拍手小説<ギン一> 03
「もーあのオッサン、かなわんわ」
そう愚痴をこぼすギンの膝に頭を乗せ、一護はぼんやりと庭を眺めていた。視線の先に丸々と太った雀が数羽舞い降り、それを見て美味そうだと思ってしまうのは流魂街暮らしが長かったせいもある。
「昨日の虚討伐、あのオッサン何したと思う?」
「何?」
ギンの固い膝はあまり気持ちが良くない。けれど膝枕したいと言って聞かないギンに一護は気まぐれで今膝枕されてやっている。ちなみに一護がギンに膝枕をしてやったことはない。
「ドサクサに紛れてボクに鬼道ぶつけようとしたんやっ」
「へえ」
「虚と間違った、やて。わざとらしゅう眼鏡拭いとったけど、あれ伊達やで」
「楽しそうだな」
「ちっとも楽しない!」
大声を上げた拍子に雀は飛び立ってしまった。それを名残惜しそうに眺める一護を見下ろし、ギンはくすくすと笑う。
「今日は鶏肉食べよか」
「いいな。唐揚げが食べたい」
作って、と一護がギンの膝頭を優しく撫でさするとぴくりと反応した。視線を上へと向ければどこか照れたような表情のギンと目が合った。
自分の背をあっというまに抜かして大人の男になったギンは自分の何気ない仕草に今でも敏感に反応する。それに呆れ半分、可愛さ半分で、一護は微笑み手を伸ばす。
「一護ちゃん、」
頬を撫でられ、その手が首筋を通過し、そして衿の合わせ目から入って胸板に触れられて、ギンは震える吐息を零した。
「どきどきしてるな」
そう言って手を下へ下へと滑らせて臍を通過したとき、一護がギンを見上げ、そしてフっと腹に息を吹きかけてやった。小さく息を呑む音が聞こえ、一護は耐えきれなくなって声を上げて笑った。
「おしまい」
「っえぇー!!」
散々自分を翻弄しておいて投げ出すだなんて、とギンが不満そうに声を上げる。けれど一護は膝枕から体を起こし、跳ねた髪を直しながらも別のことを考えていた。
「鶏肉あったっけ?」
「一護ちゃぁんっ」
「腹減ったなー、何もやる気が起きねえよ」
恨みがましい視線を一切無視して一護は早くご飯作って、と言った。
「ご飯食べたらやる気が起こるん!?」
「たぶん」
ぼりぼりと肩を掻きながら言うやる気のない態度の一護に対し、ギンは気を入れ直して台所へと向かった。その後ろ姿を眺めながら一護は苦笑する。
そして縁側にごろりと寝転び、床板に耳をくっつけた。
ギンの足音が聞こえる。それに耳を澄ませ、ほっと息をついた。
死神になろうと言ったのはギンだった。
「ふぅん」
ほんの一瞬の間に一護の頭の中を様々な想いが駆け巡った。
あの遠くから眺めるばかりだった瀞霊廷に行く。どこか現実味のない未来だった。
「ごめんなぁ、一護ちゃん」
最近になって背丈を抜かれた一護はふと視線を上げた。ギンが申し訳無さそうな顔で見下ろしていた。
「ほんまは一護ちゃんには死神にはなっとほしゅうない。でも、ボクはそれを言えんのや」
そう言ってギンは一護の手を握り込んだ。
「ボクだけ死神になったら、一護ちゃんと離ればなれや。そんなん嫌や」
「俺がいなくなるかもしれないから?」
自分の手を包むギンの手は大きい。男の手だ。
背や手、容貌も今のギンのほうが年上に見える。
「そうやない。ボクが寂しいの」
ギンの大きな手が一護の体を抱き寄せる。胡座をかいた上に乗せられ、一護は大きくなったと、ギンの成長に少し驚いていた。
「離れたない」
けれど寂しいと訴える声音や仕草はまだまだ幼かった。大きな体でしがみついてくるギンを一護は抱きしめ返し、まだ中身は子供なのだと実感した。
「死神は危険な仕事や。そう分かっとっても、一護ちゃんから離れたない」
「俺は」
「縛ったりせえへん。でも、一護ちゃん、一護ちゃんはボクを離さんといて、縛り付けといて」
首筋に感じるギンの息づかいは静かでどこか泣いているようだった。一護は銀色の髪に鼻先を埋め、何事か思案するように無言になった。
「ボクはアホやなぁ。一護ちゃん守りたいて思うんに、結局は一護ちゃんも危険な目ぇに合わせるしかないんやなんて」
一護がわずかに身じろいだ。おそらくギンは自分がどうやって金を手に入れているのか知っているのだ。
「矛盾しとるんは承知や。でもな、死神になろ」
顔を上げて、ギンは一護を正面から見据えてそう言った。それからすぐに俯いて、
「アホでごめん、我が儘でごめん。けどなぁ、捨てんとってほしいんや」
長い手を一護の体に絡め、決して離しはしないと言うように力を込めた。
互いに無言になり、ただ体温を供給し合うだけの時間が過ぎた。
「ギン」
耳にそっと囁きかける。視線が合えば、一護はギンの目をじっと覗き込んだ。
一体自分の何がこの子供の心を捕らえて離さないのか一護には分からない。けれどギンは自分がいなければ生きていけないということだけは分かる。
突き放したらどうなるか、それを見てみたいと思う残忍な気持ちはあった。けれど、
「ギン」
唇に触れるか触れないかの距離まで顔を寄せる。ギンは動かない。一護のほうからしてくれるまで、決して自分から仕掛けるようなことはしない。まるでよく慣らされた動物を思わせる。けれど一護の意志でそうさせたわけではないのだ。
「ギン‥‥‥‥」
唇を重ね合わせた。
暖かい。この温もりを手放せる訳がないと頭の隅で誰かが言った。
「いいぜ、お前の頼み、聞いてやる‥‥‥‥‥」
突き放せるものか。
この可愛らしい生き物を、一護は一生縛り付けてやると誓った。
「起きてぇー、一護ちゃーん」
軽く揺さぶられて一護は目を覚ました。夕日は沈み、辺りは薄暗い。
いつのまにか眠っていた。こちらを見下ろすギンが視界に映っていた。
「一護ちゃん?」
目を覚ましても起き上がろうとしない一護を不審に思い、覗き込んだギンはそのまま体勢を崩した。一護に胸ぐらを掴まれて引っ張られたからだ。
「何? 何ごと?」
状況を把握できていないギンに覆いかぶさり、一護は徐にその細い顎をぺろりと舐めた。
「ひゃあ」
ひっくり返った声を上げるギンを見下ろし、一護は薄く笑みを浮かべた。
「可愛い」
「えぇ?」
その台詞に抗議しようとしたギンの口を一護は塞ぎ、冷えた己の体をくっつけた。すぐに抱きしめてくれる長い腕を背中に感じて、目の奥が熱くなった。
「お前は俺のもんだ」
そうだろ?
そう聞き返せば間髪入れずに頷きが返ってきた。
「いつか、」
「ぅん?」
「‥‥‥‥‥何でもね」
今度は貪るような口付けをしながら、一護は心の中で言葉を紡いだ。
いつか、お前のものになってやる。