別れで始まる恋もある 02
「いやぁ、浮竹、男っぷりが上がったね」
「まあな!」
痣に擦り傷、歩くたびに打撲が痛み、浮竹は座り込みそうになるのを必死で耐えた。
「殺されずに済んでよかったじゃない」
「ふん」
一護が手加減した証拠だ。本気を出されていれば自分は今頃死んでいただろう。
けれど手を抜かれていたということが悔しくてならない。自分の未熟さをまざまざと見せつけられて、浮竹は激しく落ち込んでいた。
「喧嘩売るなんて、一体どうしたの」
ぼろぼろになった浮竹は苦い表情を隠すように俯いていた。
その言葉を聞いた瞬間、浮竹は信じられないと目を見開いた。
「‥‥‥なに、を、」
「聞こえなかったか。死神なんてクソだって言ったんだよ」
そう吐き捨てた一護に、気が付けば浮竹は竹刀を握りしめ構えの姿勢をとっていた。それを見た一護はにやりと口元を歪めた。
「やる気か? この俺と?」
それはおかしいと一護は笑い、次いでかかってこいと言うように掌で招いてみせた。
その挑発に浮竹のこめかみがぴくりと波打ち、霊圧が上がる。だが一護にしてみれば可愛いものだ。簡単に挑発に乗った浮竹を嘲るように見据えてやった。
「山本が目をかけてるようだが俺はそうじゃねえ。死んでもいいなら、かかってこいよ」
「貴方も竹刀を持ってください」
怒りに震えた声で浮竹は言った。その言葉に一護は声を上げて笑い、首を振った。
「お前みたいなガキ、無手で十分だ」
拳をつくり、一護は構えもとらずに立つ。その無造作な佇まいに浮竹は怒りをあらわにして荒々しく床を踏み鳴らした。
「馬鹿にするのもいい加減にしろっ」
二人しかいない剣道場に浮竹の怒鳴り声が響き渡った。
優等生の浮竹が教師に向かって(たとえそれが一護であっても)そんな態度に出ることに一護は軽く驚き目を瞬かせた。
「‥‥‥‥へえ」
どうやらただの良い子ではないらしい。一護はゆったりとした歩調で竹刀が並べられている壁まで近づくと、その中の一本を手に取った。
「丸腰の相手に向かっていくのが嫌だって言うなら持ってやる。ほら、これでいいだろ」
竹刀をまるで玩具のように掌で回してみせる一護に対し、浮竹は余裕のない様子で竹刀を持つ手に力を入れた。
張りつめた空気が辺りを支配するが、それを感じて緊張するのは浮竹だけだ。間合いを計り、こちらの隙を伺っているようだが、一護は構えも取らずに薄らと笑みを浮かべていた。
「ちんたらやってないでとっとと打ち込んでこい。殺す気でな」
「っ、」
「怯むなよ。俺を虚だと思えばいい。殺せるだろ」
暗い笑みを浮竹に向け、一護は隙をちらつかせて竹刀の先をコツリと床に付けた。その瞬間を狙って浮竹が飛び込んできた。
「ははっ」
それを余裕で避け、二振り目を竹刀では無く素手で掴んで受け止めた。竹刀を引き寄せ、一護は怒りに歪んだ浮竹に顔を近づける。
「これで、」
「っく、」
「終わりだ」
綺麗に微笑み、一護は竹刀を浮竹の首に突きつけた。
「弱いな、お前。これで死神になる気か? クソみてーな死神によ」
「取り消せ!」
「うるせえな。至近距離でがなるんじゃねえよ」
力の増した竹刀をぱっと離してやると、勢い余って浮竹は前につんのめった。それを背後から一護が蹴り、床へと転がしてやった。
「死神になって大成するのはほんの一握りだ。常に命を危険に晒され、死んでいく奴がほとんどだ。誰かに褒められるような仕事でもねえ」
「貴方が、死神だった貴方がそれを言うのかっ」
「死神だったから分かるんだよ。救えるものなんて、何一つありゃしねえってな」
一度言葉を止め、息をはいた。
昔を思い出して不快感がこみ上げる。死神だった自分に吐き気がした。
「お前も分かる。直にな」
いつか必ずこの虚無感に突き当たるだろう。そのときになって後悔してももう遅いのだ。
一護は背を向け、剣道場を出て行こうとした。
「貴方はそれで、逃げた訳だ」
「あぁ?」
浮竹が立ち上がり、こちらを見据えていた。その真っすぐな眼差しに内心苛立つものを感じ、一護は霊圧を上げて脅してやった。
「俺は逃げない。死神になるのに崇高な思いなんて持っていなくても、逃げるのだけは御免だ」
一護の霊圧にぐらつきそうになる体を支え、睨みつけた。
浮竹の姿を睥睨していた一護はその眼差しに息を呑む。自分だけを映すその目。思い出したくもないあの目に酷似したそれは、一護の心を激しく揺さぶった。
「‥‥‥‥黙れ」
危険だ。
頭の中で警鐘が鳴る。
この男は、危険すぎる。
「逃げた貴方が死神を語ることも、侮辱することも許されない」
「黙れ。喋るんじゃねえよ」
下ろした竹刀を振り上げ威嚇する。けれどその表情に余裕は微塵もなかった。
恐れと苛立ちと、そして悲しみの色を見てとり、浮竹が訝しげに眉を顰めた。
「ちくしょう、今になって、」
「先生?」
息苦しそうに一護は喘ぎ、浮竹を見上げ、そして無言で竹刀を振り下ろした。
「っ!」
それを浮竹は咄嗟に受けとめるが竹刀が一撃で軋み、折れた。
「取れ」
竹刀を取れと言った一護の目は既に一切の感情が消え失せていた。先ほど垣間見えた悲しみも何もかもが嘘だったかのように、その目は凍えた眼差しへとすり替わっていた。
重苦しい霊圧に、浮竹の背筋を汗が無音ですべり落ちた。
「あらら、怒らせちゃったの」
京楽のまったく緊張感の無い声にげんなりするも、浮竹はすべてを話した。
様子の変わった一護に散々に打ち据えられて体中はひどいことになっているだろう。喋っただけで、切れた口内がじんと痛んだ。
「でもどうしてかな」
「何が」
「一護ちゃん。どうして怒ったのかな。今まで浮竹ってば相手にされてなかったじゃない」
それは悔しいことにそうなのだ。どれほど苦言を呈しても、一護は受け流すか無視するかのどちらかだった。今日のように怒り、相手をすることは一護らしくない。
「分からん」
何か言っていたが、その意味を自分が知る筈も無く、思考はすぐに戦いに支配されてしまった。
けれど一瞬見えた一護の瞳が印象的だった。初めて見た、悲しみの色。
「気になる?」
黙り込んだ浮竹に、意味ありげな視線で京楽が顔を覗き込んできた。
「一護ちゃん、どうして死神やめたか知ってるかい」
「知ってるのか」
「うん。山じいから聞きました。気になるって言うなら教えてあげてもいいけど、どう?」
気になるだろう、と言うように京楽が笑みを浮かべ、痣のできた頬をつんつんと突いてきた。
それを振り払い、聞きたくもないと浮竹は背を向けた。だが暫く経って、ちらりと後ろを振り返る。
「やっぱ気になるんじゃない」
「違うっ、俺は、」
「あ、違うの。じゃあ言ーわない」
そう言って部屋を出ていこうとする京楽の袴を浮竹は咄嗟に掴んでいた。沈黙の後、京楽は呆れたように髪を撫で付け、そして教えてやった。
「当時の副隊長がね、虚に殺されたんだ」
そして、
「その虚がね、」
聞いたときはなんて話だと思った。こんな、やるせない話、たまらない。
「その虚は、一護ちゃんのお母さんだったんだよ」