拍手小説<グリ一 01>
パラパラと逆向きに頁を捲る。
(スネギリョフって誰だっけ‥‥‥)
出てきた名前に、どんな人物だったか忘れてしまったのだ。一護は数頁戻るとその名前を見つけた。
目を瞑り、瞼の上からぐりぐりと指で押した。朝来て小説を読みはじめてから何十分経っただろうか。周囲の喧噪に気が付かないほどに没頭していたらしい。
教室の時計を見ると、なんともう一時間目の授業が始まっていた。
しかし教室は授業中とは思えないほどに騒がしかった。プリントで作った紙飛行機と普通のボリュームでの会話が飛び交い、まっすぐ教壇に向かって椅子に座っている生徒はごく少数。教壇には諦めた表情の教師が注意一つせずに、マイペースに黒板とプリントを示して健気にも授業をやっていた。
それに申し訳なく思った一護はすぐに小説を鞄にしまい、教科書を広げて真面目に授業を聴きはじめた。前から二番目の席だったのだが、教師の声がかろうじて聞こえる程度だった。
「この国の主な産業はーーー」
地理の時間。
この教師の授業は結構面白くて一護は好きだ。それに教科書に載っていることを試験には出さず、黒板に書いたことと口で言ったことを中心に出してくるのだ。そういう実はちょっと意地悪なところが一護の気に入るところでもあった。
「お前、なに真面目に授業なんて聞いてんだよ」
机に広げたプリントが翳る。
誰かは分かっていた。グリムジョー。
ちらりと視線をやり、すぐに黒板に移した。
「無視すんなよ」
鬱陶しいので一護は手をひらひらと振った。
犬に対するそれにグリムジョーは怒ったらしく、一護の前の席で雑談をしていた他の生徒を強引にどかすと、椅子に後ろ向きに座った。青い髪をしたクラスメイトの腕には幾重にもアクセサリが付いていて、それが一護の机に当たって耳障りな音を発した。
「なあ」
真正面に来たグリムジョーの顔を視界からできるだけ排除して、一護は熱心に黒板を見つめていた。
「なあ、おい、一護」
プリントに書き込む手を掴まれた。字が歪み、枠からはみ出る。それにむっとして、手を振り払うと消しゴムで綺麗に消して書き直す。そして教師の言った重要そうな単語をノートへと書き込んだ。
「後でそれコピーさせろよ」
「やだね」
それには返事をした。
試験前になると自分やウルキオラのノートに群がる者共に一護はいつもそう言って相手にしない。赤点をとるのが嫌なら静かにして授業を聴けばいいのだ。根は真面目な一護はそういうところはきっちりとしていた。
「今度バイクに乗せてやるから」
「無免許だろ」
実は怖い、なんて一護は言えなかった。
だってエアバック付いていないし、事故ったら後ろに乗っている俺は一体どうなるんだと一護は考えてしまうのだ。絶対に死ぬと確信している一護はその誘いには決して頷かない。たとえ免許を持っていたとしても、だ。
「ぃてっ」
一護は見ていなかったがどうやら横から何かが飛んできてグリムジョーの側頭部に当たったらしい。
消しゴムの欠片がころころと机を転がり、これか、と思った一護が首を巡らせると、一番前の席に座っているウルキオラと目が合った。
「ヤロウっ」
ドスの効いた声を張り上げグリムジョーは立ち上がった。その声に教室がシン、と静まる。タイミングをまったく外した教師の声だけが間抜けに響き渡り、一層空気を居たたまれないものにした。
どうする、どうなる。
仲の悪いことで有名な二人が今から教室で大乱闘だ。誰もがそう思い、それを期待した。
比較的優等生なウルキオラも今回はどうやらヤル気らしい。机の下で指をパキポキと鳴らしているのをディ・ロイは目撃してしまい、巻き込まれないようにと壁に寄った。
グリムジョーは指輪の具合を確かめ、ニヤリと嗜虐的な笑みを浮かべた。
以前やった喧嘩は廊下だったが、ここには机やら椅子やら凶器がいっぱいだ。まずは椅子でも投げつけてやって奴の注意をそらし、その隙に殴り掛かる。
そうプランを立てて、一歩足を踏み出した。
「グリムジョー」
ひやりとした体温がグリムジョーの手を包み込んだ。
「ノート、コピーさせてやるからそこに座れよ」
顎で目の前の席をしゃくると一護はじっとグリムジョーを見上げた。話しかけられてから一度も合わせなかった視線を合わし、軽く手を引っ張った。
「どうする?」
こちらを注視している教室中の目という目を一護は睨み返し、そしてグリムジョーに視線を戻した。
「嫌なら喧嘩でも何でもすれば」
そうして手を離そうとすれば、逆に握り返された。
大きな手だ。そう思っていたら、グリムジョーが真正面に座り、一護の顔をにやにやと締まりのない表情で見つめてきた。それを睨み返し、一護は仕方ない奴だと溜息をついた。
「先生、授業再開してください」
「な? 乗れって、怖くねえから」
「誰が怖いなんて言った!」
休日、家の前にバイクでやってきた男がいた。
しつこいほどに乗れ乗れと言ってくるその男グリムジョーを振り払い、一護は家の中へと戻ろうとする。が、すぐに腕を掴まれ引き戻されてしまった。
「ノート、コピーさせてくれた礼だって」
「あれは無償でやってやったんだよ! 帰れっ、青色ヤンキー!」
青色は人にリラックス効果をもたらすと言うが、それはことと次第によると一護は思う。
「それにっ、メットが無えじゃねーか! 俺を殺す気かっ」
ヘルメットは一つ。
「俺の使えよ」
「お前が死ぬだろ」
「バイクは必ずしも死ぬもんじゃねえって」
いや、死ぬ。
一護はそう信じて疑わない。
きっとグリムジョーの青い髪が血に染まり、紫色になるのだ。
「お前は死なねえよ」
肩を引き寄せられると抱きしめられた。
何すんだ、と睨んでやれば、グリムジョーの和らいだ(それでも十分に鋭い)視線とぶつかった。
「事故ったら、俺がこうして抱きしめて地面に転がってやる」
そう言うと、凶悪的に整った顔が近づいてきて、一護と重なった、
「そんなんでトキめくか!!」
かと思われた寸前で一護は下からグリムジョーの顎に拳を入れてやった。
「免許とメットを手に入れてから出直してこい」
まさか自分一人の為にそこまでするまいと考えながら、一護は家へと戻っていった。
「一護っ」
痛む顎を押さえながらグリムジョーは立ち上がり、振り返らない背中に向かって叫んだ。
「待ってろよ。免許とメットと、そうだな、花でも持ってまた来てやる」
立ち止まり、振り返ろうとしたが一護はやめた。
やれるものならやってみろ。
今ここでは決して振り返らない。
自分はそんなにお安くないのだ。今言ったそれらを本当に持ってきたら、相手にしてやるとそう思い、一護はバタンとドアを閉めた。