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  哀吟  

 これほど自由気侭な男を一護は知らない。

「ああ疲れた。イヅルゥ、あとはお前がやっといて」
「駄目です」

「あ、蝶々や。ボクもついてこ」
「ただの地獄蝶です。仕事がまだ残っておりますよっ」

「おお、よお飛んだわ」
「大事な書類を紙飛行機にしないでください!」

 コツン。
 扉を開けた一護の額に紙飛行機が当たる。会話、もとい言い合いは扉の外まで筒抜けだ。そうか、これは書類なのかと一護が落ちた紙飛行機を拾って綺麗に皺を伸ばした。
「あら、一護ちゃん」
 一護に気付いた市丸が嬉しそうに席を立つ。
 だがそんな市丸に一護が同じく嬉しそうに迎える筈が無かった。
「うちの書類じゃねえかっ!!」




 二人の関係は何だと聞かれたら答える言葉を一護は持っていない。
 付き合ってるというのはどうも違うような気がする。むしろ市丸の我が儘に付き合ってやってるというほうがしっくりくると一護は思った。
「たまにムカつくけども」
「んん、何か言うた?」
 小さな声で呟いたにもかかわらず市丸は耳聡く聞き逃さない。それになんでもないと一護は返す。どうせ何を言ったか聞こえているのだろうけれど。
 先ほど考えていた市丸との仲について、こうして一護は市丸の家に来て二人で寛いでいるのだからそれなりの好意を抱いているのは確かだ。だが甘い雰囲気というには一護がいまいち盛り上がりに欠けているのだが、そこは市丸がじゃれたり唇を合わせたりと、それでなんとか恋人と言える仲ではあった。
 一護も特に嫌がらなかった。ただ二人の間には少々の温度差があるくらいで。
「あー足しびれた、どいてくれ」
 一護は今いわゆる膝枕というものをしていた。もちろん初めは嫌だと断ったが市丸の口八丁手八丁でもっていつのまにかこのような状態となっていたのだ。
「もうちょっとええやん。一護ちゃんのお膝、やあらかくて気持ちええのに。」
「やってる俺は疲れるんだよ。とっととおりろ」
「浪漫もへったくれも無いなあ」
 だが市丸はその長い腕を一護の腰にからませると頑として離さないという意志をみせた。こうなったら決して離さないだろう、付き合いは短いがこの男の性格はもう把握していたので一護は諦めのため息をついた。そして少しでも楽な姿勢をとろうと正座から足を崩して両手を後ろにつく。
 陽の光を反射して光る市丸の銀髪を一護は撫でた。縁側に近いところに座っていた為か冬にしては温かいなと思いながらも一護に眠気が襲ってくる。
「一護ちゃあん」
「なんだよ」
 甘えたような声を出す。いい歳をした大人が不思議なことだと一護は思った。
 市丸はからめた腕に一層力を込めて一護のちょうど下腹部辺りに顔を埋め頬をすり寄せてきた。まるで子供がするような仕草にますますいい歳をした大人がと、一護は呆れた眼差しを送る。
「一護ちゃん、ボクの一護ちゃん」
「お前のじゃねえよ」
「‥‥‥ひどい」
 そう呟いてしくしくと泣きまねをする。こいつは本当に年上なのかと一護は疑いたくなるのだが、最近では随分と馴れてきたように思う。
「あっ、こら、どこ触ってんだてめえっ!」
「あ痛」
 一護の拳骨が飛ぶ。市丸が一護の着物の裾から手を入れて足に這わせたからだ。
 眠気は一気に吹き飛んだ。油断も隙もないと一護が睨む。そして今度こそどけようと市丸の顔を膝から押しやろうとした。
「堪忍、堪忍したって。ほんの出来心です」
「お前その台詞今までに何回言った」
 許しているのは口づけまでだ。それ以上のことはしたことがなかった。だがそれに満足していないのだろう、隙あらば一護に深く触れてこようとする市丸を一護はこれまでに何度も撃退してきた。二人でいると必ず見られる光景だ。
「せやかて一護ちゃんなかなか先に進ませてくれへんやろ」
「それは、」
「そのくせ誘惑してくるし。男のボクとしてはこれは行くっきゃないな、と」
「誰がいつ誘惑したっ!?」
「痛あ」
 再び一護の拳骨が飛ぶ。
 避けられる筈なのに市丸はいつも一護の鉄拳を避けようとはしない。いつもわざと殴られてはどこか嬉しそうにしているので、一護は最初そういう性癖なのかと疑ったことがあった。本当はただ一護にかまわれるのが嬉しいだけなのだと最近になって知ったのだが。
 殴られた頭をさすりながら市丸が首を傾げて一護を見上げてくる。
「いつになったら抱かせてくれるん」
「‥‥‥‥‥」
 初めて言われたとき一護はうろたえた。そして赤面していたものだったが、何度も聞かれるうちに免疫が付いたのか表面は平常心を保つことができるようになった。だが聞かれた瞬間鼓動がはねるのは相変わらずではあったのだが。
「あとどんくらい待てばええん?」
「‥‥‥‥百年」
「長いわっ、ボクを悶死させる気っ!?」
「悶死って、」
 大げさな、と一護は言うが市丸はひどいひどいとますますしがみついてくる。何度か呼びかけてみるが反応しない。仕方なく肩や背中をぽんぽんと軽く叩いたり撫でたりするとようやく市丸が顔を上げて、どこか恨めしそうに一護を見つめてきた。
「そういうところが、誘惑してるんよ」
「なんでだよ。こんなの子供にだってしてるだろ」 
「ボクら恋人同士やろ。こんなんされたら誘惑されとるって男は思うてまうの」
 なんて勝手なと、一護は呆れてしまう。そして男とは皆そういうものなのかとも。
 恋愛経験が市丸以外は皆無な一護にとって付き合うとは分からないことだらけだった。そもそもこれは恋なのかと時折疑問に思うこともある。
「さてここで問題です」
「いきなりだな」
「一護ちゃんの妹二人とボクが溺れています。どっち助ける?」
「しかもベタだし」
 だが市丸は笑っているように見えるがおそらく真剣な顔をして一護の答えを待っている。仕方なく一護は答えてやった。
「妹二人」
「やっぱり‥‥‥」
 分かっているなら聞くなと一護は思う。市丸は落ち込んでいるのか一護のお腹に顔を埋めてなにやらぶつぶつと言っていた。
「つーか隊長ともあろうもんが溺れるなよ。自分でなんとかしろ」
「ここは一護ちゃんも一緒に溺れるとか言うてくれへんの」
「なんで俺も一緒に溺れなきゃなんないんだよ」
 妹達乾かさなきゃと一護は本気で答える。その言葉にちょっぴり傷つきながらも市丸はそれでも一護を離そうとしない。
 こんなにいつもくっついているというのに市丸が溺れるなど一護には考えられなかった。たとえ仮定の話だとしてもありえなさすぎる。
 だが正直に答え過ぎたかと一護は思い市丸の髪をつんと引っ張って顔を上げさせた。
「お前の神槍あるだろ」
「うん?」
「あれを伸ばしてさ、その切っ先を俺が持っててやるからそれで助かるんじゃねえの」
「そんなん一護ちゃんが怪我してまうやん」
「いいよ別に。お前の為なら」
 最後の台詞はちょっとこれは言い過ぎたかと一護が言い直そうとしたが、もう遅かった。
「一護ちゃあんっ!!」
「うわ、」
 驚異的なバネでもって腹の辺りにうつ伏せになっていた市丸が一護に覆いかぶさってきた。それを支えきれずに一護はたまらず後ろに倒れ込む。
「なに、」
「黙って」
 なんでと、反論しようにも喋れない。市丸の口が一護の口を覆ってしまっているからだ。目を見開いて一護は咄嗟に市丸を押しやろうと肩に手をかけるが、逆にやんわりと握り込まれ床に縫い止められてしまった。
 しばらく部屋には口づけの音だけが響く。それが恥ずかしくて居たたまれなくて一護が目を瞑る。
 口づけは初めてではなかったが、いつまでたっても馴れないものだと一護は思う。己の体にのしかかる市丸の体の重さと温かさが安心するような不安になるような不思議な感覚をもたらしていた。
 一護の唇を開こうと市丸が執拗に舐めてくる。だが一護も負けじと唇を引き結び侵入を許そうとしなかった。
「口、開けてぇ」
 仕方なく市丸が唇を離し、許しを乞うように一護の鼻に口づける。薄らと一護が瞼を開けるとすぐ目の前で市丸がどこか困ったように見つめていた。
 ギン、と小さな声で名を呼ぶとその隙を逃さずに市丸が一護の口内に舌を這わせる。そんなつもりではなかったのだけれど、抵抗するのも野暮だろうと一護はそのまま受け入れた。
 かち、と歯が当たる。自分は口づけがうまくないなと一護は思うが市丸はそんなことは気にもせずに、むしろそういう初心なところが愛しいとばかりに一護を求めてくる。わざと音を立てて舌を吸うのも恥ずかしがる一護を見たいが為だ。
「んー、」
 苦しい、と言ったつもりなのだがほんのわずかに唇を離すだけで市丸は一護に余裕を持たせてはくれない。
 初めて口づけされた日を思い出す。あのときは思わず殴ったような気がするが、それでも市丸は嬉しそうに微笑んでいた。舌を入れられたときも殴ったような気がするが、一護にとってはあまりの衝撃だったためよく覚えてはいない。
 一護が物思いにふけっているのを見破ったのか、市丸が抗議の意を込めて一護の舌を緩く噛む。思わず目を開けると市丸がにや、とまるで悪戯が成功したように笑ってみせていた。
 このやろうと一護がその横っ面を引っ叩こうとしたが生憎両手は縫い止められている。だがなんとか意趣返しをしたい一護の目の前には意地悪そうに笑ってみせる憎い唇。
 その上唇を噛んでやった。
「っ!」
 驚いている。してやったりと一護が同じように笑ってみせたがそれは逆効果だった。
「あかんっ。こんなん反則や」
 市丸は己の口を手で覆って床をばんばんと叩いている。その不審な行動に一護は眉をしかめたが、すぐさま市丸は一護に向き直るとこうのたまった。
「もう辛抱たまらん。抱いてええ?」
「なっ!」
 一護の返事も聞かずに市丸は帯に手をかける。これはまずいと一護も必死に抗った。
「なんでそーなるっ!? あと百年は待てって言っただろっ!!」
「いややー!」
 もう甘い雰囲気も何も無い。ぎゃいぎゃいと二人の攻防が始まった。
「あっ、今何時だ?」
「逃げんといてっ、酉の刻やけども!」
 思わず正直に答えた市丸の負けだった。
「なに!? やっべえ、門限だ」
「えぇえーーー!!」
 一護と付き合うにあたり二人の間には取り決めがあった。妹二人を養わなくてはならない一護は仕事ではない限り帰りが遅くなってはならない。それを引き止めようものなら別れると一護にはっきり言われてしまっていた。
 手早く乱れた着物を整えると一護は立ち上がる。
「じゃあ俺もう帰るな」
 助かったと一護の顔に書いてあったが、納得できないのが市丸だ。
「この高ぶった心と体はどうしたらええん!?」
「想像の中で頼む」
「!!」

 百年後、二人は結ばれるのか。



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