おかしな二人

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  05. 夢の中  


「‥‥‥‥‥あの男が?」
「そうよ。できる?」
 わざと地味な身なりをしていたが生来の華やかさは隠せないらしい。
 京楽春水。
 護廷の隊長を務めているという。その男が流魂街にある花街で、身分を隠して遊んでいた。それを遠目に路地裏から見やり、一護は首を振った。
「普通にかかっていったら返り討ちにされるのがオチだ」
 腕に自信はあったが護廷の隊長相手に勝てるとは思っていなかった。自分の腕が通用するのはあくまで流魂街の中だけだ。
「女には弱いの。子供にはもっとね」
「近づいて、やれって?」
 甘い考えだと思った。いくら女子供に弱いといっても相手は数百年もの間、戦いの中に身を置いている猛者なのだ。こちらの思惑など看破してしまうだろう。
「無理だ。他の奴に頼むといい」
 おそらく断られるだろうけど。よほどの自惚れ者か阿呆でない限り受けないだろうと一護には分かっていた。
 しかし女は唐突に笑った。遊び女のように、少々品のない笑い方だった。
「今年の冬は特に厳しいわ」
「だから?」
「たくさん死ぬでしょうね。特に子供は弱いもの」
 一護は眉を顰めて女を睨みつけた。
「強盗だけじゃ稼げないでしょう?」
「あんたに払えんのかよ」
 女は頷いた。おそらく女の後ろにいる人物が、報酬を支払ってくれるのだろう。
「まずは半分」
 そう言って渡された袋はずしりと重いが片手で容易く持てるほどで、これが人の命の重さなのだと思うと一護は渋い顔を隠せなかった。
 しかしこれで当座は凌げる。妹二人の顔が思い浮かび、ほっとした。
「殺してくれたらその後の生活も保障してあげる」
 女は小さな子供に接するようにゆっくりと喋る。その姿が疎ましくて一護は不機嫌な顔を隠しもしなかった。
 どうせすべてが終わったときに自分達を殺すつもりだろう。そうはいかないと、去っていく女の後ろ姿を見えなくなるまで睨みつけた。
 そして華やかな大通りに視線を移した。でれでれと鼻の下を伸ばしている男が両脇に女性を侍らして歩いている。隙だらけに見えるが、恐らくそうではない。息を潜め、ほんの少し殺気を飛ばせば京楽の目に一瞬鋭さが宿った。
 それを見てとって一護もまたその場から身を退けた。今日は家に帰って妹達に言わなくてはならない。しばらく会えないと。
 泣かれるだろう。きっと離してもらえない。
 けれどそれを引き剥がし、自分は行かなくてはならないのだ。












「なんてことだ‥‥‥‥‥」
 血管が透けて見えるほど、その頬は白かった。
「なぜだ、なぜ、」
 一護と京楽と。片方は眠りに陥り、もう片方は絶望に浸っていた。
「京楽、」
「分からなかった」
 そう呟く京楽はずっと一護の手を握っている。そっと労るように甲を撫でていた。
「分からなかったんだ‥‥‥‥愛してるなんて言っておいて、僕はこの子だと分からなかった、」
 悄然とした声で、頬には涙が通った筋が見えた。
 救護室のベッドの上で、一護がその声に答えることは無い。
「痛かっただろうに、」
 肩から脇腹にかけての深い傷。
「助からないと、言われたよ、」
 罰が当たったのだ。苦しみだけが訪れて。
 浮竹の言う通り、なんて生き地獄。












 あっけなく屋敷の中へと通された一護は拍子抜けした。いくら娘だと言われたからといって信じる奴があるか。このお人好し、と呆れてしまった。
 しかし一応警戒はあるらしい。本当の娘なのかと、疑う気持ちが透けて見えた。
 京楽は女子供に弱いというがそれはどうやら間違いだ。女に対しては決して譲らない領域を持っているし、子供に対してはあまり興味が無い。あの女もとんだ見込み違いだと一護は後から頭が痛くなった。
 だが友人には恵まれているらしい。浮竹という男の前では砕けた様子で素を見せる。自分という隠し子について相談までしていた。信頼した人間にはとことん無防備なのだと知った。
 時折女からの接触があった。早く片付けろとの矢の催促だったが護廷の隊長を相手にするのだ、信頼を勝ち取ってからだと退けた。
 けれど本当は。
 怖かったのだ。
 不器用ながらも優しい人だと気付いてしまったから、一緒にいればいるほどその人柄に惹かれていった。
『寂しかったよね』
 頭を撫でられ抱きしめられたとき、父の面影を見た。
 裏切っているという罪悪感からすべてを洗いざらい話してしまいたかった。けれどできなかった。追い出されるのが怖いと思ってしまった。
 瀞霊廷では懐かしい顔にも会えた。
「こんなところで何してやがる」
 目が合った瞬間逃げたがあっけなく捕まえられてしまった。
「離せ、ハゲ」
「あぁン? もっかい言ってみろコラァ!」
「やめなよ。久しぶりだね」
 相変わらず綺麗な男だと一護は懐かしさよりも感心してしまった。流魂街時代も身なりには気をつけていた男だが、死神になって更に気を遣っているらしい。
 その隣で不機嫌そうに一護を見下ろしてくる男は相変わらずの柄の悪さだった。
「クソガキ、なんで瀞霊廷にいやがんだ」
 一護は黙ったまま視線を落とす。どうやって逃げようか、そんなことばかり考えていて答えるつもりなど無かった。
「綺麗な着物だね」
 やはりこの男は簡単には躱せない。その先何を言われるのかが怖くて一護は一層口を閉ざした。
「どこかの貴族の養子にでもなったのかい?」
 探るように眼を覗き込んでくるものだから一護は読まれないよう俯いた。石ころだけに集中した。
「訳あり? 良かったら協力するけど」
「まぁな、犬っころ時代の誼だ。少しなら助けてやる」
 大人二人は子供の前で膝を折り気遣うように視線を合わせてきた。昔、少しだけ一緒に行動していたことがあったが、そのときもこうして何かと助けてくれた。
「一護?」
 人を殺す協力をして欲しい。なんてこと、言える筈も無く。
 しばらくの思案の後。
「‥‥‥‥‥ひとつだけ」
 頼み事をした。












 寝顔は安らかだった。
 ふと目を開けておはようと言ってくれそうな、そんなあどけない表情だった。
 浮竹はいない。自分を憐れむように見つめていたがやがては出ていった。
 たった二人だけがそこにいた。
「一護」
 そっと額に口付けた。
「一護」
 今度は鼻。
「愛してる」
 頬に。
「愛してるよ」
 そして。












 断れば良かったと後悔したときにはもう既に引けないところまできていた。
 妹二人と別の街へと移ろうか。そういうことも考えたが追われるのは目に見えている。護廷の隊長を殺そうというのだ、そんな計画が知られることすら主謀者にとっては危ういだろう。
 だったらやるしかない。
 夜、一緒に眠りたいと言えば京楽は驚いていたようだが快く承諾してくれた。そして寝息を立てる京楽の首に、一護は隠していた小刀の刃を押し当てた。
 やれる。少し力を加えれば殺せる。
 葛藤の時間は朝まで続いた。そして結局はできなかった。これからもきっと、できそうにない。
 死神になろうと思った。どうすれば本気になって掛かってきてくれるだろう。そればかりを考えて、最終的に至ったのが死神だったのだ。その頃にはもう殺すことなんて諦めていた一護にとって、やることは一つだけだった。
 そして晴れて死神となれたその日に決行した。
 夕闇の中。

「‥‥‥‥‥そんなっ、」

 うまくやれたと思って気を抜いたのがいけなかった。最後の最後で声が漏れてしまい、京楽に正体を知られてしまった。

「嘘だっ、一護、」

 薄らと開く視界に泣いている京楽が見えた。
 いつも笑ってばかりの人だったから、もっとその顔を見ていたいと一護は思った。けれど瞼は重くなるばかりで、何度も名前を呼ばれたが応えることが出来なかった。
 落ちていく意識の中で逞しい腕を感じた。血まみれの自分の体を京楽が抱きしめてくれているのだと分かった。
 びっくりして、目が覚めそうだったけれど。
 なぜだか幸せでそのまま眠ってしまった。












 夢の中。
 あの人が傍にいる。名前を呼んで手を握って愛してるなんて言って。
 それから口付けされて。
 夢の中。
 すべては夢の中。
「一護」
 夢だ。
「起きて」
 あんまりにも泣きそうな声だったからかもしれない。あの人の泣き顔が見たいと思ったからかもしれない。
 そんな意地悪な気持ちで夢の中から出てきたなんて。
 言ったらあの人は怒るだろうか。

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