拍手御礼<藍一>

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 無様な姿が見たいと思う。

「たとえばバナナの皮で滑って転ぶところとか」
 想像して一護は吹き出した。駄目だ、面白すぎる。
「麦茶と麺つゆを間違えて飲んで思い切り咽せたりするところとか」
 やっぱり吹き出した。
「あと、あとっ、額に眼鏡を掛けたまま”眼鏡、眼鏡”って言ってほしい!」
 最後はもう息ができなかった。ひゃらひゃらと笑い転げて一護は床に突っ伏した。ルキアが呆れたように眺めていたが、腹筋は痙攣をやめてはくれなかった。
「好いた男の無様な姿が見たいとは、特異な嗜好だな」
 自分でもそう思う。だが好いているからこそ、間逆の姿も見てみたい。
 しばらく震える体をそのままに、一護の頭の中ではあらゆる場面が浮かんでは消えていった。いつも泰然と構えているあの男が情けない姿を晒してくれたら、自分はきっと一生笑顔でいられる気がする。
「な、ぜってえ面白いって、そう思うだろ、ルキ、‥‥‥‥ア」
 ルキアじゃなかった。
 目の前にいるのはさっきまで散々に笑いの対象にしていた男。
「眼鏡、眼鏡、って?」
「‥‥‥‥いや、えぇっと」
 誤摩化すようにルキアを探して視線を彷徨わせたが、部屋には自分と藍染、二人しかいない。
 そういえば最近涼しくなったな、と一護は思う。もう夏も終わりだ。次は秋、いや冬だろうか。肌が寒いと訴えてくるのは気のせいだと思いたい。
「そんなに僕の情けない姿が見たいかい?」
「‥‥‥‥‥いえ、あの、お仕事は?」
「浮竹はどうやら寝込んでいるようでね、君の顔を見にきたんだが」
 自分をネタにして笑い転げている恋人の姿には正直考えさせられるものがあったよと、藍染はいつも通りの穏やかな笑みで告げた。
「あー‥‥‥‥‥あぁ! 俺この書類届けようとしてたんだ!」
 逃げる口実だが実際そうしようとしていたのだ。一護は各隊に届ける書類に手を伸ばしたが、そこには何も無い。
「‥‥‥‥‥あれ。‥‥‥‥‥あぁそうか、別の部屋に置いてきたんだっけー‥‥‥」
 いっけねーと引き攣った笑いを浮かべながらも一護の心臓は破裂寸前だった。ある筈の書類が無い。つまりはルキアが持っていったのだと瞬時にして悟った。
「さっきそこで書類を持った朽木嬢とすれ違ったけど?」
 しっかり見られていた。一護は隣の部屋へと続く襖に手を掛けたところでびくりと肩を揺らした。
「こちらへおいで。僕のどんな姿が見たいって?」
 このまま逃げるかそれとも従順に藍染のところへ行くか、一護の頭の中でどちらの自分がより無事でいられるかを秤に掛けた。そして後者へとわずかに秤が揺れた。このまま逃げたら後が怖い。
「ご、めん、」
「謝罪というものは相手の目を見て言うものだよ。畳の目を見て言うものじゃない」
 このままねちねちといたぶられるくらいならこの部屋すべての畳の目の数を数える方がましだった。自業自得と言えばそうだが、ここは大人の余裕でさらりと流してもらいたい。
「僕に飽きた?」
「へ」
 意外な言葉に思わず顔を上げれば、そこにいたのはどこか困ったような笑みを浮かべる男が一人。一護はぽかんと目と口を開いて、先ほどの言葉の意味を考えた。
「倦怠期なんて無縁だと思っていたよ。だって君は少しも僕を飽きさせないからね。ただ君の方が僕に飽きるという可能性はまったく考えていなかったよ」
 少し視線をずらした藍染がそっと息をはいた。その仕草と台詞が少々演技臭いと一護は感じたが、それを指摘して突き放すような真似はできなかった。
「別に、飽きたとかそうゆうのじゃなくて、」
「これでも努力はしているのだけどね」
「努力?」
 一護は怪訝な表情を隠しもしなかった。藍染ほど努力という言葉が似合わない人間はいない。むしろ必死に努力している人間を鼻で笑って足蹴にするほどの鬼畜さだ。
「努力って、あの努力だよな?」
「その努力だよ。他にどの努力があるのか知らないけれどね」
 一護は初めて努力という言葉の意味を考えさせられた。目的を達成する為に頑張ること、であっていると思いたい。
 藍染が、頑張る。
「‥‥‥‥似合わな」
「ん?」
「や、‥‥‥‥‥似合わないとかそういうのじゃなくて、激しく違和感を感じるというか、言葉を選べってよく言うけど言葉の方も使われる人間を選びたいというか」
「へえ?」
「‥‥‥‥しっ、失言、でした、」
「言葉は選ぶように」
 先ほどのしおらしい態度はどこかへ行って、藍染は傲慢に笑ってみせた。そして人がいないことをいいことに己の失態に震える一護の体に腕を回した。
「ねえ、僕のどんな姿が見たい?」
 顎に手を掛けて、藍染は少々強引に一護の顔を引き寄せた。
「わ、ちょっとっ、」
 これから何をされるのか、すぐ目の前にいる男に聞かなくとも一護には分かっていた。しかし誰かが来ないとも限らない。そのせいで二人きりの甘い時間だというのに周囲の気配ばかりを探っていた。
 当然面白くない藍染は顎に掛ける指に力を込め、一護が何か不満を言う前にその唇を塞いでしまった。
「っあ、」
 その瞬間はいつも不思議だ。
 直前に考えていたことすべてがどこかへ行ってしまう。それが何だったか思い出そうとしても、駄目だと言うように藍染が舌を入れてきた。
 最初は正面向いて、徐々に一護が押されてついには上向かされる。覆いかぶさられるように唇を吸われるのが実は好きだとは、一護は一度も言ったことはない。
 その好きな感じで何度も角度を変えられて、たっぷりと唇を濡らされた後にはもう少しも抵抗する気にはなれなかった。
「見せられないよ」
「はぁ‥‥‥‥‥なにが、」
 力が抜けてその場にへたり込みそうなれば、藍染が自然な動作で膝を貸してくれた。緊張でどんなに力を込めていても、長い口付けの後には少しも力が入らない自分を情けないと一護は思う。
「無様な姿は見せられないってことさ。君の前では、いつも」
「いつも?」
 藍染は少し黙り込み、言おうかどうか迷う気持ちを指に乗せ、一護の前髪を何度も後ろに梳きやった。
「いつも、何?」
 中々答えてくれない藍染に焦れて、一護は甘えるように腰に腕を巻き付けた。
 そうされて嬉しくない筈が無い藍染は、照れた調子で言葉を紡いだ。
「君の前ではいつも、‥‥‥‥格好つけていたいんだよ。格好悪いことにね」
 言ったあとの、照れを誤摩化すための唇の歪み。
 それが意外に可愛くて。
「一護?」
 一護は無意識に指を伸ばす。唇の歪みをそっと撫でれば次にはもう重ねていた。
「一、」
「上向いて」
 自分がそうされて嬉しいと思うように藍染もそうであればいい。上から覆いかぶさるようにして、藍染の薄い唇を一護は柔く噛んで、一瞬の躊躇の後に舌を滑り込ませた。
 無様な姿よりもずっと、可愛い姿が見たいと思う。
 藍染の可愛い姿。
 頭の中で想像して、
「‥‥‥‥‥‥‥っぷ」
 その姿に吹き出した。

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