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  女は度胸  

「ルキアっ!」
 突然の怒声に、名を呼ばれたルキアは思わず食べていたおしるこを吹き出しそうになった。見れば一護が今にも爆発しそうな形相で肩を怒らせていた。
「な、なんだ、一護」
 びくびくとまるで震える小兎のようにルキアが尋ねる。自分は何かしただろうかと頭の中をフル回転させて。
「どうにかしろ」
「どうにか?」
 一体何をどうするのか分からない。疑問だらけのルキアに一護は今度は分かりやすく言ってやった。
「てめえの兄貴をどうにかしろっ!!」

 兄様、今度は一護に何を言ったのですか。




「またそのような粗野な振る舞いをして、お前は本当に女か」
 いつものことだった。白哉は一護と顔を合わせる度に女としての振る舞いについて煩く言ってくるのは。
 今日も偶然顔を合わせ、恒例の説教のようなものが始まったのだが今日に限って一護の虫の居所が悪かった。
「余計なお世話だ」
 ぼそっと呟いた言葉はだがしっかりと白哉の耳に届いていた。顔をしかめると今度は言葉遣いについての説教が始まる。
「少しはルキアを見習ったらどうだ」
「さりげに妹自慢かこのやろう」
 ルキアのあれは猫かぶりだ。だがそれはルキアの名誉の為にも伏せておく。
 義理とはいえあまり仲のよろしくなかった白哉とルキアの間にあった溝は、以前に比べると随分と埋まってきたらしい。ルキアの口から白哉の名をよく聞くようになった。以前のような愁いを帯びるのではなく、嬉しそうに、ルキアの表情は自慢の兄を語るそれだ。
 目の前の白哉もルキアに対しての態度が柔らかくなったのが分かる。分かるのだが、なぜか一護に対しての態度がまるで小姑のようになったのは気のせいではない筈だ。
「俺はこれで普通なんだよ。ごちゃごちゃ言うんじゃねえ」
 隊長に対しての敬意も何も無い。だがそんなことを気にするような間柄ではないので一護は遠慮なく無礼に言ってやった。
 白哉の表情には少しの変化もない。
「‥‥‥‥本当は男ではないのか」
 心底疑ったような視線。
 苛々が何かの値を振り切った気がした。
「うるせえええっ!!」
 もともと悪かった機嫌が白哉の説教によって最高潮に達した。
 たまたま通りがかった京楽に羽交い締めになって止められなければ拳の一発は見舞っていただろう。おそらく当たりはしないだろうが。




「‥‥‥‥すまぬ」
 ルキアはとりあえず謝っておいた。義兄はいまいち思いやりというものに欠けている為か、一護をよく怒らせる。
「今度会ったら殴らない保証は無いからな」
 呻くような一護の声にルキアは申し訳なさで一杯だ。だがそれにしてもこんなにも一護が不機嫌なことなど珍しい。
 じっと一護の様子をうかがう。そして一つの可能性に思い至った。
「そうか、あの日か」
 だから機嫌が悪かったのかとルキアは納得した。
 一護は怯んだように顔をわずかに染める。
「女子特有の症状の日に男かと聞かれれば腹が立つのも当然だ。兄様が失礼をしたな、義妹の私からも今日のことは兄様にも言っておく」
「言うなっ!」
 なんで女の事情を話されなければならないのか。一護は必死になってルキアを止めた。
 当のルキアは一護をまるで母親のような慈愛のこもった目で見てくる。
 恥ずかしい。これではまるで初めて初潮を迎えたときに母親がおめでとうと言ってくるような光景そのものではないか。一護の頬が真っ赤に染まる。
「一護も立派な女子なのだな。私は嬉しいぞ」
「やめてくれ‥‥‥!」
 先ほどまでの苛々は今やもうすべて恥ずかしさに変わっていた。頬と頭を抱え込んでルキアの恥ずかしい台詞から逃れようと一護はわーわーと叫ぶ。
「まあ落ち着け。兄様はお前を妹のように思っているのだ」
「‥‥‥‥はぁあ?」
「そうやってこ煩く言うのも可愛いからこそ。あまんじて受けてやってくれ」
「自分の義兄をこ煩いって、‥‥‥いやそうじゃなくて、‥‥‥うん?」
 どこから突っ込んでいけばいいのか分からなくなってきた。一護は再び頭を抱える。
「妹はお前だろ」
「兄様はお前もそう思っているのだ」
「‥‥‥嫌じゃないのか?」
「私か?いや、むしろ大歓迎だ」
「‥‥‥‥‥‥」
 一護は今度こそ黙り込んだ。兄もおかしいが妹も妹だ。朽木家恐るべし、と一護は知らず身を引いた。
「一護が私の妹か」
「おい」
 ルキアは一護を放って妄想を始める。人の話を聞かないところは兄妹揃って似ていると一護は思う。本当に血のつながりが無いなんて一護はときどき信じられない。
「姉様と呼んでも構わぬぞ」
「アホかっ!!」




 今日もまた怒らせてしまった。白哉にはそれが不思議でならない。
 女としての自覚を説くと一護はいつも嫌そうに顔を歪めるか怒りだすかのどちらかだ。実はもう一つ、聞いている振りをして聞き流しているというのがあるが白哉は知らない。
「一護はああ見えて縫い物や料理をするようです。女らしいところは十分ございますよ」
 必要にかられて出来るようになっただけなのだが、同じ年頃の娘と比べると一護にはどこか所帯染みたところがあるのは事実だ。
 一護にどうにかしろと言われてルキアは一応女らしいところはあるのだと言ってみる。
「だが言葉遣いが乱暴すぎる。あれでは男と変わりない」
「はあ、」
 憮然とした表情から白哉はこれからも一護にあれこれ言うのだろう。
 ルキアはこっそりため息をつく。
 やはり私では無理だ、一護。
「あー、その、兄様、」
「なんだ」
「近々一護を連れてきてもよろしいでしょうか」
「かまわぬが」
 それでは連れてきます‥‥‥。ぼそぼそと言うとルキアは逃げるように白哉の私室を辞した。
 それを怪訝に思いながらも一護が来ると聞いてほんのわずかに口角が上がったことを白哉は自覚していなかった。





「本当にやるのか」
「当たり前だ。あの野郎をぎゃふんと言わせてやる」
「‥‥‥兄様はぎゃふんなどとは口が裂けても言わんと思う」
 だがルキアの突っ込みにも一護は聞く耳を持たず、闘志を燃やし続ける。殴り込みにいく訳ではないのだがなぜか一護は拳をコキコキと鳴らしていた。
「もう一度確認しておくが、本当にやるのか」
「おう」
 今止められるのはルキアしかいない。ここで止めなければ後で義兄に叱られるだろう。だが止めなければという気持ちの他にこのままやらせてやりたいという相反する気持ちがある。
 なぜならこのままいったほうが確実に面白いからだ。
 いけない、思わず緩んだ頬をルキアは押さえる。もごもごと顔を整えるとなんとか真剣な表情をつくって引き締めた。
 最初は一護とルキアだけの計画が、いつのまにか多くの人間の協力のもと今日に至ってしまった。くれぐれも事後報告をよろしくと言われてしまっているだけに、実はもう引き返すことはできないのだ。
「よっしゃ。行くぜルキアっ!」
「漢らしい‥‥‥‥」
 二人がいるのはルキアの家。朽木家の屋敷の前だった。
 家人である筈のルキアがびくびくとしている反面、よそ者の一護は実に肝の据わった様子で門をくぐった。
「おや。お帰りなさいませ、ルキア様」
 一護も一度会ったことのある朽木家に仕える老人はいつものように丁寧に挨拶をする。客人を連れてくるという知らせは事前に聞いていた。ルキアの傍にいる人物にも挨拶をしようとしたが、それは目を見開き礼をしようとして途中で断念するという不自然な動作で固まってしまった。
 だがそんな様子は露とも気にせずに、一護は老人に向かってしゃなりと腰を折ると儚げな笑みで挨拶をした。
「お久しぶりでございます。先だってはご無礼を、どうかお許しください」
「は、」
「それでは失礼します」
 いまだに固まったままの老人を置いて一護とルキアは先に進んだ。
 そして完全に誰もいなくなったところで一護がにやりと意地悪い笑みを浮かべた。
「見たか、ルキア。あのじじいの顔っ!」
「密かに根に持っていたのだな‥‥‥‥」
 一度この朽木家に連れてこられたとき、一護は散々手玉に取られたことを忘れてはいなかった。一護の小さな復讐は遂行された。  
「ここで待っていてくれ。兄様を呼んでくる」
「わかった」
 広い部屋で一護は白哉を待つ。以前に通された部屋とは別の部屋だったが、ここも同じく華美ではないが贅の尽くされた部屋だった。これだから金持ちはと一護は内心で悪態をついた。
 細工の凝った障子から外庭の風景が見える。時折カコーンと聞こえるのは鹿威しだろうか。庭をぼんやりと眺めながらも金持ちの風流は分からんと一護はどうでもいいことを考えていた。夜にも鳴るのだろうかとか、水は流しっぱなしなのかなどなど、庶民の疑問に答えてくれる者はその場にはいなかったのだが。
「‥‥‥一護?」
「っ、」
 あまりにもどうでもいいことを考えていた為に霊圧を感じとるのを忘れていた。うお、という声を寸でで呑み込んで一護は部屋の入り口に立つ白哉に挨拶をした。
「お邪魔しております。朽木隊長」
 白哉曰く、粗野な言葉遣いとは程遠い穏やかで丁寧な言葉。
 そして三つ指をついた完璧なお辞儀。
 極めつけに今日の一護は死覇装ではない。
 色は控えめに抑えられてはいるものの上品に染め抜かれた緋の色の着物。普段は見せない額をいくらか晒して前髪はいくつもの細かい髪留めで横にとめられていた。薄く化粧もしていたが一番目につくのは唇だ。真っ赤な紅では一護にあまり似合わないだろうと淡い桃色にほのかに橙が混ざった紅をさしていた。
 大人の女性というには幼さが残る。少女というには色気がある。曖昧な状態で時間を止めてしまった、今の一護を表現するならこうだ。
 つまり、どこからどうみても一護は女にしか見えなかった。
「‥‥‥‥‥」
 白哉は絶句していた。先ほどの老人と同じ反応だ。
 やばい、吹き出しそう。一護は歪みそうになる口元を手で押さえる。それが白哉から見ると恥じらっているようにしか見えない。
「本当に一護なのか」
「はい」
 一護はそっと目を伏せる。目を合わせたら笑ってしまいそうだからだ。これがまた白哉にはいじらしい仕草に見えてしまう。
「朽木隊長が女らしくないと余りに仰せられるので、このような格好をしてみました。似合いませんか」
「いや、よく、似合っている」
 歯切れが悪い。皆よく似合っていると言ってくれたので一護は安心していたのだが、白哉から見ると存外似合ってはいないのかもしれない。それが少し悲しくて一護は本当の意味で顔を伏せた。
「驚いた」  
 なにがだよ、と一護は心の中で問う。
「お前がいるという部屋に行ってみれば知らぬ姫君がいる。だが見れば一護なのだと遅れて気が付いた」
 恥ずかしい台詞に一護の耳がほんのりと赤くなる。
「見違えた。とても美しい。だから顔を上げてよく見せてくれ」
 一護は顔を上げようとしない。上げられる筈がなかった。
 ルキアといい白哉といい、この兄妹はなぜ自分に恥ずかしい思いをさせるのだろうと一護には不思議でならなかった。恥ずかしい、とにかく恥ずかしすぎる。
「一護」
 すぐ近くで声が聞こえる。正面に座っていた筈の白哉が一護の隣に来て顔を覗き込もうとしていた。
 その視線をかわして一護は反対方向に顔を背けてしまった。
「‥‥‥女らしいか」
「ああ」
「だったらもう、ごちゃごちゃ言うなよ」
「分かった。約束しよう」
 よし。一護は白哉に見えないように小さく拳を握りしめた。
「一護」
 また名を呼ばれた。
 振り向こうとした一護だが、その前にこめかみあたりに何かが触れる感触がした。
「動くな」
 白哉の長い指が一護の後れ髪を直す。それに妙に緊張してしまって一護は動くに動けない。  
 指が離れる。それを追うように一護の視線も動く。白哉と目が合った、その瞬間。
「!」
 もう一度こめかみをそっと撫でられた。
 カーっと顔に熱が集まる。  
 それを見て、白哉は薄く微笑んでいた。




 女らしい格好をして見せれば白哉も煩く言ってこなくなるのではないかと最初に提案したのはルキアだった。それがどこから漏れたのか雛森や乱菊、夜一まで加わって一護は大改造された。
 所作や言葉遣い、女らしい仕草とは何かと皆一護に叩き込んでくれたのはいいのだが、男のように振る舞うことの何と楽なことよと一護は一層思ってしまった。反動なのか何なのか、あれから一護は女物の着物は遠ざけている。
「あーやっぱ死覇装が一番動きやすいな」
「足を閉じろ」  
 ルキアの注意が飛ぶが一護はどこ吹く風だ。  
 もううるさく言ってくるやつはいない。一護はこれからも男らしく生きていくつもりだった。
「兄様」
 ルキアの視線の先には白哉がいた。
 白哉は一護の足を広げて座る様に眉をしかめる。そして音も立てずに一護の傍までやってきた。
「なんだよ」
「女らしくしろとはもう言わぬ。‥‥‥だが、」
 自然な動作で白哉の指が一護に伸びる。  

 さら。

「あの可憐な姿も見せてくれ」
「な、」  
 あのときと同じように白哉は一護のこめかみ辺りから髪を後ろに優しく撫でた。
 そしてそれ以上は何も言わず、呆然とする一護を残して去っていった。
 一護は真っ赤な顔を両手で覆う。  
 そんな一護に、ルキアがかける言葉はこれしかなかった。  

「ぎゃふん」  


 
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