おかしな二人
03. 気付いたときには手遅れで
「え? 飲みに行かないんですか?」
予想していたのと反対の答えを聞いた乱菊はぱちりと目を見開いた。
隊首会が終了し、出てきた京楽をいつものように飲みに誘ったのだが断られるとは思ってもみなかった。
「ごめんね。今日はちょっとね」
「今日だけじゃなくてこの前もその前も行かなかったじゃないですか」
「最近寒くてさぁ、おじさんキツいんだよ」
軽い調子で言ってみたが乱菊からは怪しむような視線を頂いてしまった。乱菊だけでなく隣に立つ七緒や会話を聞いていた他の隊長副隊長からも訝しむ視線が突き刺さってくる。
「もしや京楽隊長‥‥‥」
「な、なんだい?」
疾しいところがありまくる京楽は表情を引き攣らせた。
「女! ですね。それも本命の」
びしっと指を突きつけられた京楽は、うんともすんとも言えなかった。
「女よりも酒を優先させていたあの京楽隊長が誘いを断るなんて、それしか考えられません」
「‥‥‥‥あー‥‥‥ははは」
京楽は助けを求めるように浮竹へと視線をやった。浮竹は溜息をつくと、二人の会話に入ってくれた。
「今日は俺との先約があるんだ。この前もその前もな」
「そうなんだよ」
「っえー?」
期待はずれ、という声を出されたが京楽は浮竹の調子に合わせて頷いた。
「最近男の友情を蔑ろにしすぎてたってのに気付いてね、うん」
「今さらじゃないですか?」
七緒の冷たい台詞に痛みを感じたがこのまま嘘を押し通すしかない。
「とにかく、また今度ね」
その今度も断るつもりでいたが、今は適当なことを言って逃げることにした。
「でね、昨日帰ったら一護ちゃんが玄関先まで迎えにきてくれたんだよー」
「良かったな」
「”お帰りなさい”だって! もう可愛いと思わない?」
「可愛い可愛い」
「寝るときには”おやすみなさい”だよ!?」
「おはようとは言わないだろ」
浮竹は呆れた顔を隠そうともしなかったが、京楽は機嫌良くぺらぺらと喋っていた。
最初はあんなに取り乱していたくせに。
京楽の変わり身の早さに呆れを通り越して感嘆する。
「それで、霊術院にはいつ入れるんだ?」
「へ?」
「へじゃない。一護は死神になりたがっているんだろう?」
当初はそれほど高くはないと思っていた一護の霊圧だが、注意深く探ってみればその高さが伺えた。本人の薄い気配同様、奥深くにそっと息を潜めて存在するような、そんな霊圧だった。
稀に見る霊圧の高さに、本当の娘なのかどうか、半信半疑の浮竹もこれで確信を深めてしまった。
「あー‥‥‥霊術院ね。死神、死神っと」
「おい、真面目に考えてるのか」
「僕はいつだって大真面目だよ」
笠を深くかぶって眠りの体制に入った親友に、浮竹は肩を怒らせ詰め寄った。
「まさかお前っ、京楽の名前を名乗らせるのが嫌で入れたくないとか言わないだろうな!?」
「ーーーーー浮竹。あまり僕を易く見るなよ」
落ちた声音に本気の怒りを感じとる。浮竹は先ほどの言葉を訂正して頭を下げた。
やがて溜息が聞こえ浮竹が顔を上げれば、京楽が困ったように笑ってこちらを見ていた。
「ねぇ、浮竹」
「なんだ?」
「僕はあの子が望むもの、何でも与えてやりたいんだよ」
ぎこちない親子関係。
しかし時とともに二人の間に絆が生まれたようだ。京楽と話すたびに、一護と会うたびに、それは容易に知ることが出来た。
「でも死神になるとさ、あの子が出て行っちゃうんじゃないかって心配なんだ」
「親元から巣立っていくのは当然のことだ」
「嫌なんだよ、それが」
「父親らしくなったじゃないか。だがそのときが来れば、きっと誇らしく思えるさ」
「‥‥‥‥誇らしく?」
皮肉の混じった声色に浮竹は怪訝な表情で京楽を見た。しかし京楽がどんな顔色を浮かべているのか、深く被った笠で見ることは出来ない。
「大事な子供が離れていくのに?」
「一生会えないわけじゃない。遠くから見守るんだ」
それが親だ。自立した子供を見送って、あとはそっと見守る。過剰な干渉は幼い子供にするのと同じで、大人にすることではない。諭すようにそう言って、随分情が芽生えたものだと浮竹は微笑ましく思っていたのだが。
「一護の人生だ。親のお前が邪魔してどうする」
「‥‥‥‥だって、僕の子なんだよ、」
「京楽?」
どうした、そう言おうとした言葉は京楽の声によってかき消された。
「僕の子だっ! 僕の、僕の‥‥‥っ、あの子は僕のものだろう!?」
息を呑む。浮竹は呆然と目の前の親友を凝視した。
「なんで手放さなくちゃならないっ? なんでずっと傍に置いて愛しちゃいけないんだっ」
「お前、まさか」
「あの子は僕を愛してる、僕だってそうだ。愛し合っているのに離れる理由が?」
緊迫感が辺りを包む。浮竹は一度唾を呑み込むと、そっと事実を告げた。
「一護はお前の娘だ」
「‥‥‥‥‥分かってる」
あれだけ熱した京楽の声が、次には冷たく萎びていた。
「分かってる。それくらい、分かってるんだ‥‥‥‥」
「一護はお前を、父親として、愛しているんだ」
うまくいっていると思っていた。しかし知らないうちに、この親友は。
「京楽。お前も娘として愛せ。いや、最初から娘として愛している。そうだろう?」
懇願するように問うてみたが、京楽は視線を合わせようとはしない。ただじっと、虚空を睨みつけていた。
「京楽!」
怒鳴りつけ肩を揺らした。やがて顔を上げた京楽の顔には、浮竹が見たこともないような苦渋の色が浮かんでいた。それでも笑みを浮かべるものだから、いっそ狂気に映る。
「押し付けられたときは勘弁してくれって思ったよ。でも今は、感謝してる」
「自分が何を言ってるか、分かってるのか」
「言っただろ、分かってるって。分かっててもどうしようもないんだ」
浮竹の手を払うと京楽はゆらりと立った。十三番隊の隊主室、飾り窓からは池が一望できた。
揺れる水面をぼうっと見つめ、京楽は憂えを帯びた表情で言った。
「あの子のこと、誰にも言ってないよね」
「‥‥‥‥‥あぁ」
「この先も言わないで。娘だって、誰にも知られたくないんだ」
事情を知らないものが聞けば眉をひそめるが、浮竹は違う。男の恋慕を知った今では愕然として、頷くことも出来ないでいた。
「頼むよ浮竹。僕ら、親友だろう?」
男の流し目に浮竹の背筋が凍った。
今このときばかりは親友を辞めたい、そう思うほどに。