかい」
「てめーこそへらへらしてんじゃねえよ」
「なんや機嫌悪いのー」
連れ立って歩くというよりかは平子の前方を一護がずんずんと歩いていた。
一護にはもう逃げる気は無い。だが家までの道を聞きたくもない会話をしながら帰らなければならないことは苦痛で仕方が無い。
「余裕が無いんは、あれか」
虚。
一護の足が、一瞬止まる。
それを後方で平子は見て取ると、一護には知られずに笑みを深くした。
「言うたやろ。正気の保ち方教えたるて」
「‥‥‥いらねーよ」
いつもの問答。
けれど、一護の声に迷いが滲みはじめているのを平子は感じとっていた。一護がこちらに来るのは時間の問題だ。近いうち、必ず一護のほうから手を伸ばしてくる。
そのときを想像すれば腹の底から笑いが溢れてきそうになるが、それをぐっと我慢して平子は言葉を続けた。
「我慢は体にようないで。人間、我慢しとったら内側からあかんようなってまう。なあ?」
内に潜む虚が一護を次第に侵していく。
その恐怖を、知らない平子ではなかった。
「こっちに来い。優しゅうしたるで」
その言葉に一護の足が止まった。
お、と目を見張る。ようやく満足する答えをくれると期待した。
「俺は虚が死ぬほど嫌いだ」
そう一言。
一護は再びずんずんと歩きはじめた。後方から盛大な溜息が聞こえてきたが、それを無視して歩き続ける。
「好き嫌い言うとる場合やないやろ」
今のままでは駄目だと一護自身分かっている筈だ。
「おい」
追いつき一護の肩を引く。あっけなくこちらに振り返った一護の顔を見て平子は息を呑んだ。
「‥‥‥離せよ」
肩に置かれた手を払い、一護は踵を返す。顔は先ほどよりも俯き気味で、平子の表情で自分はどんな顔をしていたのか一護は分かってしまった。
地面を見つめて歩く。小石が視界に入り、それをコツンと蹴った。
「‥‥‥離せよ」
腕を掴まれていた。そしてそれは手を繋ぐものへと変わる。
平子の真意が測りきれない。一護が自分の手を繋いで離さない男を思い切り睨みつけてやった。
「すまん」
「‥‥‥‥‥‥」
先ほどのことに対してか。だったら一護にとっては不愉快だ。
母を思い出して自分がどんな顔をしていたのか容易に想像できる。だがそれを見て同情する平子に不快感がこみ上げてきた。
繋がれた手を思い切り振り払ってやろうと一護が思ったとき、突如として引っ張られた。
「な、待てって、そっちは違うっ」
このまままっすぐ行けば自宅だ。だが平子は一護の手を繋いだまま横道へと入っていく。
「すまんすまん。デート言うたんに、こんな話は野暮っちゅうもんやった」
「あ?」
くるりと首だけで振り返ると平子はにっと笑う。
いつも企むように唇を吊り上げていた笑いではなく、少年らしい屈託の無い笑みだった。
「プリクラでも撮りに行こか」
「はぁ!?行かねーよ!!」
足を地面に踏ん張って抵抗するがずるずると引きずられていく。
やはり何を考えているのか分からない。もしかしてこれすらも手管だというのかと一護は探るような視線を送るが、平子は画策とは無縁なうきうきとした様子で繁華街へと足を進めていた。
「転校してまだ友達おらんねん。真子寂しい」
「知るかっ、孤独な学園生活でも送ってろ!」
沈んだ気持ちがいつのまにか払拭されていた。それに気付いていない一護はぎゃあぎゃあと抗議するが平子は聞く耳を持たない。
「ひよ里に怒られるやろな〜」
けれどそれは大した問題ではない。
一護と仲良くなっておいて損は無い筈だ。いずれ仲間となるのだから、知っておくことはたくさんある。
そう自分に言い訳して、喚く一護の手を握り直した。
今、この繋いだ手がすべてだと。