眼鏡祭

  The Punk Rock Fiction  


 六回生には有名な先輩が二名いた。

「やだ、檜佐木君たら」
「ぐふ」

 よく二人でいるところを目撃する。今もそう、目の前で眼鏡をかけた女生徒の肩に手を回したパンクな外見の男子生徒が突如腹を押さえて蹲っていた。
「仲いいなぁ」
 遠目に眺めていた雛森が羨ましそうに呟いた。目標に掲げる先輩二人、憧れていた。
「黒崎先輩って格好良いよね。なんかできる女、みたいな」
「下級貴族だろ? 吉良、なんか知ってるか」
 同じ下級貴族のイヅルはそれによく知っていると頷いた。
「有名だよ。特に黒崎先輩のお父上はね、『戦うお医者さん』とか呼ばれてた」
「はぁあ?」
 なんだそれはと恋次と雛森は変な顔をしてイヅルを見た。イヅルは雛森にまじまじと見られて緊張したように顔を赤らめぎくしゃくしたが、すかさず恋次が脇腹を突いて先を促した。
「黒崎家は代々医者を輩出している家系で、先祖は王族付きの侍医だったそうだよ」
「すっげえ名門じゃん。なんで下級貴族なんだよ」
「いや、なんかね、噂じゃ変人が多かったらしくて、」
「変人?」
 自然と一護のほうへと視線をやったが、本人は何やら苦悶の表情を浮かべている同級生の背中を優しく撫でていた。その姿と変人という言葉は結びつかない。
「上級貴族だった時代もあったそうだけどね。当主によってムラがあったみたいで、没落と復興を繰り返す一族ってことで貴族の中でもかなり変わった部類に入ってる」
 流魂街出身の二人はふうんと頷くだけだが、貴族であるイヅルにしてみればすごいことだった。貴族が一度没落してしまえば這い上がることは不可能と言ってもいい。それをまるで当たり前のことのように繰り返している黒崎家はいっそ奇妙と呼べるほどのものだった。
「異端児が多いってことでも有名でね、良くも悪くもやることが派手でそれが良い方向に当たると復興して位を上げていくらしいんだ。最近ではお父上が護廷十三隊の隊長に就任したのがきっかけで貴族へとまた名を連ねることが出来たんだよ。でも」
「‥‥‥‥でも?」










「檜佐木君、大丈夫ー?」
「てんめっ、殴るかフツー」
 肩を抱こうとしただけで鳩尾に拳を見舞われた。それも周囲には一切気付かれること無く。
 ガードの固い奴だ、ちょっとくらいいいだろと修兵が口を尖らせて抗議すれば。
「金払ってくれるんならいいぞ」
「守銭奴めっ」
「金次第じゃ乳揉ませてやる」
「っマ、マジで!?」
 すぐさま懐の財布を取り出して中身を一護に見せてやった。
「‥‥‥‥‥しけてんな。そんなんじゃ俺に話しかけることすら許し難い」
 自分も貧乏のくせに修兵を貧乏と貶して一護は鼻で笑った。しかし修兵も負けてはいない。
「べっつに、お前が俺に惚れたら揉み放題だもんね」
「バッカか、俺がお前に惚れたとしても金とるからな」
「とるのかよ!? 恋人同士ならタダだろタダ!」
「俺とお前がそうなる未来は永遠にやってこないから、こういう会話はほんと無駄だな」
 一護はそう言ってもう一度鼻で笑った。
「護廷で金持ちの男をゲットする。出世もいいけど玉の輿も捨て難いんだよな」
「俺は?」
「邪魔したら斬り捨てる」
 一護の眼中に入っていない修兵はその気迫に後じさった。
 分かってはいたが、一護の金に対する執着心はすさまじい。
「親父のヤローがいきなり死神やめやがるからこうなったんだ。俺は悪くない」
 修兵の視線の意味するところを悟ったのか、一護は眼鏡を押し上げながらも言い訳がましく弁明した。金金言っている自分が好きというわけでは無いようだ。
「お前の親父さん、四番隊の隊長だったんだろ?」
「そうだ。なのにどっかの恋愛小説に触発されて夫婦二人で切り盛りする診療所なんか始めやがった」
 しかも流魂街のほうが雰囲気が出るとかいう理由で住居も流魂街に移された。
「診察代は基本無料だからな。お陰で貧乏だ」
 そう言うわりには一護の表情に暗いところは欠片も無い。父親を恨む様子も無かった。
 それを見て本当は好きなんだな、と修兵には分かってしまった。眼鏡越しに見える茶色の目には父親への尊敬がありありと浮かんでいた。
「目指せ貧乏脱出! 初任給でまず母さんと妹達に着物を買って、俺は新しい眼鏡を買う!」
 親父は無視だ。
 やっぱり嫌いなのかもしれない、修兵はそう思い直した。










「黒崎先輩って流魂街に住んでるんだ」
 憧れの先輩、しかし貴族。そんな遠いところにいた人が一気に身近に感じられて、雛森は増々一護に向ける視線が熱くなっていた。
「私も眼鏡かけてみようかな」
「似合うと思うよ」
「やめとけ。更に鈍臭そうに見えるぞ」
 イヅルの褒め言葉に対し、恋次が思ったままを口にする。雛森はムッとした顔をしたが、一護のほうを見ると溜息をついた。
「黒崎先輩と私じゃ、確かに比べるべくもないもんね‥‥‥」
「そんな、僕達だって、檜佐木先輩に比べたら、」

「修兵、金貸して」
「この間貸してやったのまだ返してもらってないぞ」
「あれは借りたんじゃなくて貰ったんだよ」
「やってねえよ!」
「でももう使っちまった」
「テメーやっぱ乳揉ませろっ、それかベロチュー!」

「黒崎先輩も檜佐木先輩も、私達が卒業する頃には立派な死神になってるんだろうな」
 視線の先には熱い調子で何やら会話をしている二人がいた。きっと勉学について討論しているに違いない。
「黒崎先輩、何番隊に入るのかな」
 憧れの先輩二人の討論は加熱していくばかりのようだ。まるで取っ組み合いに見える。
「四番隊かな。でも剣術も素晴らしいって先生が仰ってたよ」
 一護が修兵に蹴りを入れたように見えたがきっと見間違いだ。あのたおやかで真面目な女の鑑とも言える一護がそんな乱暴な真似する筈が無い。
「檜佐木先輩言ってたぜ。黒崎先輩は十一番隊が一番性に合ってるって」
「そんなの嘘に決まってるじゃない。阿散井君、騙されてるよ」
 ぱっと振り返って恋次に抗議した。あの一護が臭い汚い関わりたくないと噂される十一番隊が似合うなんて、タチの悪い冗談だ。
 そして再び一護達のほうへと向き直れば、修兵が顔を押さえて転がり回っていた。

「いってえな! 出し惜しみするほどの乳かよ!?」
「黙れっ、俺は形で勝負してんだよ!」
「嘘つけ、ちょっと見せてみろ。俺が鑑定してやる」
「触んじゃねえよっ、せんせーせんせー檜佐木君がー!!」
「やめろっ、もうすぐ卒業なのにっ」

「ほんと仲いいなあ」
「檜佐木先輩ベタ惚れだな」
「うん。必死に追いかけてる」
 ものすごく必死な形相だった。
 後輩三人は庭をちょろちょろと駆け回る先輩二人の姿を見て笑みをこぼした。いつもはクールな二人なのに、今は子供のようにはしゃいでいる。
「もうすぐ卒業なんて寂しいな。私、黒崎先輩とちょっとしか喋ってないのに」
 修兵とはあの実習で共に死線を潜り抜けた仲だ。しかし一護とは接点が無い。修兵が一緒にいるときに話しかけてみるが、それもほんの数回だ。
「私の名前、覚えてくれてるかな」
 しゅん、と俯いたときだった。
「雛森さーんっ」
 廊下の向こうから名前を呼ばれて顔を上げれば、こちらに走ってくる生徒がいた。明るいオレンジ色に、雛森は目を見開いた。
「これ、鬼道の教科書落としてた」
「え、あ、ありがとうございますっ」
 ぺこりと頭を下げて、恐る恐る頭を上げれば。
 そこには紛うこと無き憧れの黒崎先輩が笑顔で立っていた。
「鬼道が得意なんだって?」
「は、はい、でも、黒崎先輩に比べたら私なんて」
「謙遜すんな。こいつの場合は不純な動機で上達しただけのこ」
「やっだー檜佐木君顔が近くない?」
 背後から肩に顎を乗せてきた修兵の顔面に一護の拳がめり込んだ。恋次とイヅルはばっちりとその場面を見てしまったが、一護の穏やかな眼差しに合うと今のは何かの手違いなのだと思うことにした。雛森は最初から一護しか見えていなかった。
「あの、黒崎先輩!」
「ん?」
「私、必ず死神になります。そのときまた、こうしてお話してくれますか?」
「もちろん」
 雛森は感極まって顔を真っ赤にさせた。
「卒業したら教科書使わなくなるけど、良かったらいる?」
「いいんですか!?」
 黒崎先輩の教科書。
 思っても見なかった宝の贈呈に、雛森は首筋までもを赤くさせて感動した。
 立派な先輩風をびゅーびゅーと吹かせまくる一護に、修兵だけが呆れた表情をしていた。
「それじゃあまた。雛森さん」
 一護の手が雛森の頭を撫でていく。恋次とイヅルにも完璧な笑みを向けて一護は去っていった。
「やっぱり素敵‥‥‥‥」
 一護に拾ってもらった教科書を雛森は大事に抱え込み、その後ろ姿が見えなくなるまで見送った。
「騙されてる‥‥‥‥」
 そんな修兵の声は誰の耳にも届くことは無かった。

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