君とボク、ついでに幼馴染
01 初恋
「男なんてキライっ、女もキライ! どいつもこいつもー!!」
そう叫ぶと、乱菊は乱暴に勉強机を叩いて突っ伏した。ギンはそんな幼馴染を暢気に見下ろすだけだった。
「乳ばっか見てんじゃねーわよっ、いい気になんかなってねーってのよっ!!」
「まあまあ」
「人のこと悪女だとか、一回でいいからやらせろだとかっ、私はまだ処女だっつーの!!」
「そんな大声で‥‥」
霊術院に入学して一月。
適当に周りと馴染んでいるギンに比べ、乱菊は殺伐とした日々を送っていた。容姿の良い乱菊は男子生徒からは仲良くなりたい対象らしいが、女子生徒からは嫉妬の対象だった。そんな乱菊にとって気を許せる相手はただ一人、ギンだけであった。
「あんたはいいわよねっ、女と遊びまくってるくせに妬まれたりしないもの!」
「お前は真面目すぎんのや」
「真面目のどこがいけないの!?」
再び勉強机を殴って乱菊は激しくギンを睨みつけた。女は怒った顔が一番美しいと言うが、まさに真理だとギンは思う。迫力のありすぎる乱菊の美貌は、この霊術院では浮いていた。
「早く卒業したいっ、ガキ共と一緒に勉強なんかしてられっかー!!!」
そんな勇ましい叫びから半月ほどが経った日のこと。
「お早うっ、黒崎くぅん!」
おぞましい声が聞こえた気がする。
鳥肌の立つ腕を掻きながらギンは周囲を見渡した。今、甘さたっぷりの幼馴染の声がしたような。
「気のせいや、気のせい‥‥」
痒い痒い。
いまだかつて聞いたことも無いようなそれはきっと聞き間違いか、幻聴に違いない。黒崎くぅん、くぅん‥‥駄目だ、本当に気持ち悪い。
「ね、今日も一緒にご飯食べていい?」
今度は近くで声がした。乱菊のよく通る声は聞こえるが、相手の『黒崎くぅん』とやらの声は聞こえてこない。
「あ、これ? 似合わない!? ‥‥‥‥‥えへへ、ありがと」
誰やねんお前。
幼馴染の代わりに近くの壁へと思い切りツッコミを入れてギンは身悶えた。少女みたいに初心な声出しやがってお前二十歳越えとるやろ、と大声で言ってやりたかった。
「うん、そう、今度現世で魂葬実習なの。友達いないから、やだな‥‥」
しおらしい声だが、ギンは知っていた。三人一組の魂葬実習で、乱菊と同じ組になった生徒はいつも具合を悪そうにしている。群れているときは強気な彼らも分断され一人か二人になれば、優等生に加え毒舌の乱菊には適うはずがないからだ。
「あーあ、私も黒崎君と同じ二組が良かったなー。そうしたらこうして、一緒にいられるもの」
背中に覆い被さる猫が目に浮かぶ。
恋をすれば女は変わると言うが、乱菊もそうだったか。しかし相手の男が気になるところだ。ギンは気配を消して、声の元を辿ることにした。
「ねえ、黒崎君は、その‥‥どんな人が好き?」
照れが大いに混じった声に、ギンはずっこけそうになった。あの乱菊にこんな声を出させるなんて、相手は相当良い男に違いない。しかし、女子の間で噂になるような男達を乱菊は毛嫌いしていた。
「‥‥‥優しい人? ‥‥‥っえぇ、私は全然っ、優しくないって!」
見えた。
人気の無い校舎の裏庭、そこの巨木の下に乱菊はいた。相手の男は木の幹の向こう側にいるらしく、顔は見えなかった。けれど時折、風が吹いて、男のオレンジ色の髪が覗いた。
「乱菊さんは、優しいよ」
「っえ、えー、そんなこと、ない、」
ちらちらと男に視線をやる乱菊はまさに恋する乙女だった。
後ろに流すだけだった髪を最近では編み込んだり後ろで纏めて上げてみたり、今日は二つに分けて結わえていた。髪飾りは乱菊が今まで身につけようとはしなかった少々可愛らしいもので、いい気になっていると言われる為に避けていた化粧も気合いの入りようが以前とは違っていた。
「目立つ優しさと、目立たない優しさがあるけど、乱菊さんの場合は目立たない優しさばかりだから、周りは気付きにくいんだと思う」
「っそ、そうかな‥‥?」
「うん、そうだよ。乱菊さんは優しい。だからそんなに綺麗なんだよ」
「‥‥‥‥ありがと」
あの乱菊が顔を真っ赤にさせていた。耳の先まで赤く染めた乱菊と、ふいにギンは目が合った。
「っげえぇ!!」
随分と雄々しい声を上げて乱菊が立ち上がった。
「どうかした?」
「っな、なんでもないっ!! もう行くわねっ、ごきげんよう!!」
般若みたいに眉を吊り上げた乱菊がずんずんとギンのところへとやってきた。そして無言で腕を引っ張られ、ギンは校舎の中へと引きずられていった。
「なんでいんのよ!!」
「黒崎くぅん」
「真似すんな! 殺すわよ!!」
締め上げられていたがギンは余裕だった。弱みを一つ握ってやった。
「うああっ、最悪っ、サイアクだー!!」
「そんな一生の終わりやあるまいし。それともボクが邪魔するとでも思っとんのか?」
「その顔は思ってるでしょ!! やめてー!!」
その取り乱しっぷりに乱菊が本気だと知った。
ギンの笑みが深まった。
「マジでやめろよっ、なんかしたらぶっ殺すぞテメエっ」
「乱菊乱菊、昔の口調に戻っとる」
「黒崎君がいないからいいんだよっ、ほんと邪魔すんなっ、虫の息で生活してろ!!」
「乱菊乱菊」
「アァん? だから黒崎君が」
「う、し、ろ」
ちょいちょいと後ろを指差せば、意味を察した乱菊の顔から血の気が一気に引いていった。
「様子がおかしかったから追いかけてきたんだけど‥‥‥‥‥驚いた」
「っく、くろさき、くん‥‥っ」
そこに立っていたのはオレンジ髪の『黒崎君』だった。面白くなってきた、ギンは腹を抱えて笑いそうになるのを我慢して、二人の成り行きを見守った。
「あのっ、これには、色々と事情がっ」
「うん。なんか無理してるなーとは思ってたんだ」
「無理なんかっ、えぇっと、あれは昔のっ、今は違うのっ」
「俺に合わせてくれてた?」
「‥‥っう、‥‥‥‥うん」
そっか、と呟いて『黒崎君』は寂しそうな顔をした。
ギンはそこでまじまじと『黒崎君』の姿を上から下まで凝視した。オレンジ色の派手な髪色の下にはきつい眼差しがあるものの、垂れ目で今のように悲し気な表情をすれば一気に幼く見えてしまう。それに思っていたほど整った顔立ちではなくて、言い方は悪いが中の上あたりだ。乱菊がどうして惚れてしまっているのかギンには理解できなかった。
「俺が貴族だから?」
「‥‥‥‥‥そうよ」
「乱菊さんが流魂街出身だから?」
「そうよ!」
ぴりぴりとした空気の中、ギンは己の場違いを感じていた。二人して自分を無視して、面白くない。
「私っ、ほんとに育ちが悪いものっ、悪いこといっぱいしてきたのっ、でも黒崎君は違うでしょ!」
「そんなこと、無い。俺は屋敷の中で、何もしてこなかっただけだ。それが嫌だった。だから死神になろうと思ったんだ」
顔を伏せる乱菊のほうへと、『黒崎君』は近づいた。隣にいるギンなんて目にも入らないようだった。
「俺が流魂街出身だからって嫌う奴だと思ってる? ‥‥ふざけんなっ、そんなの、怒るからな」
『黒崎君』がそっと乱菊の手を取った。厳しい環境で生きてきたせいで手荒れの酷い乱菊の手は、貴族の女子生徒からは嘲笑の的になっていたが、それを『黒崎君』はとても自然に握って撫でてみせた。
なんだこの疎外感。ギンは嫌な意味でくらくらした。
「ほんとに、嫌いになったりしない?」
「俺だって貴族だけど、口悪いぜ」
「‥‥でも仕草とかすっごく上品よ。私ときどき自信無くすもの」
乱菊の指摘に『黒崎君』は照れたように笑った。乱菊も緊張が解けたのかくすくすと笑い出して、その瞬間、ギンの中で我慢の糸が切れた。
「一体なんやねん、お前ら」
「ギン、そういえばいたわね」
手を繋いだままの二人が気に食わなくて、ギンは間に割って入った。その際『黒崎君』のほうの手を叩いて落とした。
「ギン!」
「騙されたらあかん。どんな奴かと思たら貴族やて?」
相手を睥睨してギンは思い切り眉を寄せた。
「忘れたんか、乱菊。昔、貴族に手篭めにされそうになったやろう」
「やめてよっ」
「やめへん。悔しいって泣いとったお前が、なに貴族相手に腑抜けとるんや」
乱菊を押しのけると、『黒崎君』を威圧するようにしてギンは霊圧を上げた。女遊びの激しいギンが妬まれないのは、裏で絡んでくる男達をこうして脅しているからだ。
「お前、何を企んどるんや」
「何も。あんたが心配していることなんて何も無い」
「どうやろな。気い持たせるだけ持たせて乱菊囲うつもりやろ」
「ギンっ、あんた何言ってんのよ!」
幼馴染よりも『黒崎君』の味方に回る乱菊に腹が立った。これだけ霊圧を上げて威嚇しても『黒崎君』の表情は崩れない。今まで見た虚勢ばかりの貴族の男とは違う、それが分かって増々苛立った。
「ほんま鬱陶しいわっ、ボクらの前から早よ失せえっ」
「‥‥っ、あんたは」
胸ぐらを掴んで壁へと押し付けた。やめてと叫んで縋ってくる乱菊を乱暴に押しのけて、ギンは更に力を込めた。
苦しそうに眉を顰める『黒崎君』の表情に少し満足して、離してやろうとしたときだった。
「色々理由つけてっ、ほんとはただ幼馴染を取られたくないだけだろ!」
「ギン!!」
全身がカッとなって乱菊の制止を聞かずにギンは殴りつけていた。どうして幼馴染だと知っているのか、それすら疑問に思わず、知った口を利かれたことに怒りで拳を振るっていた。
「偉そうにっ、お前なんかに乱菊はくれてやらんっ、ずっと二人でやってきたんや、それをお前みたいな貴族に」
「このドバカっ!!」
容赦無しの拳がギンの頬を襲った。
「なんかしたらぶっ殺すって言っただろうがっ、死ねっ、死んで詫びろ!!」
「っい、痛ぁ、ちょ、乱、ほんまに痛いんやけど、」
「うるせえっ、男性機能低下させんぞ、アァ!?」
乱菊の目に本気の色を見てとったギンは後じさった。そのときぶつかった『黒崎君』は青ざめた顔をしていた。
「乱菊、黒崎君めっちゃ引いとるで」
「っえ、‥‥‥キャー! 嘘よ嘘っ、忘れて黒崎君!」
「だ、大丈夫、」
貴族出身の彼は、おそらく口汚く罵る女性を見たことが無いに違いない。
「それより顔っ、痛くない? オラぁっ、ギンっ、謝れ!!」
乱菊が怒鳴るたびに『黒崎君』はびくびくしていたが、それでもギンと視線を合わせると、なぜか謝ってきた。
「俺のほうこそ言い過ぎた。ごめん」
「いやぁ‥‥‥ボクも、ごめんな?」
激しく睨みつけてくる乱菊がいた為に、ギンは潔く謝った。殴られた経験など無さそうな『黒崎君』は起き上がるとギンに手を差し伸べてきた。
「立てよ。仲直りしようぜ」
ギンはなぜか素直にその手を取ってしまった。乱菊が射殺しそうな目で見てきたが、気付かないフリをした。
「乱菊さんから話は聞いてたんだ。子供みたいだって」
本当だったと笑いながら言って、『黒崎君』は殴られた頬を撫でた。既に腫れてきている頬が痛々しくて、ギンはもう一度謝りたくなった。
「俺、友達いなかったから、だから乱菊さんがいてくれて嬉しかった。あんたから取ろうなんて思っちゃいないから」
「乱菊のこと、好きやないん?」
「‥‥‥? 好きだよ?」
こいつ、子供だ。
自分のことは棚に上げてギンはそう思った。
「ちょっと! いつまで手え握ってんのよ!!」
「痛いっ、なんで殴るん!?」
「殴ってないわよ撫でただけ! 黒崎君、引かないでね!」
「う、うん‥‥」
若干、青ざめている『黒崎君』の腕を取ると、ギンを置いて乱菊は歩き出した。それをなんとなく見送ってから、ギンは思いついたように後を追いかけた。
来るなと乱菊は追い払ってきたが、『黒崎君』は嬉しそうに笑ってくれた。
「なあ、ボクも入れて」