別れで始まる恋もある 04
「言わなくていいの?」
早咲きの桜の花びらがひらひらと舞っていた。この分なら入学式の頃には満開になっているだろうと京楽は思った。自分達は、今日この日を以て統学院を卒業する。
「一護ちゃん、優しくなったよね。まるくなったって言うかさあ」
空中で舞う花びらを視線で追い、隣でどこか悄然と立っている親友に京楽は焚き付けるように言ってやった。
「教師っていっても一護ちゃん見た目若いじゃない。そのうちさ、『俺、上席官入りして先生をお嫁に迎えるからな!』なんて言っちゃう子が現れるかもよ」
浮竹の背中がぴくりと反応した。
「中には早まっちゃってさ、『先生っ、好きだ!』って無理矢理ことに及んじゃう奴も出てくるかも」
「‥‥‥‥先生なら返り討ちにするだろう」
「どうかなー? 一護ちゃんは確かに強いけど女の子だし。それにね、教師と生徒っていう禁断性に男は燃えるものなのだよ、浮竹君」
不安を煽るような言い方をしてやれば浮竹の表情から徐々に余裕が消えていった。だがそれでも動こうとしない親友に京楽は溜息をつき、そしてあるものを取り出した。
「僕はともかく君は繋がりが無くなっちゃうんだよ」
取り出したそれは一護が愛用していた煙管だ。
「何でお前がそれを持ってるんだっ」
「禁煙するんだって。頂戴って言ったらくれたんだ」
奪い取ろうとする浮竹を避け、京楽は煙管を大事に懐にしまった。
「卒業したら、一護ちゃんはもう生徒のものだよ。そして君はただの元教え子。それでいいのかい、ん?」
でかい図体を折り曲げ下から浮竹の顔を覗き込んでやると、べちりと顔面を叩かれた。
「痛いっ」
顔を押さえ、痛みに悶える。そして手を離したとき、そこにはもう親友の姿は見えなかった。
ようやく行ったか。
京楽は空を見上げ、そして舞い散る花びらを空中で掴み取った。
見上げた空に、雲が二つ浮かんでいた。
競争だ。
一護は小さいほうが先にあの樹に届くと決めて、じっと空を眺めていた。
「先生」
背中に掛けられた声に一護は振り向き破顔した。
「卒業おめでとう」
「はい。その、先生、」
「まあ座れよ」
「‥‥‥‥はい」
素直に隣に座るとちら、と一護の横顔を盗み見た。浮竹は大きな体をもじもじとさせ、必死に言葉を探した。
「もう卒業なんて、早いもんだな」
その言葉に浮竹は激しく落ち込んだ。そう、早すぎる。
浮竹の心境など知らず、一護はどこか嬉しそうな顔で空を見上げ、目を細めていた。
「さっき生徒にな、もっと俺に学びたいって言われたんだ。嬉しいじゃねえか」
本当に嬉しいのだろう、一護は今にも笑い出しそうなほどに表情を緩めていた。
浮竹はそれに少しの寂しさを感じる。京楽の言っていた通り、一護はまるく優しくなった。その分慕う生徒も増える訳で、それが気に食わないとか馴れ馴れしくするなとか、自分にそんなことを思う資格は無いと分かってはいるがそう思わずにはいられない。
「俺も、もっと先生といたいです」
「そうか」
嬉しい、と一護は笑い、教え子の頭を撫でた。
まったくの子供扱いにこれは一体どうしたらいいのかと浮竹は悶え苦しんだ。こういうときはどうするんだと自称愛の狩人の親友に助けを求めたかったが、今は嬉しい二人きりだった。
「死ぬなよ」
気付けば一護はこちらを見つめていた。声には切実さが込められていて、浮竹はその真摯な姿に胸を打たれた。
「‥‥‥‥俺は、死にません。必ず戻ってきます」
一護の手を取り、誓いを立てるように胸元に引き寄せた。これが京楽なら唇を押し当てるくらいはしてみせたのだろうが浮竹にそんな大胆な真似ができる筈も無く、優しく包み込むくらいが精一杯だった。
「元気でな」
寂しげに、けれども誇らしげに微笑まれる。その笑みを見た浮竹は目を見開き、そしてするりとその手を離してしまった。
「‥‥‥‥‥先生」
浮竹は立ち上がり、そして言った。
「俺が一人前の死神になったら、聞いてほしいことがあります」
今ここで、自分の気持ちを告白することは簡単だ。けれど自分はまだまだ子供で、死神として一つの任務もこなしていない。そんな自分が思いを伝えても一護を困らせるだけだ。
「必ず、また会いに来ます。待っててくれますか」
一護はしばし無言で浮竹を見上げていたが、やがて頷いた。
「さよなら、先生」
抱きしめてしまいたい衝動を抑え、浮竹は手を差し出した。
そして二人は握手を交わし、別れを告げた。
「馬鹿じゃないの!?」
と言われ続けて早数年。
浮竹は京楽と共に晴れて隊長となった。
「就任式とかどうでもいいからさ、早く行きなよ」
馬鹿だ馬鹿だと言い続けて早数年の京楽は十三と書かれた羽織をせっついた。
「‥‥‥先生は俺を覚えてくれているだろうか」
「さあね。刻一刻と忘れてるんじゃない?」
だから早く行けと呆れたように言われて、浮竹はおぼつかない足取りで統学院へと向かった。
不安だ、ものすごく。
一護は自分を覚えていてくれるだろうかとか、自分がいない間に他の生徒がちょっかい出していないだろうかとか卒業してからはそれこそ悩みは尽きなかった。だったら告白していればよかったのにと親友に散々貶されたが、あの日想いを告げなかったことを浮竹は後悔はしていない。
子供の自分では一護の隣には立てない。誰もが認める死神となって、それから会いにいくのだと心に決めていた。
いつもの場所へと足を進める。そこに、一護がいる気がした。
そして空を見上げ雲を眺める一護の姿を見つけ、浮竹はこの数年考えに考え抜いた言葉を頭の中で繰り返し呟いた。
「先生」
そう呼びかけたとき、あれほど考えた言葉は消え去った。
頭の中が真白になって、浮竹はそれに狼狽える。
「浮竹?」
挙動不審に体を軋ませ、浮竹はうろうろと視線を彷徨わせた。数年ぶりに出会った一護は少しも変わらぬ佇まいで、けれど笑みはどこかふんわりと柔らかくなっていた。
忙しなく動く瞳が捉えたのは一つの雲。それを見つめ、やがて浮竹は照れくさそうに告げた。
あの雲があの樹に届いても、ずっと一緒にいましょう
答えは笑みで、返された。