拾い子シリーズ
十五になったら慎みを
「うちの修練場はどこもガタがきてやがる。演習やるならそっちだな」
座椅子にもたれかかる剣八の正面に冬獅郎はいた。二人が同じ部屋で顔を突き合わせていればその体格の違いがよく分かる。見下ろすその姿は威圧感が凄まじいが、一体何を食ったらこんなにでかくなるんだと、冬獅郎は暢気に考えていた。
こうして二人が話をしているのは来週に実施される合同演習についてである。冬獅郎の隣には乱菊が控えていたが、剣八のほうはというと隣どころか定位置である肩の上にもやちるはいなかった。代わりに剣八の両隣に一角と弓親が控えていた。
「うちとやるんだ、ある程度の覚悟はしとけよ。上品な奴らは揃ってねえからな」
弓親がぴくりと眉を上げたが口は出さなかった。十一番隊との合同演習では隊員同士の衝突が予想される。それでも十一番隊と組んで演習しようとするのはより実戦に近い経験が出来るからだ。二、三発殴られるくらいは覚悟しておけと、冬獅郎も部下達には言ってある。
「ところで‥‥‥‥」
冬獅郎は部屋を見渡した。いないことは分かっていたが念のため。
「あいつも、参加するのか?」
「あいつ?」
「‥‥‥‥三席の、」
「一護か。あいつは見てるだけだ」
それに冬獅郎はほっとした。その表情を隣で見ていた乱菊が笑い出しそうな奇妙な顔をしていたが敢えて無視する。そして一応隊長として、三席不参加の理由を尋ねてみた。
「あいつは強い。が、それだけだ」
つまりは指揮ができないのである。好き勝手に戦うので演習に参加させても邪魔なだけだと剣八は言う。菓子でも食わせて大人しくさせておくらしい。
「その‥‥‥‥あいつ、なんで喋らないんだ?」
少し踏み込んだ質問だっただろうか、剣八が黙り込んでしまった。取り消そう、口を開きかけた冬獅郎を遮ったのは襖の開く音だった。
「!!」
「ぎゃあっ」
「ぅおおっ」
剣八は声を失い、弓親と一角は悲鳴を上げて仰け反った。
現れたのは一護だった。だが、しかし、多少の難があった。
「コラーいっちー! 駄目だよすっぽんぽんで歩き回っちゃー!!」
後からやちるが襦袢を持って追いついてくる。一護は一糸纏わぬ姿で部屋に入ってくると、剣八を見て首を傾げた。
「‥‥‥‥‥‥‥呼んだ? じゃねええええ!! 風呂上がりに素っ裸で歩き回るなって何度言ったら分かんだアァ!?」
いち早く正気に戻った剣八が羽織を脱いで一護に投げつけた。一護は突然視界が真白になったことに驚いたのかわたわたともがいていた。
「早く着ろっ、下隠せっ、そしてお前らは見るんじゃねえええ!!」
剣八が投げ飛ばす勢いで一護を部屋の外へと連れ出すとバシンと音を立てて襖が閉まった。襖越しに、このどアホ慎みを持て、アァ? 慎みってのは菓子の名前じゃねえよこのボケ! と聞こえてくる。
「忘れろ忘れるんだ俺‥‥!」
「見てない僕は何も見てない」
一角と弓親は呪文のように同じ言葉を繰り返していた。
「あの子、女の子だったんですね。あの更木隊長がまるで父親みたいアハハハハ‥‥‥‥‥隊長?」
一人暢気だったのが乱菊だった。全裸の登場に大した動揺も見せていない。
しかし問題は上司だった。冬獅郎は目を見開くこと数十秒。
「っ‥‥‥!」
冬獅郎の顔が瞬間沸騰した。
お菓子のおじさん。
一護が声も出さずにそう呼ぶ人物、浮竹はにっこり笑って袖を探っていた。今日は一体何をくれるのだろうと一護はわくわくした。
「ほら、鯛焼きだ」
「‥‥‥‥‥!!」
出てきたのは魚だった。一護は目の前の池で泳ぐ鯉と鯛焼きを交互に見つめて首を傾げる。すると浮竹はぷっと吹き出した。
「あれを菓子にしたんじゃないぞ。ほら食べてみなさい。甘いから」
一護はおそるおそる鯛焼きを受け取った。くんくんと鼻を利かせれば甘い香りがほわんと漂ってくる。一口、食べてみた。
「脇腹から食べるとは変わってるな‥‥」
それは普通の魚も腹の部分からかぶりつくからだ。口内に広がる甘い食感に一護は感動した。剣八ややちるが見れば、一護の表情は緩みきっていると分かるだろう。
「こらこら、頭と尻尾も食べなさい」
いつも残す部位だがどうやら食べられるらしい。そうしてすべてを腹に収めると、一護は感謝の意を込めて浮竹に抱きついた。
「嬉しいのかい? なんだか照れるな」
浮竹の体は剣八には劣るが立派な体格だ。どうやったらこんなに筋肉がつくのだろうかと一護は興味深気に触ってみた。固くてごつごつしていて、雄の体は凄いと思う。浮竹がくすぐったいと言って一護をえいやと抱き込んでしまう。遊びだと思った一護も負けじと抱きしめ返した。
「何やってんだお前らはっっっ」
低いが女の子みたいな声。
そこにいたのは一護いわく、小さいの、だった。
「やぁ、日番谷」
「‥‥‥‥‥‥」
よぉ、小さいの。
無言で挨拶してみたが、小さいのは気付かない。顔を真っ赤にさせて一護達のところまでやってくると、ばりっと二人を引き剥がす。
「なんだ、どうした」
その奇妙な行動の理由を冬獅郎は非常に言い辛そうにして口にした。
「‥‥‥‥‥‥こいつ、こいつはっ‥‥‥‥‥‥おんな、なんだぞ、」
一護を指差し、冬獅郎は苦痛に満ちたような顔をしていた。おそらく恥ずかしさを耐えているのだろう。
「知っているが?」
しかし浮竹はあっさりとそう言って一護の頭を撫でた。
「ちゃんと胸があるじゃないか、なあ?」
「っむ!」
冬獅郎が何かに撃たれたようにしてよろめいた。その脳内で何が巡っているのか一護には分からない。
「日番谷?」
「‥‥‥‥ガキじゃないんだ、その、あんまり、くっつくなと、俺は、」
言いたいらしい。
ぐったりと力の抜けた冬獅郎はそれから何も言わずによろよろとした足取りで去っていった。
馬鹿みたいだ。
そんな惨めな気持ちで冬獅郎が歩いていれば、視界がさっと閉ざされた。
だーれだ!
「松本‥‥今の俺にそういう悪ふざけは」
しかしはたと気付く。
だーれだ! とは聞こえなかった。
「‥‥‥‥‥松本だよな?」
冬獅郎にしてみれば重そうという感想しか持てない豊満な胸、それを後頭部に感じない。今感じるのは固さに混じるほんのちょっとの柔らかさ。
「おいっ、誰だっ」
ぬ、と上から逆さに現れた顔に冬獅郎は寸でのところで悲鳴を我慢した。
「っくろ、さき、」
ということは今後頭部で感じているのは、こいつの胸。
「は、離せ!!」
隊長の威厳なんてものは忘れ去り、冬獅郎はみっともないほどに頬を紅潮させて暴れ出す。乱菊に同じことをされても心拍数は微塵も変化しないのに、何故かどうして今の自分の心臓は壊れそうに鼓動している。
「離せって、っん、んん!?」
唇が何か柔らかいもので塞がれた。
何か、こいつの唇だ。
「ん、あ、」
離れようとすれば追いかけるようにして唇を奪われた。合間にちゅ、ちゅ、と音が鳴って冬獅郎の羞恥心が倍増される。ついでに心臓の音もうるさくなった。
そして次第に力が抜けて大人しくなれば、繋がりはぱっと解けた。
「‥‥‥‥‥‥」
目が合った。その目はまるで「落ち着いたか」とでも聞いているような冷静さを持っていた。冬獅郎は唐突に理解する、こいつはただ自分を大人しくさせる為だけに口付けを。
「てんめえっ‥‥‥んっ」
怒鳴った途端にまたキスされた。いや、これは口付けではない。ただの口封じ。
ちくしょう。
訳の分からない怒りが芽生え、冬獅郎は全力で一護を押し返そうとする。けれども突っ張った手に当たったのは柔らかい肉の感触。
先日のあの光景が瞬時に脳を駆け巡る。こいつは、女なんだ。
「‥‥‥‥‥黒崎、」
唇を重ね合うだけの稚拙な行為がしばらく続き、冬獅郎が大人しくなれば一護はまた離れていった。冬獅郎を無表情に見下ろす一護はこの行為の本来の意味を知らないのだ。
「いいか、黒崎」
唇を拭う。落ち着けと言い聞かせ、冬獅郎は出来るだけ低く声を作って告げた。
「こういうことはするな。俺は男なんだぞ」
ついでに睨みも利かせてやった。しかし一護は目をぱちぱちと瞬かせると、何を思ったのか冬獅郎の胸を鷲掴んだ。
「‥‥‥‥胸なんて無えよ」
鷲掴むことができる筈も無く、一護の手は冬獅郎の固い胸板に当たるだけだった。
「おい‥‥‥だから無えって言ってるだろ!!」
それが信じられないのか一護は執拗に冬獅郎の胸を探ってくる。しかし男の胸だ、ある筈が無い。
「ってコラ、どこ触ろうとしてんだ!?」
一護の手が下のほうへと伸びてきたので冬獅郎は慌てて避けた。そして一つの事実に行き当たる。
「お前まさか‥‥‥‥俺のこと女だと思ってたんじゃねえだろうな?」
「‥‥‥‥‥‥」
うん。
と頷くものだから。
「俺は男だっ、更木と同じもんがついてんだよ!!」
人差し指は下を指し、少々下品なことを口走ってしまった冬獅郎だった。
剣八の説教は長い。
「今度裸で歩き回ったら隊舎の屋根から逆さ吊りにしてやるからな」
などなど、云々かんぬん。
一護の弟分の犬は始終裸だがそれはいいのかと言ってやれば、頬をむぎゅうと抓られた。そして一層くどくどと説教される。
そしてついに正座で足が痺れてきた一護は我慢の限界を迎え、唐突に剣八の口を塞いでやった。ちゅーっと口付け合うその光景に端で見ていた弓親と一角が凍り付いた。
「‥‥‥‥もう一つ追加だ。うるさいからって口を口で塞ぎやがったらメシ抜きの上に尻叩き百回だ、いいな!!」
そのあまりの恐ろしさに一護は説教を眺めていたやちるの背中に退散した。
「え? それはもう言われた?」
「あぁ?」
「口を口で塞いじゃダメだって、男だからそういうことされたら襲うぞコラ、って言われたんだって」
それを聞いた剣八の顔がくあっと凶暴に変化した。相手は誰だと問いただされた一護は素直に吐いた。
「‥‥‥‥小さいの? 女の子みたい? でも下にはついてるから雄なの? へ〜」
冬獅郎の名前を知らない一護は特徴を言ってみる。けれども断片的なそれは人物像を結ばない。
しかし大体の状況を把握した剣八がゆらりと立ち上がった。
「一護‥‥‥‥テメェ尻出せ」
びくっと震えて一護は後じさる。
「剣ちゃん、五十にしてあげて」
「!!」
やちるまで!
野性の本能が逃げろと告げた。
「待てこのクソガキ!!」
助けて小さいの。
お菓子のおじさんではなく一護はただ一人、冬獅郎へと助けを求め裸足で外へと飛び出した。