拍手小説<ディ一>

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「一護ってさー、キスしたことある?」
 学級日誌をつける手を止め、一護は隣に座るロイにちらりと視線をやった。
 ロイは小柄な体を机に抱きつかせるようにして、行儀悪く足をぶらぶら揺らしていた。
 今は放課後。窓の外からはグラウンドで部活をする生徒達の賑やかな声が聞こえてくる。それに反して教室は一護とロイの二人だけだ。
「キス?」
「そ、キス」
「キス‥‥‥‥」
 シャーペンをくるくると回して一護は考え込むように目線を天井へと向けた。
「‥‥‥‥そーだな。ガキの頃に親父に奪われた記憶が」
「それはナシ! ノーカウント!」
 机をがたがたと鳴らしてロイがそれは違うと抗議した。その子供っぽい仕草に一護は苦笑して、今のは冗談だと言ってやった。
「キスなんてしたことない」
「マジ? グリムジョーともしてねーの?」
「何でアイツと‥‥‥‥‥」
 ロイもそうだが同級生達は自分とグリムジョーとの関係を誤解しているようだ。今のところグリムジョーとは(無理矢理)手を繋がれたことしかない。
「アイツは友達、‥‥‥‥なのか?」
 迷惑ばかりかけてくる男を友達と言っていいものか、微妙なところだ。一護が言葉に詰まっていると、ロイがまた嬉しそうに表情を緩め、きししと笑った。
「じゃあ他人以上友達未満だ」
「あー‥‥‥‥だな、それだ」
 一護がそれに同意するとロイは面白かったのか、今度は豪快に笑った。それにつられて一護も笑うと何だか止まらなくなって、二人でしばらく笑いあった。
「じゃあさ、好きな人はいねーの?」
「いない」
 一護の即答にロイはぱちりと目を瞬いた。それから何か珍しいものでも見るかのように一護をじろじろと見回した。
「何? 何か変?」
「いや、年頃の女の子がそれってどうなの? ちょっとは気になる人とかさ、少しは悩もうよ」
 少しは気になる人とかいないものかと聞かれても、一護は正直言ってそんなものはいない。
「トキめいたりとか、しない?」
「しない。‥‥‥‥ていうかトキめきってどんなんだよ」
「キュンっ、とか、ドキっ、とか? 少女漫画じゃ効果音はこれだな」
 そんなの読んでんのか、と一護は笑い、それから考えてみた。
 キュンもドキも経験したことが無い。悪い意味でのドキならあるが、それが恋愛に繋がる筈も無く、つまりは自分は立派な恋愛未経験者だ。
「グリムジョーとかウルキオラに迫られても何も感じないの?」
「んー‥‥‥‥、微妙」
 二人とも綺麗な顔をしているからいけないのだ。何か目に見えないオーラのようなものを放っていて、それが必要以上に近づいてくると反射的に距離を取ってしまう。一度ウルキオラにキスされそうになったが、そのときは持っていた下敷きで思い切り顔面を叩いてしまった。
「じゃ、俺は?」
「ロイ?」
「うん。俺、一護のこと好きだよ」
「俺もロイが好きだよ」
 そう言うとロイは困ったように笑った。いつもの子供っぽい笑みではなく、眉を寄せ、唇だけを吊り上げた笑み。それがどこか大人びていて、一護は面食らった。
「ファーストキスはレモン味」
「は?」
 次の瞬間にはいつもの無邪気な笑みを浮かべてロイは唐突にそう言った。一護が呆気にとられていると、ロイは小さな顔を近づけてきた。
「キスしよっか」
 ロイの目は好奇心でいっぱいになっていて、効果音をつけるならキラキラしていた。そんな目が一護を上目遣いに見つめてくる。一護は学級日誌の一番下、今日の感想を書こうとしたところで動きを止め、ロイを凝視した。
「ホントにレモンの味なんてすんのかな。な、一護はどう思う?」
「レモン‥‥‥‥‥‥‥なんでレモン?」
「だろ? だからちょっと試してみよう」
 ロイのわくわくとした雰囲気が伝染したのか、一護の中で好奇心が膨れ上がる。しばらく二人、無言でじっと見つめ合うと、やがて同時に唇を寄せ合った。
 一護もそうだがロイも初めてで、距離感が掴めなくて二人の唇が合わさるのに時間がかかってしまった。そして唇よりも先に鼻同士が触れ合って、それに二人同時に「あれ?」、と目を見開いた。
 可笑しくなってぷっと吹き出し、二人で押し殺すように笑った。それから「もちょっと真面目にしよう」とロイが提案して、一護も笑いを堪えながらも頷いた。
「なんかドキドキしてきた」
「俺も」
 これがトキめきかもしれない。そう思ったら、ロイが手を重ねてきた。グリムジョーやウルキオラとは違う、男らしさはあまり感じないそれが今はどこか頼もしく感じる。
 ゆっくりゆっくり近づき合って、それからやはり最初に鼻同士が触れ合った。今度は笑い出すことはせずに一護は無意識に唇を引き結び、目を閉じた。ロイの柔らかな唇の感触に一瞬ぴくりと反応し、じわりと汗が出る。今さらだが無性に恥ずかしくなってきた。
「‥‥‥‥んん」
 自分の声に恥ずかしさが更に煽られて、一護はもう離れようと身を引いた。それを追うようにロイが唇を押し付けてきて、一護は椅子から転げ落ちそうになる。咄嗟に握ったのはロイの制服、唇は離れないまま角度だけが変わって、もういっぱいいっぱいの一護は強く目を瞑ることしかできなかった。
 グラウンドから聞こえてくる喧噪をどこか遠くに感じて、一護は息ってどうするんだっけ、と酸素不足の脳でぼんやりとそんなことを考えていた。








「うわっ、すげー! マジでレモンの味がする!」
 キスの後、何気なく舐めた自分の唇からはまぎれもないレモンの味がして一護は驚いた。
「噂はホントだったんだなー」
 そう言うロイがこっそりと意地悪く笑ったが、一護は気付いていなかった。
 学級日誌を書き上げる一護を横目にロイはべたりと机に突っ伏し、固いそれを思い切り抱きしめた。本当は足をばたばたとさせて叫びだしてしまいたかったが、それは家に帰ってからにしよう。
 今はグリムジョーもウルキオラも自分を苛めるイールフォルトもいない。二人きりの教室で、まさか青春の一ページを綴ることができるとは思いもしなかった。
「一護、好き」
「俺もー」
 軽い返事に内心苦笑する。
 それでも暴れだしたいような熱い何かが体を駆け巡っていたので、今はそれで満足することにした。

 下校時間を知らせるアナウンスが学校中に響き渡る。それを聞きながら、ロイはレモン味のリップクリームが入った胸ポケットを軽く叩き、ぺろりと舌を出した。

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