眼鏡祭

  03 笑った顔は  


 瀞霊廷には強い奴がごろごろしてるらしい。
 所謂、死神という者達のことだ。斬魄刀という刀を持ち、鬼道という術を使う。恐ろしく速く移動し、素手の体術を極めた猛者もいるとのこと。
 面白い。戦ってみたい。
 そいつらは自分を追いつめてくれるだろうか。
 ワクワクしながらも一護は霊術院に入学した。そのとき髪を染め眼鏡を掛けたのは面倒ごとを無くす為。昔、何人か死神を斬ったから、手配書が回されていないか警戒した。
 そして愕然とした。
「黒崎、字が汚いぞ。こうやって書くんだ」
 教師は煩かった。世話焼きばかりが揃っていた。
「黒崎、次の授業サボって飯食いに行こうぜ」
 俺達ダチだよな、とか勝手に言って勝手に自分を連れ回すガキ共に一護は閉口した。殴りたいと頻繁に思ったがそれは我慢した。護廷に入って強者達と刀を交えるまでの辛抱だ。
「うわー目が合っちゃった!」
 恋話とかされて。
 自分は一体ここで何してるんだと壁に頭をぶつけたくなる日々が続いた。
 それでも我慢した結果がやってきた。卒業式、その頃には一護はなんだかぐったりしていた。
 護廷の猛者、究極の戦い、命の遣り取り‥‥‥‥呪文のように繰り返してきたが、数年もの間、周りをふにゃふにゃした小僧小娘おせっかい教師どもに囲まれた生活によって精神は著しく擦り切れていた。
 これはもう大暴れだ。敗者の山を築いてやる。
 そう決意したときに卒業式は終了し、卒業生は友人達との別れを惜しんだり新たな門出に興奮した色をにじませたりしていた。
 一護はというと早々にその場を離れようとしていたが後ろからがしりと捕獲され、振り向けば自称友人共がわらわらと集まってくるところだった。
「卒業祝にこれから街に繰り出すぞ。行く奴この指止ーまれ!」
「は?」
 一人が一護の手を高く掲げると勝手にそんなことを言い出した。一護がぼけっとしている間に俺も私もと一護を中心にもみくちゃになりながらも駆け寄ってくる。
「行きたくねえとか言うなよ。お前が行かねえなら誰も来ねえからな」
 まさかそんなこと。
 周囲を見渡せば全員が自分を見ていた。
 そのとき一護の中で、例えようの無い怒りが沸き起こった。
「あ、黒崎が泣いてる」
 腹立たしい。
 自分はどうやら無駄にしたようだ。
「眼鏡とれって。上から擦ってどうすんだよ」
 楽しいことは他にもたくさんあった。
 それを知らず、知ろうともせず、無駄に生きてきた自分にその日初めて腹が立った。













「一人でメシ食って、美味いかよ」
 その突然の声に一護は振り向かなかった。驚く素振りも見せなかった。
 竹の水筒を手に取り、こくりと喉を潤した。
「正直、あんまり」
「だろ。しょうがねえ、俺様が一緒に食ってやらぁ」
 一護がいいとも言わぬうちに隣に腰掛けると、これまた一護がいいとも言わぬうちに握り飯をとり食べ始めた。
「班目第三席‥‥それ、自分のですが」
「まあまあの塩加減だ」
「‥‥‥‥‥‥どうも」
 一護は二つ食べて終いにした。残りは一角が食べるだろう。
 その一角の手が水筒に伸び、一護は慌ててそれを取り上げた。
「‥‥‥なんだよ」
「駄目です」
「喉乾いてんだ、よこせよ」
「間接キスってご存知ですか」
「あぁ? 何言ってんだお前」
「意中の相手だとどんと来いだそうですが、どうでもいい相手だと死守するそうです」
「‥‥‥‥何が言いてえんだ」
「言ってたのは自分ではなく、友人です」
 とりあえず駄目です嫌です飲まないでくださいと一護はきっぱり断った。ついでに自身ですべて飲み干してやった。一角のこめかみに青筋が浮かんでいたが一護は無視して空を仰いだ。冬の空は夏に比べて澄んで見えるのは気のせいだろうか。
「ダチいるんじゃねえか。そいつらとはメシ食わねえのかよ」
「食いません」
 小鳥達が飛んでいく。喧嘩しているのかはたまた遊んでいるだけか、一護達の上空をくるくる回っていた。
「喧嘩でもしたのか? まさか、その、俺のせいとかで」
「何ですか、それ。自惚れ?」
「違ぇーよ! 馬鹿かテメエ」
 一角の拳が飛ぶ。しかしそれは寸前で止められた。
「殴らないんですか」
「‥‥‥‥やり返してもこねえのに殴るかよ」
 今まで散々暴力を振るってきたくせに。そんな目で見てやれば軽く小突かれた。
「痛い」
「嘘吐け」
 もう一度小突かれた。
 学生時代を思い出す。
「なんだよ、変な顔しやがって」
「別に」
「テメエ、段々生意気になってきやがったな」
 その気安い態度に一護は苛々とさせられた。
「‥‥‥‥‥馴れ馴れしいんだよ」
 小さく、本当に小さく呟いたが。
「‥‥へえ」
 どうやら聞こえてしまったらしい。
「やっと本性見せやがったか」
 その闘争心に燃えた目を、一護は覚えていた。
「またそれ。違うって何度も言ってんでしょうが」
「おい、一護」
 馴れ馴れしい。誰が名前で呼んでもいいと言った。
 眉間に皺がより、掛けている眼鏡を鬱陶しく思った。今日は機嫌が悪いのかもしれない。正確に言えばこの男が現れてからだ、調子を乱されるようになったのは。
 だから気付くことが出来なかった。限界だったのだ、もう。
「殺気。隠しきれてねえぞ」
 冷えた本能が瞬時に煮えたぎり、昔の自分に戻っていた。

「殺すぞ」

 首を締め上げ地面に押さえつけた。目の前の男を殺すことだけを考えて。
「黙ってりゃべらべらと、あァ? この首へし折ってやろーか」
 そのとき一角の足が動く気配を感じ、一護は飛び退いた。
「やっぱこれだっ、これっきゃねえ!」
 すぐさま起き上がり興奮気味に叫ぶ一角を一護は睨みつけ、手が自然と腰にいった。しかしそこには刀は無く。
「来いっ、木刀だけだが無えよりはマシだ」
 十一番隊に来いとでも言うのか、一角が嬉しそうな顔で早くしろと一護を急かす。
「言っとくが俺は強くなったぞ。テメエがのんびり猫被ってる間、更木隊長相手に死ぬほど鍛錬を積んだんだ。手でも抜いてみろ、今度は俺が」
 言葉を切り、隊舎へと向きかけた体を戻す。一護が着いてこない。
「っオイ、」
「やめだ」
「はぁあ?」
「食べてすぐ後に運動なんて、脇腹が痛くなる。それに野蛮だ」
 一護は昼飯を入れた風呂敷包みを手に持つとくるりと踵を返した。その背中は一角のことなどどうでもいいと言っていた。
「‥‥‥‥なに、言ってやがるっ、だったらさっきのあれは何だったんだよ!?」
「ちょっと腹が立っただけだ。反省してる。ごめん」
「ふざけんな!!」
 すばやく距離を詰めた一角が一護の肩を握り乱暴に振り返らせた。
 眼鏡の奥で、一護の目が静かにこちらを見据えていた。
「怖い顔すんなよ」
「テメ、」
「笑ってろ。そっちのほうが、ずっと良い」
 そうして一護は笑った。
 穏やかで、ぬるま湯みたいにふやけた笑みで。
「変な顔」
 目を見張って動かなくなった一角を残し、一護は六番隊へと戻っていった。

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