眼鏡祭

  娘さんを下さい。いいだろう、俺の拳をくれてやる!  


「うぃーす先輩、おはようござ‥‥‥‥‥檜佐木先輩ですよね?」
「俺だ」
 修兵はむすりとした表情で答えた。しかし少し唇を動かしただけで顔面が酷く痛んだらしく顔を歪めて更に不機嫌な表情になった。
 声を掛けた恋次はまじまじと修兵を見る。まず69のあたりには大きな湿布が貼られていた。唇の端には青丹があったし、目の周りには痣があった。
「ついに今まで弄んできた女達にやられちまったんですね」
「違うっ、‥‥‥‥ってえ」
 叫んだ拍子にズキリときたのか修兵はすぐさま押し黙る。だが視線は恋次を睨みつけていた。
「黒崎先輩に治してもらったらどうっすか」
 四番隊では伊江村を押しのけて第三席に収まった一護なら簡単な筈だ。しかし修兵は気まずそうに視線を泳がせると特大の溜息をついた。
「もしかして、黒崎先輩にやられたとか?」
 一護がお淑やかで暴力反対な人間だとは今の恋次は思っていない。修兵と付き合うようになってからは周囲に本性をよく見せるようになった一護を見て、なるほど確かに十一番隊向きとも言える気の強さを持っていると恋次は思っていた。
「あーあー檜佐木先輩あれだ、浮気しちまったのか。黒崎先輩とようやく念願叶って付き合えるようになったのに、手癖の悪さは治ってなかったんすね」
「勝手に決めんな。これは一護にやられたんじゃねえよ」
 怪我が痛まなければ恋次を殴っていると言わんばかりに修兵は先ほどから拳をむずむずとさせていた。しかし本当に殴りたいのは恋次よりも。
「これは、ゴリラにやられたんだ」
「‥‥‥‥先輩、頭打ったんですか。その湿布もっと上のほうに貼ったほうがいいんじゃないですか」
「ゴリラみたいな男にやられたって意味だよっ」
 我慢しきれず恋次を殴る。しかしその動きでさえも体が軋み、修兵は恋次と同時に呻き声を上げた。
「いってえっ! あぁもうサイアクだ!」
「そりゃこっちの台詞っすよっ」
「ちくしょうあのゴリラ! 一護の親父じゃなかったらぶっ飛ばしてんぞっ」
「‥‥‥‥‥‥。え?」
「今度会ったらぜってー泣かす!」
「‥‥‥‥父親? 黒崎先輩の?」
「違うっ、あれはきっと野生のゴリラだ」
「ゴリラみたいな男って言ってたじゃないですか」
 余程怨みが深いらしい。
 修兵は思い出すようにぎりぎりと歯を鳴らしていた。言っては悪いが野犬のようだ。
「どうせ先輩がぶっ飛ばされるほどのことをしでかしたんでしょ」
「恋人同士がイチャつきあって何がいけねえんだよっ、まあ一護の自宅ってのがまずかったけど」
「家に行ったんすか」
「行った。しかも誰もいなかった。俺は押し倒したね」
 さも当然、と言うように修兵は堂々としていた。他人の色恋沙汰、特に何かと目立っていた先輩二人の恋の行方に興味を抱かない筈がなく、恋次はそれからどうなったのだと続きを促した。
「一護だからな、最初は暴れた。三回くらい殴られたけど俺はめげずに頑張った」
「殴られ慣れてますもんね。それで?」
「俺の愛とテクで一護の奴を抵抗不能にするまでは追いつめたんだ。なのに」

『ききき貴様ぁ!! うちの一護ちゃんに何してんだー!!』
『‥‥‥‥‥‥何って、前戯?』

「ゴリラ帰宅だよ。その後庭まで引きずられて乱闘になった」
「バカだろ、先輩」
 何素直に答えてるんだと呆れて言ったが修兵は聞いてはいなかった。そのゴリラとの乱闘に完敗してしまったことが当然悔しくて、リベンジだと呟いていた。
「一護は親父にあられもない姿を見られたことがショックだったみたいで、あれからずっと俺のこと無視しやがるし」
「はぁ、大変ですね」
「キスひとつさせてくんねえんだぞ。あんなにエロっちい顔見せといて、あんまりだと思わねえか、なあ!?」
「そうですね」
 あんまりなのはあんただ、と心の中で呟いて恋次はいい加減厭きてきた。うざったそうに視線を明後日の方向に向けると、こちらを伺う人物と目が合った。
「‥‥‥‥先輩、俺もう行きますんで」









「阿散井君、ちょうどよかった」
「よ、雛森」
 ある程度歩いたところで書類を持った同期の少女に声を掛けられた。そして書類の束から何枚か渡された。
「これお願いね。‥‥‥あ、黒崎先輩だ!」
「今はやめとけ」
 遠目に見えたのは雛森憧れの一護だった。本性を知ってもできる女に強さが加わり、今でも一護は尊敬の対象だ。そんな一護が修兵と何か話をしている。駆け寄ろうとすれば、恋次に道を塞がれた。
「話くらいいいじゃない」
「あれでもか?」
 恋次の体を押しのけて見えたのは。
「わ、わ、ちゅーしてる!」
「邪魔してやるな。さっきまで喧嘩してたんだから」
「ちゅーしてるよ阿散井君っ、ぅわっ、わーっ、舌が」
「もういい見るな」
 がしりと雛森の頭を掴んでやって恋次はそのままずるずる引きずっていった。
「あ、あー! なんか書庫に入ってくっ」
「仲良くするんだろ」
「黒崎先輩、顔真っ赤! 可愛い!」
 キャーキャー叫んで実況する雛森の口を塞ぐと恋次は足早に去っていった。今度はゴリラの邪魔はあるまい、良かったですねと息をついた。
「あ、ゴリラだ」
「ぇえ!?」
 振り向いた先、ゴリラのようにいかつい男がいた。
 きょろきょろと辺りを見回し、そして書庫へと向かっていった。
「‥‥‥‥雛森、行くぞ」
「いいの?」
「いいんだよっ」
 背後で物が壊れる音と怒鳴り声が聞こえてきた。

「また貴様かー! 懲りずに何やってんだー!!」
「だから前戯だって言ってんだろこのゴリラ!!」

 早くも交際段階から息ぴったりだ。そう思うことにして、恋次は足早にその場を離れたのだった。

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