振り返る、こともたまにある

  02  


「お姉ちゃん?」
 心細い、声が出た。
「お姉ちゃん、なんで?」
 乱菊は泣いていた。泣くことは恥ずかしいことだと思っていたけれど、今は泣く以外にすることが思いつかなかった。濡れた頬に冷たい風が吹き付け、寒さに体が震え、乱菊はますます涙を零した。
 見渡すと、知らない場所にいた。緩んだ空気から、治安の良い流魂街だと分かった。
「じゃあな」
「お姉ちゃん!?」
 ギンと乱菊を残して、一護は一人で去ろうとしていた。人の良さそうな顔をした知らない老人が、一護を追いかけようとするギンと乱菊を引き止めたが、それを振り払って二人は駆け出した。
「お姉ちゃんっ、お姉ちゃんっ、」
 着物を掴んで追い縋っても、足にしがみついて行かないでと訴えても。
 全部全部、無駄だった。一護が静かに見下ろしてきて、ギンと乱菊の名前を呼んだ。
「元気でな」
 柔らかく微笑みかけられ、そして二人は気を失った。



「で、お前らはもう一緒になったのか?」
 そう言われた瞬間、乱菊は団子を喉に詰まらせた。
「‥‥っ、‥‥っ、‥‥!!」
 ばんばん胸を叩いてなんとか団子を呑み込むと、乱菊は信じられないと叫んだ。
「なんでっ、私がアイツと!?」
「まだなのか。ガキの一人くらいはもうできてると思ってたんだけど」
「あり得ないわよ! お姉ちゃんのバカ!!」
「悪い。いや、でもなあ、」
 一護がちらちらと見てくる。その視線に乱菊は恥ずかしくなって、ぽっと頬を染めた。
 なんせ一護は別れたときの姿のままだ。実に若々しい。対して自分は随分と成長した。見た目では一護よりも年上に見えてしまう。
「いいなぁ。なんでそんなに若いままなの。私なんてこんなおばさんになっちゃってるのにっ、んもう!」
「おばさん? どこが。若いし、前よりも可愛いじゃねえか」
「っキャー! ほんと? ほんとう!?」
 可愛いなんて言ってくれるのは一護だけだ。この年下扱いが嬉しい。ギンなんて、ケバいとか派手だとか、散々に言ってくる。
 思わず抱きしめた体は、記憶の中よりも小さくなっていた。けれど頼もしいのは変わらない。骨太なんだと言っていたっけ。
「ねーねーお姉ちゃん、家はどうしてるの? よかったら私と一緒に住まない? ね、そうしましょ!」
「ギンと住んでるんじゃないのか」
「だから違うって! アイツはアイツでただれた生活送ってるわよ。女なんか食いまくりの捨てまくりよ」
 ギンの悪行三昧をばらしてやろうとしたところ、それまでずっと黙って団子を食べていた相席の男が口を開いた。
「さっきからようもまあ、ボクを無視して話が出来るもんやね」
 ずーっと同じ席にいた幼馴染を忘れていたわけではない。自分と違ってギンはどうやら一護に対して腹に一物抱えているようなのだ。
「黙って団子食べてるからそっとしといてやったんじゃない」
「ちゃう。お前の喧しさに口挟めんかっただけや」
 山と積まれた団子の串を一瞥して、乱菊は一護の腕にくっついた。ちょうど胸の谷間に腕が挟まる状態に、一護は「おぉ‥‥」と感心した声を上げていた。
「一緒に住むん?」
 ギンの問いかけに、一護はびくりと肩を揺らした。バツの悪い顔で、もごもごと口籠る。
「‥‥‥ん、いや、俺は別に、今の宿舎でも満足してるし、」
「っえー!! 私と一緒は嫌!? これでも副隊長よ、部屋とか広いわよ!?」
「ボクかて副隊長や」
「うっせ! オメーは黙ってろ!」
 一護は困ったような、申し訳ないような顔をして俯いた。きっとギンに気を遣っているのだ。
 そんなこと必要ないのに。許す許さないも無い。会えたのだから、昔のことはもういいじゃない。
 乱菊がそう言う前に、ギンが身を乗り出して言った。
「なあ、姉ちゃん」
 一護の体が僅かに強張った。乱菊が威嚇するようにギンを睨んだが、相手は薄く笑い返すだけだった。
「ボクと、一緒に暮らさへん?」
「断る!!」
「‥‥‥乱、お前には言うとらん」
 しっしと手を振られたが、乱菊はますます強く一護にしがみついた。変わらない一護の細い腕。少女のままだ。今度は自分が護らなくては。
「なあ、返事は? まさか否やは無いやろなあ。‥‥‥ボクらを捨てたくせに」
「ギンっ!!」
 湯飲みを掴んで投げつけた。乱菊が投げたそれをギンは余裕で躱したが、零れた茶が肩に掛かる。
 緊迫した空気が茶屋に流れる。ただでさえ目立つ副隊長二人が揃っているのに、客の視線が一気に集中した。
 乱菊は一護を立たせると、茶屋を飛び出した。



「なんなのよアイツ!!」
 近くにあった木を蹴り飛ばせばへし折ってしまった。メリメリと音を立てて倒れていく木を一護が唖然とした目で眺めていたが、構わず腕を引っ張ってずんずん歩いた。
「お姉ちゃんと会えて嬉しくないってーの!? ムカつくっ、ムカつくっ!!」
「乱菊、どこ行くんだよ」
「私の家っ、我が城よ!!」
 一緒に住むの、と言えば一護は大仰に驚いてみせた。なんとか立ち止まろうとするので、乱菊は仕方なく足を止めてやった。
「なによ、ギンならいいの?」
「そうじゃなくてっ」
「ギンなんか駄目よ。アイツ、本当に最低よ。うちの隊の女の子達も何人泣かされたことか」
「本当に暮らしたいわけじゃねえさ。たぶん、俺を困らせたいだけなんだと思う」
 一護は小さく溜息をついて、空を仰いだ。
 懐かしい。一護はこうしてよく空を見上げていた。そんなときは声をかけてはいけない。きっと、とても大事なことを考えているからだ。
「お姉ちゃん、」
 今、二人を繋げているのは手だけで、乱菊にはそれがとても心許なかった。一護はよく手を繋いでくれていたけれど、ある日突然離されてしまった。だから、恐くてたまらない。
 再び会えただけでもう充分なのに。ギンは、あの男はこれ以上何を望むというのだろうか。
「乱菊」
「っあ、‥‥‥はい!」
 ぴんと背筋が伸びるのは昔の癖だ。一護は懐かしそうに微笑んで、乱菊の手を引いた。
「俺の部屋に行こう。茶くらい出すからさ」
 一緒に住むという話ははぐらかされた気がするが、乱菊は素直に頷いてしまった。ギンへの怒りを忘れるくらいに、一護の誘いは魅力的で。
 初めて男の部屋を訪れたときよりも、ずっとドキドキした。

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