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  咲くにはまだ早く  


 剣八が十一番隊隊長に就任した。
 前隊長との一騎打ちを観戦していた誰もが先行き不安を感じている中、最初に問題を起こしたのは剣八、ではなく一護だった。
「更木隊長っ、大変です!」
「あぁ?」
 仕事もせずに煙管を吹かしていた剣八と、金平糖を頬張っていたやちるは同時に振り返った。息を切らして呼びにきたのは弓親だ。
「一護くんが他隊の隊員と喧嘩をして、」
「勝ったのか」
「は? え、いや、勝ちはしたんですが、」
「さっすがいっちー」
 後でイイコイイコしてあげなきゃ、とやちるは暢気に笑っていた。剣八も満足そうに頷いて、そして再び煙管を吹かしてくつろいだ。
 二人とも心配どころか危機感すら抱いていない。十一番隊は喧嘩上等だが、一護の場合、事情がまた違ってくる。
「今回は相手が悪すぎますっ、一護くん、一番隊に連れていかれちゃったんですよ!?」
「はぁ?」
「隊長達が何人か通りがかって、それでそのまま‥‥‥‥」
 言い終わったのと同時に剣八とやちるは消えた。
 普段よりも倍の速さで一番隊へと翔る二人の背中を見送って、弓親は内心でやれやれと溜息をついた。






 知らない大人達に囲まれて、一護は怖い、と呟いた。
 けれどそれは誰にも届かない。大人達は硬い表情をして一護の傍に立ってはいるけれど、一護の声には気付いてくれなかった。
「やりすぎじゃ。お前達の隊が荒くれ者の集まりだというのは承知しておるがの、然したる理由も無しに相手を半殺しの目に遭わせるとは何事か」
 真正面に立つ老人の声に一護はますます恐怖を抱き、剣八とやちるの名を何度も呼んだ。
「これ、聞いておるのか」
 元柳斎の睨みに一護は泣きそうになる。実際には目元や口元、睫毛さえも微動だにしなかったけれど。
「なんぞ弁明したいことはあるか」
 ”弁明”という言葉の意味が分からなかった。首を傾げると、また一睨みを頂いた。
 早く帰りたい。
 そう言っても、誰も一護の声には気付いてはくれない。護廷に来るまでは知らなかったが、どうやら自分の声は剣八とやちる以外には聞こえないらしい。
 ここは嫌だ。
 知らない人ばかりで、そして何やら自分に対してひどく怒っている
 おそらく先ほどの喧嘩のせいらしいがそれがなぜ怒られることになるのか一護には分からなかった。
 喧嘩をしていて途中で邪魔が入り、本当ならもっと懲らしめてやりたかったのに、知らない大人達が一護を止めてこの老人の元へと連れてきたのだ。恨めしげにその彼らを睨んでやるが、相手は少しも一護を見ない。無表情な一護の睨みに気付く者は誰もいなかった。
 もうこれ以上はこの場にはいられない。剣八とやちるがいる十一番隊の隊舎に帰ろうと踵を返した。
「待たぬかっ、話はまだ終わっておらぬぞ」
 嫌だ、帰る。
 一護は首を横に振り、扉へと歩を進める。
「待ちなさい。ちゃんと理由を話すんだ。できるだろう?」
 白髪の男が一護の肩に触れ、引き止めた。その瞬間、ふんわりとした甘い香りが漂ってきて、一護はその男の死覇装の袖に手を突っ込んだ。
「な、なんだ?」
 一護の行動に狼狽えながらも、やがてその行動の意味を知る。そこには確か菓子がいっぱいに詰まっていた筈だ。
「欲しいのか?」
 欲しい。
 お腹がすいて、それで一護は首を縦に何度も振った。その幼い子供のような仕草に男はくすりと笑うと、色とりどりの菓子を取り出し、一護の手に乗せてくれた。
「これ、十四郎」
「君、何やってんだい」
「今はそんなことをしている場合ではない」
「状況考えろよ」
 白い羽織を纏った大人達から非難がましい視線と言葉が飛んできたが、一護はそれを無視して菓子を食べようと包み紙と格闘していた。それは今までに見たことがないような凝った包み方をしていて、一護にはどうやって開ければいいのか分からない。
 次第にぐしゃぐしゃになっていく菓子と、そして落ちていく別の菓子。一護は噛み切ろうと歯を立てたが、それは破れずに伸びるだけで、中身を出してはくれなかった。
 やがて途方に暮れたように立ち尽くす一護に、それを静観していた隊長達は何かがおかしいと気付きはじめる。
「ちょっと貸してみて。‥‥‥‥ほら、こうやって開けるんだよ」
 派手な羽織を纏った男が一護の手から優しく菓子を取り、そして綺麗に開けてくれた。少し形は崩れてはいたが、彩りの美しい菓子に一護は感動してぱちぱちと目を瞬いていた。
 これは本当に食べ物か?
 恐る恐る指を伸ばし、ちょんと突けばぷるんと震えて一護は驚いて後じさった。
「どうしたの?」
 一護は常に無表情で言葉を発するところを見た者は誰もいない。何を考えているのか分かっているのは保護者の二人だけなので、一護の行動に誰もが疑問符を浮かべていた。
「食べないのか? 美味いぞ」
 浮竹がすい、と菓子を近づけると、一護は両手で顔を覆い、部屋の角まで逃げて蹲ってしまった。
 一護の行動を注視していた隊長達は顔を見合わせる。これではまるで小さな子供のようではないか。
「‥‥‥‥‥そういえばこの間、うちの池に落ちてたな」
「‥‥‥‥‥なんで?」
「地獄蝶を追いかけていて落ちたらしい」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
 指の隙間から覗く一護の目は相変わらず感情を宿してはいなかった。しかし行動は幼い子供そのものだ。
 これはどうしたものかと頭を悩ませたとき、派手な音を立てて部屋に入ってくる者が現れた。その瞬間、一護はぱっと立ち上がり、そして一直線にそれに抱きついた。
「馬鹿野郎、泣いてんじゃねえ」
「いっちー、もう大丈夫だからね」
 剣八の固い腹筋に顔を押し付けて、一護はその言葉に何度も頷いていた。それからやちるを抱き上げると頭を撫でてもらい、頬ずりをされてようやく落ち着いた。
「それで、どういうつもりだてめーら」
 剣八は早くも喧嘩腰で、元柳斎を始め同僚達を殺気の孕んだ目で睨みつけた。
「どうもこうも、こっちが聞きたい」
 無表情で立つ一護に視線が集まれば、それを庇うようにやちるが一護の頭に抱きついた。
「いっちー、何があったの」
 しばし沈黙ができる。
 そう思うのは剣八とやちる以外の隊長達で、二人は一護の顔を見て何度も頷き、そして最後に目を見開いた。
「馬鹿か、お前。そんなもん無視してりゃあいいんだよ」
「もうっ、そんなふうに言っちゃ駄目だよ剣ちゃん。いっちー、ありがとね。とどめはあたしが刺しとくからね」
 笑顔で何やら不穏なことを言った気がするが、話が少しも見えてこない隊長達は状況がまったく呑み込めなかった。
 元柳斎が視線で話せと促すと、剣八はやちるに視線をやり、やちるは一護の頭をイイコイイコしながらもどこか嬉しそうに口を開いた。
「喧嘩した人があたしと剣ちゃんの悪口言ったんだって」
「ガキは手加減知らねーからな」
 というか教えたことなどない。
 二人は悪びれる様子は一切見せず、むしろ堂々とそう言い放った。
 呆気にとられる周囲のことなど気にもしないで、剣八は片腕だけでひょいと一護を抱き上げた。一護は一度瞬きをして、それに剣八は首を振った。
「怒ってねえよ」
 その言葉に一護がほっとしたと分かったのはもちろん剣八とやちるだけだ。
 剣八は静かに息を吐き出して、一護の顔を真っすぐに見つめた。
「お前は我慢なんてしなくていいんだ。腹が立ったら殴ってやれ。ただし、殺すなよ」
 殴ったせいで赤くなっている一護の手を剣八は握り、いつもより優しげに目元を和ませて言った。
「忘れんな、お前は強い。俺達が育てたんだ、そこらへんの人間なんてお前にかかればあっという間に潰れちまう」
 やちるを抱き上げたままの一護は更に剣八に抱き上げられていて、それはおかしな構図ではあったが周囲の目にはどこか固い絆の形に見えた。
「潰れてそれで死ぬ。終わりだ。今は分かんねえだろうがな、いつかお前がそのことで苦しむ日がくるかもしれねえ。だから何も分からねえうちは殺すな。殴るなら一発だけにしとけ」
「分かった? いっちー」
 一護は今日、手加減無しに何度も相手を殴った己の拳を見下ろした。やめてくれと懇願されてもやめなかった、何度も振り下ろしたその拳をじっと見つめ、やがてこくんと頷いた。
「よし」
「イイコ」
 二人同時に頭を撫でられて、一護は剣八とやちるだけに分かる嬉しそうな表情を浮かべ、そしてゆっくりと目を瞑った。
 剣八の肩に頬を寄せ微動だにしなくなった一護を見て、やちるは「あ」、と声を出した。
「今日はまだお昼寝してないよ」
「そうだったな」
 三時のおやつも食べていない。それなのに一番隊へと連れてこられて話の通じない人間達から責められるのは一護にとっては拷問だったに違いない。
 やちるは剣八の肩に移動し、剣八は一護を抱き直して、そして誰も何も言えないことをいいことにさっさと十一番隊へと帰っていった。

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