眼鏡祭
01 名など無い
目が合った。
「あぁああ!!」
信じられない。
まさか、再び会えようとは。
「煩いよ一角。昼食はさっき食べただろ」
「俺を年寄り扱いするなっ、そうじゃねえよ! あいつっ、あいつだ!!」
隊員の行き交う廊下から一角が指差す方向は斜め上空の渡り廊下。
「誰? 知り合いでも見つけた?」
「あの野郎だ!」
「はぁ?」
一角ほど視力は良く無いが弓親はそれでも目を凝らして渡り廊下を見た。そこには数人の隊員達が歩いている。特に知っている顔があるようには思えないのだが。
「右から三番目っ、六番隊の隊舎に向かってる奴!」
「‥‥‥‥‥うん? 知らない、と思うけど」
特に目立った特徴はない。細身の体に黒髪、眼鏡。身長もずば抜けて高くもなければ低くもなく。
どこにでもいるような容貌だった。
「変装たぁ、随分舐めた小細工してやがる‥‥‥!」
拳を震わせ綺麗に剃り上げられた頭に血管を浮き上がらせ、更には通りがかる隊員達が恐れ戦き道を開けるような鬼の形相で一角は霊圧を上げた。
「ここで逢ったが吉日だっ、あの日の雪辱晴らしてやる!」
「なんか混ざってるよ」
弓親の冷静な間の手も一角の耳には届かない。廊下の欄干を飛び越えるとそのまま一直線に六番隊の隊舎へと一角は駆けていった。
「阿散井副隊長、この書類を預かってきました」
「おう、御苦労さん」
上司と部下との他愛無い遣り取りだった。一護は六番隊の隊員で、今日も一日何事も無く業務を終える。
筈だった。
「‥‥‥‥‥阿散井副隊長?」
手が滑ったのか恋次の手をすり抜け書類がばさばさと床に落ちて散乱した。一護は慌ててそれを拾おうと膝をついた。そのとき異変を悟った。恋次が書類を拾おうともせず、立ち尽くしていることに。
「見つけたぞコラぁあ!」
柄の悪い掛け声に一護はぎょっとして振り返り、そして固まった。
ハゲが。
「テメーそのまま動くなよ!!」
もの凄い速さと形相でこちらにやってくる。一護よりも先にそれを目撃していた恋次は固まったまま動かない。
一護はというと。
「あ、書類。お願いしますね」
すばやく書類を拾うと廊下の端に積み上げた。そしてそそくさとその場を去ろうとする。
「動くなって言ってんだろーが! オイ、待て、えぇと名前っ」
どすどすと床を踏み鳴らして接近してくる男は明らかに一護を指差していた。恋次はようやく我に帰ると逃げようとする一護の首根っこを捕まえた。
「お前、一角さんと知り合いか?」
「いえ、まったく、欠片も、砂粒ほども存じ上げておりません」
「でも、あれ」
一角はもうすぐそこまで迫っている。恋次は視界にまったく入っていないらしい。
そして遂に、二人の距離は詰められた。
「まさかこんなところでまた逢えるとはなぁっ」
「‥‥‥‥私達、初対面ですが?」
「なんだその喋り方はよ!」
「っう、苦しい、」
「ちょっと一角さんっ」
胸ぐらを掴まれた一護が咳き込んで、恋次は二人を引き離した。
「知らないって言ってんじゃないですか」
「嘘吐いてんだよっ、阿散井、こいつ何席だ?」
「えっと、お前何席だった?」
「自分は席官には入っておりませんが」
それを聞いて一角の形相が更に険しいものとなった。
「どういうつもりだ」
しかし声は低く落ち着いていた。それが余計に激しい怒りを思わせる。
「どうもこうも‥‥‥一体さっきから何を仰られているのか分かりかねます」
「こ‥‥っんの野郎!!」
「一角さん!」
遅い。
恋次の制止よりも速く、一角の拳が一護を襲った。
「何やってんですか!」
「‥‥‥‥‥なん、で」
殴られた一護の体は軽々と浮き上がりそして壁に激突した。受け身がまったく取れなかったらしく、駆け寄った恋次の呼びかけに少しも反応しない。
「一角! このバカっ、何やってるんだ!」
後から駆けつけた弓親がその惨状に息を呑み、そして声を上げた。
「えぇ!? 嘘っ」
割れた眼鏡が床に転がっていた。弓親はぽかんと口を開けて、気絶している一護の素顔を凝視していた。
「おい、黒崎、黒崎っ、大丈夫か!?」
反応の無い一護はすぐさま恋次によって四番隊へと運ばれた。その後ろ姿を、一角と弓親はただ呆然と見送った。
血まみれだった。
立っているのは相手のほう。
「お前の、名はっ、」
地面を這いつくばり、去ろうとする相手に一角は必死に問うた。
「聞いてどうする」
しかし冷たく返された。戦っている間はあんなに熱く狂ったような目をしていたのに、戦いが終われば冷たく感情の無い目になっていた。
「聞きたいっ、お前をまた、倒しに行ってやるっ、」
初めて負けた。初めて地に手をついた。
完膚なきまでに叩きのめされたが、こうして生きている。だったらまた戦い、今度は勝利するまでだ。
「教えてやらねえよ」
「っな、」
「テメエのも知りたくねえ。誰だろうが、知りたくねえ。戦うだけだ」
戦った理由なんてものは無かった。目が合って、自然と刀を交えていた。
どこか同じ匂いを感じていた。
一角は相手の言葉に瞠目し、しかしそれでも去ろうとする相手を呼び止める。引き返してきて、殺されるかもしれないなんてことは考えもしなかった。
「待てっ、待ちやがれ!」
相手も傷を負っていたがそれが苦にならないみたいに歩き去る。二人を繋ぐのは転々と落とされた血の跡だけだった。
「俺はっ、一角、班目一角だっ、覚えとけ!」
名前の代わりにその姿を。
覚えておこうと目に焼き付けた。