波風立たない人生なんて
学生時代の他愛無い会話。
「一護ちゃんはどういう男が好みなのー?」
軽く聞いた京楽だが、内心は緊張していた。隣で聞いていた浮竹も表面上は穏やかに微笑んではいるが、一護の答えが気になって仕方が無い。
「どういうって、」
「見た目とか性格とか、そういうのでいいんだよ」
「んー‥‥‥」
一護は何かを思い出すように上を見上げ、目を瞑った。
それがまるで口付けをねだるような仕草に見えて、ふらふら〜と京楽が引き寄せられるが、すぐさま浮竹が頭を鷲掴んで阻止した。
「そーだな。まず俺より強い奴がいい」
二人は同時に顔を見合わせる。
剣術は同等。三人横並びと言ってもいい。鬼道は一護は苦手だったが、おそらく一護が言っているのは斬魄刀で戦うときの強さを言っているのだろう。
剣術の鍛錬をしようと二人はこっそり誓った。
「それから、厳しいけど優しくて、」
厳しい、という単語に浮竹はにやりと笑って京楽を見た。京楽は、ユルい。
「あと、髭とか、格好いいな」
髭に京楽は拳を突き上げ、浮竹は生やそうかと顎に手をやった。
「それにあの渋い声とか、ほんと素敵だと思う」
一護はどこかうっとりとした表情でそう言った。
そこでようやく浮竹と京楽は何かが変だと気が付いた。
「ええーと、一護ちゃん」
「なに?」
「随分と具体的なんだな」
というかまるで実在の人物を思い浮かべて話しているようだ。
そう指摘された一護はぽっと頬を赤く染めた。
「なに!? ぽっ、て!」
「まさかいるのか!?」
好きな男が。
一護は斜め横に視線を落とした。その初々しい態度にいつもならきゅんとするところだが、驚愕の事実に二人はそれどころではない。
「だ、誰なのっ」
「学院にいるのか!?」
いれば早急に見つけ出して排除決定だ。
二人の追求に一護はもじもじと制服の袴を弄っていた。男らしい一護のその可愛らしい仕草に、これは本気だ、と男二人に怒りと悲しみが同時に襲いかかった。
もし一護が告白すれば相手の男はどう答えるのだろうか。浮竹と京楽ならば一発OKというか一発KOだ。
これはすぐにでも相手の男の名前を聞き出さなければ、自分達は失恋決定になる。
「誰が、好きなんだ‥‥」
「な、内緒」
ぎゅ、と袴を握って一護は俯いた。見えたうなじも真っ赤に染まっていた。
「誰にも言わないから、ね?」
「俺達は親友だろう」
誰にも言わないどころか密かに抹殺する気だ。
二人は親友という皮を被って男の正体を聞き出そうとした。
「‥‥‥誰にも言うなよ?」
「言わナイヨー」
やや棒読みだったが一護は一世一代の秘密を話す緊張で変とも思わない。
「実は、俺、俺っ‥‥‥」
ごくり、と喉が鳴る音がやけに響いた。
一護の唇が紡いだその名前は。
「俺っ、山本のじじいが好きなんだ‥‥‥‥!!」
言っちゃったー!と一護は両手で顔を覆い盛大に恥ずかしがった。
聞かされた男二人はもう哀れなほどに固まっていた。
一護の初恋は元柳斎だ。
そして今好きな人も元柳斎だ。
一護は元柳斎の夫人の座を狙っていた。
「この間、ごはん作りに行ったんだ」
きゃ、と恥ずかしがる一護には普段の凶暴性など微塵も感じられなかった。
「あんなジジイのどこがええねん!!」
「全部」
即答。
男達は呻いた。
「愛に歳の差なんて、って言うだろ」
「歳の差にもほどがあるだろ。一体何世紀違いだ」
剣八のもっともな言い分に、だが一護には少しも気にした様子は伺えない。隊首会は終了して元柳斎は去ったというのに、一護は総隊長の座っていた席をじっと見つめていた。その瞳はまさに恋する乙女だ。
「ああ、どうしたら俺のこと好きになってくれんだろ」
一護はもう何度も元柳斎に告白していた。
そのたびに断られているのだが、それでめげる一護ではない。とにかく押しの一手で数百年が過ぎたのだが、その想いに陰りは出るどころか年々力を増している、というのが親友二人の証言だった。
なんせ一護は若い。このまま元柳斎が根負けしてしまうのではないかと一護に横恋慕する男達は気が気で無かった。
「襲うにも重國のじじいのほうが強いし」
この数百年で変わったことと言えば一護が元柳斎を名前で呼ぶようになったことだ。じじいと付け足すのは乙女の恥じらいらしい。
「襲う!?」
「一護ちゃんっ、早まらないで!」
親友二人の悲痛な叫びも恋する乙女にはただの蚊の鳴く音に過ぎない。一護は何かいい策は無いかと考えを巡らせる。
「いっそすっ裸になって迫るか‥‥‥」
迫られたいと思ったのは一人や二人ではない。
そんな状況を想像して、何人かが壁を殴って悶えていた。
「浦原」
「なんでござんしょ」
すりすりと揉み手で近寄ってきた浦原の耳に一護は唇を寄せる。感じた吐息に鼓動が跳ねて、にへらと笑えば方々から殺気を飛ばされた。
一護は小さな声で、こう問うた。
「媚薬、作れるか」
「‥‥一護さんてばひどいっ!!」
本気で傷ついた。
好きになった女性がジジ専だなんてあんまりだ。浦原は信じたことの無い神を今日、初めて呪った。
眠っている隙を襲うのは臆病者のすることだ。
とかなんとか聞いたことがあるが、一護は自分が臆病者だとは思っていない。だからこれは据え膳を頂くのだ、『据え膳食わぬは女の恥』と言うではないか。言い訳だと言われればそれもそうなのだが、幸いなことにそれを言う邪魔者は今現在ここにはいない。
一護の目の前には眠っている元柳斎がいた。睡眠剤を使ったとかそういうのではなく、これはごくごく普通の眠りである。
一番隊の隊長室にこっそりと忍び込んだ一護は思わずチャーンス!と拳を握った。
霊圧を抑え、気配を殺し、呼吸を相手と合わせて、一護は隠密行動をとる。大虚と戦ったときでさえこんなに緊張したことは無い。
やがてそろりそろりと足を忍ばせて、衣擦れの音さえ立てずに一護は元柳斎のすぐ傍まで近づくと、その顔を覗き込んだ。
「す、素敵‥‥」
なんて声に出せばあっという間に起きてしまうので、一護は心の中だけでときめいた。
そしてゆっくりと顔を近づける。
「これ」
「!!」
ぱちりと開いた鋭い眼。
一護はびくりと肩を震わせたが、こんな遣り取りはもう幾度となくやってきた。狼狽えたのも一瞬、一護はすばやく顔を近づけて唇を重ねようとした。
「やめんかっ」
「いいだろ! 唇くらいっ、ぶちゅっとやらせろ!!」
一護の小さな顔を掴んで押しのけ、元柳斎は抵抗した。だが一護も負けてはいない、ぐぐぐ、とその力に抵抗して顔を近づけようとする。
「ぺいっ」
「うわぁ!」
足払いを掛けられ一護はあえなく転倒させられた。
作戦失敗。尻餅をついたまま一護は恨めしげに元柳斎を見上げ拗ねてみせた。
「ひどい‥‥」
「寝込みを襲うなと何度言えば分かるのじゃ」
立てかけてあった杖をとって元柳斎はふうと息をついた。この教え子と関わるとどうにも疲れてしまうのだ。うたた寝さえも碌にできない。
茶を飲もうと急須に視線をやると、それはさっと持ち上げられた。
「俺がいれてくる」
普段のがさつさはなりを潜め、今はどこからどう見ても甲斐甲斐しい少女だ。元柳斎自身、よくできた娘だと感心している。
他の教え子二人が一護に惚れているのは誰の目にも明らかだった。元柳斎は浮竹と京楽のどちらかと一護が夫婦になるものだと思っていたので、まさか自分に一護が心を寄せているなど思いもしなかった。
いつからか浮竹と京楽に怒りの籠った視線で見られていると思っていたのだが、隊長へと昇格したのと同時に一護に想いを告げられて、その意味をようやく知った。
「どうしたものか‥‥」
一護は可愛い教え子だ。孫か娘のように思っている。
生涯の伴侶になど考えたこともないし、また考えられない。
「はい、お茶」
悩んでいる元柳斎をよそに一護は満面の笑みで茶を入れて戻ってきた。
「む、すまんな」
「俺達、夫婦みたいだな」
「‥‥‥‥‥‥」
どう返せというのか。元柳斎はだんまりを決め込んで一護のいれてくれた茶を啜ろうとした。
「‥‥‥何も入れておらんだろうな」
飲むのを寸前でやめて、一護へと視線を移すとさっと逸らされた。
元柳斎は無言で茶を机へと戻す。
「な、何にも入れてねえよ! ‥‥‥入れようと思ったけど」
探るように一護を見つめると、元柳斎はほんの少しだけ茶を口に含んで様子をみた。
数分経って、体に何の変化もみられなかったので、元柳斎はようやく安心して茶を飲んだ。
「一護」
「はい」
男の趣味を抜きにすれば、一護は気だても良いし家事も万能、腕も立つとくる。それでどうして今まで男の影がないのかと言えば、それはやはり自分のせいだとなり、元柳斎は重くため息をついた。
「儂のことは忘れ、誰か他の男と一緒になるがよい」
もう何度目か知れない台詞を口にのせる。
一護は傷ついた目をして唇を噛み締めている、かと思えば案外けろりとした顔で自分のいれた茶を啜っていた。
「他の男なんて眼中にねえよ」
「十四郎や春水もか」
「あいつらは親友」
本人達が聞けば撃沈しそうな言葉だった。教え子二人が不憫でならない。それもこれも自分のせいだと言われれば元柳斎には反論できる筈もなかった。
実際に「先生のせいです」「山じいのせいだ」と責められたことは一度や二度ではない。
「じじいもさ、いい加減観念して俺と結婚しろよ」
ぐいっと茶を飲み干して、一護はじろりと睨んでくる。
「俺、もう若くねえんだぞっ。‥‥‥いつまで俺を放っとくつもりだ!」
ばきりと湯飲みが手の中で砕け散った。
それで壊した備品は何個目か、数えるのを数百年前に放棄した元柳斎は馴れたもので、怒りで震える一護を呆れた眼差しで眺めた。
「おぬしは儂の教え子じゃ。それ以上でもそれ以下でもない」
「それはもう何度も聞いた! 結婚しろ!!」
「せんわ!!」
「好きだ!!」
「どういたしましてじゃ!!」
はあはあと息をついて二人睨み合う。
同じ言い合いを何度すれば気が済むのか、浮竹と京楽に何度言われても二人に、というよりも一護には懲りた様子はない。おそらく元柳斎が結婚してくれるまで、と真顔で言いそうな一護を容易に想像できる。
「俺、ぜってー諦めねえからな!」
そしていつもの捨て台詞を吐いて一護は一番隊を飛び出していった。
ひとり残された元柳斎は、机に零れた茶と湯飲みの欠片に視線を落とす。欠片を拾い上げるとカチャリと音が鳴った。
カチャリ、カチャリと音が鳴り、やがてそこに重い重いため息が重なった。