眼鏡祭

  02 恋なんて  


 髪を引っ張られてるな。
 そう思っていたら今度は目元を撫でられた。寝ていられなくなった一護が目を開けると視界はピンク一色だった。
「おっはよー!」
「っひぃ!」
 甲高い挨拶に情けない悲鳴が零れた。心臓がバクバクとして一護は久しぶりに冷や汗というものをかいた。
「頭は痛くない? 吐き気は?」
「いや、あの?」
「ごめんねー。眼鏡、壊れちゃった」
 ピンク色の髪の子供は申し訳無さそうに割れた眼鏡を一護に差し出した。
 これは酷い。真っ二つになっていた。
「直そうとしたんだよ? そしたらバキって」
「あぁ‥‥」
 どうやら真っ二つにしたのはこの子供の仕業らしい。一護は笑って許してやった。
「とぉ!」
「っぶ!」
 なぜかいきなり殴られた。それも一角に殴られたのと同じ左頬。一護はベッドの上で痛みにもがき苦しんだ。
「草鹿副隊長! 怪我人に何やってるんですか!」
 飛び込んできた看護士の姿を見て、ここが四番隊なのだと一護はやっと気がついた。
「あれぇ? おかしいな〜」
「おかしいのは貴方ですっ、もう出てってください!」
 医療のプロは相手が上官だろうが気にしない。やちるの襟首を摘み上げると部屋の外へとぺいっと放り投げた。












「それでね、剣ちゃんてば私のお菓子踏みつぶしちゃったんだよ!」
「はぁ」
「ひどいよね。仕返しにお酒を酢に入れ替えてやったの」
「はぁ、それはまた‥‥」
「飲んだ瞬間、ブーだよ、ブー! しばらく咳き込んでたの、面っ白いんだぁ」
 きゃははと笑う幼子を見下ろし一護は苦笑した。
 自分は平隊員。相手は副隊長。
 どうして隣り合ってベンチに座り談笑しているのか分からない。
「えい!」
「イター!」
 ごすっと脇腹に頭突きを入れられて一護は身を捩って痛みに耐えた。最近、生傷が絶えない。
「んもうっ、どうして避けないの!?」
 しかも怒られてしまった。理不尽だ。
 新調した眼鏡がずれて、一護はいかにも情けないというふうな表情をした。そんな一護は長年平隊員で、十一番隊の副隊長の攻撃を避けられる筈が無いと誰もが思うし実際にそうだった。それなのに。
「いっちーなら避けられるでしょ! だってあのツルりんをその昔メッタメタのギッタンギッタンにしたんだから!!」
「わーちょっと!」
 一護は慌ててやちるの口を塞いだ。
「変なこと言わないでくださいっ。ただでさえ噂になってるのに」
「ホントのことでしょ!? あのツルりんがツルツルになったのはいっちーが勝利宣言として髪を剃ったからだって」
「剃ってません!」
 噂に尾ひれ背びれがついて今やとんでもないことになっていた。出世コースから外れていた一護をどこか下に見ていた同僚達もその噂が流れてからは一護を見る目が変わってしまうし、接点など皆無だった上席官には最近よく声を掛けられる始末だった。
「お菓子っ、どうぞ!」
 目立つことが嫌いな一護は更なる誤解の発生を阻止しようと、噂の発信源であるやちるの口に餡饅を突っ込みどうにか静かにさせることに成功した。ちなみに菓子を持ち歩く習慣がついてしまった。
 はむはむと幸せそうに餡饅を食べるやちるを隣に一護がふと視線を上げれば。
「‥‥‥‥‥‥どうも」
 ぺこりと頭を下げて一護は曖昧な笑みを敷いた。もの凄い目つきで睨まれているが、今ではもう慣れてしまった。
「ツルりーんっ、こっちおいでよ。お菓子があるよ」
 余計なことを。
 笑みが引き攣り一護はその場から離れようと腰を浮かしたが、やちるの小さな手が袖を掴んで離さない。
「因縁の対決だね!」
「だから違うと」
「おい、俺にもよこせ」
 どかりと座った場所は一護の隣。
「どうぞ‥‥‥‥‥」
 一角とやちるの二人に挟まれる形となった一護はその気まずい空気に閉口した。携えていた紙袋から餡饅を取り出すと無言で一角に差し出した。
「イっっっっっタタタタ! 痛い!」
 一角が掴んだのは餡饅ではなく一護の手首だった。容赦の無い力で握られてぽろりと餡饅が落ちる。それをやちるが空中で受け止めた。
「折れるっ、離してください、」
「左があるだろ。それで俺を叩きのめしてみろよ」
「はぁっ? 無理ですっ、そんなの」
 ぎゅうと一層締めつけられて一護の手首が折れる、その寸前でやちるが二人の間に割って入った。
「そこまで! 今はおやつの時間なんだよ」
「チビ、テメエはすっこんでろ」
「いっちーは私の友達なの。友達苛めたら許さないんだから」
 下から鋭い視線を向けられて一角がようやく一護の手首を解放した。そしてやちるの手から餡饅を奪うとそれを豪快に一口で食べてしまった。
 一護は指の跡がついた己の手首を見下ろし溜息を零した。今のような感じで体を痛めつけられるのが日常茶飯事になって、本当にいい加減にしてくれと言いたかった。
「大丈夫?」
「えぇ」
「お前ならそのくらい屁でも無えだろ。なんせ俺に斬られても平気な顔して立って‥‥‥‥」
「ツルりん?」
 言葉を切って黙り込む、というよりかは絶句したように動かなくなってしまった一角にやちるはことりと首を傾げた。一護はというとこの絶好の機会を逃す筈が無く、そろりそろりとベンチから離れようとしていた。
「‥‥‥‥‥脱げ」
 一護はぴくりと肩を跳ねさせるだけで動じることはなかった。
「そうだ、脱げ。脱いであのときの傷、見せてみろ!」
「っあ、逃げた」
 その瞬発力は中々のものだった。一護は走り出すとわざと人通りの多い道を選んで全速力で突き進む。
「脱ぎやがれコラぁ!!」
 人の隙間を縫って逃げる一護に対し、一角は掻き分けときには弾き飛ばして道を行った。
 結局その日は捕まらなかった。












 オレンジ頭のクソ強いガキに負けた。
 一角は酔う度に同じ話を何度もする。
「でも黒髪ですよ」
「染めてんだろ。それか、薬かなんかで、」
 散乱した一升瓶の中からまだ中身のあるものを探し出すと一角は猪口に注がずそのままラッパ飲みした。ふらふらするのは珍しい。酔って口が滑って、言いたくないことまで言ってしまう。
「護廷には強え奴がごろごろしてる、あいつなら、きっと戦いを求めてそこに行くと、俺は、」
「つまりは追いかけて護廷に入隊したんですね」
「違うっ、俺はただ死神になるついでに奴をぶっとばそうと」
「ほんとほんと。護廷どころか瀞霊廷中探して回ってたから」
「弓親!」
 肩をすくめるだけで弓親に悪びれた様子は無い。
 酒の席に同席していた恋次はいまだに信じられない気持ちでいた。それをそのまま声に出した。
「本当にアイツなんですか?」
「たぶんね」
 自分は戦っていないから確証は持てないと弓親は断った。しかしあの一角が確信している、だから弓親にしてみれば間違いないと顔が言っていたのだけれど。
「黒崎は、俺が死神になる前からずっと平だって聞いてましたけど」
「らしいねえ」
「地味ですよ、眼鏡ですよ」
「アイツに間違いねえ!!」
 どうやら酒が切れたらしい。目の据わった一角が身を乗り出し、そして恋次にとって十一番隊時代からの馴染みとなりつつある話を始めた。
「目が合った瞬間、斬り合ってた! 力じゃ俺が勝ってたけど技はアイツだ、無茶苦茶で、でも隙が無え、どんな体勢からでも仕掛けてくるっ」
 その話は何度しようが一語一句違わない。先の言葉はその場にいる弓親と恋次には容易く思い浮かんだ。
 しかし今日に限って違った。
「名前も知らねえ、姿だけ、ずっと探し回って、」
 おや、と弓親と恋次は顔を見合わせた。一角は壁に寄りかかり、格子窓から見える満月を眺めた。
「やっと、見つけたんだ、あいつ、一護って」
「一角?」
「‥‥‥‥一護っていうのか、へへ、俺と同じ一の字だ、どうりで、強え筈‥‥だ‥‥」
 それからぐーぐーと寝息が聞こえて弓親の大きく息を吐く音と重なった。
「まるで長年追い求めてきた恋人と巡り会えたみたいだ」
「なんすか、それ」
「恋い焦がれてきたんだよ」
 名前も告げずに去った相手を。
「少しでもいい、応えてくれたらいいんだけどね」
 格子窓へと視線をやれば月が見えた。
 今宵の月は少し、暗い。
 その静かな光は、眼鏡の奥、どこか陰の潜んだ一護の茶色の目を思わせた。

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