おかしな二人

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  04. くるくると、  


「髪、伸びたね」
 大きな手が髪を撫でる。優しいその仕草に、一護は緩みそうになる唇を引き締めた。
「背も伸びた」
「あんたを越すかな?」
「それは勘弁願いたいなぁ」
 父、とは呼ばなかった。呼べなかった。
 名前で呼んで欲しいと言われたからだ。
「春水さん」
「なに?」
「ありがとう」
 そう言って一護は頭を下げた。
「死神になれたのはあんたのお陰だ」
「どうしたの、畏まっちゃって」
 斬魄刀を握る手に力を込め、一護は恐る恐る呟いた。
「‥‥‥‥‥‥‥お父さん」
「ぅわっ、やめてよそれ!」
 一護は頭を下げたまま笑った。
 京楽は困ったように眉を下げて自分を見ているに違いない。慈愛に満ちた顔で。
「本当に、ありがとう」
「うん」
 だからこそ、顔を上げることが出来なかった。














「意外だった」
「なにが」
 雨乾堂。
 浮竹は寝床の上で体を起こし、京楽は猪口を片手に寛いでいた。
「霊術院に入れたのもそうだが、死神になることまで許すとは思わなかった」
「あぁ」
「何を考えてる」
 京楽へと伺うように視線をやり、浮竹はその深層を探ってみた。しかし何も見えない。飄々とした態度は相変わらずで、あの日の告白が嘘だったかのようだ。
「どうしても、って言われてねえ。断れる筈が無いじゃないか」
「さすが父親だな」
「嫌味はよしてよ」
 酒が切れた。もう一本欲しいという京楽の視線を無視して浮竹は思案するように天井をじっと見つめた。
「あの子は聡い子だ」
 天井を見つめたままぽつぽつと言葉を口にした。
「お前との間に線を引いている。関係を外にばらすようなことは決してしないだろう」
「だろうね」
「それにつけ込むような真似はよせ。あの子の信頼を裏切るな」
 天井から京楽へと視線を移せば案の定、京楽は笑っていた。二人でいるときに見せる気安い笑みではなく、いい知れない笑みを浮かべてそこにいた。
「山じいには言わないんだね。そういうところ、甘いと思うよ」
 元柳斎に一言相談すれば京楽の元から一護は引き離されるだろう。しかしそれでは何の解決にもならない。
 そうした結果、京楽がどんな行動に出るか。それが恐ろしいあまりに浮竹は自分一人の胸に秘めようと決意していた。
「不幸になるだけだ」
「分からないだろう」
「少なくとも一護は望んでいない」
 父親とは似ても似つかない謙虚な性格で、一護はいつも一歩後ろに下がって控えていた。決して踏み込もうとはしない、申し訳無さそうに眼を伏せ静かにしている一護をそれ以上に居たたまれなくするつもりなのだ、この男は。
「やめろ」
「聞き飽きたよ」
「やめるんだ、」
「嫌だよ」
 どちらが聞き分けが無いのか分からない押し問答がしばらく続く。しかしいつも根負けするのは浮竹のほうだった。
 今日も同じように疲れた息を吐き出すと、浮竹は寝床に倒れるように横になった。
「‥‥‥‥‥幸せになどなれんぞ」
 悔しさとやり切れなさで、そんな言葉しか出てこない
「その先にあるのは苦しみだけだ。お前も、一護も。生き地獄だ」
「言うねえ」
「あの子の苦しむ姿を見て、いつかきっと後悔する日が来る」
「‥‥‥‥忠告、受け取っておくよ」
 寝床の上で背を向けた浮竹の耳に、親友が部屋を去る音だけが響いた。














 夕闇の中、京楽は家路を急ぐ。
 浮竹に付き合っていたせいで帰りが遅くなった。今頃腹を空かせて一護が屋敷で待っているに違いない。先に食べることはせずに自分の帰りを待っていてくれている、それが嬉しかった。
 浮竹の心配に胸が痛まないと言えば嘘だ。自分でもどうして娘を愛してしまったのか、親友の言う通り、苦しみばかりが募る。
 しかしそれでも想いは止められない。浮竹の言葉を聞いて思いとどまろうと努めたこともあったが、それは無駄な努力だった。
「‥‥‥‥‥寒いな」
 落ち込みそうになる思考を振り切り京楽は足を速めた。今はただ、一護に少しでも早く会いたい。
 そうすればこの暗い気持ちは消えてなくなるだろう。その度に想いは加速されていくのだが、もう踏みとどまろうと思うことさえ無かった。
 夕日が煌めく。一際空が赤くなったときだった。
「‥‥‥‥‥誰?」
 行く手を阻むかのように立ちはだかる影があった。斬魄刀を背負い、何かを握っているかのように左の拳を閉じていた。
 顔は布で覆われていて見えない。それだけでただならぬ雰囲気を感じた。
「通してくれる?」
 脇を通ればいいことだ、しかしそうすれば即座に斬られそうな予感があった。だから敢えてどけと忠告する。
 しかし影は一歩も動こうとはしない。
「ちょっと、」
 そのとき相手の左手が動いた。斬魄刀に伸びるかと思いきや、それは前方へと掲げられる。そして握った何かを見せるように、手を開いてみせた。
「‥‥‥‥‥‥それはっ、」
 髪。
 陽の光に反射して、きらきらと光るのはオレンジ色の。
「あの子に、何をした‥‥‥‥」
 自分でもぞっとするような声が出た。
 相手は無言でその髪を風に乗せた。それを合図に、京楽は斬り掛かっていた。
「あの子にっ!!」
 硬い音を立てて刀同士がぶつかり合った。相手も斬魄刀を抜き、京楽のそれを受ける。
「答えろ!」
 己の霊圧で押し潰そうとしたが相手は少しも怯まず構えを緩めない。鍔迫り合いの後、両者とも後ろへと跳躍すればしばらく睨み合いが続いた。
「‥‥‥‥‥‥誰に頼まれた?」
 おそらく狙いは自分だろう。隊長をやっていれば誰からも信頼を寄せられるとは京楽は思っていない。
 逆恨み結構。しかし一護は駄目だ。一護だけは。
「髪を切っただけか? 他に、危害は、」
 緊張した声の京楽を嘲笑うかのように相手が傲慢な動作で顎を反らした。そして指が閃くように首の前までいって、スっと横に、動いた。
「貴様‥‥‥‥っ、」
 瞬歩で一気に間合いを詰めた。追えるぎりぎりの速さで。
 そうして相手が自分の斬魄刀を受けとめたとき、京楽は凄絶に笑った。
「残念」
 もう一本あるんだ。
 そう冷たく告げたときには既に相手の体に一太刀浴びせた後だった。
 上がる血飛沫から羽織で己を庇い、京楽は倒れ伏すその敵を忌々しげに見下ろした。
「‥‥‥‥あの子はどこ」
 気になるのは一護の無事だ。自分のせいで、そう思うと一刻も早く助けにいってやらねばと気が急いた。
 血溜まりの中に身を沈める相手の体を乱暴に引き起こし、凍えるような声音で脅すように聞いた。
「あの子は、どこにいる?」
 屋敷に霊圧を感じない。限られているとはいえ瀞霊廷は広大で、その外、流魂街に出られては見つけ出すのは至難の業だ。
 瀕死の相手に更に追い討ちをかけるように、霊圧を高めた。
「死神だろう、それをこんな真似までして‥‥‥‥‥恥を知れ」
 投げ出された始解済みの斬魄刀、体捌きからすれば席官に名を連ねる実力の持ち主だ。知る限りの顔を思い浮かべてみたが、心当たりの人物はいない。
「答えろ!!」
 脅しつけても相手は怯えるどころか、なんと笑ってみせた。
 顔を覆う布の下で、唇が吊り上がるのを京楽ははっきりと見た。
「‥‥‥‥‥‥っ、」
 凶暴な感情を抑えられない。その首へと手を伸ばし、息の根を止めてやろうと力を込めた。
 簡単にへし折れそうなほどの細い首、一瞬で終わる筈だった。
「ぁ‥‥‥」
「‥‥‥っ、な、」
 ほんの小さな悲鳴に京楽の体が大きく揺れた。なぜかは分からない、どきどきと心臓が突然に鼓動を速くした。
 まさか、そんなことがあるものか。
「‥‥‥‥‥‥誰だ、」
 声は震え掠れていた。そして指も。
 小刻みに震える己のそれを、顔を隠す布へとゆっくりと伸ばす。
 辺り一帯は血の海で、剥ぎ取った布の下から現れる青白い顔は京楽が知らない者である筈だ。
 知らない者でなければならないのだ。
 それなのに不吉な予感は拭えない。今になって浮竹の言葉が頭の中で煩いほどに響いていた。
「‥‥‥‥‥‥そんな」
 見えたのはオレンジ色の髪。
 短くなったその髪の下、愛しい人が安らかな顔で眼を閉じていた。

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