拍手小説<藍一>

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「お前っ、何てことしてくれたんだ‥‥‥!!」
 呼び出されたかと思えば、開口一番そう言われた。
「何が」
 途中で買ってきたペットボトルのジュースを飲み、一護は暢気に話を聞いていた。
「藍染様だよ、藍染様!」
「は? ていうか何、お前らあの人のことそういうふうに呼んでんの?」
 というか呼ばせているのか。
 一護は先ほどから何をそんなに相手が慌てているのかまったく理解できなかった。なぜ自分が責められているのかもまったく分からない。
「お前、何も知らないのか」
「だから何が」
「藍染様の誕生日」
 ディ・ロイの言葉に一護はぱちぱちと目を瞬かせた。
「知らね」
「ギヤーーー!!」
 絶叫してディ・ロイは頭を抱え込んだ。残り三人は一護を信じられないものでも見るかのように凝視していた。
「何だよ、俺が何かしたのかよ」
「逆だ。何もしていないから問題があるんだ」
 ウルキオラの冷静な態度はそれほど一護に深刻さを伝えてはこない。何が問題なのか一向に見えてこない一護は苛々と眉を寄せ、残りのジュースを飲み干した。
「だから何だよ。はっきり言えよ」
「藍染様の誕生日は29日。つまりはもう過ぎている」
「そーなんだ」
 さらっと受け流し、一護はペットボトルをきちんとリサイクルボックスに投げ入れた。それにしてもあの人また歳とったんだな、と哀れにすら思っていた。
「お前っ、藍染様の女だろ、祝うとかしねえのかよっ」
 グリムジョーの言葉に一護は嫌そうに眉を顰めた。認めたくないことに自分は藍染と付き合っている。正確には騙されて付き合わされているのだが。
「祝うも何も誕生日すら知らねえんだから祝いようがないだろ。つーか何でお前らは知ってんの?」
「免許証を見たんだよ。彼女ならそういうところから情報仕入れろよ」
「悪いのは俺かよ!? あのオッサンが言わねえのが悪いんだろ!?」
 その発言にイールフォルトがさっと周囲を伺った。いつ聞かれているか分かったものではない。ディ・ロイは恐怖に固まり、絶句していた。
「お前が彼女の義務を果たさねえから俺らが酷い目に遭うんだろーがよ!?」
「‥‥‥‥何されたんだよ」
「チョークで目を突かれ(かけ)た」
「‥‥‥‥ごめん」
 何で俺が、と内心で一護は憤っていた。藍染が何かすれば謝るのはいつも自分だ。外面はいいが中身は不良教師な藍染に、お前なんとかしろと言われるのはいい加減我慢ならない。
「とにかく謝ってこい」
「ヤダね」
「俺らの命が懸かってんだぞ!?」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 ものすごく切羽詰まって言われれば、一護は頷くしかない。しかし、
「あの人が謝って許してくれると思ってんのかよ‥‥‥‥?」
 沈黙。
 全員押し黙り、沈痛な空気が辺りを支配した。






「それで?」
 ソファに悠然と座る藍染の目の前で一護はフローリングに正座していた。
 屈辱だ。
「ご、‥‥‥ごめん、なさい‥‥‥‥、」
 もう一度言うが屈辱だ。
 なんで自分はこんな男と付き合っているんだと、今までに何度自問したか分からない。一護は拳を握りしめて理不尽な状況に耐えていた。
「今さらだね」
 この眼鏡野郎!
 そう言って殴って部屋を飛び出していきたかったが、それを実行すればグリムジョー達はたぶん死ぬだろう。藍染の八つ当たりに耐える彼らの命が自分の肩に乗っていると思うと重くてならなかった。
 このまま知らんぷりして帰りたい。友人の命は大事だが自分はもっと大事だ。
「‥‥‥‥ごめんなさい」
 だが見捨てられないのが一護だった。
 ちくしょうちくしょうと心の中で憤慨し、一護は下手な態度に出てひたすら謝った。
「な、何でもするから‥‥‥」
 とにかくそう言えとグリムジョー達に言われていた。碌でもないことが起きるに違いないとは分かっていたが、誕生日を知らずにスルーしたのはほんの少しは悪いと思っている。それとほんの少し、藍染を想う気持ちがあるからこうして謝っているのだ。
「何でも?」
 声が変わった。嬉しそうだ。
 一護が今一番好きな言葉は『お家に帰りたい』だ。けれどそんなことは無理、不可能、あり得ない。
「鬼畜なこと以外だったら、何でも、する、」
 これだけは言っておきたかった。恥ずかしいことはこの際仕方ない、我慢する。
 一護の不本意だ、という視線を受けとめて藍染は何事か考えていたが、やがて無言で自分の隣に座るようにソファを叩いた。
 それに渋々従い一護が隣に座ると、藍染が膝に頭を乗せてきた。
「‥‥‥‥‥なに?」
 正直ものすごいことをさせられると思っていた一護は意外だった。拍子抜けし、ぽかんと藍染を見下ろした。
「あぁ、疲れた。教師をやっていると苦労するよ」
 大きく息をつき寛ぐ男に、苦労しているのは生徒のほうだという台詞を飲み込んで、一護は恐る恐る藍染の髪を触った。柔らかいそれを何度も梳いてやると気持ち良さそうに藍染が目を細めてみせて、それに嬉しくなった一護はようやく笑みを浮かべた。
「男子校は動物園と同じだね。調教は奥が深い」
「教育だろ」
 どうやら許してくれるらしい。
 一護はほっとして、そして顔を近づけた。藍染も首を起こし、そして唇が重なった。
 嫌いだとかどうして付き合っているんだとか思うのに、気付けばこうして触れ合うことを許している。つまりは自分はやっぱりこの男のことが好きなのかもしれない。
 認めたくないのは藍染の性格が悪いからだ。それから自分を苛めるからだと思って、一護は唇を吊り上げて笑った。
「‥‥‥ん」
 ちゅ、と軽い音を立てて唇が離れると、次の瞬間満面の笑みを称えた藍染にソファに押し倒された。
「何でもすると言ったね?」
「‥‥言、ったけど、膝枕、」
「だけだと思ったかい? 僕がそれで満足すると?」
 思っていたがそれはどうやら甘かったらしい。一護は困ったような悲しいような微妙な表情を浮かべ、藍染を見上げて小さく溜息をついた。
「週休二日制なんて素晴らしいね。三日も一緒にいられるんだから」
 今日は金曜日。
 そしてお泊まり決定だ。後でルキアの携帯に電話して、泊まっていることにしてもらおうと一護は考えた。
「許してくれるのか?」
 シャツのボタンが一つ二つと外されいく。着替えは藍染の部屋に置いてあるから問題ない。
「僕のことをもっと知ってくれたらね。許してあげるよ」
「知らないことなんて、‥‥っ、」
 あるのか。
 誕生日は別として、自分のまだ知らない藍染をこの三日で教えてくれるらしい。
 これではどちらが誕生日だか分からない。けれども体を這う大きな手が優しくて、やっぱり好きかもなんて思ってしまう。
「‥‥‥惣右介さんっ、」
 いや、きっと好きなんだ。

 今このときだけが真実。


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