君とボク、ついでに幼馴染

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  03 惚れたが負け  


「乱菊は可愛いな」
 ぽつりと言われたその台詞に、乱菊は耳の先まで真っ赤になった。
 授業の終わった教室には誰もいなかった。椅子に腰掛けて、その後ろに一護が立って乱菊の髪を弄っていた。
 この親密な雰囲気に、乱菊の口元はずっとひくひくしていた。本当はにやにやしたかったが、そんな顔は一護に見せられないので必死に我慢した。
 しかしその我慢も、一護の「可愛い」発言で終わりを迎えそうだ。
「か、可愛くなんかないわよ、」
 綺麗だとはよく言われるが、可愛いと言われたのは初めてだった。今さら自分を褒める言葉に感動したりはしないが、それが一護だと違ってくる。
 こんなにも胸が高鳴ってるわよコンチクショー!
「いや、可愛いって。なんか妹達を思い出す」
 妹か‥‥。
 ここにギンがいなくてよかった。いたら絶対に手を叩いて爆笑されている。
「家にいるとさ、こうやって髪を弄ってやんの。今頃、どうしてんのかな」
 母親は既に他界し、父親は一人で診療所をを切り盛りしているという。妹二人の面倒は主に一護が見ていたらしい。寂しくて仕方ないという声が、乱菊の背中越しに聞こえてくる。
「そういうの、よく分かんないわ」
 乱菊は素直にそう言った。一護の知る家族の温かさというものがいまいち理解できなかった。
 一護はそれを敏感に感じとったようで、しばらく黙る。そして恐る恐る聞いてきた。
「‥‥‥ギンは?」
「あいつは私の下僕よ」
 ぎょっとした様子が背中越しに伝わってくる。乱菊はぷっと吹き出した。
「冗談よ。ギンはそうねえ、家族というよりは、同士ね」
「同士?」
「そう。同士討ちの、同士」
 今度は一護が吹き出した。二人でくすくす笑っていると、時間を告げる鐘の音が鳴り響いた。
「できた」
 ずっと乱菊の髪を弄っていた一護が満足そうにそう言った。乱菊は手鏡で確認して、その出来に心底驚いた。
「すごっ! 編込みとか、え、これどうやってんの、うわー」
 鏡に映った一護は当然、というように胸を張っていた。きっと妹達で腕を上げたに違いない。
 まだ見ぬ一護の妹二人は、毎朝こうして一護に髪を結わえてもらっていたのだろう。なんて羨ましい。
「でもちょっと私には可愛すぎない?」
「そんなことねえって。似合う。可愛い」
 そんなに可愛いと言われると、だんだん乱菊もその気になってくる。
 これからは綺麗系じゃなくて可愛い路線で攻めようかしら。
「一護も可愛くしてあげようか?」
 ほんの冗談のつもりだった。一護は男の子だから、やだよ、と返ってくると思っていた。でもちょっと髪を弄ってやったら可愛くなるのは間違いない。
「いらない」
 だから一護の放ったその言葉に乱菊は面食らった。感情の籠らない、冷たい声音だった。
「ごめん、なんか今の言い方、感じ悪かったよな‥‥」
 乱菊がなにか言う前に、一護はぱっと頭を下げて謝った。その顔が落ち込んでいて、乱菊は思わず手を伸ばす。気にしてないというようにそっと頬を撫でてやったら、一護は少しだけ笑ってくれた。
 どうしたの、なにかあったの、なんでそんなに悲しそうな顔をしているの。
 うんと優しく聞くと、一護は乱菊の隣にすとんと腰を下ろした。そして小さな声で話してくれた。
「好きな人がいたんだ」
「ぐふっ」
「乱菊?」
 ジャブどころかいきなりのストレートパンチに乱菊は軽く仰け反った。
 好きな、人。一護に好きな人!
「どうした?」
「ほ、ほほほ‥‥なんでもないわ」
 なんでもなくなんか、ねー!
 でも待てよ。一護は今、好きな人がいたんだ、いたんだ、と言った。過去形、これ重要。
「‥‥一護は、今でもそのアマいやその人が、好きなの?」
 唾を呑み込む音がやけに大きく聞こえた気がする。一護は頬を赤く染め、拳を握っていた。
「んなわけない!!」
 それは怒りの赤だった。目の前の机に拳を叩き付けると、一護は捲し立てるように言った。
 初恋だったこと。好きだと告白したこと。
 そして、鼻であしらわれたこと。
「君みたいなちんちくりんじゃ相手にならないよ、身の程を知りたまえ、だとよー!!」
 机をガンガン殴りつけながら一護は吼えた。それはもう吼えまくった。乱菊はただただ圧倒されて、なにも言うことが出来なかった。
「幼気なガキにんなこと言うか普通!? 泣きながら家に帰ったわ!!」
 それから恋心は冷め、復讐心が芽生えたという。
 そして先ほど冷たく言った「いらない」の意味を教えてくれた。
「最近、そいつとよく会うんだ。そのときに、もっと可愛くしろとか、なんなら可愛くしてやるとか言ってべたべた触ってくるんだ」
「んなっ」
 なんて図々しい女なの!
 一護をフっといて、今さら会っているのも腹が立つが、気安く髪に触れようとしているのはさらに気に食わない。一護は人に触られるのが苦手なのだ。触っていいのは本当に気を許している人間だけ。
「そいつどこよ!? この乱菊さんが肉塊にしてやらぁ!!」
 今度は一護が圧倒される番だった。一護の母親はとてもおっとりとした人物だったらしく、ゆえに一護は女性が暴言を吐くというイメージを持っていない。案の定、真っ青になって硬直していた。
「うふふっ、嘘よ嘘! ミートボールにしてやるぞっ、と」
 慌てて取り繕ったが、「あ、うん、そう‥‥」と言って一護に少しだけ身を引かれたのが悲しかった。
 カモン、清楚な私!
「乱菊は、好きな人いる?」
「へ!?」
 まったくもって清楚とは正反対の間抜けな声が出た。一護は背筋を伸ばしてただ乱菊の答えを待っている。
 黒崎一護。
 同じクラスのどの貴族よりも優しくて格好良くて素敵な人。見てくれが良いだけで中身の伴わない男はそれこそ掃いて捨てるほどいるけれど、一護ほど純粋な心を持った人間を乱菊は知らない。
 好きな人は貴方です、と伝えようか、伝えまいか。
 ええい、儘よ!
「あのねっ、一護っ、私」

「まだ残ってたのかい?」

 見ると、教室の扉の前に、男が立っていた。
「あ、藍染隊長っ、」
 書道教室を開いている彼が、霊術院にいることはなんら不思議なことではない。乱菊は立ち上がると慌てて頭を下げた。隣で引き攣った表情をしている一護は視界に入らなかった。
「もう寮に戻る時間だ。鐘の音は聞こえなかった?」
「はいっ、すいません! お喋りに夢中になってしまって」
 急いで荷物をまとめると教室を出た。後ろには当然一護がついてきていると思っていた乱菊が、誰もいないことに気がついたのは、それから随分歩いたところであった。
「一護?」
 誰もいない廊下に、乱菊の声だけが響き渡った。












「君は本当に、人を引っ掛けるのがうまい」
 扉の前で、一護は腕を掴まれていた。乱菊は気付かずに行ってしまった。一護は口元を覆う手の下で、もごもごと抗議した。
「松本乱菊か。特進の首席じゃないか。君はよくよく大物を釣り上げる」
「‥‥‥っ、‥‥んっ、てめーっ、乱菊に何かしてみろっ、その眼鏡ぶっ壊してやるかんな!!」
「汚い言葉は使ってほしくないな。彼女達の影響かい?」
「うるせーっ、違う! これが俺だっ」
 一護の粗野な振る舞いに、藍染が痛まし気な表情をしてみせた。
「まったく嘆かわしい。昔は『私』だっただろう。僕のことは『兄様』と呼んでいたのに。髪も格好も男みたいにして、叔母上が草葉の陰で泣いているとは思わないのか」
「何年経ったと思ってんだ。てめえの少女趣味に付き合ってられっか。それとおふくろを出すな、卑怯だぞ」
「僕にフられたのがそんなに堪えた?」
 一護はぐっと唇を引き結んだ。それから顔を背け、動揺する目を見られたくなくて顔を背けた。
「違う」
「仕方ないだろう。当時の君は本当にちんちくりんだったんだから。僕の相手になるにはまだまだだったよ」
「上から目線のご意見ありがとうよ」
「男の格好をするのは、僕への当て付けだろう」
 頭にカっと血が上り、そのまま手を振りほどこうとしたが、強く握り込まれて引き寄せられる。すぐそこに藍染の顔があった。
「でも君はこうして成長した。少々、いやかなりお転婆で突飛な感じに育ったけどね。うん、僕は嫌いじゃない」
 そう言って、藍染は一護の唇を塞いだ。最近されるようになったその行為に、一護は強く目を閉じた。
「一護、口を開けて」
「は、あ‥‥」
「そう、良い子だ」
 生々しい舌の感触に一護の体が竦む。男の命令に素直に従ってしまう己が恨めしいと思った。幼い頃から刷り込まれてきた主従関係からは、ちょっとやそっとじゃ抜け出せない。
「にいさま‥‥」
 藍染は満足げに目を細めると、一護の額にかかった前髪をゆっくりと後ろに撫付けた。額や頬、首筋に吸いつかれて、一護はただ震えることしかできなかった。
「僕の屋敷に来るといい。可愛がってあげるよ」
 はい、と頷きかけたときだった。ちょうど夕日が校舎の屋上に差し掛かり、鋭く煌めいた。その金色の光を見た瞬間、一護は思い切り藍染を突き飛ばしていた。
「‥‥‥‥最低っ」
 それは相手に言ったのか自分に言ったのか、おそらく両方だ。一護は荷物も忘れて教室を飛び出すと、後ろを振り返らずに全力で駆けた。
 乱菊に会いたい。夕日の煌めきが一護を正気に戻してくれた。あの光に似た髪を持つ親友に、今すぐ縋り付きたかった。

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